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NO.561                Ryo Onishi              2/11/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

「24時間以内にあった面白い話、楽しい話をしてもらえませんか?」と、聴かれてすぐに応えられるでしょうか?日ごろから楽しいことを見つけようとしている人は、すぐに応えられると思うのですが、中には聴かれて考え込んでしまう人がいます。みなさんはいかがですか?(雑貨屋を読んでいれば困らないと思いますが。)私は、たくさんあるので「何から聴きたいですか?」と質問することにしています(うそですが)。

久々に携帯を替えました。(さくらさんも替えたそうです。)私は二代前から音楽ケータイでしたので、今回も音楽が聴ける携帯です。なんと1ギガバイトのメモリー内臓で、別途2ギガバイトのメモリーもつけられるというものです。他にもいっぱい便利そうな機能がついていて(多分、あまり使わないと思いますが)、携帯の進歩に驚かされます。(R.O.)

映画の祭典、アカデミー賞授賞式

 ――― 私は月に一度、長野県の信越放送(SBC)ラジオに電話で生出演し、短時間(10分間)ですが「ロサンゼルス便り」を喋っています。以下は先日の放送用の原稿(及び覚え)です。―――

今日は映画界の祭典といわれる「アカデミー賞」についてお話させていただきたいと思います。

映画の世界における最大行事のひとつと言われる「アカデミー賞授賞式」は今年もハリウッドで2月25日(日曜日)に開催されます。ここロサンゼルスはハリウッドのお膝元ですので最近はこの話題で賑わっています。

ハリウッドという場所は、多分日本の皆さんもご存知の方が多いとは思いますが、ロサンゼルスの中心、ダウンタウンから車で20分ほど(北西約10マイル)のところにあります。そしてアカデミー賞授賞式の会場はハリウッドのど真ん中にある「コダック・シアター」というところです。

数日前に私は様子を見に行ってきましたが、今の段階ではまだ式の日まで間がありますので、いつもと同じようにただ観光客で賑わっていただけですが、これも授賞式が近づくと会場は勿論のこと、お隣のチャイニーズ・シアター(ここはスターの手形・足型が沢山保存されていることで有名です。2年ほど前には日本のゴジラもその仲間入りしました)も含め、ハリウッド大通りは完全に交通止めになって、式典の準備・設営が始まります。――― SBCラジオJのホームページに掲載していただいたのは数日前に私が撮ってきたコダックシアターです。

式の当日になると報道陣の取材用の車両がずらりと並び、スターが歩く赤じゅうたんが会場内外に敷きつめられ、屋外観覧席には徹夜組の観客たちが席を陣取り、前日から異様な雰囲気で盛り上がります。

今年は渡辺 謙さん出演の「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督――先日行われたゴールデン・グローブ賞では「最優秀外国語作品賞」受賞)が作品賞、監督賞などの候補に、また「バベル」に出演した日本人女優の菊地凛子さんが助演女優賞候補になったりしており注目です。

☆アカデミー賞とは?、その簡単な歴史について
アカデミー賞とは:アメリカ映画芸術科学アカデミーが最優秀映画作品・俳優・監督など(14部門)を選んで毎年与える賞で、オスカー賞ともいいます。1927年創始、今年は第79回になります。第1回授賞式は1929年でハリウッドのルーズベルト・ホテル(現在の会場のすぐ前)で行われました。

☆アカデミー賞授賞式をより楽しむ豆知識
オスカーとは:授賞式でプレゼンターが封筒を開ける時に使う常套句「Oscar goes to ・・」と言います。そして受賞者に渡される「黄金の人体像」がそのOscar なのですが、この人体像に Oscarという愛称がついたのは1930年代からだと言われています。命名の逸話にはいくつかあるようですが、公式エピソードということになっているのは、アカデミー協会のスタッフの一人がこの黄金像を見て「おじのオスカーにそっくり・・」といったとか・・

☆ 日本人の受賞暦:三年前、渡辺 謙さんが「ラストサムライ」で助演男優賞の候補、「たそがれ清兵衛」が外国語映画賞候補、そして、四年前は「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)が長編アニメ賞受賞で日本人が大いに注目されました。それ以前の日本映画と日本人の受賞は次のとおりです。

1952年:羅生門(名誉賞、最優秀外国語映画賞:黒澤 明監督)
1955年:地獄門(名誉賞:衣笠貞之助監督)
1956年:宮本武蔵(特別賞:稲垣 浩監督)
1958年:ナンシー梅木(助演女優賞「サヨナラ」)
1986年:ワダエミ(衣装デザイン賞「乱」)
1988年:坂本龍一(作曲賞「ラストエンペラー」)
1990年:黒澤 明(名誉賞)
1993年:石岡瑛子(衣装賞「ドラキュラ」)
1999年:伊比恵子(短編ドキュメンタリー賞「ザ・パーソナルズ」)

