weekly

NO.563                Ryo Onishi              2/25/2006   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
  雑貨屋のひとり言 ジャズ 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

暖かい日が続く今年の冬はどう考えてもおかしな気候ですよね。
目がかゆく、鼻がぐずぐずしてきました。もうこのまま春になってしまいそうな感じです。うれしいような寂しいような・・。
海外で行われている女子ゴルフで宮里藍選手ががんばっています。堂々たるプレーを見ているとやはり注目されるだけのことはあります。ことしも楽しみです。(R.O.)

願いがひとつ叶うなら

読売新聞のインターネット版に「発言小町」というコラムがあります。読者からの投稿から構成されるコラムで、いろいろなトピックについて読者からの意見やコメントが掲載されるもので、私は時々このコラムを覗いています。

「男性から見た魅力的な男性は?」、「品のある女性になるには?」、「ほどよい隙の見せ方は?」、「今年一年、若者に通じなかった日本語について」、「子供の名言」、「年末年始、読む本は?」などなど・・、レスポンスしているの皆さんのコメントに納得したり、頷いたり、時には思わず笑い出してしまうものまで・・、と時間の過ぎるのを忘れることがしばしばです。

先日、一読者から「願いがひとつ叶うなら?」というテーマが提起されていました。このテーマを提起した読者の言葉によると、「娘からの突然聞かれました。『神様が願いをひとつだけ聞いてくれるとしたら、ママは何をお願いする?』(略)小町の皆様ならどのようなお願いをしますか?」

 早速、多くの読者からの回答が続々寄せられていました。中には、「大金が欲しい」などという厚かましい(?)願いとか「愛犬と話したい」、「宇宙の始まりから終りまでを見たい」などという現実離れしたまさに夢の願望(もちろんそれはそれでこのテーマへの答えとしては理解できますが)などもありました。

「叶えてくれる願い事を無限にしてください!」などというものもありましたが、「願いがひとつ叶うなら」というテーマですので、これはちょっとルール違反ではないでしょうか。

 このテーマに対する回答で多かったのは

「年は何歳でもいいのですが“夫婦同時に大往生”」
「男に生まれ変わって人生やり直したい」
「死に方を決めさせて欲しい」
「食べても太らないナイスバディ」
「原因不明の難病などに効く万能薬の開発を。ただ一つの病だけと限定されるなら、うちの夫の病気を完治させられる新薬を」
「夫より一日だけ長生きしたい。ちなみに二つ叶うなら子供が欲しい」
「二人揃って死ぬまで達者、ある日突然二人でぽっくり」
「苦労をして私達兄弟を育ててくれた母に、何も心配のない余裕のある生活をさせてあげたい」
「家族だけで過ごす24時間をすごしたいと思います。なんの変哲もない日常をすごす1日。そんな日がほしい、です。父がなくなった今は、それを望んでもかなわないのです。」
「長身になりたい!」
 「持って生まれた声帯と、類稀なる歌の才能が欲しい。そして自分の歌で世界の人々の心を震わせたい。歌を聴いた人が救われて人生に希望を持てる様な」
「今の幸せがずっと続きますように」
「世の中から子供への虐待がなくなりますように!」
「もう10年以上になりますが、19歳にして、交通事故で亡くなった姉が帰ってくる事」
「最近診断された難病を完治させてほしい。これに限ります」
「10才若返りたい!でもそれは不可能だから、いつまでも健康でいたい」
「どうか、どうか、なるべく一日でも早く主人と私のあいだに子どもを授かりますように」
「タイムマシーンに乗って、23歳の私に戻り、好きな人に会いにいきたい」
「大好きな人と結婚して幸せな家庭を築けますように。ここ数年つらい状況です。早く家族を作ってあったかい家に帰りたい。結婚式なんていらない、新婚旅行なんていらない、ただ、家族が欲しい。叶いますように」
「30歳若返って、学生時代に戻り、娘の仲間の輪に入って一緒に色々なことをやりたい」
「元彼氏と仲のよかったあの頃に戻りたい」
「右半身麻痺の右手だけでも3年間で良いのですから、元のように使えるように戻して欲しい」
「値札を見ないで商品を買えるような、金持ちになりたい」
「今の幸せがずっと続いて欲しい」
「今妊婦。男の子でも女の子でもいいから、健康で元気な赤ちゃんが自然分娩で産まれてくる事です」
「事件や事故に巻き込まれることなく、また事件や事故を起こすことなく、人生をまっとうできますように」
「相思相愛の人と結婚できるようにしてもらいたい」
「大好きな彼氏の、ずっと側にいさせて下さい。彼が年明けから、関西赴任になってしまったので。一緒に着いて行きたい」
「差別のない社会。自分自身、障害を持っているので。偏見がなくなったら、いいなと思う」

