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NO.571                Ryo Onishi              4/22/2007   

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雑貨屋のひとり言

4月20日(金)大阪市中央区道修町の「花菱」で第8回関西加州会が行われました。今回はご夫婦同伴で来られた方も多く31名(女性7名、男性24名)の参加がありました。26年ぶりに帰国された北岡さんも参加されていて、楽しいひと時を過ごすことができました。一年ぶりにお会いする皆さんはとてもいい顔をされていました。毎年高齢化してきているのにそんなことはちっとも感じさせないのは、陽気に生きておられるからだと思います。元気をもらえたと思います。お世話くださった幹事の田渕さんに感謝!感謝!です。(R.O.)

さっかさん日本へ帰国(1) 

当雑貨屋ウイークリーでもお馴染みだった「目(さっか)昭子さん」が長年のロサンゼルス生活を卒業され、ご夫妻で日本(ご夫妻の故郷山口県)へ帰国されることになりました。

私の記録が間違いでなければ、さっかさんは当雑貨屋ウイークリーにはNo.231(2000年10月16日号)に『あっこのおいしいロサンゼルス――レストラン案内』として登場し、はじめの頃は隔週号に、そしてすぐ毎号ほとんど休むことなく、No.376(2003年7月27日号)までの2年9ヶ月間『あっこのおいしいロサンゼルス』シリーズを書き続けてくださいました。

同シリーズではこれまで彼女が取材し、当地日系新聞(羅府新報)ほかのメディアに掲載してきた「ロサンゼルスと周辺のレストラン案内」を中心に、折に触れ心に感じたさっかさん独特の感性あふれたエッセイ「満腹したら食休み」シリーズなど寄稿され、私は毎号楽しみに拝読させていただいていました。さっかさん、日本へ戻られて、落ち着いたらまた雑貨屋へ寄稿者として戻ってきてください。

さっかさんの「レストラン案内」は和・中・洋ほか多彩なレストランの紹介で、私は友人、知人と外食をする時、先ずは参照する必須のバイブルでした。バイブルになるほどの素晴らしい取材記事はどのようにして作られているのだろう。 ――― さっかさんの場合、香港駐在時代からの(もしかしたらもっと前からの)食に対する飽くなき興味のなせる結果であろうことは理解できますが、外食には結構時間と費用がかかるでしょうし、好きな料理だけ注文するわけにはゆかず、数多くのメニューを試す必要もあるでしょう。

あるとき、彼女にこのへんの疑問を問うたことがあります。彼女は一つのレストランを取材する場合、原則として対象店へ二回通うそうです。第一回目は普通に客として食事をし、取材対象とすると決めたらそのレストランのオーナーに取材を申し出、改めてもう一回その店に行って話を聞き、そして写真を撮らせてもらうようです。

この場合一人でお目当てのレストランに出かけても食せるメニューの数は知れています。ある時は彼女のご主人に同行してもらい、またある時は友人たちにも声をかけて一緒に行ってもらい、取材を手伝ってもらうのだそうです。「私のために時間と費用ほか迷惑をかけているんです」と彼女は笑っていました。

さっかさんご自身も「満腹した食休み(8)」(Zakkaya Weekly No.263)で次のように書いています。

(前略)私の場合は、まず行って普通に「食べる」、そして会計を済ませた後「取材の申し込み」、日を改めて「取材」。食事は大抵の場合夜の忙しい時間に行くことから、ゆっくり話を聞こうと思えばまた後日ということになります。もちろん丁寧な取材をしたいからという言えば聞こえは言いのですが、本音を言えば、私の英語力では「その場でサッサッと取材して…」なんてカッコイイ芸当はとても出来ません。取材をする事を前提にレストランへ足を運びドアを開ける瞬間、とても緊張します。「ああ、ここがどうかおいしくて気持ちの良い店であります様に」と。私の取材基準は「おいしい」「気持ちの良いサービスと清潔感」「全ての内容と料金とのバランス」。当然誰が行ってもお金を払うからには要求することばかりです。(中略)格は違っても「良い店」の共通点は「お客さんに喜んで貰いたい」という姿勢を必ず持っていることです。客は同じ人でもその日によって求めるものが違います。 カジュアルな食事を求めたり、おしゃれして気取った雰囲気を求めたり。要は客が求めるものと、店の格が一致していれば良いのです。でも共通する事は「満足」です。満足した時それにふさわしい料金を払うのです。客自身もその店の格を作っていくのです。

