日本の友人C氏から「今、日本では”国家の品格”という本が売れており、私も読みました。なかなか良く書けておりました」というコメントとともに一冊の本が郵送で送られてきました。
私はインターネット情報で、たまたまこの本の存在を知っており、ぜひ読んでみたいと思っていたところだったので、ありがたく早速一気に読ませてもらいました。
この本の著者、藤原正彦氏は私の第二の故郷である長野県・諏訪市出身の著名な作家、新田次郎・藤原てい夫妻の子息とのことで、御茶ノ水女子大学・理学部教授であり数学者とのこと。―― 論理と理屈の世界で暮らす数学者が国家の品格についてどんなことを述べているのだろうとの興味もありました。
ところがこの数学者(著者)は論理の欠陥と危険を指摘し、情緒と武士道をたたえ、日本の目指す道は「普通の国」ではなく他のどことも違う「異常な国」なのだ、と主張しているのです。
私は当初、著者の論旨に大いに戸惑いを感じた ―― というのが偽らざる感想でした。
しかしもう一度、読み返しつつ私は、著者の主張の多くに「目からうろこ」を実感していたのでした。
「三十歳前後の頃、アメリカの大学で三年間ほど教えていました。以心伝心、あうんの呼吸、腹芸、長幼、義理、貸し借り、などがものを言う日本に比べ、論理の応酬だけで物事が決まっていくアメリカ社会が、とても爽快に思えました」と“まえがき”で述べている著者が次第に論理だけでは物事は片付かないことを知り、情緒(懐かしさとか、もののあわれといった、教育によって培われるもの)や形(武士道精神からくる行動基準)の大切さに気付きはじめるのです。
さらに著者は「・・経済原理をはじめ、とどまるところを知らないアメリカ化は、経済を遥かに超えて、社会、文化、国民性にまで深い影響を与えてしまい、(中略)金銭至上主義に取り憑かれた日本人は、マネーゲームとしての、財力にまかせた法律違反すれすれのメディア買収を、卑怯とも下品とも思わなくなってしまったのです。」と、品格を失った日本に警告を発しています。
最近の日本では「株式会社は誰のものか?」という議論が盛んのようです。経済理論としての市場原理からすれば「株式会社なのだからオーナーは株主であり、当然会社は株主のもの」なのでしょう。
しかし、会社は社会という基盤の上に存在し、社会秩序が保たれてはじめて会社が存在することを考えれば、決して株主だけのものではなく、家族を含む従業員、役員、顧客、関係会社、マーケット、債権・債務者、さらには社会全般にかかわる存在であるはずです。
この本の著者は、株主主権をやたら主張することは「武士道精神に反し、下品で卑怯」な行為であると断じます。――― 理論や法律を無視するわけにはゆきませんが、その前提として著者の主張するこの論旨に私も大いに賛意を表したく思います。
――― 次号へ続く ――― 河合 将介(skawai@earthlink.net)
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