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NO.513                Ryo Onishi              3/12/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

携帯電話の充電器から強い電磁波が出ていてそれがほかの電子機器に影響することをご存知でしたか?近くにFAX機やワイヤレスの子機があると電磁波の影響でうまく動作しないことがあるようです。わが家でもそんなことがありました。身の回りは電磁波だらけですが、体に影響はないのかちょっと心配になってきます。(R.O.)

老舗(しにせ)

最近の起業ブームはベンチャーをはじめとする新興企業を次々と誕生させているようです。既存の企業組織の中で安穏な人生に甘んじるのではなく、自分で会社を興して新たなビジネスに挑戦することは勇気のいることであり、その意気は大いに賞賛に値すべきことです。

私も自分の出来る範囲内でこのようなベンチャー精神溢れる若者を応援してきました。しかしビジネスとは当然ながら厳しいものであり、理論や理屈だけでは維持できるものではありません。
長年の経験と実績の積み重ね、さらにその経験と実績を新しい時代に適合させて初めて生き残ることができるわけです。理論経営学を専門とする学者が会社を始めてみたが数年で倒産した話は数多く聞きます。

報道発表による限り、ライブドア社の旧幹部によるずさんな経営感覚は「若気の至り」ではすまない問題です。

私は以前このZakkaya Weeklyのコラムに『老舗とは新しいという事だ』というコメントを書きました。(1998年12月27日、Zakkaya Weekly 137号、一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その2)老舗とは新しいという事だ」)その中で次のように書きました。

創業元禄XX 年(因みに、今年1998年は 元禄に換算すると 元禄310年に相当します) とか 天保XX 年(同、天保169年)などと古さと伝統を看板にしている老舗(しにせ)デパートや商店を街で見かけます。先祖代々店を維持してきた “古さ” がにじみ出ています。
でもよく考えてみると 今、私達が街で見かける老舗とは “古い伝統があるから貴い” のではなく、長い年月、何度も襲ってきたであろう 危機に対し、いつもその時代にふさわしい新しい内容の経営改革をし、生き残り、 今に至っているから貴いのではないでしょうか。
これに対し、伝統のみを重んじ、時代に即した改革が出来ず 消えていった店は無数にある筈です。今 生き延びている老舗は、花も嵐も踏み越えて、常に新しく 脱皮してきたからこそ、老舗と言われ残っているのです。
私は “老舗ほど新しい” と常々思っています。 いつも 時代に即して新しく脱皮しなければ 伝統もただの過去と同じになるのではないでしょうか。

 数日前、インターネットで日本のニュースを読んでいたら『「老舗学」研究会が発足、創業300年経営のツボ探る』という記事が目にとまりました。(2006年3月4日、読売新聞)

 この記事によると『ライブドア問題や耐震強度偽装などが、西欧流の個人主義・株主資本主義的な経営の信頼を失わせていることから、親代々の商いを受け継ぐ暖簾(のれ ん)の重みや家訓、和の精神といった理念的な面を始め、匠(たくみ)や職人との関係をどう築くかなどのマネジメントや地域社会への貢献まで、幅広く研究する』のが目的で高知工科大大学院教授(前川洋一郎氏)を中心に研究会を発足させるのだそうです。

さらにこの記事によると『すでに、全国の旅館や和菓子屋、建設業者など、300年以上続く約400社を対象にアンケート調査を始めており、将来は全国に研究ネットワークを 広め、〈老舗学〉の確立を目指す。前川代表は「老舗のDNAを探り、研究成果を若いベンチャー経営者へのガイドや、地域づくりに役立てたい」と話している』のだそうです。

古くて新しい『老舗(しにせ)』がそろそろ見直され始めているようです。
                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 姿勢」

