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NO.533                Ryo Onishi              7/30/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

長い長い梅雨がようやく空けました。せみの声が朝からやかましく聞こえるきびしい真夏に突入しましたね。ニュースによれば世界的に異常な気象になっているようで、カリフォルニアも大変な暑さで、たくさんの犠牲者が出ているようで驚いています。ロスの皆さんは大丈夫ですか?世界的に異常な気象、これが通常にならないように祈ります。(R.O.)

長 野 県 歌 大 好 き

☆ 漫 述  佐久間 象山作

謗(そし)る者は汝の謗るに任す
嗤(わら)う者は汝の嗤うに任す
天公(てんこう)本(もと) 我を知る
他人の知るを覓(もと)めず

【注:漫述=そぞろに己の意を述べる。天公=天の神様。】
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 幕末の思想家・学者であり、開国論を唱えた佐久間 象山(1811−1864)は信州(今の長野県)松代に生まれました。その佐久間象山が読んだ五言古詩がこの『漫述』です。この詩の大意は次の通りです。

(私を非難したければ非難すればよい。また、あざけり笑いたければ笑うがよい。天はもとより私のことを知ってくれているから、他人から認められ理解してもらおうなどとは思っていない。)

 世人のそしりや嘲笑を一身に浴びながらも、自説を曲げなかったと伝えられる象山らしい詩であると感じ入ると同時に、私にはこの詩が信州人全般の気骨に相通ずる発想を感じる思いです。

 私自身は東京・下町の生まれ育ちであり、たまたま就職先が長野県(諏訪)であっただけで、長野県人からすれば完全な「よそ者」です。今から45年前、就職のため生まれてはじめて諏訪へ足を踏み入れた純真な青年(私のこと)は大きなカルチャーショックを受けました。

長野県といっても地域ごとに文化・思想は大きく異なり、全体をひとつに表現できるほど単一ではありませんが、東京・下町しか知らない私にとって諏訪は別世界でした。

今はどれほど変化しているかは定かではありませんが、少なくとも当時の諏訪の人々はみな個人としての自覚を持ち、論理的であり、自己主張の出来る人ばかりでした。

何につけても中途半端な私には脅威ですらありました。さすが“日本一の教育県”だというのが偽らざる第一印象だったことを今も鮮明に記憶しています。

「よそ者」の私でしたので、この素晴らしい諏訪人の特徴を逆手にとり、信州人は「自意識過剰の頑固者」「屁理屈こねる分からず屋」「自己中心の“井の中の蛙”」などと罵詈雑言で対抗を試みていましたが、都度相手にやり込められて引き下がるのがオチでした。
 
上述の詩(漫述、佐久間象山)などまさに信州人の面目躍如と言えるのではないでしょうか。

 佐久間象山先生と言えば今の長野県の県歌『信濃の国』にも県の生んだ偉人の一人として登場しています。

長野県人は総じてこの県歌が好きです。私の過去の経験からすると、長野県内・外を問わず県人が集まって宴会をすると、決まってこの『信濃の国』で宴会の締めをしていました。

自分たちの県の自慢を羅列しただけの『信濃の国』の歌詞に当初は違和感を感じた私でしたが、今では何のためらいもなく歌える、というよりカラオケテープまで入手し積極的に人前で歌うようになっています。我ながら不思議です。信州を第二の故郷と公言している私ですので遺伝子の中に信州人の心が刻み込まれたのかもしれません。

