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NO.541                Ryo Onishi              9/24/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

アップルのiPod人気はすごいですね。iPodがオーディオのスタイルを変えてしまいました。これまで音楽の一部を携帯オーディオで持ち歩くのに対し、iPodではたくさんの音楽を持ち歩き、家で聴きたいときにオーディオにつないで聴くというスタイルです。私のようにいろんなジャズをたくさん聴きたい人にはこのほうが便利でいいと思います。2年前に購入した1ギガバイトの携帯オーディオでは物足らなくなってきたので、20ギガバイトの携帯オーディオプレーヤー(なんか野暮ったい言い方ですが)を息子から借りて使っています。200以上のアルバムを入れても半分以上余っています。まるでPCを持ち歩いているようです。(R.O.)

12年ぶりのオリンピック(2)

――― 前号よりの続き ―――
 「私の場合、もともとオリンピック選手を目指してフィギュア・スケートを始めたわけでなく、幼少時代に小児喘息で身体が弱く、医者のアドバイスで両親が私に水泳とスケートを始めさせたのが、この世界に身を置くきっかけでした」

 これまで冬季オリンピックに三回も出場した井上怜奈選手ですが、幼少の頃は虚弱児だったようです。小児喘息だった虚弱児童とオリンピック出場とはまったく無縁(どころか正反対)に思われますが彼女の場合、生まれつき健康優良児だったら現在の井上怜奈選手はなかったことになります。

スポーツの世界とは離れますが、経営の神様と称された故松下幸之助氏も、世界の発明王トーマス・エジソン氏も、「あなたが成功した秘訣は?」との問いに「学歴がなかったこと」と答えたそうです。自分の欠点をマイナス(言い訳、逃げ)とせず、“欠点を逆手に利用する”――― 井上怜奈さんも松下幸之助翁やエジソンと同様、成功への秘訣の一つを私たちに教えてくれていると感じました。

ただし、マイナスをプラスに変えるためには他人の何倍、何十倍の努力と持って生まれた根性が必要であり、私などにはとても真似の出来ることではありませんが・・。

怜奈さんは、小・中・高校生時代、スケートを続けるための条件としてご両親から“勉強第一”と言われ、「スケートのせいで学校の勉強をおろそかにしてはいけません」と厳命されたそうです。

「学校とスケートの両立のため、つらいこともありましたが、学校生活と勉強第一はその後の私にとってかけがえのない財産となりました。今回のオリンピック出場にあたって学校時代の友人からも多くの励ましと祝福のメッセージをもらいました」

このことに関連して怜奈さんはこんなことも言っていました。「身体が資本のスポーツ選手だからこそ教育は重要です。スポーツ選手には怪我はつきもので、万一再起不能の大怪我の場合、無教育ではスポーツ以外の社会へ戻ることも出来ません」 ――― 怜奈さんのご両親が彼女に“勉強第一”の方針で彼女を育てた理由の一つもここにあったのかもしれません。

彼女が小さい頃、コーチから聞かされた言葉に「努力も才能」があったそうです。「生まれつき運動神経がなかった私でしたが、だからこそコーチの言ったこの言葉は励みになりました」

怜奈さんが“生まれつき運動神経なしだった”とはとても考えられませんが、彼女はこんなことも言っていました。 ――― 「生まれつき運動神経が優れ、才能のある人は競技で勝つのが当たり前となります。このような人(選手)が一度負けると落差が大きくたいへんです。でも私の場合は運動神経が優れていたわけでも、生来の才能が備わっていたわけでもなかったので、出来なかったら出来るまでコツコツとやるだけでした」

更に怜奈さんは「一つうまく出来ると“歯車がかみ合ってきて”意外と上達するものです」と続けていました。 ――― これが怜奈流の「努力も才能」ということなのでしょう。

「演技は他人(競合選手)がやらないこと、他人以上のことをやれ」 ――― 特にフィギュア・スケートのように人間(審判員)が採点する競技では、ある程度は審判員の先入観や主観が入ることはやむを得ない壁としてあるようです。

他の選手と同じことをやっていてはこの壁を破ることはむつかしく、「あんなすごい演技をされてしまっては、あいつに良い点数をあげざるをえないな」と採点者に思わせるだけの演技をしなければ上位を勝ち取ることは出来ないのでしょう。

怜奈さんは一時、フィギュア・スケート選手から引退を決めつゝあった時期に友人から誘われてアメリカに行き、日本では体験しなかったスケートの良さを再発見します。

それは演技で常にトップになることを強いられるのではなく、“昨日よりも今日、少しでも進歩した”ことを気楽に楽しみ、喜ぶスケートの発見でした。

怜奈さんはその後、最愛の父親を肺がんで失い、更にその一年後、今度は彼女自身も肺がんの宣告を受けてしまいます。

人間として最も過酷な地獄の苦しみを体験しながらも、彼女自身は放射線と抗がん療法で病から完全復帰をしますが、半年以上の療養生活だったため、氷のリンクに立っても3分と体力が続かなかったそうです。

