以前、私はこのコラムで『人類は進化・進歩したのだろうか』という文章を書きました。(Zakkaya Weekly
No.133(1998年11月29日号)この文章で私はおおよそ次のようなことを書きました。
人類はこの地球上に誕生して以来様々な変化を遂げてきた。この変化を私達は“進化”とか“進歩”と呼び、前向きに評価するのが普通だ。
でも一つ視点を変えてみると、本当に人類は 進化または進歩しているかと疑いたくなることがたくさんある。
身体に強力な武器も持たず逃げ足も遅い原始人が野生生活で生き残る為には、超能力の保持は必須であり、これらの超能力が備わっていたからこそ
無力な人類が
猛獣などの攻撃から身を守る事が出来たに違いない。今で言う超能力と称するものは昔の人は誰にでも備わっていたのだと私は信ずる。
私達は今の人類を「文明人」と「未開人」という分け方をする事があり、「文明人」の方が「未開人」に比べ進んでおり、優秀だと勝手に決めているが、狩猟や自然への順応能力に関しては今でも「未開人」のほうが優れている。大体「文明人」が「未開人」より上であると言う発想自体が
所謂「文明人」の奢りなのではないだろうか。
人類が 智恵と知識を授かっていろいろ出来るようになれば、それまで備わっていた本能としての能力が退化して行くのは
自然の摂理と言えよう。
地球上の科学や学問・技術が、これまでと同じ調子で進んで行くと、行き着く所は「地球・人類の破滅」だとよく言われる。もし終着駅が「地球・人類の破滅」だとすると、やはりこれは「進化」ではなく「退化」だ。 |
たまたま今日、自宅でテレビをみていたら自然界の生態を紹介する番組を放映していました。画面では弱肉強食の自然界で野生の動・植物が自然と共生しながら種の保存のため生存競争に明け暮れている姿を流していました。強いものが弱いものを襲い、また弱いものは強いものから身を守るための防御本能を働かせる。そしてわが身を守れたものだけが種の保存を許され、他の種は自然に亡びてゆくのです。
地球上ではこのような厳しい、ある意味では残酷な生存競争が日々繰り返されていますが、それが自然界の摂理であり、それで生態系が守られているのだとも言えるわけです。
ところが私たち人類は本当に自然の摂理にしたがって生きているのでしょうか?人類は他の生物と違い、“幸か不幸か”高度な智恵と知識を身に付けてしまったがゆえに自然界の生態系に逆らってもある程度生存が可能になっています。道具や武器を作り出し我々よりも強力な猛獣から身を守り、科学の進歩という術で万物の霊長としての地位を築いてしまいました。
私たち人類は地球が何億年、何十億年かけて造った石油や地下資源をわずか数百年でで使い果たそうとしています。森林を伐採しています。その結果として地球環境を壊し、地球の温暖化をも招いています。
創造主(という神様が存在するとしたら)は人類だけに智恵と知識を与えたことをきっと反省していると思います。創造主はこれ以上人類が増長しないように我ら人類を破滅させてしまおうとお考えではないかとさえ憂慮します。そんな心配など杞憂であれば良いのですが・・。
私はもう一度「私たち人類は進化・進歩したのだろうか」と自問せざるをえません。 河合 将介(skawai@earthlink.net)
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