今年も既に候補作品、候補者名が発表され、あとは2月25日の発表を待つばかりです。

米国ではABCテレビがロサンゼルス時間の午後5時から、会場のコダック・シアターからの実況中継で、スターが到着し、レッド・カーペット上を歩く様子(アライバル・リポート)から本番授賞式の様子を放映する予定となっています。どんな結果になるか楽しみです。
                                                   河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言幼なじみ

時計は、午後9時をとうにまわっていた。「花の金曜日というのに、こんな時刻までオフィスで仕事しているなんて、寂しいねぇ」と、部下たちと言葉を交わし合っていた。そのや先、電話のベルが鳴った。「今日、会えない?」、幼なじみのますみちゃんからだった。その日、私たちは懐かしい再会をした。それはなんと、30年ぶり。

“幼なじみ”・・・ますみちゃんが生まれ育った家は、市内の繁華街、私の家と道を挟んだ向かい側に位置し、両親同士も幼なじみだったこともあって、物心ついた頃はいつも一緒に遊んでいた。下校後や休日は、「ますみちゃん、あそぼ!」・「さくらちゃん、あそぼぅ!」と夫々の玄関先で誘い合ったもの。30年ぶりの再会、話題は互いの家族、共通の友人知人の近況にはじまり、かくれんぼ、手毬、浜あそび、ままごと、などなど、二人は幼い頃へと一挙にワープ。その光景を傍で見ていたますみちゃんの娘(26歳)は、「ほほえましい」と大きな目をクリクリさせていた。“幼なじみ”・・・この響きが、ますみちゃんと私の特別な共有財産か、IDのような感じに包まれた。

ところで、先日ある知人と話をしている中で、“幼なじみ”が居ないという人や世代があると聞いた。転勤族の家庭で育ったこどもは、どの時代だろうが幼なじみが少ないのはわかるが、理由や原因は、そればかりではないらしい。大家族から核家族へと家庭生活単位が変化したこともあるだろう。しかし、もっと大きな原因は、子どもの世界、あそびの世界、子どもの時間のあり方が、昔とは大きく変わったことだとおもう。そして最も変わったこと、それは、子ども同士の人間関係、親同士もしくは地域住民同士の人間関係のあり方かもしれない。一方、私たちが育った小さな町やそれに似た地域では、今でも、その地方・地域に伝わる民謡や伝統行事などの活動を通して、子どもたち同士が、親子同士が、そしてご近所同士が、共通の“なじみ”を創りだそうと努力していることも事実だ。どんな形であれ、“幼なじみ”という言葉が死語にならないといいな、と願う。

さて、30年ぶりに会った“幼なじみ”二人は、昔を懐かしみつつ、夫々の人生の節目や岐路をかいつまみながら想起する。流れる時と話題の中に、共通するいくつかのこと、九州の女性として強く逞しく生きていること、自分に恥じない仕事を必死に続けていること、夢を追いかけていること、癌の手術経験から多くのことを学んだこと、周りの人に愛され支えられて生きていること、などなど。そして一番共通していること、それは互いが“幼なじみ”であること、“幼なじみ”を持っていることに尽きる。ますみちゃんは今、粘土人形、フラワーデザイン・デコパージュ・トールペイントの分野では、知る人ぞ知る女性アーチストとして、日本各地で、そして世界中で活躍中。“幼なじみ”の成功が、小さな自分の励ましにもなり、まるで自分の成功のように心が躍った。そんな金曜日、30年間止まっていた時計が、明日へ向かって動き出す音がした気がする。“幼なじみ”、あの人、この人の顔が浮かんで眠れない。『幼なじみ』(作詞:永六輔・作曲:中村八大)の文句じゃないけど、『おさななじみの思い出は 青いレモンの味がする』っと、呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)

   


( 川 柳 )

人災を絡め天災やつてくる

五桁まで当たってましたジャンボ籤

小吉のお神籤二人手をつなぎ

汗の意地運命腺を長くする

手の皺に運命腺が成り下がる

( ニュースやぶにらみ )

「注目の一番」
相撲協会 対 週刊現代 −相撲フアン

「販売台数1億台越える」
口も指もよく喋る −携帯、PHS

「バレンタインデー」
不二家のチョコだった −義理チョコ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 インド紀行(1)
       銀蝿スープ

