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Ryo Onishi               12/25/2005   

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雑貨屋のひとり言

寒い日が続きます。今年のクリスマスはいかがお過ごしでしょうか?今年もあと一週間で終わりとなってしました。一年365日はすべての人に平等に与えられていますが、毎日いろんなことがめまぐるしく起こるので早く感じてしまうのは私だけではないと思います。そんな中、すばらしい執筆者と読者のみなさんといっしょに雑貨屋500号の発行をお祝いでき、すばらしい記念の年になりました。来年も雑貨屋をよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。(R.O.)

ハッピー・ホリデーズ

ついこの間、2005年の新年を迎えたと思ったらもう街は年末セールで賑わう時を迎えています。今年も商店街やショッピング・モールにはサンタクロースやクリスマス・ツリーが私たち(の財布)の呼び込みで懸命です。

ところで、このクリスマス・ツリーですが、最近米国内テレビのニュースによると「ツリー」の呼び方が国家の政治問題として議論されているのだそうです。

毎年この時期になるとホワイトハウス(大統領官邸)や各州議事堂の敷地内など公の場所にクリスマス・ツリーが飾られますが、これは多民族・多宗教の存在するこの国がキリスト教だけを重視することになり公正を欠くというわけです。

アメリカには「ポリティカル・コレクトネス(political correctness、略してPC)という言葉があります。PC とは、性・民族・宗教などによる差別や偏見、またそれに基づく社会制度は是正すべきとする考え方のことです。

この考え方に基づいた運動の一つとして、偏見や差別的な用語を中立的な表現に置きかえようという動きがあります。

例えば、職業などの呼称である“policeman(警察官)”、“fireman(消防士)”、“chairman(議長)”などは女性に対する差別であるという理由からそれぞれ“police officer”、“fire fighter”、“chairperson”と言いかえるのがそれです。
 
さて、それではクリスマス・ツリーは何と呼び変えるのかというと「ホリデー・ツリー」なのだそうです。先日のテレビニュースで、連邦国会議員のリーダーの一人がインタービューを受け「私は公共の場所のツリーは“ホリデー・ツリー”、自宅に飾るツリーは“クリスマス・ツリー”と呼び方を区別しています」と答えていました。

 また、これに関連して「メリー・クリスマス」という表現も公人が公の場所で使うのは控えるべきということで、現にブッシュ大統領も2004年の年末の記者会見では「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデーズ」と述べたそうです。多分今年も同じではないでしょうか。

 ここ数日のテレビCMで気付いたのですが、ホンダ自動車のCM画面のバックには良く知られたクリスマス・ソングである“We wish you a Merry Christmas”の歌が流れるのですが、歌詞は“We wish you a Happy Holidays”とかえられていました。

尤も、この歌詞なら12月25日以降も使用できるからなのかもしれませんが、これもPC(ポリティカル・コレクトネス)が主な理由なのかもしれません。

日本でも“女中さん → お手伝いさん”、“百姓 → 農家”、“土方 → 建設作業員”、“つんぼ → 聴覚障害者、耳の不自由な人”、“気違い → 精神障害者”、“毛唐 → 白人、欧米人”、“ババア → 老女”、“裏日本 → 日本海側”などと呼びかえているのと似ています。

日本語の場合は主として身分、職業、心身障害、性などに関する差別用語が中心ですがアメリカはこれらに加えて宗教・民族などが加わり、問題を複雑にしているようです。

 差別用語の使用は、こちらに悪意がなくともその当事者である他人の心を傷つけることになり、気をつけなければなりません。

ただ、私のような宗教に疎いものから言わせてもらえば、はたして「メリー・クリスマス」を「ハッピー・ホリデー」に言いかえて、だからソレがなんなの?というのが率直な感想です。――― そんなことではアメリカに滞在する資格なし!とアメリカ人にいわれそうですね。

浅慮、浅学菲才の私は今年も不注意な発言・表現で無意識のうちに多くの方々に迷惑をおかけしたことと反省しているところです。(影の声:本当に反省しているの?)

とにかく皆さん良い年末年始をお過ごしください。“ハッピー・ホリデーズ!!”

