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NO.514                Ryo Onishi              3/19/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

WBCワールドベースボールクラシック、韓国に負けて絶望的だった日本に、アメリカのまさかの敗退という奇跡が起こりました。驚きました。おまけにまた韓国との準決勝。お昼前から始まった韓国との因縁の試合をワクワク、ハラハラしながら観ました。韓国との3度目の試合は、手に汗握る見ごたえのある試合で日本が見事に勝って私たちを元気にしてくれましたね。世の中、何が起こるかわかりません。あきらめてはいけないんですね。この勢いでキューバに勝って世界一になってもらいましょう。(R.O.)

例年にくらべ気温の低い日が続いているためか、ロサンゼルス周辺の桜は昨年より開花が遅れているようです。

3月12日、私たちL.A.東京会など7グループは合同花見大会をLake Balboa湖畔で開催しましたが、まだ肌寒い感じで桜も咲き揃うまで到っていませんでした。各自が持ち寄った料理を堪能中に雨まで降りだし、若干こころ残りのお花見大会でしたが、それはそれで楽しいひとときでした。

数年前、私は祖国を離れて40年という日本人一世のご夫人たちをBalboa湖畔の桜見物に案内したことがありましたが、満開に咲き誇る桜を目にした時、皆さんが感涙のため目をおさえていたのを見、こちらが感激したことがありました。

日本人にとって桜の花はまさに心の花と言えるのかもしれません。日本人はなぜそんなに桜を好み、思い入れが深いのでしょう ――― 桜は先ず花だけが樹木を覆うようにパッと咲き、「三日見ぬ間の桜」となって一斉に散ってしまう。咲いている間は短くともその清らかで穢れない雰囲気が私たちを惹きつけるのかもしれません。

ところで最近の日本から伝わる社会面ニュースは暗澹とするものが多すぎます。些細なことで子供が親を殺し、親が自己の欲望のため子供を捨て、またビジネス界でもお金のためなら不正も辞さず・・。いつから桜の如き美しき日本人の心が消えてしまったのでしょうか。

数日前、仲間内の勉強会で私は「教育勅語」をテーマに話をさせてもらいました。「何を今さら時代錯誤もはなはだしい!」と一蹴されそうですが、内容を整理すれば今の時代にとって無視できない内容がここには含まれています。

たしかにこの勅語は明治憲法の天皇主義にもとづいたもので全体主義・軍国主義の推進のため悪用されましたが、他方、「父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み・・」と人としての最低限の倫理をも諭しています。

現在日本では戦後制定された教育基本法の改定が議論されていますが、資料によるとこの基本法が制定・施行された昭和22年当時はまだ国会の「教育勅語の排除・失効」決議(昭和23年6月)前であり、教育基本法は教育勅語ありきを前提にして、永遠に通用する徳目は教育勅語にまかせ、勅語に欠けていた民主主義、平和主義の教育を強調したのが教育基本法であったようです。

私は必ずしも教育勅語の復活論者ではありませんが、人間として最低の倫理は家庭の責任として若者たちに伝えるべきだと痛感します。そして桜の花が私たちの心の花であると自信を持って言える日本人でありたいものです。

  敷島の大和ごころを人問はば 朝日ににほふ山桜花 (本居宣長)
                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 おじゃまします!」

「よかったら、寄っていかない?」と、出張で愛知県に居る私の携帯電話に飛び込んだeメール。2月25日に結婚し、名古屋にお嫁入りした姪からだった。いかに可愛い姪の誘いとはいえ、結婚3週目の“新婚さん”をお邪魔するのはどうかと躊躇し、一旦断ったが、名古屋発最終新幹線で帰京予定だった私は、ちょっとだけ寄ることにした。ところが、ちょっと寄ってみると、「ねぇ、泊まっていけばぁ」と新郎新婦の甘い誘いにすぐ酔って、とうとう“おじゃま”してしまった。

姪夫婦の新居は、偶然にも私が毎週通うお客さんへ向かう途中の、しかも同じ名鉄本線上にある。姪夫婦の利用駅を通過する度、私は車内から姪へメールでご挨拶、ご機嫌伺いをしていた。住み慣れた九州から、独り嫁に来た姪がここに居るのだと思うだけで、車窓に流れる風景さえ違って見える。人間っておかしなものだと、一人ニンマリ。いよいよ新居のドアが開き、エプロン姿の姪に迎えられ、私はまたニンマリ。新妻の可愛らしさが若い頃の私にそっくり、血は争えないものだと、またまたニンマリ。早速、新妻の手料理で歓待され、その後は出来たばかりだという結婚式の写真やビデオをとくと拝見、感極まって、ニンマリどころか、感涙。母親にはとうとうなれなかった自分だが、母親のような幸せ感を味わせてもらった。翌朝、仕事にでかけるご主人を送り出す姪の声を私はまだ布団の中で聞きながら、新しい家庭の始まりを実感、「合格、合格」と姪に花丸をつけて大満足、そっと「おじゃましました!」と呟いた。