以下、長野県歌『信濃の国』の歌詞をご紹介いたします。

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☆長野県県歌 信濃の国
昭和43年5月制定
          作詞 浅井 洌
          作曲 北村 季晴
(1)信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳(ソビ)ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺 四つの平らは肥沃(ヒヨク)の地
海こそなけれ物さわに 万(ヨロ)ず足らわぬ事ぞなき
(2)四方(ヨモ)に聳(ソビ)ゆる山々は
御岳乗鞍駒ケ岳 浅間は殊(コト)に活火山
いずれも国の鎮(シズ)めなり
流れ淀(ヨド)まずゆく水は 北に犀(サイ)川千曲川
南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり
(3)木曽の谷には真木茂(マキシゲ)り
諏訪の湖(ウミ)には魚多し
民のかせぎも豊かにて 五穀(ゴコク)の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼(コガイ)の業(ワザ)の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ 国の命を繋(ツナ)ぐなり
(4)尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚(ネザメ)の床
木曽の桟(カケハシ)かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩(ツカマ)の湯 月の名にたつ姨捨山(オバステヤマ)
しるき名所と風雅士(ミヤビオ)が 詩歌(シイカ)に詠みてぞ伝えたる
(5)旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も 春台太宰(シュンダイダザイ)先生も
象山佐久間(ゾウザンサクマ)先生も 皆此(コノ)国の人にして
文武(ブンブ)の誉(ホマレ)たぐいなく 山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽きず 
(6)吾妻はやとし日本武(ヤマトタケ) 嘆き給いし碓氷山(ウスイヤマ)
穿(ウガ)つ随道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀(ヒイ)でたる 国は偉人のある習い      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 劇場パートU・・・寺町・湯の町・郷の家 」

先週の「うぐいす」に引き続き、叔母と訪ねた長野県木島平村、その出会いの回想から。叔母がうぐいすとさえずりあった林と宿は、2年前と同じ『パノラマランド木島平』。代表取締役のTさんご夫妻とは、すでに顔馴染み。今回も夫人がプロ顔負けの地元ガイド。寺の町・飯山を皮切りに、野沢温泉郷、そして馬曲温泉の郷の家、今回も自然と農民芸術の劇場を満喫、素朴だが本当に豊かな深い里だと感激。

最初に案内された飯山市は、信州の小京都、または、雪国の小京都とも呼ばれ、飯山城趾を中心に22ケ所の寺が点在し、伝統ある祭りや行事が今なお多く受け継がれている。雁木(がんき=道にひさしを張り出し積雪時の通路とする)の町並みは、“仏壇通り”の名にふさわしく右も左も仏壇屋さんが軒を並べている。見事な漆塗りと金蒔絵で作られる伝統工芸品・飯山仏壇が私の目を奪う。寺社の多さからも町そのものが、仏の慈悲を受け継いでいるよう。通りの中ほどにある飯山市伝統産業館に立ち寄る。長野県の伝統的工芸品・木曾漆器、南木曽ろくろ細工、松本家具、信州紬、信州打ち刃物のほか、飯山市独自の伝統産業である飯山仏壇と内山紙が、所狭しと展示されている。「金箔塗りのトイレがありますよ」とのT夫人の勧めで中を覗いてみると、“太閤秀吉の金の茶室”を思わせる眩いばかりのゴールド一色、用を足すにも気が引ける。バブル時代の仏壇分限者(仏壇で儲けた金持ち)の遊び心だったのだろうか・・・名古刹・正受庵に参詣する。境内で運よくご住職に出会った。お話によると、臨済宗の再興者・惠端禅師(正受老人)の庵で昭和35年県史跡となった。現在の本堂は弘化4年(1847)の善光寺大地震の後、再建されたもの。江戸の至道庵、犬山の輝東庵と共に天下の3庵として古来より知られてきた庵であり、全国古寺名刹百選に選ばれているとのこと。次に訪ねたお寺は、島崎藤村の『破戒』のモデルで知られる真宗寺(小説では蓮華寺)。境内の一角に建立されている『破戒』の原稿(の一部)を彫刻した石碑が参詣者の目を引く。本堂に展示されている(藤村がこの寺に逗留した当時の)写真集も一見の価値がある。寺の町を後にして次は湯の町・野沢温泉郷。狭い道幅に、ぎっしりと軒を並べる温泉宿。浴衣に下駄履きで歩きたくなる情緒豊かな町並みだ。町民やドライブ途中の観光客に喜ばれる“無料温泉風呂”が、町の中に13箇所、それも、ほぼ等間隔に置かれている。せちがらい世相にあって、町の鷹揚さが嬉しい。麻釜(おがま)で足湯につかる。少女のようにはしゃぐ叔母の喜びようが微笑ましい。2年前に足首を骨折した私にとっても有難いリハビリのひと時だ。麻釜は、野沢温泉にある30余りの源泉の一つで、100度に近い熱湯がこんこんと湧出している奇勝の一つだそうだ。麻釜はまた、この郷の台所とも言われている。日常から地元の人がここで野沢菜を洗ったり、山菜やタマゴを茹でたり、そして定期的に交代で掃除や管理をおこなっているそうだ。温泉がここまで地域生活と密着して利用されている様(さま)は、いかにも古き良き日本の習慣美と言えるのではあるまいか。