私(河合)もこの雑貨屋ウイークリーに「観光スポット紹介」を連載しています。実際に現地を訪ね、取材し、写真を撮らねばなりませんが、幸い私はビジネスから引退した身であり、時間はなんとかひねりだすことも出来るし、取材コストはガソリン代と施設の入場料くらいのもので何とかなります。

それにわが夫婦ともにドライブは大好きだし、取材を口実に年老いた夫婦が子供の遊園地でもどこへでも行くことが出来るので楽しんで取材し、案内を書いています。

でも、さっかさんの場合はご自分で仕事もこなしながらの取材(食事は人間にとって最高の楽しみであり、ゆとり、癒しの時間です。この貴重なひとときさえ取材という目で過ごすのはたいへんです)はたいへんだったことでしょう。
 ――― 以下、次号に続く ―――    
      河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言挙句の果て

『デコ電』・『デコメル』・『デコ小物』と聞いて、ピンとくる読者は私より生活年齢が“若い”。恥ずかしながら、私はどれも知らず、世の流れに疎いと反省。携帯電話にビーズやシールなどのパーツで飾りをつけるものがデコ電、文字だけでなく絵や記号で作文されたeメールメッセージ文がデコメル、一見文房具に見えない形をしている筆記用具、または書かれた文字もしくは書いた文字に強調・工夫を凝らすペン類や塗料、糊などがデコ小物。どれも、現在の高校生から若者の間で流行している行為やグッズを表した短縮語である。ある女子高校生によると、『デコメルもデコ小物も「自分らしさ」の主張、自己存在の意味や付加価値の表現、自己の発想の具現化だという。このように、時代と共に変化する文化・慣習のひとつに、言葉がある。新語(造語)の誕生時、聞きなれないものや整っていない言葉に戸惑い、ズレを感じる場合が多い。しかし、案外このズレが、何かを繋いでいる場合があるから不思議だ。日本文化の中にも、隠されたズレに連なる美しさや作品がある。

先日、東京女子大学教授の佐々木能章氏と、お食事をご一緒するチャンスがあった。哲学の視点から『“ずらし”と“つなぎ”の発見術』をテーマに、文化の誕生から再生など、文化・異文化、駄洒落、四国遍路などの話を聞いた。中でも日本伝統“連歌”の一作品の展開説明は、衝撃と同時に発見の喜びを私に与えてくれた。それは、作品とその展開に隠された詠みのルール、各句作者の想い、句の変化、前後句のつながり、全体における一作品の位置と役割、時の変化や句の結びといった技だ。これが室町時代の終わりから400年以上の時を超えた今の企業経営における組織ビジョン、戦略、そしてバリューを創出する鍵、つまり変化への対応の真髄を示唆しているからだ。まさにここに、知的で洒落た“ずらし”と“つなぎ”の極致がある。私は、いままで知らなかった“連歌”の魅力に獲り付かれそうだ。連歌とその発想は、変化を怖れる私たちから、変化を楽しむ私たちへと、何かを繋いでくれるものかもしれないと思う。