ところで、日本の“挨拶”では、よそ様のお宅を訪問する時「お邪魔します」といい、おいとまする時は「お邪魔しました」と言う。この挨拶を渡米した当初、使おうとする日本人の自分がたいそう苦労したことがある。こんな挨拶のない米国文化だとは頭ではわかっていても、失礼にならないようにと必死に表現したいともがいたが、最後は「ハ〜イ」で靴のままでお邪魔する生活に慣れてしまった。その度に、靴は履いていても、土足でその家庭に踏み入ることのない訪問を自分に言い聞かせたものだ。日本の挨拶言葉には、人々が大切にしていること、自然に存在する習慣や文化の価値を尊重するものがあるのだと、日本を離れた海外で、その日本の挨拶を使えない状況の中で知らされたことだ。嫁に行った姪の家に「おじゃやまします」、「おじゃましました」と挨拶する私は、今まで以上に尊重しているのだと気がついた。

「私は厳しい小姑さんになるからね」と、結婚式の挨拶で姪の旦那には誓言したが、案外、誰よりも甘〜いお姉さんになるかもしれないと我ながら思いはじめた。何をかくそう、東京に着くや否や、新妻の姪の要望に応え、デパートから食品などを送り出してしまい、ニンマリ。喜ぶ姪の顔を想像し、さらにニンマリ。次回のために練習をしておこう、「おじゃまします!」っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

戦死した父にこんなにある余白

余白にもまだまだ夢の透かし文字

詫び状の余白が何か言いたそう

行間に言えぬ思いを滲ませる

絶好の間合いジョークが座を沸かせ

( ニュースやぶにらみ )

「日米野球疑惑の判定」
名審判だ −米骨肉牛

「準決勝進出」
滑り込みセーフ −王ジャパン

「ソフトバンクが超大型買い物」
ボーダーフォンなんて選手いたっけ? ー野球馬鹿

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                                               
絶望だ! (24)

 夫は、これまで自分でしていた痰の吸引ができなくなった。
 右腕が丸太のようにむくみ、重くて痛くて、動かすにも左手を支えなければならない。尿も取れず、浣腸もできないのでダイパーを使うことにした。だが、夫は外してくれといわんばかりに、効く方の手で必死に外そうとする。理由を説明して納得してもらうが、そんな状態になった自分が情けないのか哀しそうな顔をした。
息が苦しいので痰を取ってくれというが、出てくるのは鮮血である。
「抗生物質を取っているのが原因だと思う。当分、止めてみる」
 むちゃなことをいう。私は、夫に気づかれないように抗生物質を目の届かない場所にかくし、腹につけたチューブに気取られないようすばやく薬をいれなければならなかった。
 痩せたといっても男の身体は重い。夜になると「悪寒」のあとは「発汗」だ。苦し紛れに床にへたり込む。重い体を支えてやっとベッドへ引き上げたと思ったら、また床へ。尿がもれる。
 私もへとへとになった。夫の傍近くに寄ると咳き込むようになった。
「オレの世話をするのが嫌になってきている証拠だ。しかしな、死にそうな人間をほったらかしたら殺人犯だぞ。一生に一度のことやから我慢してくれ。オレは明日の朝死ぬぞ。そしたら、いっぱい寝られるやないか」
 夫はメモ用紙に書いた。
「何か言い遺すことはないの?」
「あ・り・が・と・う」
 吐く息でいい、手を合わせた。
 友人のGさんが夕方や日中は介護の手助けをしてくれた。その合間に食料品の買い物などに行く。束の間の気晴らしになった。夫は「夜中に起きていなければならないから、寝ろ」というけれど、昼間から寝られるものではない。娘夫婦がサンフランシスコからやってきた。夫は娘と娘婿の手に自分の手を重ねて「サ・ン・キュー」と、苦しい息でいった。
 看護婦をしているGさんの娘さんまで時々顔を出して、様子をうかがってくれる。しかし、私は、介護に限界を感じた。
「ホスピスへ入ってもらえないかしら?・・・・・・」
「そんなところへは絶対に行かん」
「では、広島の姉を呼びたいけれど、いい?」
「オレは気兼ねするだろうな」
「それならホスピスへ入ってもらうしかないわ。私、倒れそうなの」
なかば脅かしのようなことをいって、やっと姉を呼ぶ許可をもらった。
 三日後に姉がきた。食事の支度や掃除など家のなかのことをしてくれるので大助かりだ。気分が楽になった。それから二日後の朝だった。心配していた血痰は止まった。だが、腹につけたチューブの付け根から血が出た。ガーゼで覆ったが、もはや使い物にならない。食べ物が身体にはいらないということは死を意味する。どうすればいいのだろう。絶望だ。                  
 
                                                                                   つづく

 

編集後記

先週は、発行したはずの雑貨屋ニュースやその他のファイルがサーバーから消え、同時に登録していた私のメールアドレスも消えてしまい焦りました。
いつものようにやっていたつもりが、サーバーへのファイルのアップロードの際に間違った操作をしたようです。ご迷惑をおかけしましたが復旧しましたのでご安心ください。

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Zakkaya Weekly No.514

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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