                                             河合将介(
skawai@earthlink.net

さくらの独り言光の祭典・東京ミレナリオ

今日は2005年12月25日、クリスマス。米国から帰国した私が、東京で迎える独りのアドベント(待降節)も今年で2回目、静かなイブ、そしてクリスマスである。年末年始の挨拶を日本式の賀状に代えた今年は、クリスマスカード一枚すら書くことなく過ごしたためか、クリスマスの実感がない。今朝の新聞で東京・丸の内のオフィス街を彩る光の祭典「東京ミレナリオ」が、昨日の夕方5時半から始まったと知った。東京駅舎(重要文化財)の復元・保存工事開始に伴い、1999年から数えて7回目を迎えた今年のミレナリオは今年で一旦終了となるという。「よし、今夕はクリスマス探しの気ままな散歩でも」と、見初め見納めの“ミレナリオ”(祝祭のためのイルミネーション芸術の世界)へ、出かけた。

珍しく澄んだ東京の西に夕陽が沈む頃、家を出て東京駅丸の内へ。東京駅内側地下から、このミレナリオをくぐるための長蛇の列。アナウンスによるとなんと入り口まででも2時間待つという。群集は牛歩どころか、亀より遅い速度、歩くというより前後の揺れで何となく前に進む、まるで“これは大変な坩堝(るつぼ)”という感じである。連れがいないこともいいことに、ミレナリオ通りの列から離れ、裏道の街路を迷路のように歩く・・・っとその時、目の前に現れた、まぶしく輝く光の芸術作品“バラツゥーラ”に、身も心も奪われてしまった。あちこちから「うわー」とか「うおー」などの感嘆符が聞こえる。光の下で、多くの人がこの光景をデジカメや携帯電話に収めていた。若いカップルや家族連れに負けないくらい、沢山のシニア層グループも光輝いていた。時代とともにクリスマスの過ごし方が、年齢に関係なく変化しているのだと知った。

「東京ミレナリオ」は、「神戸ルミナリエ」の姉妹編とも言うべきだろうか。1昨年「神戸ルミナリエ」を見物、感動的な光の彫刻の芸術に酔いしれたという友人・N氏の話を思い出す。「神戸ルミナリエは阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂と街の復興・再生の願いを込めて1995年から始まった“イルミネーション・フェスティバル”、毎年12月中旬からクリスマスの期間にかけて催されるこの“光の祭典”に、現在では延べ500万人余りがやってくる。神戸・元町の旧外国人居留地から三宮の東遊園地をメイン会場とした約270メートルの“ガレリア”(光の回廊)には荘厳な教会音楽が響き渡り、ゆっくりと歩く(混雑のため、ゆっくりしか歩けない)人々の様(さま)は、まるで“にわか聖者の行進”のようだったよ。また、東遊園地内に設けられた周囲約135メートルの“スバッリエーラ“(広場を囲む光の壁掛け)は、これぞ極楽浄土ではあるまいか、と錯覚を起こすほどの美しい幻想の世界、心の安らぎがにじみ出る空間だった」と。このN氏から話に聞いた「神戸ルミナリエ」の幻想的光の彫刻芸術を、東京ミレナリオの下で独り実感した今夜だった。

さて、今年の「東京ミレナリオ」のテーマは“都市のファンタジー”だそうだが、2005年“日・EU市民交流年”にちなんで“日本から見たヨーロッパ”というコンセプトが含まれているそうだ。この“光の祭典”だけでヨーロッパを見ることはむずかしいが、イラクをはじめ世界各地で鳴り止まぬ銃砲・爆発の音が聖歌に変わり、砲火が平和への祭典の光に変わっていくのはいつのことだろうか、その日の近き訪れを祈らずにはいられない。“聖夜の行進”の終盤で、『サンタクロースって、いるんでしょうか』(1999年12月6日発行雑貨屋186号「待つがクリスマスA」)の一節を思い出している。「この世の中で一番たしかなものは幕に覆い隠されてなかなか見ることが出来ないが、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが幕を引き開け、たとえようもなく美しく輝かしい真実を見せてくれる」。クリスマス、それは真実の光の祭典なのかもしれない、っと呟くさくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

