「クレージーキャッツ」のメンバーとして1960年代から高度成長時代に爆発的な人気を博したコメディアンで俳優の植木等さん(80歳)が3月27日(火)に呼吸不全のため亡くなったそうです。
植木さんと言えば「スーダラ節」をはじめ、無責任男のイメージで一世を風靡した人ですが、実際の彼は几帳面で生真面目な人だったそうです。虚像(役柄)と実像は正反対であり、彼に関するエピソードを知るにつけ、私は植木
等さんに対して尊敬にも似た気持ちで彼の歌や演技に声援を送ってきました。
私は以前、このZakkaya Weekly に植木 等さんとスーダラ節について書きました。(Zakkaya Weekly
142号、1999年1月31日号)
植木 等さんの訃報に接し、改めてその時の原稿を以下に再掲させていただき、故人への弔辞に代えさせていただきます。(合掌)
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80.『 スーダラ節は 100遍の説教に勝る』
“ スーダラ節 ” と言えば
1960年代初めにクレージーキャッツの植木等(うえきひとし)が歌い、日本中で大ヒットしたコミックソングです。
当時としては空前の30万枚を超える大ヒットとなり、1961年の紅白歌合戦でも歌われました。
中年以降の方ならご存知と思いますが、参考までに歌詞を以下記します。
★ スーダラ節(作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶、1961年)
(1)♪♪ チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ ・・
(2)♪♪ 狙った大穴 見事にはずれ
頭カッと来て 最終レース
気がつきゃ ボーナスは
すっからかんのカラカラ
馬で金儲け した奴ア ないよ
分かちゃいるけどやめられない
(以下同じ)
(3)♪♪ ひとめ見た娘(こ)にたちまち惚れて
よせばいいのに すぐ手を出して
だましたつもりが チョイトだまされた
俺がそんなに もてる訳ないよ
分かちゃいるけど やめられねぇ
(以下同じ)
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この歌は一見( と言うよりどう見たって )ふざけた退廃的な歌に聞こえます。 私もずーとそう思ってきました。
ある時、雑誌 「 プレジデント 」 仏教・親鸞特集号にこの植木等氏 自らが寄せた文があり、何気なく読んでみたら、そこにはこの 「
スーダラ節 」 と彼の父親とのエピソードが書かれていました。そしてこの 「 スーダラ節 」
には人間に対する深い思いが込められている事を知り、「なるほど、そういう側面もあるのか 」 と目の開く思いがし、以後
私は時々友人達と人生を語る時、この話を引用させてもらっています。
今回はこの植木等氏の文の一部を抜粋、以下転載し、人間について考える材料を提供させて頂きます。
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「・・・僕が芸能界に入って『スーダラ節』がヒットしたとき、親父は、あの歌の文句は真理をついている、親鸞の教えに通じるものがあるって言ってました。
『わかっちゃいるけど、やめられない。ここのところが人間の弱さを言い当てている』 ってね。
くん酒山門に入るを許さずとか、肉食妻帯を許さずとか、世間がいろいろ言ってた時代に、親鸞は『わかっちゃいるけど、やめられない』と思いながら、自分の生き方を終生貫いたという訳です。
『うん、青島君は、なかなかの詞を作った』って、作詞した青島幸男さんを褒めていましたよ。・・・」
【植木等、無責任流大往生論 (プレジデント '95年2月号)より抜粋】
≪注≫植木等氏の父親は三重県の寺の住職でありながら、キリスト教の洗礼も受けていたり、労働運動、部落開放運動、反戦活動など当時としては危険な思想の持ち主だったようです。
晩年は親鸞に対する敬慕の情を吐露しつつ昭和53年83才で没したそうです。植木氏の文によれば「確かに親父は、一見、支離滅裂ではあったけれど、その底には一貫したものが貫かれていました。弱く貧しい者、生身の人間に対する共感。人間平等、部落開放、戦争反対を主張して、官憲による投獄、拷問にもその節を曲げることがなかったんですから。・・」
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お経を唱え、説教を100回繰り返しても親鸞の心を真に伝え、理解させる事は困難なのに、この 「 スーダラ節 」 は人間の業(ごう)とか
ありようを見事に言い切っている。 「 飲む、打つ、買う」 とは 人間の欲望であり、悲しい人間の性(さが)である事を認めた上で、それを 「
わかっちゃいるけど、やめられない 」
人間の弱さ、不完全さを素直に認め、その上で人としてどう生きるかを問うものだ、これこそ親鸞の教えの神髄だ、と言う事のようです。
たかが無責任なコミックソングと思うなかれ、この歌は解釈の仕方によっては 100遍の説教よりも説得力のある人間修行の言葉でもあるのですね。
河合将介( skawai@earthlink.net )
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