例年にくらべ気温の低い日が続いているためか、ロサンゼルス周辺の桜は昨年より開花が遅れているようです。
3月12日、私たちL.A.東京会など7グループは合同花見大会をLake
Balboa湖畔で開催しましたが、まだ肌寒い感じで桜も咲き揃うまで到っていませんでした。各自が持ち寄った料理を堪能中に雨まで降りだし、若干こころ残りのお花見大会でしたが、それはそれで楽しいひとときでした。
数年前、私は祖国を離れて40年という日本人一世のご夫人たちをBalboa湖畔の桜見物に案内したことがありましたが、満開に咲き誇る桜を目にした時、皆さんが感涙のため目をおさえていたのを見、こちらが感激したことがありました。
日本人にとって桜の花はまさに心の花と言えるのかもしれません。日本人はなぜそんなに桜を好み、思い入れが深いのでしょう ―――
桜は先ず花だけが樹木を覆うようにパッと咲き、「三日見ぬ間の桜」となって一斉に散ってしまう。咲いている間は短くともその清らかで穢れない雰囲気が私たちを惹きつけるのかもしれません。
ところで最近の日本から伝わる社会面ニュースは暗澹とするものが多すぎます。些細なことで子供が親を殺し、親が自己の欲望のため子供を捨て、またビジネス界でもお金のためなら不正も辞さず・・。いつから桜の如き美しき日本人の心が消えてしまったのでしょうか。
数日前、仲間内の勉強会で私は「教育勅語」をテーマに話をさせてもらいました。「何を今さら時代錯誤もはなはだしい!」と一蹴されそうですが、内容を整理すれば今の時代にとって無視できない内容がここには含まれています。
たしかにこの勅語は明治憲法の天皇主義にもとづいたもので全体主義・軍国主義の推進のため悪用されましたが、他方、「父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み・・」と人としての最低限の倫理をも諭しています。
現在日本では戦後制定された教育基本法の改定が議論されていますが、資料によるとこの基本法が制定・施行された昭和22年当時はまだ国会の「教育勅語の排除・失効」決議(昭和23年6月)前であり、教育基本法は教育勅語ありきを前提にして、永遠に通用する徳目は教育勅語にまかせ、勅語に欠けていた民主主義、平和主義の教育を強調したのが教育基本法であったようです。
私は必ずしも教育勅語の復活論者ではありませんが、人間として最低の倫理は家庭の責任として若者たちに伝えるべきだと痛感します。そして桜の花が私たちの心の花であると自信を持って言える日本人でありたいものです。
敷島の大和ごころを人問はば 朝日ににほふ山桜花 (本居宣長)
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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