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NO.508                Ryo Onishi              2/5/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

DVDレコーダーが安くなって、ずいぶん普及してきましたね。2年前に購入した我が家のDVDレコーダーが突然おかしくなりました。PCのハードディスクがこれまで何度もダウンしているのでそのうちDVDレコーダーのハードディスクも壊れるのではないかと思っていたら、ついにそういう事態になってしまいました。ハードディスクを使っている装置が増えているのである日突然壊れることを覚悟しないといけません。(R.O.)

想定外の年?

 昨年の新語・流行語から選ばれたユーキャン新語・流行語大賞(「現代用語基礎知識」選)のひとつは「想定内(外)」でした。

この言葉を流行らせた張本人のホリエモン(堀江貴文、ライブドア前社長)の逮捕で幕を開けた2006年でしたが、ホリエモン本人にとってこの事態は想定内だったのか想定外だったのか、どちらだったのでしょうか。――― 多くの一般日本人にとっては晴天の霹靂であり、やはり想定外だったほうが多かったのではないしょうか。

「時代の寵児」、「改革の旗手」ともてはやされたホリエモンも今や証券取引法違反容疑者へと身を落とし、ビジネスマンとして再起すら危ぶまれる状態です。「“ホリエモン”も間もなく“ムイチモン(無一文)」などと陰口をたたかれるありさまです。

 今春は年明け早々、日本国内では上記ライブドア事件をはじめ、再開された米国産輸入牛肉の危険部位混入事件、昨年から継続している耐震偽装建築、豪雪被害など、また、海外ではパレスチナ選挙でのイスラム原理主義ハマスの勝利とますます混迷する中東情勢など、大事件・大問題が矢継ぎ早に噴出しており、先行きの不透明感を増大させています。

まさに世界中が「一寸先は闇」の状態であり、どこで何が起きても不思議でない「何でもあり」の様相を呈しています。もっとも「一寸先は闇」は何も今にはじまったことではなく、何時の時代でも同じですが、それでも今年くらい世の中変動・新事態発生予測がむつかしい年も珍しいのではないでしょうか。

私は前々回のこの欄で「2006年大予測」というテーマで何項目か挙げてみましたが、今時点で予想出来る項目など些細なことでしかなく、本当の2006年は国内外ともに、体制、政治、経済、社会ほかあらゆる側面で、現時点で発想すらしなかった大変動が起こるような気がしてなりません。

まさに「想定外の年」が着々と進行しているのです。2006年末、私たちを取り巻く世の中がどうなっているか非常に興味を感じます。

「何でもあり」とは不安で恐ろしいことでもありますが、それ以上に興味津々、年末の総括が楽しみです。
                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言改札口

出張先の名古屋から、最終の新幹線に乗って東京駅へ到着、時計の針はもうすぐ明日を刻もうとしている。自動改札機に切符を差し入れ、八重洲中央口改札口を出る。その瞬間、安堵感を伴う開放感と夢を追う寂しさが交差して、私の心は複雑な色に染まる。我が家へあと一歩の距離に、疲れた身体には安らぎが、そして仕事で満杯の頭には解放がある。一方、改札口の外に立つ名も知らぬ出迎えの群れを通り抜けながら、「お帰り」と誰かが重たい私の鞄に手をかけてくれ・・・などど、まるで少女マンガのひとコマみたいな夢に期待して、独りニンマリと寂しく笑う。ふと思った。改札口には、こんな風に、あんなふうにと、色々な人の模様があるのだろうなと。

毎日通過する電車の“自動改札機”、私にも色々な想い出がある。多くは失敗談の笑い話。いずれも今からもう10年近く前、出張で来日し新幹線で移動した際、切符を失くして困惑していた高齢のアメリカ人男性に出くわした。話をよくよく聞いてみると、「自動改札口に入れた切符は、到着先に送られていると思った」という。「日本は凄い国だと思った」というアメリカ老紳士、車掌に自動改札機に残されたチケットの説明に苦労したことは言うまでもない。そういう私も、日本出張の度に、自動改札口は怖かった。自動改札機に何度もはじかれるパスカード、改札係員へ駆け寄り「すみません、これを機械が受け取ってくれないのですけど」と英語直訳風の日本語で言いながら、電車の絵がついたカードを差し出した。すぐに回答しない係員を眺めながら、「私の日本語がおかしかったから、意味を考えているのだろう」と自問するや否や、「お客さん、これっ、テレフォンカードですよ」と、爆笑。また、こんなことも・・・入れた切符が改札機の中で詰まって出てこない、蓋をあけて取り出してもらう。係員に「お客さん、駄目じゃないですかリバテープ入れたら・・・」と、切符と間違えて私が入れたバンドエイド(リバテープ)を返してもらう、赤面。

ところで、この自動改札機、1965年ごろ、当時国鉄(現JR)や近鉄、東急、そして阪急では、自動改札機の開発に力を注いでいた。しかし、本格的な運用を最初に開始したのは、1967年、阪急の北千里駅、自動改札機第一号の誕生とは今や有名な話。一瞬にして膨大な磁気で記録された膨大な情報を読み取る、裏面の磁性に記録されたサイバネコードとその変換の技術は、素人の私から見ても面白い。その技術開発と改良は、この自動改札機を実現させたばかりでなく、今やキャッシュカードやセキュリティカードのマシンにも活用され、私たちの生活を画期的なものへと導いた。また、最近の自動改札機は、裏向きに入れても、アッという間に表向きで取り出し口に運ぶ。肉眼では捉えなれない速さだ。高度な技術革命は、課題やトラブルを解消するごとに、やはりスピードの勝負をしていると気がつく。

