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NO.534                Ryo Onishi              8/6/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

先日、テレビ番組で血糖値を下げる効果の高い「杜仲茶」の紹介がありました。よさそうなので番組が終了する前に、近くのスーパーを何件か回りましたが、すべて売り切れでした。翌日朝早く大阪のデパートに行きましたがここも売り切れ。聞くところによるとテレビ番組で杜仲茶の効果が紹介されたと同時に、問い合わせの電話が殺到したそうです。少し前まで「寒天」もブームで品薄状態が続いていましたが、今は手に入るようです。日本人は熱しやすく冷めやすいのでこの杜仲茶もすぐに・・・(R.O.)

暑 中 お 見 舞 い

今年(2006年)の立秋は8月8日だそうですので、この雑貨屋ウイークリーが発行される8月6日はまだ“暑中お見舞い”でよいわけですね。
 
こちらロサンゼルスを含む南カリフォルニアの今年の夏は例年にくらべ異常に暑い日が続いています。ロサンゼルス市内では日中の最高気温は華氏90〜95度(摂氏32〜35度)ですが、郊外の砂漠(Desert)地域では華氏110度(摂氏43度)を超えることも珍しいことではありません。

先々週の日曜日、私たちの詩吟グループは親睦ピクニックと言うことで、ここロサンゼルスから200キロほど内陸に入ったインデオ(Indio)近くへ行きましたが、その日の日中の最高気温はなんと華氏123度(摂氏50度)で、“暑い”などという言葉では表現できないほどでした。

ただ、我々のピクニックの目的地はそこにあるカジノ場(インディアン・カジノ)であり、屋内でしたので問題はありませんでしたが(尤も、場所がカジノ場だけに別の意味で“カッカと暑く”なりました・・)

湿度はそれほど高くないのが救いでしたが、それだけに水分の補給をしないと脱水症、熱中症になってしまうことでしょう。

 今年の異常な熱波のため、既にカリフォルニア州全体で高温によるとみられる死者数は100人を超え、カリフォルニア州内のいくつかのカウンティでは地元を対象に非常事態を宣言したところも出ています。また、カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事も関係機関に対策を指示したということです。

 ロサンゼルスとその周辺は雨の少ないところで、ひとたび街の外(郊外)へ出るとほとんどがDesertといわれる岩だけの砂漠であり、殺伐とした荒野であるため、暑い夏の間は屋外で楽しむ場所はないと思われがちですが、それでもそんなことはありません。

湿度が低いので高い山や高原、日陰や夜間は意外と凌ぎやすく気持ちよいものです。

以前、私の観光スポットでご紹介しましたが、ロサンゼルスの東、約100マイルにある砂漠の街、パームスプリングスの西に聳えるSan Jacinto山に設置されたロープウエイの終着駅(海抜8,516フィート、2,595メートル)付近はこの時期最高の避暑地と言えるでしょう。

終着駅(High Mountain駅)から一歩外に出ると、つい先ほどまでの熱波に満ちた“砂漠と岩山”は嘘のように涼しく、緑の大木が生い茂る別世界が開けています。

私もただ、「暑い、暑い!」と言うだけでなく、今年の夏も大いに歩き回ることにしています。

『心頭を滅却すれば火もまた涼し』――― 夏の暑さに対抗するのにふさわしい言葉ではないのかも知れませんが、こんな心意気で暑さに負けずに頑張りたいと思っています。      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 語り部 」

佃のアブラゼミもやっと先週から鳴き始め、ジリジリと照りつける真夏の太陽と重なって、“暑さ”を増幅させてくれる。今年は、記録的に遅い梅雨明けで、夏を実感する日は、いつもより10日ほど遅い。しかし、どんなに気象や時勢の変化はあって、この時期、必ずやってくる“忘れてはならない日”がある。変わらずに語り続けなければならない“時の事実”がある。「戦争を知らないこどもたち」と称された私の世代こそ、“あの日”の語り部たちの後を継いでいかなければとの思いが強まる。

