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NO.589                Ryo Onishi              8/26/2007   

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雑貨屋のひとり言

この8月、首都圏は例年に比べ極端に雨が少なかったそうですが、こちら阪神間では月曜日、久々に大きな雷とともに大雨が降りました。枯れかかっていた草木もよみがえったと思います。同時に蝉の声が急に聴こえなくなりました。夏も終盤にさしかかりましたがまだまだ蒸し暑い日が続きます。でも夕方、陽が沈むのも早くなり、生ぬるい風が吹いてもちょっとほっとしています。
那覇空港で起きた中華航空の飛行機の爆発は驚きましたね。これまで何度も大きな事故を起こしている会社なのに、機長と乗務員がたまたま一人も犠牲者がでなかっただけで表彰されていましたが、大変違和感をおぼえたのは私だけでしょうか?中華航空の社長を含め、乗客の気持ちを無視した、いい加減な対応や姿勢にとても腹が立ちます。
(R.O.)

二世週、日本祭り2007

 今年の夏は酷暑の毎日で、ここロサンゼルス周辺では日中の最高気温が華氏90−95度(摂氏32−35度)の日が続きました。8月下旬になって若干気温は下がり気味ですが、それでもまだ残暑厳しいといった感じです。

メリカでは毎年9月の第1月曜日(今年は9月3日)は “Labor Day” という祝日で、一般的にはこの日をもって私たちは “夏が終わった” という気持ちになります。学校の夏休みもこの日で終わりです。

ここロサンゼルスとその周辺に住む私たち日本人・日系人にとってもう一つ夏を締めくくる行事があります。それはロサンゼルス市内にある「リトル東京」という日系人の街を中心に毎年開催される「日本祭り」です。

正式には「二世週日本祭り(Nisei Week Japanese Festival)」という祭りで、今年は第67回を迎え、8月18、19日を中心に開催されました。今日はこのロサンゼルスの「日本祭り」についてレポートさせていただきます。

この「日本祭り」の起源は、古い話になりますが、1934年、当時は世界恐慌のどん底にあった時ですが、こちらに移住していた日系人の二世の人々がこの日本人街である「リトル東京」を活気付けようと企画したのがその始まりとのことです。

第二次世界大戦や日系人強制収容などで途中中断(1941年から8年間)されましたが戦後復活し(1949年)しました。

 今年も祭りの期間中には、今後一年間、日系社会の「顔」として活躍してもらう「ミス二世週日本祭(クイーン)」が選出されたり、茶道、生け花、書道、盆栽、和太鼓などの同好会による実演や展示、カラオケ歌合戦、相撲トーナメントなど日本文化を紹介する各種イベントがリトル・東京にある全米日系人博物館、日米文化会館、日米劇場、東本願寺・西本願寺(羅府別院)などを会場にして盛大に行われたりしました。

さらに「豆腐フェスティバル」、「寿司コーナー」なども日本食ブームも手伝い、たいへんな賑わいでした。

私と「二世週日本祭り」との最大のかかわりは「詩吟」です。南カリフォルニア詩吟連盟も毎年この日本祭りに協賛し、吟詠大会をし、私も吟者の一人として参加しました。

 今年の祭りの目玉はなんといっても8月19日(日)夜に行われた「ねぶた・パレード」でした。今回は日本の青森県から本物の「ねぶた」が運ばれ参加しました。

この「ねぶた」は武田信玄の武者振りを表現したもので幅約10メートル、長さ約8メートル、高さ約6メートルもある素晴らしいもので、中に600以上の電灯が入っていたのだそうです。(添付写真参照)

「ねぶた」の前を青森市長さん、青森市会議長さんなどが先導し、その後に300人を超える「跳人(はねと)」と呼ばれる踊り子さんが「ラッセー、ラッセー」と賑やかに踊り、続いて夜空に煌々と輝く「ねぶた」、大太鼓が出現するという迫力満点の演出でした。

 このパレードには日本人・日系人だけでなく多くの人が沿道に集まっていました。翌日の新聞によると約1万5千人の見物客が訪れたと報じていました。私たち夫婦も初めて見る本物の「ねぶた」の迫力に感激でした。
  
この日本祭りはロサンゼルスとその周辺の日系社会にとって最大の行事ですが、最近は日系社会だけでなくアジア系、ラテン系を含めた人々のお祭りとなりつつあります。これからも日本人や日系人だけのお祭りではなく、国際色豊かな友情の絆を結ぶお祭りとして続いて欲しいと願っています。  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「たな卸し」

記録的な猛暑、8月の暦も終わり近づいたが残暑厳しく、次の季節はまだまだ遠い。そんな中、大晦日でもあるまいし、季節はずれの大掃除を始めた私。これを次の季節やステージが来る前の準備、一度立ち止まって仕切りなおし、そう考えると、この大掃除は人生のたな卸し、自分自身のたな卸しみたいだと、苦笑い。

