weekly

NO.548                Ryo Onishi              11/12/2006   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
読者メッセージ 雑貨屋のひとり言 LA観光スポット 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

11月に入っても暖かい日が続いていましたが、急に寒くなってきました。身体に堪えますね。風邪を引かないように注意しましょう。
先週は9人が亡くなるという大きな竜巻が発生しましたが、すさまじいエネルギーです。ちょっと前にも九州で列車が吹き飛ばされるという竜巻が発生しましたが、次々と予想外のことが起こります。(R.O.)

も う 忘 年 会 ?

 11月に入ったとたん、この間までハロウイーン用のパンプキン(かぼちゃ)を売っていた街角の広場ではもうクリスマス・ツリーを並べています。ショッピング・モールをはじめ、商店街は既にクリスマス商戦に突入、賑やかです。クリスマス・年末に賭ける小売業界の意気込みを感じます。

 消費者側の私たちも年末モードに入っています。私のような閑人ですら日程表には通常の予定の他に早くも忘年会のスケジュールが入りはじめました。

 シニア年齢の私など近ごろ物忘れが多くなり、何も改めて“忘年会”などといわれなくても昨日の出来事すら忘れがちです。毎日が“忘日会”だとつまらぬ自慢をしています。

 半分以上は私の負け惜しみかも知れませんが、人間が過去の出来事を忘れることは天が私たちに与えてくれた、生きるための智恵だと思っています。

 第一、人が一生の出来事をすべて覚えていたらたいへんです。 私自身、過ぎし人生のほとんどは、どうでも良いこと、無意味なこと、出来たら忘れたいことの連続であり、これだけは一生の記憶に留めたいと思える有意義な出来事なんぞ100のうち1つか2つあるかなしです。

今、私が厚かましくも平気な顔してこの世で生きていられるのは自分にとって都合の悪い記憶を忘れているからです。

“物忘れ”は人生にとってネガティブ(マイナス)要因なのではなく、前向きに生きるための大切な要因なのだと考えたらいかがでしょうか。忘れることによって“忘却力が充実した”と胸を張って自慢するのです。

前に書いたことがありますが、“物忘れが多くなった”という後向き発想を“忘脚力が充実した”という前向き発想に変えただけで人生は180度変わります。“忘脚力が充実”すれば 次のようなメリットを享受できます。

(1)過去のいやな思い出を忘れられ、未来思考の人生が開ける。

(2)過去の事は忘れているので 常に物事が新鮮に見え、新しい感動を得られる。
例えば、以前読んだ推理小説でも推理の「種あかし」を忘れているので、何度読んでも新鮮な感じで読める。1冊で何度も読書を楽しめ、経済的だ。

(3)過去にとらわれない発想が出来る。等々です。

人間が一番幸せなのは“時を忘れ、我を忘れている時”と言われています。私もせいぜい“忘脚力の充実”に専念し、有意義な人生を続けたいと思っています。

これからの忘年会も前向きに生きる為の智恵なのだと理解し積極的に参加しよう。――― “忘れ上手こそ生き上手”――― 負け惜しみ人生躍如のコメントでした。

      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 引き潮の曲

川の流れは川上から川下へと一方通行が普通だ。しかし、東京湾に注ぐ隅田川下流、私の住む佃の辺りではちょっと違う。時に、川下から川上へ逆流するように、または流れが全く止まったように見える。これは、まさに潮の満ち干によるものだ。私は幼い頃から潮の満ち干は、人の生死の刻と密接だと教えられたもの。体外受精や移植によって人の生死も人工的になった今日では耳慣れないことかもしれない。でも古い人間の私にとって、潮の満ち干の時間帯によって変化するその川の流れをみていると、やはり潮の満ち干は、人の活動や生き方の刻を知らせるものだと感じるものだ。

仕事の傍ら、某会社の社員サークルのひとつ、マンドリン・ギタークラブで指揮を振っている友人S.Wが居る。年に一度の定期演奏会に是非ともという熱い誘いを受け、拝聴してきた。指揮者S.Wによると演奏会の選曲は、メンバーの演奏したい曲という希望によって選定されてきたという。しかし、今年のこの定期演奏会では、1曲だけ、指揮者S.Wが選曲した。アンコールで演奏される最後の1曲、「引き潮」だった。来年、US子会社の社長としての勤務が決定、今回の定期演奏会が最後となるからだ。「最後の演奏だから来て欲しい」と7月に誘いを受けた私は無論知っていたが、演奏メンバーにこのことが知らされるのは終演後、「引き潮」の演奏中、私の涙腺が緩み、指揮者の背中が見えなくなった。隅田川の流れのように、潮の満ち干の刻を実感させてくれる美しい旋律、会場の空気が響きあって流れていた。

