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NO.525                Ryo Onishi              6/5/2006   

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雑貨屋のひとり言

今日は訃報が入ってきました。私の上司である都甲さんが亡くなられました。病気のため2月からお会いしていなかったのですがまさか最期になってしまうとは思いませんでした。本当に惜しい方をなくし残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。(R.O.)

国 家 の 品 格 (1)

   日本の友人C氏から「今、日本では”国家の品格”という本が売れており、私も読みました。なかなか良く書けておりました」というコメントとともに一冊の本が郵送で送られてきました。

私はインターネット情報で、たまたまこの本の存在を知っており、ぜひ読んでみたいと思っていたところだったので、ありがたく早速一気に読ませてもらいました。

 この本の著者、藤原正彦氏は私の第二の故郷である長野県・諏訪市出身の著名な作家、新田次郎・藤原てい夫妻の子息とのことで、御茶ノ水女子大学・理学部教授であり数学者とのこと。―― 論理と理屈の世界で暮らす数学者が国家の品格についてどんなことを述べているのだろうとの興味もありました。

 ところがこの数学者(著者)は論理の欠陥と危険を指摘し、情緒と武士道をたたえ、日本の目指す道は「普通の国」ではなく他のどことも違う「異常な国」なのだ、と主張しているのです。

私は当初、著者の論旨に大いに戸惑いを感じた ―― というのが偽らざる感想でした。
しかしもう一度、読み返しつつ私は、著者の主張の多くに「目からうろこ」を実感していたのでした。

 「三十歳前後の頃、アメリカの大学で三年間ほど教えていました。以心伝心、あうんの呼吸、腹芸、長幼、義理、貸し借り、などがものを言う日本に比べ、論理の応酬だけで物事が決まっていくアメリカ社会が、とても爽快に思えました」と“まえがき”で述べている著者が次第に論理だけでは物事は片付かないことを知り、情緒(懐かしさとか、もののあわれといった、教育によって培われるもの)や形(武士道精神からくる行動基準)の大切さに気付きはじめるのです。

 さらに著者は「・・経済原理をはじめ、とどまるところを知らないアメリカ化は、経済を遥かに超えて、社会、文化、国民性にまで深い影響を与えてしまい、(中略)金銭至上主義に取り憑かれた日本人は、マネーゲームとしての、財力にまかせた法律違反すれすれのメディア買収を、卑怯とも下品とも思わなくなってしまったのです。」と、品格を失った日本に警告を発しています。

 最近の日本では「株式会社は誰のものか?」という議論が盛んのようです。経済理論としての市場原理からすれば「株式会社なのだからオーナーは株主であり、当然会社は株主のもの」なのでしょう。

しかし、会社は社会という基盤の上に存在し、社会秩序が保たれてはじめて会社が存在することを考えれば、決して株主だけのものではなく、家族を含む従業員、役員、顧客、関係会社、マーケット、債権・債務者、さらには社会全般にかかわる存在であるはずです。

この本の著者は、株主主権をやたら主張することは「武士道精神に反し、下品で卑怯」な行為であると断じます。――― 理論や法律を無視するわけにはゆきませんが、その前提として著者の主張するこの論旨に私も大いに賛意を表したく思います。
――― 次号へ続く ―――                          河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 命・・・いのち 」

最初に行った大学の親友Hから、初期胃がんの手術を済ませ、無事退院したとメールを貰った。5月半ばのことだった。そして先日、退院2週間後の検診も良好という嬉しいメールを貰った。さらに、その検診のよき知らせと時を同じくして、タマタマかけていた幾つかの保険金がおりて驚いたというメールも貰った。「病気と引き換えに貰ったプレゼントのようなもの、備えあれば憂いなしとはこのことかも」とメールに書いてきた。独り身の彼女に、私はこう返信した「ねぇH、保険金を貰ったということは、その分、生きろといわれたということよね、よかったね」と。“命”について考え、そして感謝した。