今日(8月6日)は広島原爆記念日。あの日から61年目の暑い悲しい夏である。家族揃ってのささやかな朝餉(あさげ)の団欒を一瞬にして奪い取った午前8時15分、ピカドンと同時にキノコ雲が広島市内上空を覆った。爆心地から半径2キロ以内のすべての建物が焼け、約14万人(朝鮮半島の人々推定2万人を含む)の尊い生命が奪われた。被曝して傷ついた人約8万人(1993年、放射線被曝者医療国際協力推進協議会発表)の多くの人がその後、次々と亡くなった。「1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ10数万の人すべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた」(油断とは、心安らかに、と解したい)詩人・石垣りん(1920〜2004)は、原爆被災地の写真を初めて見た時の心境を、このように詠んだ。また、歌人・満田廣志(1903〜1993)は、「山は哭(な)き 河は嘆かふ ひろしまに またの緑は なしとおもひぬ」と、原爆の恐怖を詩集『山河慟哭』の中で詠っている。私が中学生時代、中沢啓治の原作である自伝書「俺は見た」をベースにした「はだしのゲン」が流行した。これは彼自身の広島原爆の被害体験をもとにしたドキュメンタリー風漫画だった。その後、映画やミュージカル、アニメや絵本化によって、日本のみならず、海外でも広島・長崎の原爆を語り伝える“語り部”の役割を果たした。

ところで、8月1日の読売新聞『編集手帳』に書かれていた「終戦記念日に原爆忌、月遅れのお盆と、来し方を顧みることの多い8月である。お年寄りが物不足と空腹の遠い記憶をつむぎ、孫たちが箸(はし)の手を止めてじっと聞き入る。そういう夕餉(ゆうげ)の風景もどこかにあるだろう」を読んだ。懐かしい、平和な家族の団欒の情景が目に浮かぶ。そうだ、私たちは語り継がねばならない。戦争のこと、原爆のこと、そして犠牲になった人たちのこと。私たちよりも若い世代は、戦争のことも原爆のことも、忘れかけている、というより、知らないでいる。誰が言ったか「知らないことは不幸だ。忘れることは罪悪だ」というような言葉がある。作家・大江健三郎も「われわれが政治に向かってできる唯一、かつ最大のことは、“記憶すること”である」と言っている。重い言葉だ。

先日、英語習得に苦戦している友人Oが、最近プロジェクトを通してつくづく自分の英語力の低さを自覚したこと、どうにか英語教材やコースで学習しているが三日坊主で進まない、でもどうすれば上達できるだろうかという相談。「とにかく、(英語で)しゃべっている内容が理解できないんだよ」と、白状した。相談された私は、この白状を聞き、彼自身は気づいていないが、「あなたは既に、第一関門ともいうべき課題と対策の糸口を掴かんでいるよ」と答えた。それは、「聴くことができなければ(聴いていることが理解できなければ)、それを考えること、それをまとめて書いたり話したりはできない」ということ。友人Oは得心した。どうにか三日坊主にならないで頑張っているらしい。このように、聴くことは、聞き手である者の、耳を傾ける姿勢が問われことが多いが、もっと言えば、話してくれる(語ってくれる・知らせてくれる)人が居てこそ、英語でも情報でも自分のものになるのだ。「戦争を知らないこどもたち」の私たちでさえ、長崎や広島を忘れまじといえるのは、その事実を語り続けてくれる人々、国や地域、情報媒体があったればこそ、なのだ。一番大切なのは、日本人である家族、まず夫婦が、親子が、兄弟・姉妹が、この“時の事実”を語り合うことを続けて欲しいと切に望むことだ。どこからか聞こえるアブラゼミの鳴き声に乗って、あの悲しい歌♪こよなく晴れた青空を 悲しと思う 切なさよ・・♪(『長崎の鐘』)が聞こえてきそうな気がする。日本人なら誰だって、原爆の悲しみの語り部になれるのではないだろうか、世界の平和の鐘を響かせ続けるために・・・っと呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

離婚したとかお隣の青い芝

風説の波紋に雑魚が揺れている

手の内の勝ちを落とした凡フライ

ライバルも掴んだ同じ命綱

悲観論よしなと老猫がゴロリ
 

( ニュースやぶにらみ )

