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NO.529                Ryo Onishi              7/2/2006   

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雑貨屋のひとり言

いつの間にか夏至も過ぎて7月になりました。蒸し暑い日も多くなってきました。これから9月末くらいまで蒸し暑さと仲良くやっていきたいものです。
TSUTAYA通いもかなりなもので、どのアルバムを借りたのかリストがないと解らないくらいの数になりました。新しいジャズの出会いに感動させられています。1ギガバイトの携帯オーディオにジャズをいっぱいに入れて楽しんでいます。(R.O.)

人類は進化・進歩したのだろうか(その2)

 以前、私はこのコラムで『人類は進化・進歩したのだろうか』という文章を書きました。(Zakkaya Weekly No.133(1998年11月29日号)この文章で私はおおよそ次のようなことを書きました。

人類はこの地球上に誕生して以来様々な変化を遂げてきた。この変化を私達は“進化”とか“進歩”と呼び、前向きに評価するのが普通だ。
でも一つ視点を変えてみると、本当に人類は 進化または進歩しているかと疑いたくなることがたくさんある。
身体に強力な武器も持たず逃げ足も遅い原始人が野生生活で生き残る為には、超能力の保持は必須であり、これらの超能力が備わっていたからこそ 無力な人類が 猛獣などの攻撃から身を守る事が出来たに違いない。今で言う超能力と称するものは昔の人は誰にでも備わっていたのだと私は信ずる。
私達は今の人類を「文明人」と「未開人」という分け方をする事があり、「文明人」の方が「未開人」に比べ進んでおり、優秀だと勝手に決めているが、狩猟や自然への順応能力に関しては今でも「未開人」のほうが優れている。大体「文明人」が「未開人」より上であると言う発想自体が 所謂「文明人」の奢りなのではないだろうか。
人類が 智恵と知識を授かっていろいろ出来るようになれば、それまで備わっていた本能としての能力が退化して行くのは 自然の摂理と言えよう。
地球上の科学や学問・技術が、これまでと同じ調子で進んで行くと、行き着く所は「地球・人類の破滅」だとよく言われる。もし終着駅が「地球・人類の破滅」だとすると、やはりこれは「進化」ではなく「退化」だ。

たまたま今日、自宅でテレビをみていたら自然界の生態を紹介する番組を放映していました。画面では弱肉強食の自然界で野生の動・植物が自然と共生しながら種の保存のため生存競争に明け暮れている姿を流していました。強いものが弱いものを襲い、また弱いものは強いものから身を守るための防御本能を働かせる。そしてわが身を守れたものだけが種の保存を許され、他の種は自然に亡びてゆくのです。
地球上ではこのような厳しい、ある意味では残酷な生存競争が日々繰り返されていますが、それが自然界の摂理であり、それで生態系が守られているのだとも言えるわけです。
ところが私たち人類は本当に自然の摂理にしたがって生きているのでしょうか?人類は他の生物と違い、“幸か不幸か”高度な智恵と知識を身に付けてしまったがゆえに自然界の生態系に逆らってもある程度生存が可能になっています。道具や武器を作り出し我々よりも強力な猛獣から身を守り、科学の進歩という術で万物の霊長としての地位を築いてしまいました。
私たち人類は地球が何億年、何十億年かけて造った石油や地下資源をわずか数百年でで使い果たそうとしています。森林を伐採しています。その結果として地球環境を壊し、地球の温暖化をも招いています。
創造主(という神様が存在するとしたら)は人類だけに智恵と知識を与えたことをきっと反省していると思います。創造主はこれ以上人類が増長しないように我ら人類を破滅させてしまおうとお考えではないかとさえ憂慮します。そんな心配など杞憂であれば良いのですが・・。
私はもう一度「私たち人類は進化・進歩したのだろうか」と自問せざるをえません。           河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 ボール2 」

雑貨屋526号(6月12日発信)さくらの独り言「ボール」で紹介した3つのボールのひとつ、バランス・ボールが、数日前、我が家に届いた。“東洋の古(いにしえ)の芸術であるヨーガとタイ・チーから学び、西洋からはピラテスの要素を取り入れた”と説明書に書かれている。ピラテスというのは、全身をバランスよく動かすための筋肉や柔軟性が身につくエクササイズで、欧米のセレブたちの間で大人気とのこと。ゴルフ以外にこれという運動の機会をもてないさくら、筋肉バランスぐらいは維持したいものだと思い切って購入した。就寝前に約10分間、バランス・ボール相手に汗をかいている今日この頃である。