 白象に乗った王様のきらびやかな行列が続く。一頭の像が沿道の群衆に近寄った。すると、像は長い鼻をのばし、群衆の中にいた一人の少年を鼻の先に乗せた。
 夢幻ではない。私が幼いころ観た白黒映画のワン・シーンである。お寺の本堂に白幕を張っての上映だったから、たぶんお釈迦様の生まれた国「インド」の物語であったような気がする。フィルムはときどき切れた。
 思いかえしてみると、私の頭にインプットされた最初の外国はインドではなかったろうか。子どものころ、お寺の日曜学校で見た紙芝居「西遊記」に出てくる三蔵法師が天竺へ経典をとりにいく。その天竺とインドが同じ国だと知ったのは、いつごろであったろうか。
 建築歴史の時間に習ったシンメトリックな代表的な建造物「タージ・マハル」の白い大理石の端正な美しさ。テレビ・ドキュメンタリー番組でみるヒンズー教徒の最も聖なる地バラナシを流れるガンガー(ガンジス河)。その大河で沐浴する人々。コルコタの貧民窟にあるマリア・テレサの『見捨てられた人が死を待つ館』。
幼いころから、さまざまな形で登場してきた国の底知れぬ重みと神秘。いつか行きたいと思っていた。しかし、衛生状態などさまざま悪条件がある。行くなら元気なうちにと考えていた。だが、インドは遠い国だった。
昨年六月、日本の友人から「ダライ・ラマ法王特別謁見の旅」に行こうと思いもかけぬ誘いがあった。チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラを訪れ、代表的な世界遺産を四つ見学する八日間の旅。十二月九日福岡空港集合である。四十人集まらなければ中止だという。またとない機会だとは思ったけれど、なにしろ半年先のことなので気持ちとしては迷っていた。
ところが十月末、総勢三十数名で決行すると連絡がきた。参加するのなら、アメリカ市民権の私にインド・ビザを取得するようにという。聞けば、インド領事館の所在地はワシントン・DCである。つたない英語力の私に手続きができるだろうか。
――行ったらダメ――
という暗示とも受け取れ、半ば諦めていた。
「ジャスト・イン・タイム」
 という言葉がある。
 偶然、浄土真宗の開教師に出会ったので、インド旅行の話をした。すると、
「ダライ・ラマ十四世に謁見できるのでしょう。ぜひいってらっしゃい」
 強く薦められた。
「でもビザの取得がややこしくて・・・」
「知り合いの旅行社を紹介します。私の名前をいえば親切にやってくれるはずですよ」
 私のインドへの道はすんなりと敷かれてしまった。出発前に友人に旅行の話をした。
「えっ、今度はインド? しかしキミ、銀蝿スープが飲めるかね」
「何ですか。それ」
 友人が商社に勤めていたころ、インドへ出張したときの話をしてくれた。
レストランでスープを注文したら、いま飛び込んだばかりという銀蝿が羽根をばたつかせていた。ウエイターを呼んで文句をいうと、皿の中の蝿をつまみ出して、一礼して行ってしまったというのである。ある同僚はコルコタに転任して三ヶ月でネを上げた。下痢が止まらなかったのだ。
「一事が万事だよ。我慢できるかね」
そして友人はこういった。
「無事に帰ってきたらディナーをおごるよ。
そのかわり、もし腹をこわしたらキミのおごりだよ。賭をしようか」
「いいですよ。私、自信があります。チベットやスリランカへ行っても大丈夫だったのですから・・・」
「どこに行こう?」
 勝ち目は私にあるとにらみ、高級ホテル・リッツ・カールトンのディナーを指定した。
 
 日本の旅行社から至りつくせりの情報が送られてきた。インドは国が広いから東西南北で気候がちがう。五月から十月は高温多湿。夏は雨季。十二月と一月は涼しく爽やかで晴天がつづき観光シーズン。北部は冷え込み、山岳部は雪が降る。しかし、行くならこの時期がいい。服装はジャケットがあれば充分。私は、シンガポール一日観光があるので半袖を一枚入れた。
 出発の前日、荷物の最終チェックをする。
 特に衣類は重ね着をすれば寒さに耐えられるような組み合わせを考える。気を使ったのは常備薬で下痢止め、胃腸薬、目薬、風邪薬、サロンパス、ホカロンも入れた。欲しいのは抗生物質と生水浄化剤だが手に入らない。
旅の荷物は最小限にとどめる。大荷物は日本を移動するときに困る。駅の階段など重い荷物を持っていても誰も助けてはくれない。これは過去の旅で痛いほど身にしみている。
 日本へ到着した翌日、初雪が降り寒さに震えた。幸い、福岡の友人が姪御さんのダウン・ジャケットを借りてくれた。
いよいよ、インドへ出発である。
               つづく

 

編集後記

≪今週のお奨めジャズ≫
新しいイヤフォーンでジャズを聴いて、すてきな曲を見つけました。New York Trioの"Blues in the night"です。とてもいい雰囲気のピアノジャズです。ジャズは説明が難しいので、聴いてもらうのが一番です。TSUTAYAで借りるときに、備え付けのCDプレーヤーで視聴することができるのでお試しを。

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Zakkaya Weekly No.561

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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