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NO.559                Ryo Onishi              1/28/2006   

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雑貨屋のひとり言

「食」「健康」「美容」について毎週楽しませてくれていたテレビ番組、「あるある大辞典」が、捏造を行ったことであっという間に、抹殺されてしまいました。毎週楽しみに観ていた一視聴者としてとても残念な思いをしています。日本人は健康に気を遣ってはいますが、あまりにも安易な方法を求めすぎているのではないかとずっと前から思っていました。特にダイエットに関しては、あれを食べれば、飲めば、やせる等のキャッチフレーズが多すぎるような気がしていました。番組的にそういう表現でないと視聴率がとれないようになっていること自体、おかしなことですね。簡単にダイエットできるということは簡単に元に戻ってしまう可能性があるということですよね。自分の生活習慣をまじめに考えればこんなことは起きないと思います。(R.O.)

希望の持てる未来

 つい先日、2007年の正月を迎えたと思ったらもう一月が終わろうとしています。昨年末から「年が明けたらZakkaya Weeklyに新年らしく、明るく希望のもてる話題を提供しよう」と思っていたので、2月になる前に慌てて原稿を書くことにしました。

 昨年の11月、月例勉強会JACAL(若尾龍彦氏主催)のテーマが「私たちにとって“美しい国”とは?」でした。これはその前月の同じ会で安倍晋三氏(首相)の著書である『美しい国へ』を取り上げ、語り合ったので、その続きとして設定したものでした。

 出席メンバーの皆さんがこのテーマについて持論を展開し、熱のはいった会となりました。私は現行の日本国憲法まで持ち出し国家のあるべき理想の姿を語りましたが、どれだけ説得力があったか自信はいまひとつでした。

 このようなテーマで皆さんと語り合っていると、結局は「希望の持てる未来」があるかどうかということに議論が集約されていることに気がつきます。問題はその「希望の持てる未来」とはなにか?、その方法は? ということなのでしょう。

 最近、私は日本の知人Tさん(女性)から1通のE‐メールを受信しました。以下は彼女のメール文の抜粋です。

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さて、本日メールを差し上げましたのは、先日送付されてきました長野県経営者協会の会報『進取創造』という冊子のなかで偶然、河合さんの寄稿文を見つけ読ませていただいたところ、海上自衛隊に関する記事でしたので、失礼を省みずメールいたしました。
 実は河合さんが見学された海上自衛隊の遠洋航海練習艦『かしま』に私の3番目の息子が乗艦しており、丁度その時に北米・中米の遠洋航海に行っていました。息子はまだ22歳ですが、高校を卒業する時にどうしても海上自衛隊に入隊したいと本人が強く希望し、親としては泣く泣く承諾したのですが、厳しい訓練にも耐え、上下関係にも慣れ、今は生き生きと任務に就いているようです。帰省は年に2回で、お正月の頃と遠洋航海から帰った頃の10月のみで、日々の連絡もできず淋しい限りです。
親としては18年間お国から子供を預かり、育てさせていただき、18歳になったところでお国へお返ししたと思って諦め、無事を祈るばかりです。・・
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 上記で私が『進取創造』に寄稿した文章とはこのZakkaya Weekly 536号(2006年8月20日)に書いた原稿を一部手直ししたもので内容はほぼ同じものです。日本の海上自衛隊の遠洋練習航海部隊(「かしま」、「やまぎり」、「あまぎり」の三艦)が米国西海岸サンディエゴへ寄港し、艦内の一般公開があったので、私たち夫婦が見学に行った時の感想文を書いたものです。

 海上自衛隊といえども、しょせん軍隊(海軍)であり、その意義について議論はあろうかと思いますが、艦内を案内・誘導してくれた乗組員はもちろんのこと、教官、訓練生のすべてがきびきびと立ち動き、私たち見学者に誠意を持って対応してくれ、その上礼儀正しい態度には理屈抜きで好感が持てました。

各艦とも隅々に到るまで見事なまでに清掃がゆきわたり、磨き上げられており、訓練と規律の厳しさを感じつゝも日本人の心を見た思いでした。

私はもともと日本の将来に対し楽観論者です。なぜなら若い日本人の皆さんを評価しているからです。

「いま時の若いものは・・」と苦情を吐くのはいつの世も同じです。でも少なくともここロサンゼルスで私が知っている若い日本人は留学生、社会人を問わず果敢に挑戦している者が殆どです。もちろんどんな場合でも例外はつきものですが・・。

私は何ごとにも果敢に挑戦している若者が多い国には明るい未来があると信じています。今回はたまたま海上自衛隊員とその訓練生の話になりましたが、軍隊という組織とは離れて、真っ黒に日焼けし逞しい若い人々に私は「希望の持てる未来」を見つけたような気がしました。

上記Tさんのご子息も自分の意志で進路を決め、親元を離れて挑戦しようとしているわけで、将来どんな進路を進むとしても間違いなく「希望の持てる未来」と「美しい国、日本」を作り上げてくれることでしょう。 
                                                   河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 方言のぬくもり」

