最近の起業ブームはベンチャーをはじめとする新興企業を次々と誕生させているようです。既存の企業組織の中で安穏な人生に甘んじるのではなく、自分で会社を興して新たなビジネスに挑戦することは勇気のいることであり、その意気は大いに賞賛に値すべきことです。
私も自分の出来る範囲内でこのようなベンチャー精神溢れる若者を応援してきました。しかしビジネスとは当然ながら厳しいものであり、理論や理屈だけでは維持できるものではありません。
長年の経験と実績の積み重ね、さらにその経験と実績を新しい時代に適合させて初めて生き残ることができるわけです。理論経営学を専門とする学者が会社を始めてみたが数年で倒産した話は数多く聞きます。
報道発表による限り、ライブドア社の旧幹部によるずさんな経営感覚は「若気の至り」ではすまない問題です。
私は以前このZakkaya
Weeklyのコラムに『老舗とは新しいという事だ』というコメントを書きました。(1998年12月27日、Zakkaya Weekly
137号、一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その2)老舗とは新しいという事だ」)その中で次のように書きました。
創業元禄XX 年(因みに、今年1998年は
元禄に換算すると 元禄310年に相当します) とか 天保XX
年(同、天保169年)などと古さと伝統を看板にしている老舗(しにせ)デパートや商店を街で見かけます。先祖代々店を維持してきた
“古さ” がにじみ出ています。
でもよく考えてみると 今、私達が街で見かける老舗とは “古い伝統があるから貴い”
のではなく、長い年月、何度も襲ってきたであろう
危機に対し、いつもその時代にふさわしい新しい内容の経営改革をし、生き残り、 今に至っているから貴いのではないでしょうか。
これに対し、伝統のみを重んじ、時代に即した改革が出来ず 消えていった店は無数にある筈です。今
生き延びている老舗は、花も嵐も踏み越えて、常に新しく 脱皮してきたからこそ、老舗と言われ残っているのです。
私は “老舗ほど新しい” と常々思っています。 いつも 時代に即して新しく脱皮しなければ
伝統もただの過去と同じになるのではないでしょうか。 |
数日前、インターネットで日本のニュースを読んでいたら『「老舗学」研究会が発足、創業300年経営のツボ探る』という記事が目にとまりました。(2006年3月4日、読売新聞)
この記事によると『ライブドア問題や耐震強度偽装などが、西欧流の個人主義・株主資本主義的な経営の信頼を失わせていることから、親代々の商いを受け継ぐ暖簾(のれ
ん)の重みや家訓、和の精神といった理念的な面を始め、匠(たくみ)や職人との関係をどう築くかなどのマネジメントや地域社会への貢献まで、幅広く研究する』のが目的で高知工科大大学院教授(前川洋一郎氏)を中心に研究会を発足させるのだそうです。
さらにこの記事によると『すでに、全国の旅館や和菓子屋、建設業者など、300年以上続く約400社を対象にアンケート調査を始めており、将来は全国に研究ネットワークを
広め、〈老舗学〉の確立を目指す。前川代表は「老舗のDNAを探り、研究成果を若いベンチャー経営者へのガイドや、地域づくりに役立てたい」と話している』のだそうです。
古くて新しい『老舗(しにせ)』がそろそろ見直され始めているようです。
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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