改札口を問題なく通ることができるようになった今の私も、未だにカードを入れたりタッチしたりする瞬間、ピーンピーンと音と共に通り抜け止めクッションが飛び出すようで、毎回恐怖。自動改札機におなかを押されることなく通過できた時は、当たり前だが、ホッとする。さて、そんな思いで改札口を出ると、そこには、それぞれの駅の、それぞれの時間帯の、そして、それぞれの人々の風景がある。送る人送られる人、帰る人待つ人、そんなすれ違う人の波に、ひとつの旅からの出口と入り口、改札口の面白さを知る。改札口、ドラマの素材がいっぱい通過する場所だな、ゆっくりともしくは速く、楽しくもしくは悲しく、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

お手頃の値ですとカラットの不遜

節くれた指で折ってる千羽鶴

コシヒカリ昭和の飢えを知らぬ味

廃線の脳裏にD51の挽歌

老眼の眼鏡にばら色が褪せる

( ニュースやぶにらみ )

「薄型テレビに人気」
番組内容に合わせました −視聴者

「ホテルを不正改装」
東横インさん、あんたもやるねえ −強度偽装関連会社

「疑惑4っ」
骨太も揺れている―強度偽装ビル

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                 ロスト・ボイス( 18 )
  遺言書リビングトラストに書いた「延命措置はとらない」という本人のサイン入り文書をコピーして提出し、入院費用の一部を払い込み、呼吸困難におちいった夫を入院させるための手続きを終えた。病院は慈善事業ではなくビジネスであることを骨身に感じる。健康保険がないからしかたないのだ。夫が診察室に入っている間、私は家に戻って連絡がくるのを待っていると、夕方になって、やっと夫から電話がきた。
「息苦しいのは、声帯にできた腫瘍が気管を圧迫しているからで、それで痰がつまる。喉に穴を開ける気管切開しか他に方法がない。執刀担当医は耳鼻咽喉科のL医師。手術は明日の朝、九時半から」
一両日が危ないというのに、不安が募った。だが、病院の都合だから従うしかない。夫は淡々として話したが「「だがな・・・」といって「声を失うくらいなら、片方の足がないほうが、ましだよ」と、沈んだ声でいった。私はしたたり落ちる涙をぬぐいながら、思った。
――ああ、これで夫は生きられる。よかった !――
 
気管切開手術がおわったのは翌日の午後四時を過ぎていた。
 集中治療室の夫を見舞う。喉につけた器具に酸素マスクを当て、点滴の管や導尿の管、それに心電図の細かい管が胸や手に貼り付けられて、スパゲティ状態である。声がでないから筆談である。不思議だ。夫が話さないと私まで黙ってしまい、身振り手振りで用件を伝えようとし、メモに書こうとさえしていた。
「オマエは話せ。オレは聞こえる。何でもいいから話せ。何を考えとる。しっかりせんかい」夫はメモに書いた。
 夜八時、帰り支度をしていると「もう少しおってくれ、オレは淋しい。病人の立場になって考えてくれ、頼む」と、書く。
その時だ。夫が苦しそうに咳込みはじめた。止まらない。どうすればいいのか、息が止まったらどうしょう、気が気ではなかった。そうだ ! 看護婦を呼べばいいのだ。
気がつくと、私は、黒人の看護婦を相手に日本語でしゃべっていた。
「喉になにか詰まった」
夫がメモに英語で書いた。
看護婦はすばやく吸引機の管を喉の穴につっこみ、痰を吸い出した。
「こんなことが夜中に起きたらどうすりゃいいんだ。呼び鈴を押しても、看護婦はすぐきてくれん。もうおしまいだ。さよなら」
 夫のメモを読んで、私は一晩中付き添う覚悟をした。ところが、真夜中になって二人部屋に移動させられた。手術したばかりの重病人を、である。驚いた。私は帰宅せざるをえなかった。病院の玄関ロビーにクリスマス・ツリーが飾られ「聖夜」の曲が流れていた。駐車場には愛車のレキサスが一台ぽつんと私を待っていた。
 翌朝、夫を見舞うと元気そうだ。手術の担当医がきて、順調に回復しているという。
「喉の切り傷が治ったら話せるようになりますか」
「He can’t talk」といった。私は「not」が聞き取れず「can」と解釈し「Thank you」と弾んだ声をだしてしまった。後で間違いに気づき、蒼くなった。呼吸器セラピストから痰の取り方、患部の手入れ方法などを納得のいくまで教えてもらった。退院後は私がしなければならない仕事である。
 サンフランシスコの娘夫婦がクリスマスに帰ってくるといったが、風邪を引いたのでお正月に帰るという。私たちは、我が家でふたりだけの静かなクリスマスを迎えた。
「来年は娘夫婦と四人でクリスマスを迎えられるわね」
 私はきわめて明るくいった。
「ダメじゃないかな」
 夫が書いた
「大丈夫よ」というつもりが、夫は何か感づいていると思うと、その場しのぎのいいかげんなことがいえなくなってしまった。
                                            つづく

 

編集後記

また寒くなってきました。ながいこと使っていなかったホームコタツを出してきて使っています。
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Zakkaya Weekly No.508

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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