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NO.562                Ryo Onishi              2/18/2006   

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雑貨屋のひとり言

楽しみにしていたヨガ教室は今週休み、しかも天気が悪くさえない週末でした。
でも家の中の片づけができてよかったかもしれません。永い間、持ち続けていたガラクタを処分しました。残ったのはCDと・・・だけ。CDの整理で一日かかってしまいました。
新しく替えた携帯電話はいっぱい機能が付いていますが、ぜんぶ使いこなすのにはちょっと時間がかかりそうです。(R.O.)

フェアネス

 ――― 私は月に一度、ロサンゼルスの日系新聞(羅府新報)に寄稿していますが、以下は最近この新聞に送った原稿です。昨年はじめに当欄に書いた原稿(Zakkaya Weekly #507)と趣旨は似ています。―――
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米国で生活していると「フェア」という言葉にしばしば出会う。「それはフェアではない!」「アンフェアだ!」といった具合だ。

一般的な米国人にとって、フェアであることはたいへん重要なことであり、アンフェア呼ばわりされることは人格・人間性の否定にもつながりかねない響きに聞こえるようだ。なにかにつけて正義を振りかざす米国だが、国家の唱える正義に対し国民はフェアネスをモラルの原点と考えているのではないだろうか。

それでは米国流のフェアネスとは何だろう?――― 単純には言えないだろうが、米国流のフェアネスの原点は先ず共通のルールをつくりそれに従うことが基本となっているように思える。

米国は多文化・多民族国家であり価値観や常識の幅が大きい。そこであらゆる事柄について皆で合意されたルールをつくり、これを遵守することによって秩序を保とうということなのだろう。

私が日本企業の米国駐在員であった時、米国現地法人内では業務内容に関するルール(マニュアル)が詳細につくられていただけではなく、必要に応じて随時書き換えられ従業員がそのマニュアルに従って働いているのに驚いたものだ。日本にいた頃は業務処理基準などのルールは存在しても個人のノウハウが優先し、処理基準など忘れられがちだった。

最近、私の周囲で日本人仲間数人から始めた勉強会が、外部からの入会者の増加により、会をまとめるためのルールが必要になり会則作りをした。でも日本人で構成するグループであるためか、せっかく会則を皆で議論を尽くして作ってもあまり守られていない。「めんどうな会則で縛られず臨機応変のほうが気楽でいいよ」というのが会員たちの気持ちのようだ。

フェアネスの意味を日本語辞典で調べてみると「公正」といった単語が先ず記されている。日本人に対し「君は公正でない!」「不公正だ!」と非難しても、言われたほうは人格・人間性の否定とまでは受け取らないので、米国流フェアネスは日本人には通用しないのかもしれない。        
                                                   河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言決意

『信じるとは、相手への期待ではない、自分への決意なのさ』、毎朝めくる『K作・日めくり作品集』の1ページ。この言葉が、私の頭にパッと浮かんだ。アメリカに在るシアターの広さ数十分の一に満たない東京・日比谷の小さな映画館、スクリーン上の映像が終了し、暗かった会場がパッと点灯された瞬間だった。その小さな映画館で私が観た『An Inconvenient Truth・不都合な真実』は、地球規模の大きな問題を示唆するドキュメンタリー映画。地球が明日も存在することを信じたいと願った、それは同時にコミットメント、何かをなす約束表明、決意だと痛感した。

「自分は何をする?」、映画を一緒に観た友人の鋭敏な質問は、感想や共鳴という、ごく一般の映画鑑賞感想交換ではなくなっていた。ドキュメンタリーとはいえ、フイルム(映画)は、事実と真実の交差するものだから、意図や影響を批判・批評することはたやすい。例えば、選定された主張やテーマの正誤、仮説をうらづけるためのデータとそれに相反するデータとの整合性、さらには、その制作そのものの意図や真意など、作品や制作者そのものを論じる材料はどこにでも転がっている。時に、ドキュメンタリー映画やムーブメントに翻弄されてしまうより、前述した視点で評価することも大切だろう。現に、『An Inconvenient Truth・不都合な真実』は、著者アル・ゴアにとって不都合な真実だと逆説的論法で酷評している映画評論家もいる。しかし、この映画をきっかけに、“自分の決意”を問い詰められた私の体験は、日本人という小さな概念よりは地球人という大きな意味、誰かに期待するというよりは自分の決意が重要となると痛感した。ここでは敢えて映画の中味には触れない。それは、“気づく”、“知る”という実体験をして欲しいから・・・あなたに、地球人として。