「あぁたは、はらかくどばってん、こまか病院だけん、しかたんなか。ばってん、馬鹿にゃぁできん、説明にこらした(あなたは怒るだろうけど、小さな病院だから仕方がない。でも馬鹿にはできない、説明に来られた)」、コテコテの熊本弁。暗号の様なこんなメッセージが、私の携帯電話に届いた。内容は深刻だが、思わず笑ってしまう。兄から発信される携帯電話のeメールメッセージはいつも、こんなコテコテの熊本弁。地のかほりが、携帯電話を持つ右の手のひらいっぱいに振動する。小さな携帯電話の画面を眺めながら、方言や訛りって、暖かいものだなとつくづく思う。

普段、この兄がPCからPCへ送信するメッセージは、極めて丁寧、簡潔な文語体で書かれ、いわば事務的、血のつながりを疑うようなものが多い。ジャーナリスト(新聞記者)という職業柄かもしれないが、このような携帯電話から携帯電話へのeメールメッセージの場合は、メッセージトーンが随分違うから笑っちゃう。そして、このコテコテ熊本弁のメッセージは、方言や口語文を文字(メール・メッセージ)や絵にしたというだけでなく、方言訛り独特のリズムまでも伝えるから、不思議なのだ。これは個々人にとって、携帯電話とその機能が、PCに比べて、人対人との関係密度をより深めたことを示し、また携帯電話のeメールメッセージが、文語的な価値よりも電話と同じ口語的な意味合いを持ってきたのだと思う。手の中にあるモノが、心の中にあるものを振動させているのだなと思うと、人間の心理的影響が興味深くなる。

ところで、熊本弁は、語彙や発音が滑らかでなく繊細さが感じられないため、粗野で無骨な印象を与える。“肥後もっこす”(意地っ張り、がんこ者、偏屈の意)と言われる熊本県民性が、この特有の熊本弁を生み出しているのかも知れない。しかし、文化史学者・武光誠氏は、熊本県民性を『剛健で正義感が強い、頑固で気が短い、さっぱりして明るく、人情味があり親切、口下手でお世辞がいえない、猛々しいそぶりは見せかけだけで強がっているだけ、内心は小心』(県民性の日本地図−『平成13年;文春新書』)と述べている。かなり当たっていると思うこの論、もっと掘り下げると、このような県民性は徳川時代から熊本が置かれた歴史的環境と生活の在りようが大きく影響していると思う。細川藩政時代、藩の財政窮乏から「きんきらきんは御法度」、尚武・質実剛健を重んじ、勤勉倹約を強制された人々は、優雅や上品とは縁が遠く、地道に額に汗をかいて生きることが美徳だという意識が強く、それが今の熊本人に受け継がれているのかもしれない。これは、九州近隣で、熊本と気候風土が一番類似し、同じ“ばってん”県として比較されることの多い長崎県のそれをみても、かなり違う。長崎は江戸時代、天領であり、日本が世界へ向けて開かれた唯一の窓であった文化都市、お竃金で祭り続きの町民は生活を楽しむ開放感からか、長崎の方言には熊本弁にない上品さとしなやかさがあるように思う。

さて、方言の不思議という点では、自分自身の言語感覚もソレに当たる。普段は全く使わない方言だが、田舎の人と向き合う時、無意識に方言を使っている。そして恐ろしいことに、方言を使った後の口語文脈には、かすかな訛りが残る。また、熊本弁のアクセントには“橋”と“端”と“箸”、“牡蠣”と“柿”と“垣”の区別がなく、私は今だにその使い分けができない。これらを標準語(共通語)圏育ちの人からよく笑われるが、私は恥ずかしいと思ったことがない。むしろ、前述の熊本県民性と方言・訛りを、いつまでも失いたくないとさえ思う。そんな自分は、やはり正真正銘の“肥後もっこす”、当たっていると思う。ばってん、どうせ当たんなら、あたぁ、宝くじに当りたかですたい、なぁ〜(だけど、どうせ当たるなら、あなた、宝くじに当たりたいですよ、ねぇ)・・・っと呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)

   


( 川 柳 )

接待の酒の帰りの縄のれん

四字熟語並べもっともらしい舌

ガセネタに思わず欲の勇み足

石の上三年時に置いてかれ

迷い道です一本の道ながら

( ニュースやぶにらみ )

