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NO.572                Ryo Onishi              4/29/2007   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

大型連休に突入しました。私は27日から2泊3日でワイフと宮古島に行って来ました。今日の夕方に帰ってきたところなので、まだ余韻が残っています。初めて行った宮古島でしたが、曇りがちでちょっと雨が降ったり、天気はずっとさえませんでした。でも宮古島のすばらしさを十分知って帰ってこられました。帰ってきたばかりでまだ整理できない状態なので、次回以降にお知らせしていきたいと思います。連休は始まったばかりです。大いに楽しみましょう。(R.O.)

さっかさん日本へ帰国(2) 

さっかさんが当雑貨屋ウイークリーに寄稿された『あっこのおいしいロサンゼルス』シリーズ(Zakkaya Weekly No.231からNo.376まで)は「レストラン案内」だけではありませんでした。
このシリーズの中には彼女のエッセイ・シリーズ『満腹したら食休み』も含まれていました。

67回にわたる感性あふれた珠玉のエッセイ集は食に関するものだけでなく、故郷や家族の思い出、友人たちとの交友録からスターバックス成功の秘密に至るまで、さっかさんならではの感性あふれたエッセイ集です。

No.275の「おかあさんはやすめ」は面白かっただけでなく、役立つものです。子供が好きな献立、生活習慣病の要因の一つといわれているメニューばかりの頭文字をとった「「おかあさんはやすめ」、「ははきとく」をやめ、「おかあさんだいすき」、「まますてき」の頭文字の献立を子供に食べさせようという話、とてもよく出来ています。
 
下関本場の「ふぐの味」(No.348)は、美味しいものは人を幸せにしてくれる話で印象的でした。
「使用期限、賞味期限」(No.374)では 食品の「消費期限」と「品質保持期限または賞味期限」についての解説でした。
 
先日、さっかさんご夫妻から受信した帰国挨拶メールによると、かねていずれは日本に帰ることにしていたので、近くロサンゼルスを引き揚げ、日本(ご夫妻の故郷山口県)に帰国することのこと、以前から誘われていた身内の事業をご主人手伝うという話が具体化したこと、高齢となった両親のことなど、諸条件が重り、決断されたとのことです。通算13年のアメリカ生活で、充実した日々だったことでしょう。

私とは一緒にラジオ(さわやかサンデー)にレギュラー出演させていただいたり、雑貨屋投稿を快く引き受けていただいたり、ともに羅府新報のコラムを担当したりさせていただきました。
 
現在、雑貨屋ウイークリーは、さくらさん、森田さんや兄の成近など、どれも光る珠玉の原稿に混じって私も駄文を書き続けています。さっかさんも日本へ戻って落ち着いたらまた雑貨屋にも帰ってきてください。
      河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言挙句の果て

「チューリップ」

「さいた さいた チューリップの花が、ならんだ ならんだ あかしろきいろ どのはなみてもきれいだな」・・・日本人なら誰でも知っている童謡のひとつ。これからチューリップの美しい季節になると思うと、ニンマリしちゃう。小学校一年生の時、この歌を先生のオルガンに合わせて歌い、児童一人ひとりが鉢に球根を植えた。校庭の赤いチューリップの記憶が春の風に揺れる。チューリップの花は、なんとなく青い時の象徴だと思う。

チューリップの花といえば、ワシントン州スカジット・ヴァレー(Skagit Valley)のチューリップ・フェスティバルも懐かしい。そこは、シアトルからハイウエイ(5号線)で北に約75マイル、逆にバンクーバーからは南に約100マイルに位置する田園地帯。万年雪化粧のMt.ベーカーとカスケード山脈を背景に、色とりどりのチューリップが微笑んでいる。まるで虹の絨毯みたい。その近隣にそびえるポプラ並木が風の音を創り出し、北米の春を知らせる。オランダからの移民によって始められたこの地のチューリップ球根栽培は、オランダに次いで世界2位、今ではオランダに輸出するほど拡大しているという。ここの肥沃な土は、川の水が運んだもの。まさに、長い自然の恵みと移民の努力が実を結び、さいた、さいたお花がさいたということになる。

