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NO.552                Ryo Onishi              12/10/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

 毎週土曜日のヨガ教室を楽しみにしていますが、今年はあと一回となりました。ヨガ教室は人気があるようで参加者が増えてきています。男性も4名になりました。
今日は天気がよかったので昼間歩きましたが風が吹いてけっこう寒かったです。タオルを首に巻いて歩いていたのはちょっと前だったような気がするのですが、今はそれがマフラーに変わっています。散歩の途中にケーキで有名な会社があります。最近は夜遅くまで出荷に忙しいようです。クリスマスが近いのですね。(R.O.)

幸せは科学より心で

  インターネット(Asahi.com 石川版)に北山吉明さんという形成外科医の方が書いたエッセイ集の中に「幸せと脳科学」というものがあり、ヒトの幸せのメカニズムについて記述され、とても興味深く読みました。
 北山氏のこのエッセイを以下に一部転記させていただきます。次のようなくだりがありました。

 (前略)ところで、幸せという情動を、脳科学の立場から説明すると、行動の報酬として脳内に分泌されたドーパミンが引き起こす化学反応、となる。分泌されるドーパミン量に比例して、幸福感に強弱が出来る。(中略)

このように科学の言葉には、うそはもとより、思いやりも建前もない。事実のみをふりかざしストレートに切り込んでくる。心の奥底に大切にしまっていたものを、白日の下にさらすような非情さがある。その科学の言葉が年を追うごとに身の回りに増えていくからやりきれない。

味気ない真実など知りたくない、と思うばかりである。僕らはもっと曖昧(あいまい)でロマンチックで切ない、あの情念の世界に浸っていたいのだ。
 
ダイヤモンドを炭素と言うよりは「アフリカの星」と呼ぶほうが心が躍る。(中略)もし、心がわくわくしたら、「今ドーパミンが出てる」なんて思うよりも「なんだ、この気持ちは!」と驚くほうが、もっと多くのドーパミンが出るからよいと思う。

化学物質も大切だが、その分泌を促す繊細な感受性を忘れてはならない。周囲の出来事をいち早くキャッチする心のアンテナを研ぎ澄まそう。豊かな人生を育てるのは、不可思議な人間の心そのものである。

 ひと昔前に一世を風靡した本に『脳内革命(春山繁雄著)』という書物がありました。だいぶ前に読んだ本なので私の記憶が明快ではありませんが、この本の中には『私たちが、楽しいとか幸せと感じるのは“β―エンドルフィン”という快感ホルモンが分泌するからであり、したがって体や脳を健康に保ち、楽しく生きる為には“β―エンドルフィ ン”を放出させるよう人生の目的を見つけ、それに前向きに取り組むことである』といったようなことが確か書いてあったように記憶しています。

多分、北山先生のいう“ドーパミン”と春山先生の“β―エンドルフィン”とは同じ、または関連する物質ではないかと思います。

 今回、私が北山吉明氏のエッセイに興味を覚えたのは、氏が医者という科学の先端の立場から味気ない真実を解説しながらも、私たち人間の“喜び、幸せ”をヒトの心に根ざした情念の世界として捉え、人の心を大切にしたいと述べてところです。

 私は健康管理のために毎日一時間、トレッドミル(ルームランナー)を使ってエクササイズを実行しています。実行前は面倒臭さや気だるさなどで毎回ためらいます。

それを乗り越え、嫌々でも無理してエクササイズをはじめると、はじめは疲れと息切れで苦痛を感じますが、30分を経過する頃から苦痛が低下し、徐々に快感が出てきます。さすがに一時間終了すると汗にまみれた体力は限界を感じますが、精神的には目的を達成した快感に浸っています。

私が日本にいた若い頃、冬を除いた会社の休日はほとんど信州の山か高原を歩いていました。高い山を登っている時は「なぜ、こんな苦労して登山などしているのだろう。もう金輪際こんなことはやめよう」と思ったことはしばしばでした。

でもまた次の休日になると足は自然に山に向かっていました。これも“ドーパミン”だか“β―エンドルフィン”のなせるわざと言えばそれまでですが、私の青春の思い出として大切な宝であり1ページとして心に残る宝といえます。

私も科学の真実は真実として尊重しますが、喜怒哀楽の感情はやはり崇高な心の問題として理解し、大切にしたいと思う一人です。

      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言煙にまかれて

「そんな話、どこで聞いたの?」と訊ねてみると、答えは簡単、「喫煙ルーム」。これは、どこの職場でも共通なことではないだろうか。喫煙に関する規制が厳しくなり禁煙が当たり前となってきた今日、多くのビルや会社には、喫煙ルームや指定場所がある。“井戸端会議”とは昔の話、実はこの喫煙ルームがまさに、井戸端に勝る情報水源地化している。煙にまかれてぼやける話も、逆にくっきりするらしいから、不思議な部屋だ。