“連歌”は、和歌を使った文芸のひとつで、ひとつの場に多数の人が集まり、長句と呼ばれる五・七・五に対し、短句と呼ばれる七・七を、交互に詠み継ぎひとつの作品(中には百句まで)に仕上げる競技。人の作品を鑑賞しつつ自分も創作することを、その場で展開というこの形態は、世界文芸の中でも類似がないという。この連歌の魅力は、何と言っても、他の人や自分の思いがけない発想の登場、それによる変化だという。この変化を楽しむために作られた連歌のルール、『式目』がある。例えば、連歌の初めに詠まれる初句は、会の主賓が詠み、必ず季語や切れ字を入れること。二番目に詠まれる脇句は会の主催者である亭主が、第三は宗匠が、次にその場の連衆が順に、全員一周したら次は早い者順で詠み、最後に、初句を詠んだ人以外が締めくくりとなる短句「挙句」を詠んで完成となる。私たちがよく使う“挙句の果て”の原義はまさにこれ。これらには、挨拶、礼儀、節操がありながら発想展開へのスピードの工夫が感じられる。また発想の幅や深さを広げるという意味での同意・想いを避けるために、前句に付けるが前々句からは離れる打越(うちこし)は大原則だが、連続して何句続けてよいかという句数(くかず)のルール、反復して使用するには何句隔てなければならないかという句去(くさり)のルールなどもある。京都大学の長谷川千尋氏によれば、『このような緻密なルールの調整によって、四季、夜分、光物(ひかりもの)、聳物(そびきもの)、降物(ふりもの)、山類(さんるい)、水辺(すいへん)、動物(うごきもの)、植物(うえもの)、人倫、居所(きょしょ)、衣装、旅、名所、恋、述懐(じゅっかい)、神祇(じんぎ)、釈教(しゃっきょう) の様々な素材が偏りなく現れるわけ』だという。まさに、これって、学習・変革し続ける優れた企業活動とその魅力ではないだろうか。さらに、連歌の最後に読まれる“挙句”、これは作品の成就を喜び祝うもの、この句の良し悪しは、さっぱり・あっさり、後の続きがないようなもの、だという。ここにもまた、経営マインドに通じるものを感じまいか?

さて、実は佐々木氏が『“れんが”に見る“ずらし”と“つなぎ”』と話し始めた瞬間、私は煉瓦(ブリキ)、アメリカ中西部の懐かしい風景を頭に描いた。そして、ズレて積まれた煉瓦をつなぐセメントか何かのテクニックの話かなと連想し、挙句の果てにそれを口に出してしまった。っが、なんと、彼のいう“れんが”は煉瓦ではなく連歌、ランチテーブル同席者は一斉に大笑い。そこに、無知な私の発想の限界とズレが暴露されたものの、笑いがその場をつないだ。人生の挙句を詠む時を迎えるまで、色々な場で、様々な人との連歌を満喫したいものだ・・・っと、呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

先日買った宝籤が当たりました! 下一桁の100円が1枚。
世の中そんなに甘くなかったです。


( 川 柳 )

平成に昭和の愚痴が通じない

青い山脈歌う老春肩を組み

捨てて出た故郷の唄が酔うと出る

都市砂漠 鍵とカードとコンビニと

背に老いを見せてピエロの芸哀し

( ニュースやぶにらみ )

「劇的大逆転勝利」
南無阪神大明神 −苦戦候補

「アメリカで銃乱射事件」
平和だな −イラク国民

「林家正蔵の所得隠し」
正蔵の他に地下蔵があった −国税庁 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

