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NO.522                Ryo Onishi              5/14/2006   

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雑貨屋のひとり言

蒸し暑い日があったり、肌寒い日があったりしますが、過ごしやすい気候ですよね。服装を見ていると季節の先取りをしているように思います。今年のクールビズはどうなるのでしょうか?
松井選手がプレー中に骨折したニュースが報道されています。ファインプレーにはリスクが伴うようですね。復帰までだいぶ時間がかかるのでヤンキース観戦ツアーのキャンセルが相次いでいるようです。いろんなところに影響するんですね。(R.O.)

 ☆  松 (宮崎 東明作)

   百尺亭々として 高く天に聳ゆ
   清風時に奏ず 玉簫の響き
   磐根は恰も 是れ龍の眠るに似たり
   千載蒼々として 節操堅し

日本人は松が好きです。桜や菊といった派手さはありませんが、根は大地を這ってまさに「龍の眠るに似たり」であり、幹は古木になればなるほどに大人(たいじん)の風格を帯び堂々としています。いつも緑で変わらず、ひび割れた表皮さえ荒々しく頼もしく感じます。竹、梅とともにめでたい取り合わせとされ、正月には門松が飾り付けられます。

松で有名な景勝地と言えば私は日本三景の一つである“松島”、天女伝説で有名な“三保の松原”、熱海海岸の“貫一・お宮の松”などを思い浮かべます。同時に子どもの頃よく通った銭湯の大湯船の上に描かれていた巨大な絵(富士山と松の海岸)は忘れられない記憶です。

 古来、松は“待つ”と掛けて使われることがあり(掛詞=かけことば)、和歌などで多用されます。例えば、

《来ぬ人を まつ帆のうらの夕なぎに 焼くや藻塩の身も焦がれつつ》(藤原定家)
《久しくもなりにけるかな住江のまつは苦しきものにぞありける》(古今和歌集)
 
 和歌ではありませんが、お座敷小唄のひとつ、「松ノ木小唄」も典型的な楽しい掛詞です。
  ♪ 松ノ木ばかりが マツじゃない
    時計を見ながらただ一人
    今か今かと気をもんで
    あなた待つのもマツのうち ♪

 実は私にとって“松”は楽しいイメージばかりではありません。あまり思い出したくない記憶も残っています。戦時中、松の油(松脂:まつやに)は松根油と言って重要な軍需品でした。航空機の燃料として使ったようです。この松脂採取に学校児童が動員されました。
松脂は松の木の幹に傷を付け、切り口から出てくる脂を受けて集めます。当時国民学校(今の小学校)2年生だった私も学校の勉強を削ってまで山の松林で作業をしました。昭和20年(1945年)のことでした。そして間もなく日本は敗戦の日を迎え、私たちの松脂採取作業も終わりました。                                河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 花より団子 」

朝から掃除洗濯にバタバタのいつもの日曜日、玄関のインターフォンが鳴った、宅急便のお兄さんだった。届けられたのは、なんとお花、カーネーションの鉢。24歳の甥からだった。母親になれなかった私にとって、実は生まれて初めて貰う「母の日」のカーネーション、なんとも複雑な思い。今日は日本全国、宅配便も電話線も一年で一番忙しい日となるだろうな、と、ふと思う一日の始まり。

田舎で私の姉と同居している母は、ここ数年、『母の日』が近づくと、自分が欲しいものを遠慮なくリクエストしてくる。まさに花より団子の世界。買い物が大嫌いなこの私が、デパートなるものに出かけ、婦人服売り場をブラブラさせられるのだから、たまったものではない。親子とはいえ、好みやサイズも違うのだから、選ぶのにもひと苦労、仕事の時よりタイヘンな思いをする。とはいえ、リクエスト物を手にしお気に召した母が、超ご機嫌でお礼の電話をくれたりすると、元気印の花丸をもらった小学生気分になり、幸せな気持ちでいっぱいになるから不思議。母の存在って、やはり凄いものだと改めて感じる。「母の日」の過ごし方を回想してみると、私が自分の母にこうして直接的に何かをするのは、ほんのこの数年のこと。それまでの私は、自分の母にではなく、夫の母に『母の日』を献げていた。これも、私の母の教えのひとつだったから。