人間は共に作業を進めたり、同じひとつのことを感じたり、同じ境遇に存在したりする時に起こるひとつの感情がある。それがある意味、連帯感。この“たばこ部屋”に集う人々も例外ではない。吸うという同じ動作を、リラックスしているという感情を、そして禁煙という規制によって阻害されている境遇を、共有しているという連帯感だ。煙の中で生まれたその連帯感が、ひとつの話題を通して、心を開かせたり、ひらめきを与えたりしながら喫煙村を形成する。そしてそこでは、仕事場では聞けない話題の倉庫となり、また不思議な人脈形成もできあがる。「百害あって一利なし」と言われる喫煙だが、“たばこ部屋”も馬鹿にはできないというもの。煙が生み出す出会いの場、それが“たばこ部屋”なのだ。

ところで、自宅やオフィスの新築に伴う住宅相談重要課題のひとつが、この“たばこ部屋”だという。ひところ話題になった“蛍族”のように、防寒着を着てバルコニーで喫煙をするお父さんの姿が少なくなったのも、高品質の換気扇やふき取り可能な建築素材等、技術を駆使した小さなお部屋や書斎が人気を呼んでいるとか。そしてまた、お父さんに加えお母さんなど、女性の喫煙者が増えたことも、蛍の火が室内で許されるようになった理由ではなかろうかと私は思う。また、コクヨが行なったオフィス環境に関するアンケート(日経BP)によると、経営者や役員の94.1%は、従業員のやる気がオフィス環境に左右されていると感じており、51.4%はやる気を向上させるオフィスの条件として『静かで落ち着いた環境』、『従業員の気軽な打ち合わせ場所があること』を挙げている。このことから考えると、今後、社員がリラックスしたり、刺激しあったり、社員が喜ぶ場所のひとつとしての“たばこ部屋”は、ある種、ミーティングルームの機能を持つように変化するかもしれないとも思う。建築会社もこんな提案をしてみてはどうかな?、いやいや、そんな馬鹿みたいな提案と、煙にまかれてしまうが落ちかもしれないが。

さて、 弊社の“たばこ部屋”の住人に話を聞いてみた。これがまた面白い。“たばこ部屋”で話される無駄話が単なる無駄話ではなく、思いがけず新しい見方や発見、問題解決のヒントや手法、仕事関係では入手できない情報などを貰うことが多いという。そして、なんと喫煙者でもない人が、その貴重な情報やひらめきの時を共有するために、わざわざ“たばこ部屋”に来ることも珍しくないという。副流煙を吸ってまでも吸い取りたい何かがあるのだろうか。また、多くの“たばこ部屋”は、ガラス張りが多いと聞く。長時間居座らない、つまり業務に差し支えないためだという。しかし、ガラスの外側から眺めると、透明な水槽の中で、口をパクパクさせながら煙の中を泳ぐ人魚みたいで滑稽なのだ。そんな光景を見てふと頭に浮かんだ、何かごまかしたい話をする時は、“タバコ部屋”をミーティングルームにしちゃおう、煙に巻くっていうからさ・・・っと、呟く、さくらの独り言。

 

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

賞罰欄の白 不器用をはばからず

もうでなく まだ70の登山靴

介護保険の無駄を積んでるいい余生

一病が伸ばしてくれた余命表

余命表もうひと花をけしかける


( ニュースやぶにらみ )

「実現予定」
近未来 −公約

「疑心暗鬼」
福島、和歌山、宮崎、□□ −県知事

「道路特定財源見直し案」
それでも道を通す  −道路族
なんとか道を通した −政府

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 チベット紀行(6) 