そういう私も、術後5年目の今年、再検査となった。人間とは不思議なもので、一度大病をしたり、大怪我をしたりして様々な検査や手術を体験すると、ちょっとしたこと(再検査通知ぐらい)では動じなくなる。そして何故か、結果の良し悪しが、医者から告げられる前に“勘”で判るようにさえなる。「悪い予感がしない」・・・・と、しっかりわかる。検査結果もまずまず。そうなると、医者からあれもこれも検査しろと言われても、最低限で済ませるようになり、検査疲れを避ける知恵さえでてくるから面白い。私の命はいつまでか、それは全く判らない。しかし、まだまだ先が長いことだけは、確かだ。感謝。

さて、訓読みで“いのち”という漢字の「命」は、音読みで“メイ”、たしか小学校3年生で学習する字だ。言葉を発する“口”(くち)と、人を集めて指図する“令”(れい)が組み合わさっており、神や王が人々を集めて考えを述べることを表す。『“命”は、神や王が言いつけたり、定めたりすることで、絶対逆らうことの出来ない厳しいものだった。また“命”や巡り合わせも、昔は天や神によって定められたもので、人の力で変えることのできないものと考えられていた』そうだ(光村漢字学習辞典より)。ちなみに“命”(いのち)を使った言葉を挙げてみると、「命あっての物種」、「命の恩人」、「命の洗濯」、「命の綱」、「命を落とす」、そして「命を賭ける」などがある。最近、家の中で、路上で、小さな村で、そして大都会で、家族が、他人が、こどもが、おとなが、そして老人が、小学校3年生の国語の教科書に登場するこの“命”について、問われるような出来事が多すぎる毎日だ。

自分の髪の本数さえも知らない人間が、ましてや自分の“命”の長さなどわかるはずはない。漢字の成り立ちが意味するように、“命”は神による定め、人の力で変えることのできないもの。ゆえに、医学の進歩により病が癒され寿命が延びたとしても、人は自分の“命”に託された“令”に、応え感謝するものでありたい。再検査の時に射された注射針が、細い私の血管に拒否されて、私の腕は青痣(あざ)だらけで痛々しくて恥ずかしい。でも、結果に“大丈夫印”を貰った私は、痣も勲章だと喜んでいる。そうそう、生きているから青いのだ。これこそ、命の勲章ではないか、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

関節はまだ錆びてないマイペース

奥の手はないが働く二本の手

断れぬ誘いに義理の靴を履く

しがらみが本音をまたも飲みこませ

真っ直ぐに斜めの道を歩いてた

( ニュースやぶにらみ )