ところで、チューリップと云えば、もうひとつ・・・J-ポップス・バンドのチューリップがある。さいた・さいたのチューリップではないが、私たちの年代なら、これまた知らない人はいないだろう。若かった私にとって、グループリーダの財津和夫が福岡出身、しかも彼の出身大学が、私が二つ目に卒業した大学と同じだということだけで親しみやすかった。今思えば、何気なく聴いていた彼らの歌が、思春期の中学生から渡米するまでの青年女子だった私の、青い時代に流れた風みたいなもの。♪ほんの小さな出来事で愛は傷ついて〜♪、♪我がままは男の罪でそれを許さないのが女の罪〜♪、♪あぁ、だから今夜だけは〜♪、♪神様はいる〜♪、♪君の心へ続く長い一本道はいつも僕を勇気づけたとてもとても険しく長い未知だったけど 今君を迎えゆこう 自分の大きな夢を追うことが〜♪、彼らのヒットソングが次から次と口をついて飛び出してくる。今は、そこに青春の影、心の旅を感じる。財津和夫自身がグループ命名について『“チューリップ”には夢や希望がある。僕らは夢や希望を歌っていきたから』と話しているのを聞いたことがある。結成35年の今年、「もう、夢や希望を歌う年齢ではなくなった」からということで、解散へと準備を始めているという。ここにJPポップスの草分けも、青い時に別れを告げようとしている。次の夢への準備をする季節だということだろう。

さて、私が小学生の頃、「チューリップは、東京に住む普通のおばあさんがつくった(作詞した)んだって」と教えられた。今から40年前のことだ。チューリップの作詞者の作品には、この『チューリップ』のほか、『こいのぼり』、『おうま』等、私たちが幼稚園や小学校で親しんだ歌、日本音楽教育の財産ともいうべきものがある。しかしこれらが、著作権法改正までの長い間、無名著作物として取り扱われたことはあまり知られていない。それは当時の著作権法や施行方法の貧しさもあったが、作詞者の家族の中に左翼活動家がいたことから、作者は作品を無名で発表した。無名専業主婦として激動の時代を生きながら、作者不詳でも歌い継がれていくことを希望し、名乗り出ることをしなかった。しかし、実の息子が、自分の母が作詞した、と話したことから、末は裁判にまで発展、様々な出来事を経て、チューリップが歌われ始めて61年後の1993年、正式に作詞者として認められた。それが、近藤宮子氏。彼女がチューリップに託した「歌い継がれる」という夢は、今も、春の陽だまりの下で咲き続けている。チューリップ、夢のある花だと思う。だって、ほら、47歳の私も歌っているんだもん・・・っと、呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

見得切ってみたが竹光見透かされ

振り上げた拳ジョークにして下ろし

ライバルと諸刃の剣と知って組む

営々の序列合併劇で消え

身の丈の欲で紙風船弾む

( ニュースやぶにらみ )