「引き潮」という曲を私が聴いたのは、この時が初めて。正直に、この「引き潮」とは何なのかと聞いてびっくり。「世界残酷物語」というドキュメンタリー映画のエンディング曲だったという。世界中の奇習や風俗、未開人の風俗と文明人の歪んだ趣味などを、カメラは残酷なまでに現実を追うことを伝えているものだという。ネパールで牛の首を切る祭り、原爆実験で方向感覚を失い海へ戻れなくなった海亀、保健所で殺される多量の犬、ニューギニアで豚に授乳する原住民、いかがわしいサービスを提供する日本の温泉など、過激な映像によって多種多数紹介されたらしい。一方、そのバックグラウンドミュージックは、美しい旋律で、アカデミー賞にもノミネートされるほど世界的に愛される名曲となったという不思議な組み合わせ。その一曲が、この「引き潮」なのだという。一度、この映画をみてみたいものだと、興味をそそがれた。

さて、アンコール曲「引き潮」もさることながら、演奏プログラムフィナーレを飾った一曲、「シンフォニア」は素晴らしかった。有名なマンドリン作曲家で知られるジュゼッペ・マネンテ(1867-1941)によって吹奏楽曲として創られ、後にマンドリン楽用に編曲されたこの曲は、マンドリンに詳しくない人でも一度は聴いたことがあるもの。私も大好きなこの曲、何と言っても聞いているうちに元気が沸いてくるところが大きな魅力。マンドリン、マンドラ、マンドロン、ギター、そしてコントラバスの糸が、空気を切る波によって音を生み出し響きあって力強く、それは聴衆の心に響き、心を揺り動かす力とさえ感じる。指揮者S.Wの想いも響いてくる。振られる指揮棒が描く波が空気を切り、響きを創出している。彼が以前、私に話してくれたことを思い出す。「指揮者の仕事は、その音楽を理解し、具体的にどういう音をださせるかを決め、そのためにバトンはどう振って目的の音ができるまでの練習計画を立て、本番に臨むこと」と。USの経営者として選ばれた彼の仕事にも通じるものだろうと。彼にとって「引き潮」のこの演奏会、それはまた彼にとっての満ち潮への時でもあると、誰よりも彼がよく知っていると思う。引き潮は満ち潮・・・っと呟く、さくらの独り言。
 

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

新ボスにドングリ山が騒がしい

送信ボタン思いのたけが押せずいる

青空に僕の反旗の小さなこと

手の皺に運命線が成り下がる

エルメスのゴミ袋などいかがです


( ニュースやぶにらみ )

「景気いざなぎ超え確実に」
勝ち組の話だな −格差社会

「米民主党が多数党に」
12年ぶりというというとあと何年だ −日本の民主党

「造反組の復党問題」
もう賞味期限切れなの −小泉チルドレン


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 チベット紀行(2) 