離婚したとかお隣の青い芝

風説の波紋に雑魚が揺れている

手の内の勝ちを落とした凡フライ

ライバルも掴んだ同じ命綱

悲観論よしなと老猫がゴロリ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載 ウィドウ(3 )
 森田のりえ
 工事がはじまった。
 木製窓を壊すと既製品の二重ガラス・サッシュ窓を取り付ける。台所や浴室は中の物を全部取り外してまず空っぽにしてから、床を貼る。キャビネットや器具を取り付けてタイル工事。一方ペンキ屋は家具などをビニールで覆い下準備をしている。見ていると、業者は自分たちのしやすいように事を進める。
「ああ、じゅうたんの上を土足で、ソファに汚れた物をじかに置いちゃって・・・」
 まったく目が離せない。
天井のアコースティクを剥がしはじめると家中が埃まみれになった。肺癌になっては元も子もない。私はマスクをしてスカーフをかぶり水中メガネをかけて完全防備した。
「内装ペンキなど金輪際ごめん。これが最後、これが最後」
 念仏のように唱えながら我慢の日々が過ぎた。予定より一週間遅れて工事が完了した。
 だが、家具を移動させたのでテレビの映りが悪くなった。カーテンの取り付けは元通りになっていない。フローリング床の隙間には天井を剥がしたときの白い粉が詰まっている。私は床に這いつくばって、歯ブラシで隙間の粉を取り、剃刀で飛び散ったペンキを剥がした。きれいに拭き取った床にグロスを塗ると、ピッカピカになった。ところが、普段使わない腰の筋肉を使ったせいか、片方の腰をやられてしまった。
「ぎっくり腰になった」
 日本の妹に訴えると、
「そりぁ大変。ぎっくり腰は最初が肝心だから絶対安静が一番。寝てなさい。運動で治そうなんて考えたらダメよ」
 念を押されてしまった。
これ幸いとばかり、工事中は忙しくて読めなかった本を寝転がって読むことにした。一日中分厚い本を片手に持ち替えながら二冊読んだ。ところが、二日経っても三日過ぎても一向に良くならない。おかしい。人の話によれば、なんでも癌は腰からはじまるらしいから、医者に行こうかと思った。その前に、腰痛持ちの友人に尋ねてみた。
「あなたの話を聴くかぎりではぎっくり腰じゃないと思う。普段使わない筋肉を引っ張ったのが原因じゃないかな。寝ていたら、まわりが固まってますます悪くなる。少し動いたほうがいいと思う」
「マッサージはどうでしょうか」
それはいい考えだというで早速、マッサージ師にかかると「身体全体が凝っています。首筋は棒のようです」と言われてしまった。
 腰痛も治り、ほっと一息ついて家の中を見渡すと、今度は家具の汚れが目についた。
 三十年余り使っている安物のダイニング・セットは熱い物を置いた個所が皮膚病のように傷んでいる。椅子も飲み物をこぼしたあとがある。キッチン・テーブルの椅子は破れた個所に夫が革をべたべた貼り付けただけなのでみっともない。テレビを見る居間の座椅子も夫が回転椅子の脚を切った物。くるりとまわるので便利はいいが、叩けば埃が出てくる。
 私はこれからの人生を考えた。
 生きているうちは居心地よく住みたい。残る人生、ひとりでは寂しすぎる。出会いを大切にし、みんなが集まれるような家にしたい。あれこれ考えていると、私の足は自然と家具屋へ向かっていた。
 食堂は楕円形の八人掛けのテーブル。詰めると十二人から十四人は座れる物。角に脚がないのがいい。何軒かまわった最後の店で気に入ったのがあった。ショールームにあった見本の商品だから大幅デスカウントになっている。どこも傷んではない。 
 よし、これに決めた。
 キッチンの椅子は肘付きが欲しい。が、探したが気にいる物がない。そこで、アメリカには家具の張替え専門店があるのを思いついた。一脚だけとりあえず持参し見積もってもらうと、買うよりも安い。色も選べる。さっそくキッチンの椅子四脚と座椅子二個を張り替えてもらうと、まっさらになって戻ってきた。これなら「もったいない」で一躍日本中に知れわたったノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんにも誉めてもらえそうだ。
上を見ればきりがない。自分の出来る範囲で満足しよう。
灯りを消し、私は新しいダイニング・テーブルの椅子に座ってワインを飲み物思いにふけることが多くなった。娘が中学生だったころ家族で訪日旅行をしたときに買った南部鉄の風鈴の涼やかなが音色が鳴っている。
ふと、こんな駄句が浮かんだ。

  灯り消し旅に求めし風鈴と
               つづく

 

編集後記

スパムメールが多く来て困っています。手口が巧妙になってきているようです。みなさんはどうされているのでしょうか?
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Zakkaya Weekly No.534

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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