「トヨタが販売台数一位に」
スピード違反だ −GM

「デモ行進」
油をよこせ、米よこせ −北鮮軍事パレード

「阿部首相訪米」
イエスの発音はどうかな −ブッシュ大統領

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

 私のセカンド・ライフ( 4 )
      橋渡し
                        森田のりえ

 税金を申告する時期になった。
 夫が亡くなったのが六年前の四月三日だからちょうどこの時期だった。あの年は、末期の食道癌でベッドに横たわっている青息吐息の夫に筆談で教わりながら、税理士に提出する書類をそろえた記憶がある。その年は莫大な医療費の請求書を整理するだけでも大変で、一年の収支計算をして、どうにかやり終えたときはほんとうにほっとした。
「やればできる」
これが間違いの元だった。
夫に先立たれた私に「ひとりでお寂しいでしょう」と心配してくださる方もいたが多忙で塞ぎ込んでいる暇はなかった。手紙一つ、不要か必要か判断がつかない。頼りにしたい娘夫婦は遠方に住んでいる。事務手続きなどが次から次と押し寄せ、おまけに英語の書類ではおいそれといかない。必要な提出書類かどうかも分らずウィドウ仲間に聞きまわった。
「何も出さなかったわよ」
といわれれば、騙されているのではなかろうかと疑心暗鬼に陥った。
幸い、知人からファイナンシャル・アドバイザーのKさんを紹介され事なきを得たが、パニック状態になったことさえある。
夫が亡くなる二年前に私たちはアメリカ人の弁護士に頼んでリビング・トラスト(遺言書)を作っていた。それをKさんに読んでもらうと、不具合な個所が見つかった。その一つは、財産の半分は娘にいくようになっていたことである。夫はこういっていた。
「娘に遺さなくてもいい。甘やかしは本人の自立を妨げるから決していいことではない。俺たちだって裸一貫から出発したのだし、大学まで出したのだから後は貧乏しようがどうなろうが本人の責任だ。それに、いまは健康でもこの先大病や事故など何が起きるかわからん。お金は邪魔にはならないので最後まで自分で持っておけ。ふたりで汗水流して働いたのだから、ご褒美だと思って、残りの人生を楽しめ。娘夫婦に頼ろうと思うな」
そして、
「できないことは『できない』という勇気をもつことが肝要だぞ。見栄をはらず、身の丈に合った暮らしをしろよ」
 Kさんが法にのっとって訂正してくれたからいいようなものの、すんでのところで生活苦にあえがねばならなったのだ。
一つ年下の夫は、心の底のほうで、二人の姉を肺癌で亡くした私が同じ病気で先に逝くと思っていたフシがある。
「もし私が後に残ったら英語が分らないから、日本語の分る弁護士にお願いして」
という私の頼みに耳をかさなかった。
「アメリカ人の弁護士がええぞ」
 私より少しだけましな英語力だというのに、夫はいい張ったのである。
先日のことだ。
「あなたに聞きたいことがあって電話したけれど留守だったのよ」
日系マーケットで出会った友人がいった。何のことかと思ったらリビング・トラストについてである。
「主人が私より先に逝ったら、日本語の分る弁護士じゃないと困るでしょ。英語でいわれてもチンプンカンプンだもの、大事なことだから解りませんではすまないのよ。主人は二世だから問題はないけれど・・・」
 そのとおりである。
 もうすぐ夫の七回忌がくる。
 早め早めが好きだった夫の癖を私も引き継いで、今年も早々に税金の申告を済ませた。一人でやり始めて六回目である。年間の生活費もおおよその見当がつきウィドウ暮らしにも慣れてきた。リビング・トラストも日本語できちんと説明してもらえる人に頼んで作成した。身体が不自由になった時の事、認知症になった場合の代理人、延命装置、お墓、もしお金が残ったらどうするかなど、自分がこの世から消えた後のことまで決めてしまうと、意外に気楽で自由に生きられるような気がしてきた。ひんしゅくをかうかもしれないが、
「人生でいまが一番」
と思うことさえある。後を振り返っても夢はない。前を見るしかないのだ。
血圧も正常、コレストロールも糖尿も異常なし。胃の調子もいい。この分だと去年の夏、百歳で亡くなった母のように長生きするのだろうか。それもいかがなものかと思うが、寿命ならばいたしかたない。
 最近は「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が身に沁みる。不思議なことに、生前の夫が直接間接に関わった人たちとの付き合いが多い。残された私が寂しくないように夫が「橋渡し」をしてくれたと感謝している。
               つづく

 

編集後記


≪今週のお奨めジャズ≫
宮古島に行く、前日と前々日にTSUTAYAに行き、ジャズCDを合計10枚も借りてしまいました。
女性ボーカルNoon の Smilin‘はいかがでしょう?これもジャズなのかな?心地よい歌声です。

1 Smile 03:24
2 Don't Let Me Be Lonely Tonight 04:44
3 Love Letters 03:04
4 500 Miles 04:49
5 The Way You Look Tonight 02:50
6 Black Orpheus 04:35
7 Ev'ry Time We Say Good-bye 04:17
8 How Long Has This Been Going on? 04:33
9 I Could Write a Book 02:44
10 Superstar 03:25
11 You've Got a Friend 05:03
12 Hallelujah I Love Him So 03:15
13 涙そうそう 03:57

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Zakkaya Weekly No.572

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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