ところで、「自分は何をする?」という問いを、日本の国会議員の“センセイ方”に問うてみたい。いやしくも日本の最高リーダーが「美しい国日本創り」と掲げたにもかかわらず、その具現化への協力や努力はそっちのけで、反論・批判・中傷ばかりか、某大臣の失言の責任追及に言葉遊びとも思える感情的で低次元な言動の数々、その間、どれだけの税金と時間を無駄にしていることか。現国会議員、特に女性国会議員のレベルの低さに失望しているのは私だけだろうか。もっともっと、危機感をもって議論し判断し、施策を講じなければならない問題は山ほどあるじゃないか、と言いたい。例えば、今年の異常気象とその対策が、国や地方自治体でスピーディに危機感をもって論じられただろうか。大気中の二酸化炭素濃度上昇などの影響で観測史上記録的な雪不足の今年、元来自然がもたらす雪を活用したスキー場や観光名所は、どこも苦戦。積雪が例年の半分以下の中で開催された「さっぽろ雪祭り」も例外ではない。中心街から45キロ離れた峠から、5トントラックで17日間、延べ6000台分の雪を運び込こみ、3会場で雪氷像約300基を設置、国内外から約200〜220万人の観客を見込んでの開催がスタートした。また、この季節、雪を自然や神の恵みとした祭りの多い東北地方、トラック6000台とはいかないまでも、トラック数百台で雪を運び“祭り”を決行した地域も少なくない。イベントがもたらす経済効果と、トラックから排出される二酸化炭素の影響、この矛盾する選択は、どこかで真剣に検討された結果だろうかと、疑問に思う。それは、予算委員会をボイコットすることで何かを表明できると信じている低レベルの国会議員たち(国民にはそうしか映らない)の、無能で無知な怠慢さに見ることができるように、今この日に、自分の目の前で起こっている“異常”暖冬の問題や原因や対応は、日本を考える国会議員や地方自治体に期待できないこと、自分の決意からのスタート、それが明日の地球を信じるということだといってしまうのは、言いすぎかな?

「自分は何をする?」と私に問うた友人は、「俺は、車を(ハイブリット車に)買い替え、大気汚染に貢献」と即座に答えた。私は「ゴミの分別をもっと徹底し、リサイクルに貢献」と。私たちは「自分のアクションが地球温暖化対策にどれだけ成果が出たかを個人レベル数値で分かるものがあるといいね」と、コンサルタント職業病的発想が口に出た。調べてみると、「チーム・マイナス6%」が、地球温暖化防止に関する国民の意識・行動の現状を把握することを目的とした調査を毎月実施、HP上『今月エコ貢献指数』として報告しているサイトを発見。ここでまた、環境人間としては新生児レベルの自分を知り、唖然となる。そして再度認識する、自分の決意・・・「地球は青かった」(宇宙飛行士ガーリンの言葉)を信じ続けたい、と。だから・・・『信じるとは、相手への期待ではない、自分への決意なのさ』っと、呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)

   


( 川 柳 )

添加物たっぷり呼び水が甘い

良心が踏み絵の前で立ち止まる

談合の席へハムレットで座る

瞑想10分負け戦へ向かう

青空に僕の反旗の小さなこと


( ニュースやぶにらみ )

