1月17日、東京発午前6時の新幹線に飛び乗り、出張先の愛知県へ向かう車中、雨雲に姿を隠した富士山の横を通過しながら、静かに目を閉じ、黙祷した。朝刊第一面の記事を手に、『阪神・淡路大地震から12年、死者6436名、行方不明者3名、負傷者43,792名、避難人数30万人以上』と、胸に刻んだ。1995年1月17日午前5時46分、新しい一日が始まりかけたその時、眠りから目覚への移ろう刻、暗闇と暁の狭間に起きた大参事。地球上には、そして人間の一生には、大小を問わず、こうした予期せぬ出来事があるものだ。そんな時、私の脳裏をかすめるのは「強」という文字。
あれから日本列島には、“強震”や“耐震”が重要課題となった。東京大都市の高層マンションに住む私にとっても、ヒトゴトではない。私たちの生活する住居(建物)にも強震・耐震が求められ、防災意識や活動が強化されている。首都圏の企業、公共団体や地域住民の防災・復旧計画や活動は、阪神・淡路大地震の教訓を活かそうと必死だ。そしてもうひとつ、阪神・淡路大地震の被災者自身の忍耐と強さの伝承だ。阪神・淡路大地震によって破壊的だった町も港も、復興や再生・再建を目指して強く立ち上がった。一歩、わずかでも一歩前に進む、少しずつであっても、今より強く生きるしか、そのスタートはできなかったという。同様に、私たち自身の人生にも、働く仕事にも、強震や耐震が求められる。それは天災や人災、人間関係といった出来事や事件に遭遇した時、小さな自分に求められる、“強さ”なのだと思う。
ところで、現在上映中の映画『ありがとう』も、阪神・淡路大地震から蘇生した時の強烈なメッセージが込められている。この映画は、現在シニア・プロゴルファーとして活躍中の古市忠夫氏を描いた原作、『ありがとう』を元にしたノンフィクション映画。神戸市鷹取商店街でカメラ店を営業していた古市氏が、震災によって住居兼店舗や財産、そして友人も失った。しかし彼はそこから、町の復興・再生に奔走する。そんな中、彼の車のトランクから奇跡的に焼け残ったゴルフバックを発見、“運命”を感じた彼は、プロゴルファーへの挑戦を決意し、いよいよ還暦という直前にプロテスト合格、第二の人生としてシニアプロの生活を始めた。崩壊から復興、絶望から自分自身への挑戦、そして、それを支える妻・家族愛の事実と真実が織り成されている。まだこの映画を観ていない私がこれを知らされたのは、私の友人J.Kが、この古市氏の友人であり、ゴルフ界のビジネスパートナーとしても古市氏と親交が深いという縁だった。この話を聞いて、“強”と“感謝”という文字が1個のコイン(マーカー)の表裏に刻まれているように感じた。
さて、これから建設する場合は別としても、既に建築済みの建物の耐震補強は大変だ。同じく、既に取り掛かった仕事・プロジェクトも、既にスタートした人生の耐震補強も大変だ。最近、仕事や自分の生活の中で、天災や人災かと思えるような、思いもよらない出来事に遭遇することがある。自分に原因がなく、防ぎようがない場合が多く、途方にくれる。そして人間不信または自信喪失に陥り、深いため息しか出ず、ふさぎ込んでしまう。まるで地震で崩壊して行くビルのようだ。しかも、そんな時に限って、仕事やプライベートで、周りから普段以上に自分の成果を求められる立場におかれてしまう。なるようにしかならないと思いながらも、前に進まなきゃ、と自分を奮い立たせる。ふさぎこみながらも独り膝小僧を抱え、遠くを見つめて自分に問うことにしている、「強くなりたいか?」と。この言葉は、逆境を越え、再生・復興の一歩をなした神戸の人たちから、同じ日本人である私に問われていると、今、思う。阪神・淡路大地震からの教訓の活かし方には色々あるだろうが、こうして、独りの小さき人間が小さな一歩、「強く」と歩み出させられることもそのひとつだろう。強という字は、カブト虫の如く、硬く丈夫で強い“からだ”を意味したというが、ゴルフがそうであるように、生きるとは「強い」身体力と精神力だろう。今年の干支は猪だが、生き方はカブト虫で行こうかな・・・っと呟く、さくらの独り言。 |