   **************************
さて私ならどんな願いごとをしようか。――― 私は今年も一年、コトシ(こだわらず、とらわれず、しばられず)で毎日が過ごせれば良く、これ以上“身の程知らずの願いごと”など欲を出さないことにしたいと思っています。

 上をみたらきりがない、下をみてもきりがない。今の自分が置かれている現状を認め、自分自身の明日のために、今日何が出来るか、そんなことを考えながら「自由でのびのび、前向き人生」をモットーに自分のペースで生きてゆくことができれば最高に幸せではないでしょうか。
                                                   河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言結実

『青春とは、単なる花盛り場ではなく、来るべき結実の秋への準備の季節である』とは、歴史家であり政治家の竹越与三郎(1865〜1950)が残した格言。私はこの言葉が好き。でも、今日のように温暖化による四季の混乱が起きると、この格言の意味も感性も狂ってしまうだろうなと危惧する。それは“花が咲き、実がなる”という時期やありように変化をきたし、それを感じ楽しむ趣が変わるから。しかし、多少のズレはあっても自然が営む周期の基本は同じだ。最近、仕事や職場においても、竹越与三郎の格言を考えさせられることがある、それは「実を結ぶ」ということ、その原則だ。

実を結ぶという営みは、なんであれ、“創る・創り出す”ということ。そこには何がしかの原則があると思う。それは逆に、実を結ばない営み、破壊や崩壊、分裂や分派のもつ原則と対比存在する。近頃、社内外の仕事を通し、この二つの対極する流れと結果、その要因を学ぶことが多い。プロジェクトにしても、会社の業務にしても、私的な友人知人の人間関係でも、その人自身は気がついていないが、その人の存在や言動が、結果的に、人を繋ぎ何かを創り出す人がいる。その人が居るだけで周りが喜び、明るく活気に満ち、夢を実現できるような気持ちになり、仮に問題に直面しても、心ある処理や対応を導き出してくれるのだ。人間なのだから決して完璧ではなく、多少のポカがあっても、逆にそれが愛嬌になり、人の愛や心を集めるもの。人と人が繋がり、集い、そして何か実をなす方向になる。その人も周りの人も、そして物事も実をなすのだ。しかも、自然に。これとは全く逆に、その人自身は気がついていないが、その人の言動が、自分も人も仕事も、破壊や崩壊へと向かわせる風を放つ人がいる。その人も回りも、仕事や出来事も実を結ばない。まるで大量CO2排出のように、何かを狂わせてしまうのだ、同じ人間なのに。と思うと、せめて自分は実を結べる人間になりたいと願うのだが・・・

では、実を結ぶ人になれるチェックの基本は何か・・・それは、自分が何を危機としているか、何を観ているか、そして何を実現しようとしているかを明確にすること。自分の仕事や役割、そして生活の両面において具体的に問いかける。これは同時に、自分の健康・不健康のチェックにもなる。自分が不健康だと、物事に否定的になり、人や社会における現象(現実)を受け容れられなくなり、自分自身と周囲のリズムを狂わせてしまいかねない状況を生み出す。人のマイナスや自分の失敗ばかりが気になって、愚痴・非難・中傷や怒りが生じ、集中力や生産性が低下する。そんな時は、おうおうにして「自分が変わる」のでなく、「人を変えよう」とする傾向に陥るので敵意さえ生まれる。また現実からの出発ではなく理想からの出発が多くなるため、恨みや嫉妬が芽生え、非現実的空論の世界で苦悩することとなり、発展や成熟を邪魔する。つまり、危機や価値や実現したいことへの準備が正しく行われないまま、時を過ごすことになる。言い換えれば実を結ぶことができる人とは、自分が何をすべきかと同時に、どうあるべきか、ということを明確にする「準備の季節・時・確認」ができる人なのだ。