て、1昨年の今頃「さくらの独り言」(雑貨屋428・429号『自然劇場@・A』)で紹介した木島平村に、また一つ“芸術劇場”が(平成16年10月に)誕生した。『まんが日本昔話』で女優・市原悦子と二人、絶妙な語りで名を馳せた俳優・常田富士男(ときた ふじお)が代表をつとめる『農民芸術ふう太の杜の郷の家』。入り口の土間にかかげてあった挨拶文に心打たれたので、ここに紹介する。
「・・・あいさつ・・・
私たちの木島平村に、農民芸術ふう太の杜の郷の家が、村民の想いを織り成して誕生しました。馬曲温泉古民家を活かし農村生活の温もりと、大地の匂いをその儘に心優しく郷の家の活動は開始いたします。郷の家の家族は村民です。何でも語り合う家族会議の為の家です。郷の家は皆の元気について、思いを深め、語り合い、色んなことに気づき、実践体験を重ねていく自由な家です。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』をお手本にします。
・・・やさしさ、思いやり、謙虚、寛容・・・
村を訪ねておいでた方は大事なお客様です。
心尽くしてお迎え致します。
『労働の汗と安息』ゆったりと、深く静かに呼吸する
そんな豊かな気持ちを生み出すための郷の家です。
まずゆっくりお茶が飲めること
・ ・・思い巡らす・・・
尽きない話題に心動く喜びを感じ合う暮らし
それが『農民芸術ふう太の杜の表現』の元気の基であり
農民芸術ふう太の『夢』と『命』です。
農民芸術ふう太の杜の郷の家 代表 常田富士男」(原文のまま)

木島平村のあちこちを散歩すると、村の公園、温泉、ドライブインと村の施設や売店など各所で『赤鬼』の顔が目に入る。訊ねてみると、木島平村の敷地地図が鬼の顔に似ていることからシンボルの一つとして使われているとのこと、そしてその鬼のニックネームが“ふう太”なんだそうだ。ここに、村を愛し、育て、活きている人が、村が、自然があり、みんながドラマを繰り広げ、演出している、劇場そのもの。ふう太もそのひとつといえる。木島平の外観の美しさは、その地にビニルハウスがないからだともいう。人間が我侭に産物を作ったりして生きるのではなく、偉大な自然とその恵みに従う真の生活を営んでいる証だろう。木島平、またすぐに行きたい、そんな杜の郷、あなたも是非・・・っと、呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

暑中見舞 酒の誘いも添えて出し

ハワイ焼けですと水着の跡を見せ

今からじゃ無理とレオタードに言われ

はるばると土用鰻が成田着

土用丑鼻で我慢のダイエット
 

( ニュースやぶにらみ )