仕事では、クライアントの経営陣へ、マネジメントのアドバイスやそのサポート業務を提供することが多い。その企業が今までどうであったのか、これからどうなりたいのか、そのために何をいつまでにどうしなければならないのか、外的内的な分析や仮説に基づく戦略の策定を行なう。決まって最初は、経営と資源のたな卸し。中でも経営戦略策定時には、戦略と同時にリスクのたな卸しは欠かせない。ビジネスの維持や拡大を企業成長への挑戦とするならば、そこには必ずリスクが伴う。リスクのないビジネスなんてないからだ。同様に、自分自身の成熟のためには、人生資源のたな卸しとリスク管理は必要だと思う、このごろ。企業戦略とリスク管理(リスクのたな卸し含む)は仕事として実践できても、果たして、自分の人生たな卸しはどうやって、やるのだろう・・・っと、ふと頭をひねった。

ところで、先日、なかなか面白い発行物を見つけた。「ラスト・プランニングノート」(発行:NPO法人らしさ・ファイナンシャル プランナー作・525円)である。全40ページのこのノートは、「これまでの人生を振り返り、これからやりたいことを考えながら、財産を把握し、人生の後半期のことを書きとめておくためのもの。医療や介護が必要になった時の希望や、葬儀やお墓のことを記入するページもあり、自分史ノートとエンディングノート両方の役割をもたせることができる」そうである。さらに、発行元であるこのNPO法人らしさ事務局長である山田静江氏は、自分や配偶者が定年を迎える時、次のステージのために、まだまだ自分が事を成すことができるために、自分自身の“たな卸し”を勧めている。彼女の言葉を借りれば、「まずは『人間関係』。親戚や学生時代の友人、仕事上の知り合い、仕事以外の活動の仲間、その他頼りにしている人など、現在自分と関わりがある人の中から、これからもお付き合いする大切な人のリストを作成することで、現在の自分の状況を客観的に見ることができる。このリストは、自分に万一のことがあったときにも役立つ。葬儀の際の悩みのひとつに、誰に連絡したらいいかわからないということがある。同居している配偶者や子どもでも、亡くなった人の人間関係はよくわからない。離れて暮らす子どもたちは、なおさら。次に『過去や生い立ち』。簡単な自分史のようなものだ。自分の歩んできた過去を振り返ることで、やり残してきたことや、本当にやりたいことに気づく手助けとなるのではないだろうか。再就職や起業を考えているなら、キャリアの整理もしておこう。3つ目は『健康状態』。定年年齢くらいになれば、持病や気になる数値の1つや2つあるのが一般的。脳ドックを含めた総合的な健康診断を受けて健康チェックをし、医師のアドバイスを受けておくといい。会社をやめて国民健康保険になったとしても、多くの自治体では検査費用に補助があるので、それほど大きな負担にはならないはずだ。健康を守り、将来なるべく介護状態にならないようにするには、予防が肝心。そして最後は『家庭の財務内容』。ファイナンシャル・プランナーはお金のことばかり言っていると、ある人に言われたが、莫大な財産を持っている人も、ほとんど蓄えがないという人も、それぞれの立場でお金の問題は発生する。当面は雇用延長などで、現在とそう変わらない収入を得られたとしても、いずれ年金や貯蓄を取り崩した生活に移行し、今と同じような生活はできなくなるかもしれない。その時慌てても遅いので、借金(マイナスの財産)も含めた財産のたな卸しは必須だ。年金はいくらもらえるか、他の収入はどうか、また現在と将来の支出見込みをざっくりと計算して今後のマネープランを立ててみよう。こういう手段を踏むことで、漠然とした不安を減らし、今後数年間で自分がしなければならないことが見えてくると思う」(YOMIURI ONLINE/女性FP発ポイントレッスン2007年3月13日発行より抜粋)

人間、一生の間には、色々なことに遭遇する。人の生死という出会いや別れ、災難や災害や事件事故、在るべき姿を描いても埋められないギャップもあるだろう。そんな人生の節目に、たな卸しを様々な意味で試みると、今まで不可能だと思っていたことができるような新たな気持ちになるから不思議だ。そんな時、人生のたな卸しは、損益の清算でも、持っているものを失うのでもなく、来るべき結実への、秋への準備のひとつだといえる。たな卸し資産、それは夢を現実にするひとつのチャンスかもしれない・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

 マンションに路地人情が整地され

チエンソーにトトロの森の不眠症

マネーゲーム庶民の億と違う億

ケアハウス紆余曲折の根を下ろす

アイコンのe国境を既に消し


( ニュースやぶにらみ )

「伊勢丹と3対1で統合」
一越になっちゃった −三越

「警官の拳銃不祥事相次ぐ」
無鉄砲が怖い −市民

「売り上げ百万枚突破」
千の風にのって ―千の風になって

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

                つづく          

龍翁余話

龍翁余話(4)「つもり違い10か条」

もう20年以上も前のことだが、九州(大分県)帰省の折り、本家の応接間に飾ってあった「つもり違い10か条」を書き写し、東京の我が家に持ち帰った。以来、この10か条を眺めては、“なるほど、なるほど”と頷くだけの日々だったが、歳を重ねるごとに、単なる“頷き斜視”では済まされなくなった。つまり、翁、70歳を超えてなお、“つもり違い”がいかに多いかを思い知らされているのである。