ところで、『母の日』といえば、やはりカーネーション。『母の日』の起源や『カーネーション』の花については、雑貨屋366号と417号の独り言で既に書いたが。カーネーションの名は原種の花色であった肉色(ピンク)を意味するラテン語canatioに由来する説と、シェ−クスピア時代のイギリスでcarnation flower(冠飾りの花)からcarnationに変わったとする説があるそうだ。今朝の日経新聞の春秋欄によると、日本におけるカーネーションの年間需要は6億本といい、東京の大田花卉市場のセリで普段1本50円前後が、『母の日』時期は200円にまで跳ね上がるという。中国やコロンビア産の安い輸入カーネーションが増える中、良品質の日本産カーネーションをめでることができるのも、日本の農家の地道な努力のおかげである。春秋の筆者の言葉を借りれば、まさに「花を活け、愛で、心を託す伝統の文化と技」といえるだろう。

『母の日』の“お笑いのひとコマ”。母の友人がe-mailに『絶対に枯れないバラ』と題し、赤いバラの写真を添付して送ってくれ、それを姉がカラー印刷して母に渡した。母は、そのカラープリントを手にしながら「枯れないバラって、××さん、ドライフラワーでも送ってくれるのかしら?」と。それを聞いた姉「今、お母さん手に持っているカラープリントのバラの写真が“枯れないバラ”なのよ」、母は「ああ、そうか・・・」と。二人顔を見合わせて大爆笑。その話を電話で語ってくれた姉、思い出し笑いしながら「母は、花より団子を喜ぶ歳になったのよね」。花より団子でもいい、仕事以上にタイヘンな思いをしてもいい、これから先、いつまでも「母の日」の母のリクエスが続いてほしい、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

それなりの期待 苦笑の子育て記

賞罰はなしです僕の固い椅子

ギヤ一つ下げて老後のマイペース

まだ空きがあります幸せの鞄

天国行きの切符に金がまだ足りぬ

( ニュースやぶにらみ )