昨日、某友人夫妻と一緒にゴルフをした。ティーグランドに立った時、ご主人が奥さんにジェスチャーを交えながら言った、「いつもはあれこれと沢山注意ごとを言うが、今日は二つだけ言う。顔を上げないことと背筋を伸ばすこと、それだけを守れ」と。横で聞いていた私は、そのご主人の格好、背筋の伸びきった様を見て“目から鱗”、これだと膝を叩いた。長い間、アイアンのスランプで苦悩していた自分が、スイングの初心・基礎に戻るきっかけとなりそう。姿勢は色々な意味で死活問題に繋がると思うのだ・・・

原因不明のアイアンのスランプは、不安が不安を雪だるまにして凍りついていた。スイング全体と基軸という根本よりも、一点一点の不確かさに注力するため、どこそこの小さな動作に力や考えが投入されてしまい、力まない自然な身体の動きができなくなり、頭と身体がだんだんばらばらになっていくみたいだった。あれでもないこれでもないと、小さな動作ひとつにも原因を追究していこうとすると、今までできていたこともグチャグチャになって、まるで霧中で刀を振り回している様なもの。結果的現象として起こる一つひとつの修正を試みることの愚かさとは、まさにこのことだ。背筋を伸ばすことで、スイングの基軸が固定される。そのことで結果的現象として出ていた問題の殆どは連携的に修正されると同時に、自然な呼吸とリズムが戻り、正しい軌道と調和ができた。ゴルフに限らず、「姿勢・背筋や背骨を正す」ことは、物事における失敗、混乱、崩壊や老化を防ぎ、成果・成功・成熟・そして健康の軸になるものかもしれないと、痛感した。小学校の頃から、「背筋を伸ばしましょう」とは言われたものだが・・・とうの昔に忘れてしまっていたなと、反省。

ところで、背筋といえば、宮本武蔵の『五輪書』の一節を思い出す。「体のかまえは、顔はうつむかず、あおむかず、曲げず、目をきょろきょろさせず、額にしわをよせず、眉の間にしわをよせ、目の玉を動かさぬよう、またたきをしない気持ちで、目をややすぼめるようにする。おだやかな顔つきで鼻筋はまっすぐに、やや、頤(おとがい)を出すつもり、首はうしろの筋をまっすぐに保ち、うなじに力をいれ、肩から全身には力の入れ方を同じようにする。双方の肩を下げ、背筋はまっすぐに、尻を出さず、ひざから足元までに力を入れ、腰がかがまぬよう腹をはる。戦闘の際の目くばりは、大きく広くくばるのである。観、すなわち物ごとの本質を深く見きわめることを第一として、見、すなわち表面のあれこれの動きを見ることは二の次とせよ。離れたところの様子を具体的につかみ、また身近な動きのなかから、その本質を知ることが兵法の上で最も大切である。敵の太刀の内容をよく知り、その表面の動きにまどわされぬことが何より肝腎である」(『五輪書』宮本武蔵・徳間書店)。「う〜ん」と、うなってしまうのは私だけだろうか。

さて、姿の勢いと書いて、姿勢と読ませる日本語もなかなかのものと感心する。情報技術(IT)の発展に伴い、仕事場でも家庭でも使い続けるパーソナル・コンピュータや携帯電話画面、それに見入っている自分の姿、ふと気づくと“猫背”ばあさんになっている。また、パーソナル・コンピュータや書類を持ち運びながら、考え事をして歩いていると、ついつい前かがみになって、まるで地面に落ちているお金を探しているみたい。そんな時、「あ〜ん」と声を上げながら背伸びをする。すると、首、肩、脊髄、腰、胸そして腹部までも、「あ〜苦しかった」といわんばかりに「ギシギシ」と音を出す。脊髄ストレッチとウォーキングの極意を述べた武蔵を思い出しながら、深くうなずく瞬間だ。さてさて、原因がわかったところで、一日に一回、背筋を伸ばすぞ。誰かが言っていた、背筋が伸びると呼吸が整い、呼吸が整うと心が整うと。姿勢、それは案外、死活問題なのかも・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