ところが怜奈さんはこの塗炭の体験をまたもや前向き発送で切り抜けます。
――― 次号に続く ―――
      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 OB・OG 」

OB(オービー)と耳にすると直ぐに、ゴルフのアウト・オブ・バウンズ、つまりプレー禁止エリアを連想し、思わず苦笑いをする。この区域にボールを打ち込んでしまうと、平たく言えば2打のペナルティが加算されることになり、少打数を競うゴルフにとって、これは非常に痛い。しかし、もう一つのOB、つまり、卒業生や退職者を意味するOB(Old Boy)は、ゴルフのOBと違って、何とも温かく、懐かしく、心に染みる。

毎年秋になると、ゴルフと温泉を兼ねたOB・OG(Old Girl)旅行に参加する。参加するというよりは、この企画からコーディネートまで、私がいっきに仰せつかる、いや、やらせられると言った方が正しい。このOB・OG旅行は、US時代から今も私が勤務するK社グループのUS及び日本の大先輩たちの集いの一つ。この大先輩たちの多くは、いわば団塊の世代、1970年代からつい数年前まで、米国を始めグローバルにおける日本人プロフェッショナルとして、その業界をリードし今は退職した人たちだ(雑貨屋164号などでも紹介)。この大先輩たちは、1970年代、言葉や国籍などといったハンディや人種的差別と戦いながら、一方でひとつのグローバルファーム(会社・グループ会社)での日本企業部隊とそのサービスの構築に一丸となった時代の“な・か・ま”、いわば同胞だ。後にこの人たちが役員として業界も会社もリードする最盛期に私は入社し、以来、育ててもらっている。今の私があるのも、この大先輩の“よき時代”の“よき教え(カルチャー)”のもとで育てられたから。毎回この旅の終わりに思う、OB・OGって本当にすばらしい宝だ、と。

ところで、今回の旅先は、新潟県十日町にあるホテル高原リゾート“ベルナティオ”。越後湯沢駅から送迎バスで40分、ホテルやロッジなどの宿泊、結婚式などの祝い事、研修や自然体験などの学習広場、四季を通した各種スポーツの練習や競技、くつろぎの温泉や憩いの時間、そんなものが沢山詰まっている敷地460haの総合リゾート。勿論18ホールのゴルフコースもその一つ。この “ベルナティオ”(BELNATIO)とは、イタリア語の『美しきふるさと』から生まれた名前で、自然との共生・人との触れ合いをテーマに、自然と調和した施設を造り、訪れる人の心の古里として懐かしさと安らぎを感じてもらうことをサービスのコンセプトとしている、という。今回の旅で私たちは、ゴルフプレー、温泉、宴、宿泊を通し、美しき新潟・十日町を満喫した。

さて今回のOB・OG旅行メンバーの中には、早い時期にK社を退職・転職をした二人の先輩もいて、彼らとは25年ぶりの再会とあって皆興奮冷めやらず。下積み時代の同胞の今昔、そして今だから言える・聞ける実話の数々などが披露されるなか、不思議な調和、確固たる自律した個、かすかな緊張、ひとつの時代の終わりと始まりを実感した。その旅の中で、素晴らしい大先輩が活躍したその時代を共有できたこと、その大先輩たちに育てられたことが嬉しかった。そして、その先輩たちが、1970年代もそうだったように今も、夢を持ち、人と自分を大切にして「生きている」ことが自然に青春ドラマになっているのが美しかった。そしてまた、ゴルフでOBを出すのが多いのも、やはりOB、大先輩だということもおかしかった。来年の幹事も私だというが、見えない勲章をもらったと喜びたいと思うこの週末だった。OB・OG会の合言葉、「人生はいつもこれから」っと呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

喉からの手を札束に見透かされ

抜擢の椅子で火中の栗がはぜ

賛成の挙手本心をなだめつつ

手応えに二枚目の舌よく回り

外野からとくとく自称評論家

( ニュースやぶにらみ )

「タイで軍のクーデター」
自衛隊も今程度がいいのかな −政府

「優勝杯授与」
安倍さんにも上げたい −朝青龍

「新首相52才」
エエッ! ー団塊世代

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 ウィイドウ( 10 )
               
 亡夫は教会の鐘の音が好きだった。
 だからといって、クリスチャンでもなく、教会へ通っていた訳でもなかった。いつだったか、なぜ鐘の音に魅せられたかを話してくれたことがあった。
 三十年数年か四十何年か前の話になる。小田実の『何でも見てやろう』がベストセラーになった。若者が笑顔とバイタリティで欧米22カ国を貧乏旅行し、見たまま感じたままに書いた本である。オレゴン大学へ留学していた夫は、学業を半ばで放棄しアルバイトで稼いだお金で、ヨーロッパへ一人旅をした。小田実の本に触発されたことは言うまでもない。デンマークか、ドイツだかで風邪を引き三日間寝込んでしまった。旅で病に臥す心細さ、朝、昼、晩、どこからか聞えてくる鐘の響き。心の奥底に沁みこむように鳴り響いたという。
  