「ATMだめの千円札4万枚」
ニセ札の技術に負けた −日銀

「松井選手骨折」
次回作・ゴジラの復活 −東宝

「派手な動きの村上ファンド」
検察対策をぬかるなよ −ホリエモン

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 イスラエル紀行( 3 )
ベドウィンの少年
                                                                    森田のりえ
 聖地旅行の一行を乗せたバスは、エルサレム旧市街の城壁に沿って走っている。建物に生々しく残っている機関銃の弾の痕。軍服姿のイスラエル兵士が二人、銃を持って歩いていた。一瞬、身が引き締る。東エルサレムはイスラム教徒が多く住む区域であり、又、初めて女性による自爆テロがあった直後だけに、警戒を強めているのだろう。
「あれは……、一九六七年、六日戦争の時のものです」
 建物の外壁を指さして、ガイドがいった。
「ソ連共産主義が崩壊しユダヤ人の帰還が始まって人口が二十%増え、現在、イスラエルの人口は六五〇万人です。その影響がいろんな面に出はじめ、言語はヘブル語とロシア語を使い……」
 帰還とは、故国に帰ることだ。故国とは、自分の生まれた国。母国と辞書にある。ユダヤ民族の歴史を振り返ると、紀元前のアッシリヤ補囚、バビロン補囚、二千年前のローマによるエルサレム陥落でユダヤ人は世界に離散した。そうした人たちの子孫が『帰還民』に当たるのだろうか。
 誰が何のために定義するかによって異なるが、ユダヤ人の定義に三つある。
 一つはイスラエル国籍を持ったユダヤ人。二つは血族、例えば母親がユダヤ人の場合。三つ目はユダヤ教徒であること。とすれば、七四〇年、カザール帝国が王様をはじめ全国民がユダヤ教に改宗しユダヤ人になった。彼らも帰還民の対象になるのか、尋ねようとしたら、ガイドはすでに次の説明をしていた。
「その内イスラエル国籍を持ったアラブ人が百万人。彼らの多くはイスラエルと平和共存でいきたい願っていますが、過激派の人たちに対して言葉を失っています。それは、命を奪われることになるからです」
 バスはヨルダン側西岸に向かい、地球の最も低い所「死海」を目指して走っている。
 海抜五百メートル。石ころだらけの丘陵に緑が湧き上がるように出ている。ベドウィンの天幕が散在し、道端に黒服で身体をすっぽり包んだ女性が立っていた。
「なぜ女性が黒い服を着るかといえば、荒野で羊などを追っている時、男に犯されないためです。真っ黒い服は荒野では目立つから言い逃れができません。男に犯されると、イスラムの文化では娘の家族が男を殺します。命がけです。独自の文化を持つベドウィンは、ユダヤ人が行く法廷には行きません」
 最近のベドウゥンは遊牧をやめ定住するようになったが、国籍のない人が多いそうだ。
 ベドウィンの娘が結婚適齢期になると天幕の上に旗を立てる。男性は、娘の父親と交渉し結婚成立となる。恋愛結婚はない。 
 私の友人は、キブツに泊まっている時、ベドウィンの男に求婚された。
「ラクダ三頭と羊五頭でお嫁においでよ」
「やだ、それぽっちじゃ!」
 悠長な、いい感じの話ではないか。
 イエスの時代、ガリラヤから徒歩で歩いた道が見える丘に登った。薄ベージュ色の禿げ山が波のように起伏しながら目前に拡がっている。陽がつよく、静かだった。風化された小山の谷間に灌木の塊が点々と茂っていた。「昔、ユダの荒野は政治亡命者が逃げる場所でもあり、又、預言者たちが瞑想をし、神の声を聞く所でもあったのです」
 ガイドの説明は、私に聖書のある一説を思い起こさせた。
…ラクダの毛ごろもを着物にし、腰に皮帯をしめ、いなごと野蜜とを食物にしていた…
 イエスが荒野で師とえらんだ洗者ヨハネのことである。オペラ「サロメ」では、娘サロメをつれてヘロデ大王と再婚した王妃ヘロデヤは、不義の婚姻を洗者ヨハネに非難され、娘をそそのかし、祝宴での踊りの報酬として洗者ヨハネの首をはねさせたという。
「みなさん」
 突然、ガイドが叫んだ。
「スリに注意してください」
 見ると十歳そこそこの少年が縫いぐるみを両手に抱えて傍まできていた。
「お金をやらないで、何か買ってやって下さい。子供を乞食にしてはいけません」
 なるほど、と思った。
「セブン・ダラー」
 ラクダの縫いぐるみの値段である。五ドルに値切ると少年は流暢な英語でこういった。
「母が作った。材料費が五ドルかかり儲けが二ドルしかない。まけられない」
 少年と一緒に写真に収まろうとすると「チーズ!」といって、少年はVサインをした。
「ホート、ホート、ワン・ダラー」
 モデル代を請求された。生活力旺盛だ。
 教育制度をガイドに尋ねた。すると、宗教毎に学校が違うという。ちなみに、パレスチナ人はユダヤ人のいく大学の医学部には入れない。医者を目指すならアラブの国にいくしかないのだ。イスラエルは中東唯一の民主主義国家である。私は不可解だった。 
平地になった。左手の彼方に世界最古の街といわれているエリコが見える。はるか向こうに薄紫色にそまった蜃気楼のような山脈が望まれた。あれは、もうヨルダン領である。
               つづく

 

編集後記

先週久しぶりに心電図をとりました。異常は無いとのことでした。しかし、最近、肩が凝って困っています。今はこちらのほうが問題です。
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Zakkaya Weekly No.522

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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