「大阪社会保険局長6日で交代」
 いまさらキャンセルされても困る ―名刺屋

「出生率1.25」
10分の12.5とはすごい −社会保険庁


「東京地検村上フアンドに事情聴取」
 インチキダー取り引きの疑いだな  ―庶民感覚


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 イスラエル紀行( 6 )
   アラブとイスラエル 
                                                                  森田のりえ
 ヨルダン渓谷を北上している。心地よいバスの振動に体を揺られながら、イスラエルの歌を聴き、窓外の風景に見いる。
 左側の丘にはイスラエル国旗が翻り、軍事施設がある。軍用車がたまに行き交う。右は、道路に沿って人間の身長ほどの有刺鉄線が南北に張り巡らされている。言うまでもなく、ここは国境である。簡単に越境できそうに見えるがヨルダン人が容易にイスラエル領へ入ってこられそうだ。民家らしき建物は見あたらない。地雷が埋設? まさか、そんなことはあるまいと思うが。
 やがてバスは国境から離れ、田園地帯を走り、街に入った。
「これから、キブツの経営するレストランで昼食をとります。ここはイスラエルで唯一、豚肉がでるところです」
 ガイドは説明をはじめた。
「イスラエルでは、豚は地上を汚すことになるので飼いません。ですから、プラットホームで豚を飼ったそうです」
 私は吹き出した。糞は肥料にしないのだろうか。国外に運び出すわけでもあるまいに。 
 ユダヤ教徒やイスラム教徒が豚肉を食べない理由を私はこう考えていた。昔の人々が豚肉を食べて大量の死者がでたから禁止されたではないかと。しかし、神の僕としての掟を記した旧約聖書の『レビ記』を読むと、豚肉を食べてはならない、死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである、と書かれていた。掟を守ることが「神の選民」としての条件なら、彼らは喜んでそれを受け入れるだろう。そうなると私の理解の範疇を超えているから訳が分からなくなる。
 昼食の後、キブツを見学した。
 一九二〇年にスタートしたこのキブツは、当時の農機具や銃弾の痕が残る監視小屋、生活した小屋などが展示されていた。
 私は、ブランケット一枚持ってカリフォルニヤの農地を渡り歩いた季節労働者を思い出した。彼らが寝泊まりしたバラック小屋とキブツ小屋があまりにも似ているから。
 キブツとはヘブライ語で「集団、集合」を意味する言葉である。ひとりひとりの自由と平等を確立し、社会主義共同体を機能させていく。お互い助け合いながら働くが、賃金は支払われない。だが、生活はゆりかごから墓場まで無償で保証されている。
 キブツの農場生産物は、酪農、養鶏、柑橘類、バナナ、小麦、綿の栽培、養魚場など多岐にわたっている。これらに加え、最近では、
電子機器、家具、プラスチィク製品、農業機械、灌漑用設備など多様な製品をつくる工場や観光施設なども経営されるようになった。現在、イスラエル国内に約二七〇のキブツが存在するそうである。
 最初のキブツは、一九〇九年、帝政ロシヤの迫害を逃れパレスチナに帰った若いユダヤ人男女の一群からはじまった。彼らは自分たちの国家建設の夢を実現させるために、協力して住む必要があった。アラブ・ゲリラに悩まされながら、農地を買い、風土病マラリヤなどと戦いながら湿地帯を開墾したのである。
 最近の若者は、従来の「ゆりかごから墓場まで」式のキブツを敬遠する。そこで、業種や個人の能力によって報酬を払い、私有物を主張できるキブツが増えてきた。
 イスラエルの土地は国が所有し、人々は国から土地を五十年間リースで契約する。期間がくると契約をし直すという仕組みである。ただし、アラブ人所有の土地は彼らのもので、イスラエル人に土地を売ると命を奪われるというから、ややこしい国だ。
 
 バスは、ナザレを目指した。
 イエスが伝道を始めるまでの三十年間を両親と住んだナザレは、今では、イスラエルで最大のアラブ人街で、アラブ・クリスチャンが一番多い。ところがである。神殿の丘インティファーダ(イスラエルの占領に対する抵抗運動)が起こったとき、何十年もイスラエルと平和共存してきたナザレが暴動に呼応した。その途端、世界中のキリスト教徒を惹きつける巡礼の街ナザレには、観光客もユダヤ人もこなくなった。暴動は、三日で終止符をうたざるを得なかった。
 この国ではイスラエルと友好関係を保つかぎり経済的に恵まれると、ガイドはいった。

 バスから降りた。
 坂の上に、高くそびえる円錐形の黒い屋根が見えた。
「みなさん、あれが受胎告知教会です」
 ああ、ここがあの有名な、と思った。
 天使ガブリエルが、処女マリヤのもとにきて「あなたは神の子を宿しました」と、告げる。あれなら私も知っている。
「受胎告知教会の前を見て下さい」
 ガイドが指し示す方角をみた。
「中東最大の教会の前に、イスラム教徒がモスクを建てようとしています。政府は建築許可を取り消しましたが、基礎工事を進めています。キリスト教がイスラム教より優位に立つことを彼らは許さないのです。それはイスラムの精神がそうさせるのです。新しい紛争の火種にならなければいいのですが……」
 と、牧師ガイドは眉をひそめた。
               つづく

 

編集後記

TSUTAYAでレンタルしたCDアルバムは一週間で15枚になりました。私の携帯オーディオプレーヤーにはジャズがいっぱい詰まっています。
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Zakkaya Weekly No.525

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com