 J-6 私のセカンド・ライフ( 3 )
      ひとりよりふたり?
                        森田のりえ

腕時計が遅れてしようがない。
 考えてみると買ってからこの方、修理も分解掃除もしたことがない。義母の形見の日本製時計は正確に時を刻んでいるというのに、どうも私の時計はいけない。二、三日ほっておくと止まってしまう。使うたびに秒針を合わせねばならず、不便極まりない。かといって、亡夫との悲喜こもごもの思い出がある時計だから、捨て難い。
 二十七、八年も前のことだった。
 私と夫の間に不穏に空気が流れていた。
「あの女にロレックスを買ってやったの! 女房には香港土産のニセモノをはめさせて、バカにしないでよ。ふざけないで!」
 女が時計を返すと電話をしてきたとき、たまたま夫の側にいた私は聞いてしまったのである。逆上した私は、夫を罵倒する言葉が喉元まで出かかっていたを飲み込んだのである。
「だが、まてよ」
これにはよんどころない事情があるにちがいない。すまない、悪いと思っているはずだから、事を荒立てないほうがいい。共に苦労した妻を裏切るはずがないと私は自分自身を納得させ、引きつりそうになる頬を抑え、さりげなさを装って事の仔細を聞き出した。
手持ちがないから立て替えて欲しいといわれたこと、もらう筋合いがないので時計を返すといってきたこと、おめおめと大の男が「はい、それでは」と受け取るわけにはいかない。男の面子がある。辻褄の合わない苦しい答弁を夫はつづけた。ともかく反省しているようだし、この場は衝突をさけ穏便に事を収めたほうがいいと思ったのだが、腹の虫が治まらない。私は腹いせにヘソクリをはじめた。目的は金のロレックス。けれども容易くたまる額ではない。諦めかけたころ、良心の呵責に耐えかねたのか夫は安い方から二番目のロレックスを買ってきた。それがいま私の腕で遅れ勝ちになってきた腕時計なのである。
それから八年過ぎたころ、夫は身体の不調を訴えるようになった。高血圧、高コレストロール、高い血糖値。食事療法と適度な運動で平常値にもどったが、夫は気弱になった。
「わがままな亭主によく我慢してくれた。ありがとう。これからはどこへ行くにもオマエを連れて行くからな。オレの生きがいはオマエの喜ぶことをすることだ」
 歯の浮くようなことを平気で口にするようになった。これには少々閉口した。美容院の送り迎え、友人が誘ってくれる食事会など、どこへ行くにもついて来る。不服を言おうものなら、夫婦で行くのが礼儀だろう.オマエの友だちにオレが会って何が悪いと口を尖らせる。月一度の句会へ出かけようとすると、
「不思議だなぁ、オレだったら夫婦で楽しめるものを見つけるけどなぁ」
と、皮肉をいった。
自分の価値観を押し付けないで、私にも自由をちょうだいというと、不思議だ、不思議だ、オレには理解できないと首をかしげた。
某雑誌にこんなことが載っていた。
「ごめんなさいを恐れずに言おう! ありがとうをためらわずに言おう! 愛しているを照れずに言おう!」
 家庭円満の『愛の三原則』だそうだ。確かに晩年の夫がよく使った言葉である。
時が経つのは早いもので夫が食道癌で逝って丸六年目を迎えた。仏教でいえば七回忌。
夫に先立たれた私に「寂しいでしょう」と心配してくださる方もいたが、私は戸惑った。
 寂しいのではなく、悲しいのだ。
 その悲しさも、顰蹙をかうかもしれないが、籠から放された鳥のようなものだから、長続きはしなかった。夫というタガが外れ、自由気ままに暮らしている私を見て、知人は「「主人を尻に敷いていたろう? 間違いない。想像できる」と、確信したようにいう。
「違います。三歩うしろどころか、ワン・ブロックあとから黙って歩いていました」
すると知人は「それはねぇ、君」といった。
「尾行というんだよ」
 いま作家田辺聖子の自伝ドラマ『ひとりよりふたり』を放映している。
 そんなことはない。ひとりが一番! と思っていたが最近考えが変わってきた。ボソッとひとりで食事をし、背を丸めてテレビを見て寝る。この生活が死ぬまでつづくと思うと、侘しい。しかし、辺りを見回すとウィドウで溢れかえっている。いい男と思えばあらら他人のもの、と川柳にもある。
「ひとりよりふたり」は夢幻だ。
私の生涯の男は夫だけかもしれない。その夫からの只一つの贈り物になったロレックスは修理をすべきかどうか迷っている。修理代で義母の形見の時計が何個か買えそうな額なのである。           つづく

 

編集後記

土曜日、大阪城野外音楽堂で行われた「大阪城ジャズフェスティバル」に行きました。ジャズ大好き人間の私は、ワクワクしながら聴きました。関西の大学のビッグバンドジャズはすばらしく、どれも一所懸命演奏している姿に感動し、ビッグバンドの迫力を堪能させてもらいました。圧巻は最後のEM(エリック宮城)BANDによるプロの演奏でした。ロッキーのテーマソングは鳥肌が立つすばらしさでした。トランペット、サックスフォーン、トロンボーン、ドラム、ギター・・・どれをとっても生演奏ならではの引き込まれる迫力で感動しました。あらためてジャズのすばらしさを味わいました。5月の連休に高槻で行われるジャズフェスティバルにも行ってみようと思っています。
私の勤務している富士通テンが昨年から”KOBE jazz.jp”というサイトを提供しています。是非、お立ち寄りください。 http://kobejazz.jp

≪今週のお奨めジャズ≫
今週はジャズフェスティバルの中で演奏された私の好きな”It’s All Right With You.”です。

アーティスト名/アルバム名
(1)Eddie Higgins Trio/ If Dreams Come True
何度聴いてもウキウキします
(2)Super Jazz Trio / The Standard
ちょっとテンポが速い
(3)小曽根真 The Trio / Reborn
まったく違った曲に聴こえます
(4)鈴木重子 / Premiere
女性ボーカル、ファンになりました

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Zakkaya Weekly No.571

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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