 夫が逝った二ヶ月後、私は、教会の鐘の音に心を奪われたという人に出会った。おむすびで有名な青森の『佐藤初女』さんである。
 龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲 第二番」がロサンゼルスで上映された。その上映に合わせて、出演者の佐藤初女さんが講演のため渡米され、上映前に初女先生を囲む夕食会の誘いを受けた。私にとって、まったく未知の人である。ところが、話の成り行きで、一人住まいの我が家で夕食会をすることになってしまったのである。
 初女先生は、白髪の品のいい人だった。弘前弁のアクセントでゆったりと話される、その話し方に温かい人柄を感じた。
「初女先生のおむすびを一度でいいから食べたい」
 友人が言う。たかが「おむすび」ではないかと思った。その夕食会で話題にのぼった「森のイスキヤ」とは何だろう。何をしているだろう。私は、つかみ所のないまま「地球交響曲 第二番」の映画を観た。
 岩木山の麓に「森のイスキヤ」と命名された建物が建てられていく過程や初女先生の日常生活などが映し出される。おむすび、梅干、漬物、すりこぎ、ふきのとう。幼いころ私の身の回りにあった素朴な田舎の暮らしである。森のイスキヤに鐘を響かせたいという初女先生の願いがかない、アメリカのコネチカット州ベツレヘムにある修道院から古い鐘が贈られる。一八一〇年にメキシコで鋳造された由緒ある鐘である。まるで聖遺物でもあるかのような扱い方。その鐘が三角屋根の下に吊り下げられた。
「そうだ! あの鐘の音を聴きに行こう」
 映画を鑑賞し終わったあと、ふと、そう思ったのである。
 それから一ヶ月後の昼過ぎ、私は、弘前駅に降り立った。小雨が降っていた。タクシーで五十分。女性が黒髪を長くたらし、あお向けに寝ているような岩木山の麓にある森のイスキヤへ向かって車を走らせた。
 すでに先客がいた。某出版者の女性が二人と漫画家だという若い女性が一人。取材らしかった。
「鐘のある部屋を取っておきましたよ」
初女先生がいった。偶然の一致がうれしくて、ちょっと感傷的になってしまったが・・・。
 夕食の支度をする初女先生。食材そのものの持つ味わいを生かして、おいしく食べる。そのために細心の注意をはらい、何回も何回も味見をして本当にいい味を見つけようとする姿勢。食は命ですという。
「ほら、枝豆が透明になってきたでしょ。この瞬間を『いのちの移し替えかえ』と、呼んでいます。そのいのちいただくのです」
 初女先生の言葉に、はっと気づいた。
 心を込めて料理するとは、こういうことだったのか。夫がよく言っていた。 
「オマエの料理は心がこもってない」
 ろくすっぽ味見もせず、適当に作っていた。申し訳ないことをした。今からでもいい、謝りたい思いにかられた。 
 夕食は大きい丸テーブルに心づくしの手料理が並んだ。お漬物、コロッケ、枝豆のクルミ和え、茄子のシソ葉巻きなどなど、なんてことのない家庭料理。お茶碗にご飯をよそおう初女先生の真剣な表情、ひとつひとつの動作に「祈り」のような感じを受けた。 
 初女先生は十七歳ごろ肺を患い、三十五歳ぐらいまで闘病生活が続いた。笑っても咳をしても、下駄を履いて歩いても、胸に響いて血管が切れるほどだった。苦難をくぐり抜けたからこそ分かる、他人の心の傷み。その初女先生を慕って森のイキキヤには心が疲れた人や生きる方向を見失った人たちが全国から毎日のように訪れる。おいしい食事を一緒にし生活をともにすることによって、癒され、元気を取り戻すというのである。
 私は、鐘の部屋に寝ながら、夫と娘の三人で旅行したことを思い出していた。
 フィレンツェで都心のホテル「ブルネレスキー」に泊った時、部屋に入った途端に鐘が鳴った。窓の向こうに花の聖母寺の赤い丸屋根が見えた。ガイドブックを持って街へ飛び出したこと。ドイツの古城ホテルで、秋雨にけむるライン渓谷に鳴り響いた鐘の音。
 涙がとめどもなく溢れた。
帰り際、初女先生は修道院から贈られた鐘を鳴らしてくれた。
「居心地はいかがでしたか。またお目にかかりましょう」
 とでもいうように……。

               つづく

 

編集後記

歩き始めて1ヶ月経ちます。血糖値が改善されてきました。
今週お薦めのジャズ
Freddie Hubbard ” Open Sesame “ ビ・バップ トランペット。ビ・バップは1940年台に生まれたモダンジャズと総称されるスタイルの一つ。トランペットの魅力がいっぱいのジャズです。
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Zakkaya Weekly No.541

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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