若い日の夢そのままで以下余白

まだやる気余白に絞る赤絵の具

余白いきいきアドリブが冴えている

自適とはいかず余白にまたト書き

捨て印にとどめ刺されているいる余白
 

( ニュースやぶにらみ )

「量的緩和終結」   
 あなたのお酒もよ ―やりくり女房

「上場廃止へ」
出入り口がなくなった −ライブドア

「フジテレビが賠償請求」
当社株を印刷して支払います −ライブドア

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                   救急車を呼ぶ( 23 )
 二月中旬、呼吸器専門医の検診があった。
「息をするのが重い。血痰が出る。右の胸が痛い」
 夫はメモに書いてD医師に訴えると、
「肺の癌は小さくなっているから問題はありません」
 手の打ちようがないという意味なのだろうか。解決策のないまま私と夫は押し黙ったまま家路にむかった。右胸上部の腫れがしだいに広がり、少しでも動くと脳天に響くという。私は、元耳鼻咽喉科の医者だった友人に夫の症状を尋ねてみた。
「右胸の痛みは、骨と皮膚の間が化膿しているからです。抗癌剤投与と放射線照射の癌治療をして抵抗力のなくなっている部分に、追い討ちをかけるように喉を広げる手術をし、おまけに気管切開をしたので修復しようとする力が働かないのです。悪条件が重なりすぎました。これから、ますます痛みは激しくなりますよ」
では、癌組織の有無をしらべるために喉を広げる手術をしたのは時期尚早だったということなのか。道理で癌の療法医G医師がすぐ手術をするようにといったとき、耳鼻咽喉のL医師は「来年にしたら」と渋っていたのだ。しかし、もう手遅れである。
「いま、あなたにできることは・・・・」
 友人の元医師はいった。「明るく振舞い、ご主人を介護してあげなさい」
 夫は日がな一日、上体を斜めにした状態でベッドに臥し、痛み、睡眠不足、食欲不振に悩まされている。お尻にドーナツ型の座布団を敷き、熱いタオルで身体をたびたび清拭したけれども床ずれができてしまった。痛そうだ。タオルを巻いて身体の下に差し込んでみたが、一向によくならない。排尿は夫自身がそばに置いた尿瓶へとる。だが、便が出ない。コロン・クリニックへ行く気力もない。私は薬局で浣腸用具を買ってきて家で浣腸をすることにした。洗面所にタオルを敷き夫を四つ這いにさせて温湯を入れるのだが、これが大変だ。管にたっぷりとワセリンを塗り肛門に差し込む。温湯が吹き出ないようにタオルを押し当てて十五分間じっとしていなければならない。一日二回の浣腸が日課になった。
 ある夜だった。
「寒い、寒い」といって、震えている。ホカロンを貼って毛布で身体を包みさすりつづけても震えが止まらない。しばらくすると、今度は「熱い、熱い」と裸になり玉のような汗を流しはじめるのである。痛み止め薬を腹につけたGチューブに入れると落ち着いてくる。そのころから、夜になると「寒い」「熱い」を繰り返すようになった。
 三月五日、早朝四時のことである。
 寒い、熱いのあと震えが止まらず夫の両目がひっくりかえり白目になった。
 私は911イマジンシーに電話をした。救急車がきた。近くの病院へ運ばれた。
「血液に含まれる酸素の率が低い。非常に危険な状態だから、報せる人がいたら連絡するように。この状態では家に帰すことはできない」
 救急医の話を聞いていた夫はメモに書いた。
「死んでもいいから、家に帰してくれ。検査は一切しないように」
 とはいっても、検査をせず患者を帰すわけにはいかないのだろう。いろんな検査をしたあと、医師は抗生物質の処方箋を書き酸素ボンベを手配して、やっと帰宅の許可がおりた。
                                                                                   つづく

 

編集後記

1999年までサウスベイに住んでおられた三島さんが現在、お仕事の都合で、インドにおられます。近況をブログ で報国されていますのでお立ち寄りください。
http://blog.livedoor.jp/kenny_m2006/

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雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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