 上海からチベット自治区へは四川省の成都まで飛び、乗りかえてからラサへ飛びたつのである。ちなみに、二〇〇三年十月まであったチベットへ入る場合の人数制限は、現在は廃止されたそうだ。
 朝九時まえに上海空港ビルへ入った。
 買出しの品物らしい大荷物を持った若者たちが航空カウンターの列にいる。半世紀あまり続いた統制経済から自由経済へ移行しつつある混乱期の現状を垣間みる思いがした。
 ほぼ満席にちかい客を乗せ機体は滑走路にむけて動きはじめた。機窓を覗くと、止まっている飛行機の前後に軍服姿の人が直立不動のかたちで立っていた。珍しいので写真を撮ろうとした。すると同行の男性が「あれはですね」という。
「政府要人の専用機で、前回、何かと思ってカメラに撮ったのが見つかり出発が四時間も遅れました」
 くわばら、くわばらである。
 私は頭の中で地図をひろげ機窓に額をくっつけて見下ろしていた。豊かな緑のなかに民家がポツリ、ポツリと見える。やがて白い雲に覆われ見えなくなってしまった。
 成都空港ビルは近代的な建物だった。
 ラサへの出発時間が午後一時から三時に変更になった。三時になっても搭乗がはじまらない。そのうち待合室がざわめきはじめた。
「今日は、ラサの天候が悪くて飛行機が着陸できません。これからホテルへ行きます。成都で一泊することになりました」
 中国人の通訳Sさんがいった。
 ハプニングは旅の醍醐味である。私はうれしくなった。成都は長い歴史をもつ町で、三国志で有名な諸葛孔明(一八一~二三四)や詩聖として名高い唐の杜甫、それにマーボー豆腐に担担麺などの四川料理は有名だ。マーボー豆腐は、私が最初に覚えた中国料理でもある。ぜひ本場の唐辛子をたくさん使ったマーボー豆腐というものを食べてみたい。しめしめ、私は内心ほくそえんでいたのだが……。
 ホテルへの送迎バスに乗った。運転手の天井に扇風機が取りつけてある。つい、昔懐かしいこんな唄が口をついて出た。

 ♪ 田舎のバスはおんぼろ車、
   タイヤは傷だらけ、窓はしまらない、
   それでもお客さん、我慢をしているよ、
   それは私が美人だから、  

 ホテルのロビーは、余計な飾りつけがなく事務所のような感じである。部屋に入ると、まず便所と浴室を点検した。アメリカのホテルと同じ配置でバスタブがあり便器があり、洗面台がある。パックされた洗面用具とタオルが用意されていた。助かった。荷物は飛行機に積んだままで、着のみ着のままである。シーツも洗濯されスリッパもある。部屋の造作は古びているが、よしとしょう。
 早目に夕食をとり、同行の人たちと連れ立ってホテルの外へ出た。新興地区らしく道路は広く建物も新しい。たまに車が行き交う。商店街と思われる地区に入った。露天で茶を飲んでいる人、マージャン卓を囲んでいる人、店先で洗濯したり、三、四人かたまってしゃがみこみ、道ゆく人をながめている。
 屋台の軒先に肉塊が丸だしでぶらさがっていた。肉屋だ。早く売らなければ腐るだろうに、店番もいない。近くでおばさんが竹箒で道を掃いていた。土埃がまい上がる。
 どの店も品物不足は一目瞭然だった。例外はただひとつ、自動車部品を扱う店だけが商店らしい装いをしていた。
 広場の一角にあるテントのなかで、細長い卓上に衣料品が並べてあった。売り子らしい若い娘が二、三人いる。中国語を話す同行のハシル君がその娘たちとなにかを話したあと、日本から持ってきたトランプでカード・マジックをはじめた。
「えっ、どうなったの? どうなったの? もう一度やってみて、お願い、お願い」
 と、せがまれているような娘たちの歓声があがる。そのたびに、ハシル君の周りは賑やかな輪がしだいに大きくなっていった。天秤棒の荷物を放り出したおばさんは、ハシル君のまえに陣取り奇声を発していた。
「ギターがあれば弾くのになぁ」
 ミュージシャンでもあるハシル君がいうと、
「あるある。学校にあるから行こう。遠くないから、車で行こう」
 娘は誘った。しかし、ハシル君は断わった。
 翌朝は四時半起きである。
 
 まだ明けやらぬうちに空港へのバスに乗った。諸葛孔明も杜甫も四川料理も縁のない成都だったが、私は満足していた。案内されるままにバスに乗り、名所旧蹟ばかり観みせられるより、土地のにおいを一瞬でも嗅げたのだから儲けものである。
 飛行機の窓から、真っ白い雲の上に出ている雪峰が望まれた。
 私は、孫悟空が一瞬にして雲海を飛んで行き厚い雲の上に突き出ている黄金の五本柱を見つけ「斉天大聖至比一游」と書き、おしっこを引っかけた話を思い出し、楽しくなった。

              つづく
               

 

編集後記


《今週お薦めのジャズ》
今週はちょっと変わったジャズをご紹介しましょう。320のアルバムの中で唯一、ハーモニカのジャズがあります。Toots Thielemans の"The Best of Toots Thielemans"です。




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Zakkaya Weekly No.552

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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