さて、“実を結ぶ”ことを最近考えたことのきっかけは、私の周りに居る“実を結ぶ人(たち)”の存在に着目したこと。それは、プロジェクトや業務をともにする人たちが、「〜ができていない」とか「〜が駄目だ」とか一切口にせず、「やれるところから、とにかくやろう」と、自らの手足を動かし、時間を使い、そしてその時や役割にあった業を建設的に積極的になしているという姿だった。成功するプロジェクトや業務ばかりではない中で、成功する秘訣を考えたら、答えが“実を結ぶ”人とその働きだと気がついたから。そして自分も、実を結べる人になりたいと願うこの頃だ。私たちの業界では、仕事の結果を成果物と呼ぶ。ワードで単純にセイカブツと入力し変換すると“青果物”と表示されることに苛立っていたが、よくよく考えると“青果物”だって生産者の目標設定、それを実現させるための危機管理、そして適切な作業と高度な技術の結果がもたらす“成果物”なのだ。なかなか面白いと思う。それにしても、実を結ぶことの、もう一つの重要な要素(自然環境)、それはやっぱり温暖化防止かな、っと呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)

    毎朝(と言っても11.12.1月は休みですが)ラジオ体操をしている裏の公園のこぶしの蕾がこんなに膨らみました。

 

 

 

 


( 川 柳 )

自画像の笑顔の裏の泣きぼくろ

針箱のボタンにもある私小説

ヘアブラシ今日の戦を解ぎほぐす

ラストチャンスにゼンマイを目一杯

人生切符なお山を越え谷を越え


( ニュースやぶにらみ )