「国際的孤立深まる」
核という強い味方が… −北鮮の幻想

「イラク撤収完了、米産牛肉輸入再開」
さあ靖国だ −小泉首相

「愛唱歌」
♪ 森と〜泉に〜かこ〜まれて −安倍晋三

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載   ウィドウ(2)
            森田のりえ
「ほっときなさいよ。家を売るときに直せばいいのよ。不動産はどんどん値上がりしているから、いまが売りどきかもよ」
実はね、といってウィドウ仲間の幸子がこんな話をした。
近くに五五歳以上の人たちが入れる二千戸住宅団地が出来る計画がある。すでに近隣に住む人たちのミーティングも終わり近々工事が始まる。歳を取ると、鍵一つでどこにでも出かけられるタイプのコンドミニアムがいいと思う。だから、家を売ってそこを買おうかと思っている。
「あなたも考えてみない?」
悪い話ではないが、シニア団地に住むことにいまの私は少し抵抗がある。
我が家は築四五年だが私たちが住み始めて三十年になる。不動産税は安い。平屋で床は段差がないフローリング。小さい庭もあり女一人が住むには程よい広さだ。居間に西日が射し込むのが難点だが、それは我慢できる。マーケットは歩いて行ける。リモデルさえすれば心地よく住めるのではないか。
この家で充分。
これから先の命は分からないが、住むと決めた以上は自分の出来る範囲で好きなように変えようと思い立った。  
 英語が達者なら人種は問わないが、そうは行かない。自分の意見を伝えるには日本人に限る。業者は幸子が紹介してくれた。
 内外装ペンキを塗り、天井のアコースティクを剥がし二重窓にする。台所、風呂場などのリモデルリング。裏庭のデッキは除けて芝生にする。作業期間は一ヶ月。注文した窓がきて工事に取り掛かることになった。
工事に入るまでに片付けることがたくさんあることに気づいた。
車庫にはガラクタが詰まり、車も入らない。壊れた電気製品の分解が趣味だった夫は、部品をヤマのように遺した。処分するモノは他にもあった。二十五、六年間、何度いっても手放さなかったキャンピングカー。
「結婚をしたら、女房をつれて全米をまわるのがオレの独身時代の夢だった」
 ついに果たせなかった夫の夢の遺物が前庭に陣取っている。これを処分しなければ業者の車が入れない。タダで上げるといっても「ガソリンがこう値上がりしては」と、貰い手がない。幸い、敬老ホームに寄付したい旨を伝えると引き取りにきてくれた。コンピューターの普及で無用の長物となった百科事典。娘に処分すると電話すると、自分たちの家を買ったら飾りにするから捨てないでという。使わない画面の大きな古いテレビとお土産店をしていたときのガラス・ショウケースは友人がもらってくれた。小物は、いざ捨てるとなると、戦後の物資の不自由な時代に育ったせいか「もったいない」が先にきた。だが、思い切ることにした。
三年使わなかった物は処分する。
「ガレージ・セールをすれば」
 友人はいう。だが、売るほどの物はない。私には不要品であっても、ある人にとっては必要な物かもしれない。私は「フリー」と書いた紙を貼り、歩道に出した。これは見事に無くなった。捨てる手間が省けて、一石二鳥であった。
 問題は本である。マーケットでもらってきた空ダンボールに詰めたが、重くて持ち上げられず初日に腰を痛めてしまった。阿波踊りで知り合った青年に頼むと、
「いいですよ。ペンキ塗りのアルバイトをしたことがありますから要領が分かります」
 という。おお助かりである。
 だが、人任せにできないものがあった。
「食器ケースは自分でやってください。壊すと困るからボク、しません」
 私は背中にサロンパスを張りまくり頑張った。壁紙も剥がした。大切な書類はダンボールに「重要」と赤字で書きサンルームに出した。小物家具は部屋の中ほどに集めると、
「もう大丈夫。これだけやっておけば業者が後はしてくれます」
 青年は帰ってしまった。
 いつ工事が始まってもいいように準備は整ったが、業者の都合で工事開始が二週間遅れた。クロゼットの物はベッドの上に置いたから私の寝る場所がわずか五十センチの幅しかない。おかげで怖い夢をみてしまった。
 垂直な山道を車で登っている。ハンドルにしがみついてアクセルを踏もうとするが足が届かない。必死で踏もうとする。寝転がるようにして足を伸ばすが、届かない。前が見えない。進まなければと思うがどうにもならない。どうしょう、どうしょう。落ちる、ああ、ダメ!助けて!
ドスンとベッドから落ちて目が覚めた。               
               つづく

 

編集後記

先週日帰りで東京に行きました。新幹線ではなく神戸空港を利用しました。はじめての神戸空港でした。こじんまりした空港でしたが神戸−羽田間はほとんど空席がないので効率よく運用されているように見えました。
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Zakkaya Weekly No.533

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com