直径約70センチの風船型ボール、その上に腰をかけるだけでもちょっとしたバランスが必要だ。両足をふんばって腰でバランスをとりながら、腹筋・背筋のストレッチで背骨や骨盤の柔軟性向上のための“揺り椅子のポーズ”、“さざなみのポーズ”、“アヒルのポーズ”、肩、背中の柔軟性をはかるための“流れる雲のポーズ”、肩の筋肉をつける“アホウドリのポーズ”など14のメニューをこなす。けっこうな運動量を実感する。このエクササイズを始めて間もなく、ふと“これはゴルフ・スイングの基礎体力づくりに役立つのでは”、と考えた。腰を安定させ、背筋を伸ばし、両手を広げて(ゴルフはグリップを先端に両肩からの腕の三角形がくずれないようにするが)肩を水平に回転させるところは、ゴルフ・スイングの基本とそっくりである。そう思ったら、やたら応用したくなり、今日の日曜日、さっそく打ちっ放し(練習場)へ出かけた。

ところで、ゴルフに限らず、スポーツ全体、いや、仕事も人間関係も“バランス感覚”が重要であることはもちろんだが、とりわけゴルフ・スイングは、構えてからテークバック、ダウンスイング、ボール・ヒット、フィニッシュまでのわずか2〜3秒の間で幾つかの重要なバランス・ファクターが求められる。テークバックの始動の時、左手の甲(面)が動いていないか、三角形が保たれているか(クラブをすぐに持ち上げていないか)、トップの位置で、適切なコックが出来ているか、ダウンスイング時、“8の字”を描いていないか(右脇が開いてアウト・プッシュしていないか)、ボールから目が離れていないか(ヘッドアップしないか)、クラブヘッドが走っているか(フィニッシュがとれているか)など、一つひとつの要素を考え過ぎると、かえってバランスを崩してしまうのが、今のさくらのレベルだ。だから今日は、頭でいろいろ考えることは止めて、ただ一点、フィニッシュだけを心がけ、あとは、この3年間で覚えた“体感”を信じてクラブを振った。不思議なことに、(もちろん、ミス・ショットも多かったが)バランスのとれたスイングが出来、納得のいく練習成果が得られた。

練習から戻ってすぐに、一休みする間もなくバランス・ボールに腰掛けた。このエクササイズは間違いなくゴルフ・スイングの基礎体力づくりに役立つ、その感を深めた。そうなると、バランス・ボールの購入動機が腹筋・背筋・背骨・骨盤・肩の水平回転などのストレッチであったものが、結局は“ゴルフ・スイングのためのストレッチ”へと変わる。そう思うと、毎日10分間のエクササイズにも張り合いと継続が生まれ、ゴルフへの楽しみが増幅する。ボールが生んだボールの副産物とはこれいかに・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

片隅のコラムに記者の人間味

添え書きの三行にある温かみ

その先にドラマが続く一行詩

にっぽんに逢いたく路線バスの旅

裏道に明治見つけた万歩計

( ニュースやぶにらみ )