「昨日ノ敵は」
今日の友? −アサヒ・サッポロ
         −松坂屋・大丸

「北鮮へ物資援助」
打ち出の核兵器? −打ち出の小槌

「春一番」
吹くところと吹かないところと −春闘

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 インド紀行(2)
       着いた!
福岡の友人宅で一泊した翌朝六時、迎えのタクシーがきた。玄関のドアーを開けると、冷気が頬をうった。十二月初旬だというのに北九州にも薄っすら雪が降っている。友人の姪御さんに借りたダウンコートで大助かりだ。さもなければ、薄いジャケットしか持ってこなかった私は震え上がるところだった。
『ダライ・ラマ法王特別謁見の旅』の集合場所である福岡空港へ行くと、僧衣をまとった男性が二人いた。
「なぜお坊さんが?」
 インドへ行ける、それだけの単純な理由でツアーに参加した私は訝った。
聞くところによると、一一七七年、熊本県玉名で誕生した名僧「皇円上人」を本尊に祀る真言律宗の九州別格本山『蓮華院誕生寺』を母体にした国際ボランティア支援活動がある。その活動のひとつに、インド・チベット難民の自立、自助のために協力している。
 国際ボランティア会の二五周年記念事業の一環としてダライ・ラマ法王を招き、法話会、シンポジュームを開催する栄誉を賜った。その縁により今回の旅が企画されたのである。
 リーダー格のお坊さんは「チベット亡命政府の難民居住区を見て、聞いて、体験し自己との関わり、自分の置かれている環境を改めて考えて欲しい」と、出発前の挨拶をされた。
いよいよ悠久何千年のインドへと飛行機は飛び立った。
 機窓から陸地が消えた。島が点在している。私は座席の目の前にある電話機をとった。二ヶ月前に訪れた沖縄の友人に電話をかけようと思ったのである。マニュアルを見てボタンを押したが、かからない。早くしないと通り過ぎてしまう。スチュワーデスを呼んで使い方を教えてもらったが、うまくいかない。
「いま沖縄上空を飛んでいるのよ!」
心弾むセリフが口から出かかっているのに、ああでもない、こうでもないと電話機をいじくっている間に沖縄本島を通り過ぎてしまった。帰りにも試みたがダメだった。旅を終えて、ふと気がついた。日本の〇一一八一を押して国内番号を押せばいいのかも。
 福岡空港から六時間半飛行しシンガポールに着陸。乗り継いでデリー空港へ。五時間あまり飛ぶと機は高度を下げはじめた。外は暗い。通路側に座席をとっている私に、デリーの街の灯はチラリとしか見えない。腕時計の時間をインド時間に合わせる。日本との時差は三時間半。ゴトゴトンと振動が伝わってきた。インディラ・ガンディ空港に着陸したのである。
 入国審査が終わり荷物を受け取る。空港で働く男たちは頭にターバンを巻いていない。インド人=ターバンという固定観念を持っていた私は、いきなりはぐらかされた感じだ。
――drinking water――
 標識が目に止まった。
「ははぁーん、これだな」
 商社マンだった友人がインドでの仕事を終え空港へきたとき、ここの水なら大丈夫と思って飲み、下痢で苦しんだのはーー。
 荷物を引っ張って出ると浅黒い顔の人たちが柵に群がっていた。その中に手を上げている体格のいい三十前の青年がいた。ガイドの「クマール」さんであった。
 迎えのバスに乗る。クマールさんは日本語で注意事項などを説明しはじめた。
「一日一本づつボトル水を配るので、生水は絶対に飲まない事。ボトル水でも最初から封を切ったものは飲んではいけない」
 公用語はヒンディー語、英語は準公用語だから、どこでも通じる。四年前から、カルカッタはコルコタ、ヒンドゥー教の聖地ベナレスはバラナシというふうにインド人の発音しやすいように変えられた。宗教はヒンドゥー教八三%、彼らはシヴァ神の乗物である牛肉を食べない。十一%のイスラム教徒は豚肉を食べない。その他をスイク教、キリスト教、ジャイナ教、インドで生まれた仏教はわずか0.七%。食事はカレー味が主体で、肉類は鶏肉、羊、そして魚である。 
 インドの人口は十億を超えた。世界ではじめて家族計画を国策として採用したにもかかわらず人口増加率は高く、二一世紀は世界一の人口になるだろうと予測されている。
「カースト制度は法的には崩壊した」
 クマールさんはいったが、人々の生活に密着したカーストが簡単に無くなるとは、考えられない。インドが近代国家へと脱皮するには、避けて通れない大きな問題であろう。
やがてバスはデリー市街に入った。街灯に照らされた道は砂塵に霞んでいる。どことなく埃っぽい。ホテルに到着した。派手な民族衣装をまとった大男に出迎えられた。眉間に赤いビンリーをつけたサリー姿の女性もいる。
インドへ着いた、という実感が沸いてきた。
               つづく

 

編集後記

≪今週のお奨めジャズ≫
今週はナベサダ、渡辺貞夫の「Front Seat」をご紹介します。80年代、ロス駐在のときに購入したものです。特徴のある彼のアルトサックスを聴くと、昔、「ナベサダとジャズ」というラジオ番組(資生堂”MG5”のコマーシャルにのって、聴こえてきた渡辺貞夫のジャズ)を思い出します。ナベサダは私にとっての初めてのジャズです。


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Zakkaya Weekly No.562

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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