 「七月中旬にチベットへ行くことが決まったけど、行きますか」
 六月はじめ、SARS問題で中止になったチベット旅行の再開について、友人が知らせてきた。風水に凝っている彼女は、今年は方角が悪いので行かないという。訪日旅行から戻った直後の私も、一瞬、ためらった。だが、またとないチャンスだ。足腰丈夫なうちにと思いなおし、二つ返事で行くことにした。
 連絡先である名古屋のお寺「倶利加羅不動寺」に電話した。すると、
「決定した訳ではありません。交渉中です。何しろ、この旅行は中国政府が絡んでいますから、向こうの返事を待っています。98%大丈夫と思いますが、とりあえずパスポートのコピーを送ってください」
 と、話が食い違った。
 それから何度も電話したが交渉中の一点張りに、私はついに痺れをきらした。ここに書くのも気恥ずかしいが、お寺の担当者に私は法螺を吹いたのである。一緒に行きたいという娘はジャーナリスト志望で紀行エッセイを書いている。チベットに対して深い関心があるので、ぜひ行けるようにお願いしますと。
 チベット旅行が正式に決まったのは六月二十二日。出発は七月十四日に名古屋空港発、上海経由でチベットの首都ラサへ。旅程は向こう任せなので分からない。分かっているのはホテル名だけ。総勢十三人。観光旅行ではなく、名古屋のお寺の住職がチベット仏教の亡くなった高僧の遺品をもらい受けるのが目的らしい。目的はどうであれ、私も娘もチベットへ行ければいいのである。
 政府高官との夕食会があり、プレゼント交換をするので一個十ドル程度の品(中国製は避ける)を一人、十個用意する。チベットの小学校へ寄付をする文房具を出来るだけ多く。服装は寒いので長袖、会食用のドレスを持参するようにという連絡が入った。
 ラサは三千六百メートルの高地。高山病対策について尋ねると、ブドウ糖原液アンプルを一ダースと登山用の酸素ボンベを用意すれば大丈夫という。入手できないと答えると、当地に高山病の薬は売っているから、もしもの場合の心配はない。ラサはマクドナルドもある近代的な街で、ホテルの設備もアメリカと同じだという。
 ところがである。
 外国が現在と違ってずっとずっと遠かった明治三十四年(一九〇一年)、仏教の原典をもとめてヒマラヤを越え、あらゆる困難に遭遇しながら鎖国のチベットへ単身で入った日本人の僧「河口慧海」のチベット紀行を読んでいると、しだいに不安が募ってきた。百年以上も前の話だとはいえ、未だに秘境という印象のつよいチベット高原に閉じこもった閉鎖的な民族が、どれほど近代文明を取り入れているのか、また、価値観の違いからくる生活習慣がどれほど改善されているのか。私はチベット紀行を読み進む程にタイム・スリップしていった。
 要約するとこうである。
 チベット人は、生まれてから身体を洗うという習慣がない。洗うと福徳が落ちる。垢にまみれて真っ黒いほど福相を現しているという妙な考えがある。
 自分の着物の裾裏をまくって洟をかむ。着替えがないから、着物は洟とバタと垢の壁になっている。
 茶碗は洗わない。下等の種族が飲んだ茶碗は洗うけれど、自分と同等の種族が飲んだ器は縁にバタ滓がついていても清浄であるといって洗わず、客に出す。拭く場合は鼻汁を拭いた着物の袖で拭く。
 どこの寺に行っても異臭が鼻をうつ。これは燈明にヤクのバタを使う。そのバタが湿った床に落ち腐敗し、臭いが堂内に満ちる。僧侶がここで茶を飲みこぼす。チベット人にはいい匂いらしいが、馴れない者には耐え難く嫌な臭いである
 大便に行っても決してお尻を拭かない。牛が糞をしたようにうっちゃっておく。上は法王より下は羊追いに至るまで同じだという。便所は男女混合で、十五センチ幅の細長い溝がありみんな並んで用を足す。恥ずかしがる様子はない。
 私がもっと仰天したのは奇怪なる妙薬である。チベットの法王や第二の法王というような高等なラマたちの大小便は決して捨てない。大便は乾かして薬の粉を混ぜ小便で捏ねて丸薬にし、金箔で包むか赤く塗り「宝玉」という奇態な名をつける。売り出すのではなく、伝手を通して法外なお金でゆずり受け、重病とか臨終の場合に一つ飲む。効く効かないではなく、宝玉を飲んで死んだからあの人は極楽に行かれるだろうと、誉れのように思っているというのである。宝玉の材料がなんであるか、一般の人たちはほとんど知らない。
 河口慧海の旅行記は「スリー・イヤーズ・イン・チベット」と英訳され、海外の冒険家たちに絶大な影響を与えたそうである。
 とんでもない所へ行くという不安と、おもしろい旅になりそうだという期待が交叉し、まだ見ぬ地への興味が一段と増幅していった。
              つづく

               

 

編集後記

雑貨屋からのメール送信ができなくなって皆さんに配信できたのが週末になってしまいました。メール受信はできるけど送信ができないという方が結構いるみたいです。メールソフトの設定を確認し、変更すれば直るようです。

《今週お薦めのジャズ》
これまでボーカルはあまり聴かなかったのですが、聴くようになりました。最初に聴いたのがHelen Merrillの"Helen Merrill"。あまい素敵な歌声がとてもいいです。この歌は1954年12月にニューヨークで録音されたそうです。彼女は1967年から1972年まで日本に住んでいたこともあるそうです。

 


雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.548

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com