「事故隠し続々発覚」
洩れたか −ガス器具業界

「都知事候補」
出したい人より出てくれる人 −民主党

「変り雛」
イナバウワーは無理です −内裏様

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 インド紀行( 3 ) 車窓風景
               
 眼が覚めた。雰囲気がいつもと違う。そうだ、ここはインドのホテルだったと気づく。私は嬉しくなってカーテンを開けた。青い空。快晴だ。重なり合うビルが見えるだけで樹木の緑はなく、味も素っ気もない。
――次の世代を引き継ぐ人はコンクリートの中から生まれる――
 こんな言葉を遺したのは誰だったかな、と考えながら今日の予定表を手にとる。デリーから南にバスで五時間走った街アグラ着後、市内観光、世界遺産『タージ・マハル』と『アグラ城』見学。今夜はアグラ泊である。
ホテルの車寄せに「マハラジャ・ツアー」と車体に書かれたバスが二台待っていた。一行三十人あまりが分乗して、さぁ、出発だ。私は車窓風景を書き止めようとメモ用紙と鉛筆を用意したが、バスが揺れてまともな字が書けず、心の映像に焼き付けることにした。
痩せこけた白い野良牛が二頭、悠然と歩いていた。さすが神聖な動物とされている国の牛は違うと感心する。だが、これで驚いてはいけない。朝の出勤時。人が湧き出るといった感じでうじゃうじゃいる。雑踏の中に牛も混じっている。荷役用の象や駱駝、荷物を満載した馬車にトラック、バス、乗用車、自転車、オート・リクシャという乗合軽三輪車などが道路にひしめいている。信号機は見当たらない。交通整理のポリスもいない。だからにっちもさっちもいかないという訳でもなく、なんとなく流れている。
際どい運転で車が割り込んでくる。窓際の私は、何度も肝を潰しそうになった。
男たちが細長い缶を下げている。何かとガイドのクマールさんに尋ねると「お弁当だ」という。最近、家庭の手作り弁当を温かいうちに夫の職場へ届ける商売が繁盛しているとか。大木の陰に椅子と鏡だけ置いた青空散髪屋、露天の店がすき間を埋めるよう並ぶ。色とりどりのサリーをまとった女たち。円盤状の糞を山積みにしている。傍に母子らしき人がへたり込んでいた。粗末な秤があるから量り売りであろう。聞けば、草食獣の糞は拾い集めて細かい藁くずや籾殻とよく混ぜ合わせ、円盤状にして壁や木の幹に貼り付けて乾かし燃料として使う。籾殻には油が含まれているので火持ちがよい。お金持ちの家は石油コンロを使うが、気長に煮る料理やチャパティ(薄焼きパン)を焼くときは、これを使うと味がいいらしい。破れかけのテントが道路沿いに張ってあった。飛ばされないよう小石を載せ上に樹木の葉や木切れが落ちている。土埃で、一見ゴミかと見間違う。なかに人がいるから生活の場である。ゴミの山を漁っているのは女で、男はいない。
商業用自動車のみ州を超えると税金がかかるそうで、当然、渋滞になった。私たちのバスが停まっていると、窓際に蛇使いがきた。ザルのなかにとぐろを巻いたコブラが、笛も吹かないのに鎌首をもたげている。杓子のような頭に離れた眼は愛嬌ものだ。月の輪熊や猿を連れた人たちもくる。写真を撮ると十ルピー(二七円)請求された。動物愛護運動が活発なインドでは、動物に芸をさせてお金を儲ける行為は禁止されているそうだ。
物売りもくる。老女や赤ん坊抱いた物乞いの女、足の萎えた男の子が必死になってバスにいざり寄ってくる。
「ください」
 哀しそうな目をして手を差し伸べる。
しかし、「物乞い」は職業だともいう。持てる人たちに布施という善行の機会をつくっているといわんばかりだ。ノーブレス・オブリージ(持てる者の義務)の精神を考えれば、上下関係ではなく互いに平等かもしれない。
 ドームのある白大理石の建物が堂々と聳え建っていた。新興宗教の寺院だ。現世利益か、安心立命か、それとも、来世に願いをこめているのか寺院には人が群がっていた。
 レストランへ立ち寄った時のことである。食事を終えて外に出ると、広場で子供たちが遊んでいた。外国人である私たちを見るとさっと群がってきてお金を求めた。私はバックからチョコレート取り出し、一人ひとの子供に手渡そうとした途端、細い手が千手観音のように周囲に伸びてきた。ギョッとなった私は、怖くなりチョコを放り投げてしまった。後は取り合いである。
「お金を与えないでください。働く意欲をなくします。子供を乞食にしてはいけません」
 必ず注意される。
 箱を抱えた十歳くらいの男の子がいた。靴磨きだ。お坊さんが靴を磨いてもらい、十ルピーを渡そうとすると「ノー」という。支払った額は三十ルピー。三日分の稼ぎらしい。してやられたという感じだが、労働によって稼ごうとする殊勝な逞しい子である。
               つづく

 

編集後記

≪今週のお奨めジャズ≫
今週はTSUTAYAで18枚借りました。その中のひとつ、ピアノジャズを集めたアルバムがあったのでご紹介します。"The Ballad on Jazz Piano Trio"というアルバムです。
ジャズピアノは落ち着いてゆったり聴くのにいいですね。
これまで聴いたことのないアーティストも含まれています。これから聴いていきたいと思います。
1 When You Wish Upon A Star 07:22
         David Hazeltine Trio
2 Everytime We Say Goodbye 06:45  
         New York Trio
3 Polka Dots And Moonbeams 07:56  
         Eddie Higgins Trio
4 A Sleepin' Bee 04:25
         Sir Roland Hanna Trio
5 My Funny Valentine 06:06
         Steve Kuhn Trio
6 My Melancholy Baby 06:42
         Romantic Jazz Trio
7 Nuages 03:26
         Rob Agerbeek Trio
8 Cry Me A River 07:58
         John Hicks Trio
9 Star Crossed Lovers 04:41
         Claude Williamson Trio
10 When I Fall In Love 06:10
         Richard Wyands Trio
11 Angela 04:34
         Stefano Bollani Trio
12 It Only Hurts When I Smile 06:07
         Harold Mabern Trio

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.563

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com