日本では今、教育基本法改正の動きが現実のものとなっているようです。現行教育基本法は敗戦直後の昭和22年(1947年)に決定され、以後60年にわたり日本の教育の指針としての役割を担ってきました。
この法律は戦中戦後の天皇主権、軍国主義教育への反省から民主主義、平和主義の教育を念頭に、個人の尊厳ならびに真理と平和を希求する人間の育成を期する教育をめざすものでした。
この教育基本法はその目的とするところでは一定の成果をあげ評価されるところですが、他方、最近の日本人の倫理・道徳感の低下、家庭や社会による子どもたちへの躾(しつけ)欠如、また学校におけるいじめや学級崩壊問題など精神面での問題に対し有効でなかったとの批判、反省の声が聞かれます。私も同感です。
なぜ、このようなことになってしまったのでしょう。米国においても同様な問題が多くあるので簡単に原因を特定できるものではありませんが、日本だけに限っていえば、私は戦後の教育基本法にも一因その原因があると思っています。
明治憲法のもとで天皇の勅語として下された「教育勅語」は明らかに帝国主義、軍事国家を作り上げるための方針として利用され運用されました。この発想は絶対に再生させてはならないものです。
しかし改めてその内容を整理してみると、一般的な人間としての倫理について「教育勅語」には『父母を大切にし、兄弟に友人に夫婦共にむつまじくし、友人を信じあい、慎み深く自分を見つめ、全ての人々に対して優しい心を持ち、学問を修めて業(職業)を習い、以って智能を啓発し、自らの才能を発揮し、自ら進んで公益を広め、世の中の努めを
果たし・・』と人間としてあるべき最低限の道を諭しています。
私が調べた資料によると、現行の教育基本法が制定・施行された昭和22年当時はまだ国会の「教育勅語の排除・失効」決議前であり、教育基本法は教育勅語ありきを前提として、勅語に欠けていた民主主義、平和主義の教育を強調したのが教育基本法であったようです。
現行教育基本法は教育勅語が失効した時点で、人の道を示す項目も追加されるべきだったのです。
そうすれば今の日本も多少は変わっていたのではないでしょうか。ただし、私は今議論されている改定教育基本法で「愛国心の涵養」を強制する項目にはいささか危惧を感じます。愛国心の定義が難しいからです。
愛国心とは国民だれでも自然に持つものであり、法律で押し付けるべきものではありません。法的に強制すれば、いつの日か時の政権に悪用され「政府に逆らうものは非国民(愛国者ではない)」とのレッテルを貼られるおそれがありえます。
最近日本からのニュースには日本国憲法と教育基本法の改定論議関係が多くなっています。私はこの機会にもう一度、教育勅語、教育基本法について自分なりに調べてみようと思い立ちました。
以下は私の「教育勅語、教育基本法」に関して各種資料(インターネット)からまとめたメモです。――― 次号へ続く ―――
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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