「高速道も地下鉄も」
止まらない −名古屋談合

「悲しい世相」
何食わぬ顔が増えた   −給食費
見て見ぬ振り が増えた −N H K

「角田参院副議長」
強い味方がいてくれた −自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

  好奇心
              森田のりえ
「いまのうちよ。あと何年足腰丈夫でいられると思う? 元気なときに旅行しようよ」
胸のうちでは貯金通帳の残高を気にしながら、ウィドウ仲間に声をかける。還暦をすぎると残りの人生を考え、健康なうちに旅をしようと思っている。いや、思っているのではなく、しなければ損だと自分に言い聞かせている。完璧に焦っている。十人きょうだいの八番目で育った私は依存心が強く単独行動が苦手なので、誰彼となく誘ってみる。
「破産しそうだわ」
 という友人には、食べられなくなったら私がなんとかすると大言壮語を吐く。
「お金がなくなれば生活保護を受けるという手もあるし、なんとかなる」
無責任なことをいってしつこく勧誘していると、しだいに「そうね、行こうか」となる。かくて、歳は取っても「青春真っ只中」の気持ちで旅にでる。人には、皺のある女学生グループといわれながらも。
考えてみると私の暮らしは慎ましいものだ。ブランド品を買いあさる趣味はなし、お洒落もせず、グルメでもない。ギャンブルにも興味がない。まして、幸か不幸か貢ぐオトコは皆無である。娘は、汗水出して働く親の背を見て育ったせいか倹約家で、早く言えばケチだから家を買う元金も自分たちで溜めた。ウィドウの母親を哀れに思い、お金の無心などはさらさらしてこない。それどころか、
「私たちのことは心配しなくていいから、マミーのやりたいことを見つけ積極的にチャレンジして人生を楽しみなさいよ」
涙の出るような嬉しいことをいってくれる。
夫はこう言い遺した。
「子供に遺さなくてもいい。旅をしろ。チャンスがあれば行くことだ。人生は短い。河盛好蔵は『若いときに旅をいたさねば年寄ってからの物語がない』といっている」
 亡夫のお陰で、行かない国や見知らぬ土地への旅に誘われると、じっとしておれない。日常では得られない体験や感動を味わえ、しかも気持ちをリフレッシュさせてくれる旅は、いつしか私の最大の趣味になったのである。
地図やガイドブックなどで予備知識を蓄え、ビデオ・カメラを持って出かけていたが、奮発して買ったビデオ・カメラも素人の撮影は見るに耐えず、結局、一回使ったきりで娘夫婦に譲りデジカメにした。お仕着せの団体旅行は、ついて歩くだけだ。せっかくの下調べも大して役に立たないばかりか、見えるものも見えなくしていることに気がついた。それより「なんだろう?」「どういうことなのだろう」と、そのときに感じた素直な好奇心を大切にすることにした。
不思議なもので、旅から帰って旅行記を書きはじめると、実際には感じられなかった様々な事柄が鮮明に見えてくる瞬間がある。反対に、しまった! しっかり見ればよかったと悔やんだりもする。旅のはじめは「見てやるぞ!」とばかり勢い込んでいるが、しだいに体力や気力がなくなりぼやっとして人の後をついて歩くのが精一杯だ。これではいけない、物事を深く感じなければと自分に発破をけるが、思うように脳が活動してくれない。
旅行記を書いているとき、行った場所の説明や歴史的なドラマなどはインターネットで検索できるから問題ではない。しかし、行った先々のエピソードなどを同行の友人から聞くと、つくづく感受性が鈍く、記憶力が悪い自分を思い知らされる。
困るのは、旅行記を書き始めてから後半に入ると不安になり、書き始めたことを後悔する羽目に陥ることだ。日数が経ち旅の思い出がおぼろになってくる。しかし、霧に覆われたような記憶を四苦八苦して書き進めていくと、忘れている個所がしだいに明瞭になってくるのには驚く。旅行記を書くことは二度旅をしている気分になれるのである。
書くことは山登りに似ていると思う。
途中は辛い。しかし、書き上げると爽快な気分に浸ることができる。そして、性懲りもなく、つぎの旅への好奇心が湧く。サムエル・ウルマンの詩に『青春とは』というのがある。

真の青春とは若き肉体のなかにあるのではなく、若き精神のなかにある。薔薇色の頬、赤き唇、しなやかな身体、そういうものはたいした問題ではない。問題にすべきは、強い意志、ゆたかな想像力、もえあがる情熱、そういうものがあるかないか。――略――勇気ある六十歳がいる。歳を重ねただけで人は老いない。夢を失ったとき、はじめて老いる。
   ――新井満訳――

好奇心がなくなったとき老いを感じるのだと信じ、私は、さらなる旅へ虹の橋を架けていきたいのである。
る。
               つづく

 

編集後記

T歩くことはずーっと続けています。その指標として歩数を測っていますが、これまでの歩数計は腰につけないといけないとか制約があり、もうひとつだと思っていたのですが、タニタから3Dセンサーつきの歩数計が発売されていたので購入しました。
腰につけなくても首からぶら下げても良し、ポケットにいれてもOkと、大変使いやすく創られています。一週間のメモリ、防犯ブザーつき、時計つきなど、私たちにとって遣いやすくできていると思います。インターネットで購入すれば4000円以下で買えます。

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Zakkaya Weekly No.559

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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