「財政再建団体申請へ」
昔・黒いダイヤ、今・シャッ金 −夕張市

「村上被告、出資者にお詫び行脚を」
ノー サンキュー −福井日銀総裁

「値上げ煙草を吸って」
ゼイゼイいっている −愛煙家

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

イスラエル紀行(10) カイザリヤ
              森田のりえ
 晴天つづきである。イスラエルのこの時期は雨期だと聞いていたが、運がいい。
 二月三日、イスラエル北西部のカルメル山を目指した。旧約聖書には、三年六ヶ月の間雨が降らず国家的危機に陥った。その時、砂漠の神ヤハウェの預言者エリヤと農耕の神バアルの預言者四五〇人が雨乞いの戦いをした場所だと記されている。山頂には、雨乞いに勝ったエリヤが剣を掲げている石像があり、教会があるだけであった。
 バスは地中海沿いに拡がる肥沃な土地シャロン平原を「カイザリヤ」に向かって南下している。整然とした耕作地が連なる。
カイザリヤは遺跡の村である。紀元前二十二年、ローマの傀儡王ヘロデは、この場所をローマ皇帝から譲りうけると、十二年かけて大規模な港町に造り変えた。それ以来、初代ローマ皇帝ユリウス・カエサル・アウグストゥスの名に因んでカイザリヤと呼ばれるようになった。ヘロデが死ぬとユダヤ地方はローマの直轄地となり、ローマから遣わされたユダヤ総督が代々この町に居を構え、州都にした。イエス・キリストが処刑されたのは第五代目総督ポンテオ・ピラドの時であった。
 遺跡の村へ入った。
「みなさん」
 ガイドの一言で、一行は一カ所に集まった。
「驚くことに歴史家たちは最近までピラドが実在した人物かどうか疑っていました。しかし、決定的な証拠が出てきました。これです」
 ガイドは石碑を指した。
「一九六〇年代にイタリヤの調査隊によって遺跡が発掘され『皇帝ティベリウスをたたえカイザリヤに神殿を献堂した』と書かれた石碑が出てきました。そこにポンテオ・ピラドの名前が刻まれていたのです」
 本物の石碑はイスラエル博物館に展示され、ここにあるのはレプリカだそうだ。私は歴史的事実とか検証の話が好きである。レプリカを写真に撮り、意味もなく石碑をさわった。
 半円形の古代ローマ劇場があった。修復され今でもコンサートなどに使用されているというから、驚く。階段状の椅子に座ると、舞台の向こうに蒼い海が拡がっていた。劇場の舞台で牧師がふたり賛美歌を熱唱。次は日本から聖地旅行に参加したプロのシャンソン歌手の出番だ。さっきまで私の傍にいたのに姿がない。どこに行ったのかと思ったら、舞台の袖から、上着をショールのように肩へかけ、唄いながらの登場だ。歌は「昴」。さすがだ。私はとても得をした気分になった。
 海からの風向きを計算にいれ舞台の方向が決められたそうで、自然の音響効果があり、すみずみまで声が届く。ガリラヤ湖畔の宿で一緒になった韓国人グループもプロ歌手の熱唱に拍手喝采。その後も写真のモデルにとプロ歌手はおおもてだった。
 浜辺に沿った遺跡のなかを歩く。石段で囲まれた細長い広場があった。
「あ、ここだ!」
 映画『ベン・ハー』を観たのは、私が日本にいた時だから四十年も前になる。主演のチャールトン・ヘストンが乗った白馬四頭立て馬車と仇役に扮したスティーヴン・ボイドの乗る黒馬四頭立て馬車が競技場のなかを全速力で駆け回るシーンは圧巻だった。その競技場に間違いないと思った。
 どこを舞台にして創られた映画だろう。ローマにある古代競技場チルコ・マッシモだろうか。その頃、歴史にも、ましてや聖書などに触れたこともない私は、あれこれと思いを巡らせたものだ。あの映画の舞台はカイザリヤだったのか。長いあいだ探し求めてきたものにやっとめぐり会えたようで、私は嬉しくてしかたがなかった。
 だが、実際に馬を走らせた競技場ヒッポドロームは発掘されていないと後で聞いた。
 ローマ、ビザンチン、十字軍と時代ごとに修復された跡が分かる石畳の道を歩く。
 海岸に、人が楽にくぐれる大きさのアーチが連なる壁がまっすぐ延びていた。古代の導水橋だ。木の階段を登り、水道橋の上に立った。幅二メートル、水が流れていた溝に雑草が生えていた。九キロ離れたカルメル山脈の泉から水が引かれていたという。山や谷、川もある複雑な地勢をどのようにして通したのだろう。急流にならず、水が滞らず、流れる勾配が計算されて造られたという。メインテナンスも必要であったろうに、古代人の智恵には感心するばかりだ。
 カイザリヤの復元図には、ローマ人の考えていたインフラストラクチャー、円形劇場、広場、競技場、神殿、港、導水橋がある。公共浴場や公会堂もあったに違いない。
 旅が終わったら、カイザリヤを舞台にした、『ベン・ハー』をもう一度観たいと思った。
映画を制作するまえから監督のウイリアム・マイラーはこう祈願していたという。
「ノン・クリスチャンにも受け入れられるイエス・キリストを証しする映画を創りたい。もしアカデミーにノミネートされるなら、興行で得たお金は一〇〇%孤児院、宣教団体、飢餓で苦しむ人々に送ります」
 映画は何部門かのアカデミーを受賞し、約束通り一〇〇%の献金をしたそうである。
                 つづく

 

編集後記

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Zakkaya Weekly No.529

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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