ジングルベル ダルマ片目のままで聞き

サンタの日だよねと孫のカレンダー

ITの玩具に戸惑いのサンタ

クリスマスケーキ 苺は今が旬

クリスマスイブも弾まぬ歳になり

( ニュースやぶにらみ )

「強度偽装マンション」
―強制捜査のダンボールが入った
―引越しのダンボールが出ていった

「交通スト」
サンタさんのソリが心配だ −ニューヨークの子供たち

「ホワイトクリスマス」
ホワイトクルシミマスになった −豪雪被害地

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
                 なんだ、こりゃ! (12)
 癌の主治医G医師は、水虫とGチューブの付根のただれや湿疹を訴えると薬を教えてくれた。水虫の薬は『Lotrimin』、肌のただれには『hydrocortisone 1%』がいいという。さすが医者である。それを患部に塗ると水虫もただれも湿疹もピタッと治った。だが、夫は、放射線療法だけはつらいといってきらった。金曜日の放射線はどうしても行きたくない。休むという。金曜日を休むと、土曜、日曜と体調がよかった。夫は庭木の剪定をし、以前から気になっていた洗面所の水漏れを修理し、台所の流しの下に取りつけてある浄水器をとりかえた。取り替えた浄水器を見ると、二年毎に取り替えることや取り付け方法まで夫の手で事細かく書いて貼り付けてある。私がひとりになっても困らないようにであろう。
「もし、オレが死んだら」
 そういいつつ、夫は金魚の水槽の手入れをはじめた。「よく見ておけよ」という。
「わたしが一人になったら、金魚は飼えないわ。こんな大きな水槽の掃除は女手にはムリだもの」
すると、夫は怒った。
「これは主人が遺してくれた物だと友達がきたときに自慢できるじゃないか。それをいうのがイヤなのか。イヤなら、いますぐみんな捨ててしまうぞ ! 」
 あまりの剣幕に、
「わかった、わかった。大事にするから」
 私は、その場しのぎの返答をせざるを得なかった。
 下水が詰まったときのスネンクをいれる場所、水道の元栓の位置、夫は思いつくまま何でも私に教えようとした。だが、家のまわりにある夫が集めたガラクタを片付けようものなら、待ってくれ、オレはまだ死にとうないから、というのである。
「オマエはオレの神様だ」
 ときには上手いことをいって、単純な私を快くさせた。が、少しでもヘマをすると、ボケだのアホだのとけなした。言いすぎると、
「わるかった、すまん」
 と謝る。
 八月三日、ついに放射線治療が完了した。わずらわしかった5−FU抗癌剤の入ったタンクを外した。右腕から心臓近くまで差し込まれていた極細のカ−テルを看護婦が一気に引き抜いたときは、ホッとした。これですべての癌療法が終わった。あとは結果を見るだけである。だが、手放しでは喜べない。まだ喉に栓をしたように、唾液さえ飲み込めず、吐き出し用の壷を片時も手放せない。何度か「おえっ」となりながら、吐気に堪えている。
「九月十九日、CTスキャンを撮ってから結果を診る」
G医師はそういうのだが、その一ヶ月の長いこと……。

 ある日、配達された郵便物をベッドで休みながら見ていた夫が、
「なんだ、こりゃ ! 」
 と、飛び起きた。
 Gチューブを付けたときの請求書だ。とっくに払ったのに腑に落ちない。問い合わせると「これはドクターの手術代です」という。
 医師の手術代三千ドル、病院使用代三千五百ドル、麻酔代がなんと千ドルである。
 ざるで水をすくうようにお金が出ていく。
「オマエ、心配じゃないのか」
 夫が訊く。
「心配したからって天からお金が降ってくるわけじゃなし、なんとかなるわ。お腹に穴を開けてGチューブをつけたから命があるのよ。安いものだわ」
 私は、そう答えるしかなかった。
                                            つづく

 

編集後記

今年最後の雑貨屋ニュースとなりました。毎週、日曜日の夕方、発行できるとほっとしています。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.502

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com