ご存知の方も多かろうが、念のため「つもり違い10か条」を記しておこう。(翁、いまだ出所を知らず。どなたか教えていただきたい)
高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが私欲
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我

この中で、一つだけ翁が反論したいのは「気位」。社会常識(教養)を伴わない「気位」は鼻持ちならないが、人間、高いプライド(気位)を持ってこそ、自己の確立、社会規範の遵守が可能となる、と(翁は)思い込んでいる。あとの9か条は素直に受け容れられる。特に翁が最近、もっとも肝を冷やすのが「知識」。たまに頼まれて、人様の前でスピーチすることがある。そんな時、翁はほとんど講演資料を持たないで、素手で話をするのを得意としてきた。脱線(雑談)の多いことも有名(?)だ。起承転結を、序論→本論→脱線→結論で構成するのだが、聴取者にもっとも喜ばれるのが脱線タイム。脱線の内容は、大概が翁の海外ドキュメンタリー番組取材時の体験談。Q&Aで、本論より脱線に関する質問が多いのも皮肉なもの。先日(夏休み)、帰省先で急にスピーチを依頼された。主催者から「テーマは、“シニアの楽しみ“について、ですが、聴取者はお年寄りが多いので、なるべく軟らかい話を」ということで引き受けた。例によって“素手講話”。そこに大きな落とし穴があった。『自分から逃げれば逃げるほど、生き甲斐も遠ざかる』の言葉を遺した歌手・淡谷のり子については彼女の生い立ちを詳しく語ることが出来た。翁は彼女が存命中、数回お会いして彼女自身からうかがった話であるから・・・ところが『楽しきと思うが楽しき元なり』(楽しみは、自分の心構え一つで見つけることができる)と言った松平定信について述べようとした時、言葉が詰まった。松平定信って、どんな人物だったか、とっさに思い出せない。「たしか、8代将軍吉宗の孫だった」ていどでお茶を濁すことも出来たが、そこは気位の高い翁、誤魔化しでは気がすまない。「どなたか定信をご存知の方がおられたら、教えていただきたい」と兜を脱いだ。“田舎のお年寄りたち”と侮ってはいけない。いたのだ!知識人が・・・「江戸中期、寛政の改革を行なった白河藩主」の答えが出た。もと高校の歴史の先生だった人だ。「中途半端な知識は知識にあらず。我が無知を恥じます」と詫びたら「聞くは一時の恥、聞かずば一生の恥。龍翁さんの聞く勇気に拍手」と励ましてくれた。

このエピソードはほんの一例。深い、と思うほど自惚れてはいなかったが、こんなに浅い、中途半端な知識であったかと「つもり違い10か条」を恨めしく見つめ直す翁、ついでに「多い無駄」「強い自我」の反省しきりの残暑かな、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

TSUTAYAの半額キャンペーンのお知らせメールが、毎月、携帯とPCに入ってきます。これまで相当数借りたので、(私にとって)新しいアルバムを探すのがちょっと難しくなってきました。しかし、まだまだこれからです。最近は邦楽ジャズとボーカルジャズを中心に探しています。今週ご紹介するジャズはそんな中で見つけたアルバムです。

雑貨屋の読者の方は、このセクシーなハスキー・ボイスを聴いたら安心するというか、懐かしく感じるのではないでしょうか?
Julie Londonは50年代、60年代には華々しく活躍し、映画のスクリーンでもおなじみのスターでした。最大のヒット曲はCry Me A Riverで、以前ご紹介した"You'd Be So Nice To Come Home To"はアメリカでジュリー・ロンドンが流行らせたとのことです。
 

"Julie London Best"
Julie London

1 Constant Rain (Chove Chuva) 02:41
2 I Left My Heart In San Francisco 02:52
3 Misty 03:12
4 What A Differrence A Day Made 02:07
5 Fly Me To The Moon 02:36
6 Summertime 03:11
7 You'd Be So Nice To Come Home To 02:15
8 Charade 02:28
9 Don't Smoke In Bed 02:27
10 Come On-A-My House 02:39
11 I Remember You 02:39
12 The Days Of Wine And Roses 02:54
13 Theme From A Summer Place 02:23
14 Blues In The Night 03:53
15 Love Letters 02:54
16 I've Got You Under My Skin 03:03
17 There Will Never Be Another You 03:21
18 Slightly Out Of Tune (Desafinado) 02:07
19 Black Coffee 02:59
20 But Not For Me 02:26
21 The End Of The World 02:48
22 ATaste Of Honey 03:22
23 Sentimental Journey 02:28
24 Cry Me A River 02:56

1926年9月26日アメリカ、カリフォルニア州サンタクララ生まれ、2000年10月18日に心臓病のため、74歳で死去。

<R.O.>

編集後記

雑貨屋のBGMをジャズに変えましたが、いかがでしょうか?たった50KBのMIDIファイルですがなかなか良い感じでしょう?もし耳障りな場合は、PCの音量を適当に調整してくださいね。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.589

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com