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No.497          Ryo Onishi               11/20/2005   

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雑貨屋のひとり言

キューちゃんこと高橋尚子選手が東京マラソンで見事、復活優勝を果たしました。
3箇所の肉離れがあると発表されていたので本当に大丈夫なのかなあと思っていましたが、余裕の走り、そして36キロ手前からのスパートは圧巻でワクワクしました。優勝インタビューのなかで、「目標を持ってそれに向かえば、一日一日が充実した日を過ごすことができるので、どんなことでもいいから目標を持ってやってほしい」という言葉には感動させられました。キューちゃんの復活優勝は私たちにまた夢を与えてくれましたね。(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(184)

エアフォース・ワン・パビリオン
ロサンゼルス郊外のSimi Valley に建つレーガン元大統領(アメリカ合衆国の第40代大統領)の記念館についてはこの「あまり知られていないL.A.観光スポット(38)」で既に紹介済みですが、このほど同じ敷地内に「エアフォース・ワン・パビリオン」が完成し、先日(2005年10月21日)ブッシュ現大統領や故レーガン氏のナンシー夫人らが出席し記念式典がありました。

一部ガラス張りの明るい3階建て建物(90,000平方フィート)のパビリオンには大統領時代のレーガン氏の専用機であったエアフォース・ワン(大統領専用機)、マリーン・ワン(大統領専用ヘリコプター)、専用自動車とこれらに関連する各種資料が展示されでいます。

中でも圧巻は当然、大統領専用機でしょう。3階までをぶち抜いたパビリオン内で数本の柱に支えられ、上昇角度2度に固定されたエアフォース・ワンは、まさにこれから離陸体勢といった感じで展示されています。

ボーイング707型機のこの機体はおなじみの空色と銀色に輝き、胴体に記された“UNITED STATES OF AMERICA”と星条旗、大統領紋章などが大統領専用機であることを示しています。

エアフォース・ワンは空中に浮んだ形で展示されているので、一階、二階部分からは機体を見上げ、三階では機体を横から見る位置になります。

この三階から赤絨毯を踏んで飛行機に搭乗することが出来ます。大統領の紋章のついた機体前部のドアから中へ入るとコックピット(操縦席)、通信機器室、大統領室があり、さらにファースト・レディ、補佐官、スタッフたちの部屋、会議室、などなど・・、当時のまま保存されており、ここが空飛ぶホワイトハウスであったことを実感できます。

パビリオン一階部分にはマリーン・ワン(大統領専用ヘリコプター)が置かれ、その横には前後をパトカー、白バイ、護衛車にはさまれた大統領専用車が展示されています。

パビリオンの一般公開は10月24日からスタートしました。またこのエアフォース・ワン紹介の短編映画もパビリオンへ続く一般展示館で上映されています。

【注】レーガン記念館については上記の通り「あまり知られていないL.A.観光スポット(38)」を参照ください。ただし、その後レーガン氏の死去(2004年6月5日)に伴い、敷地内に彼の墓が設けられ、そして今回のエアフォース・ワン・パビリオンが建設されました。
これに伴い、入場料金が下記のように変更になっていますのでご注意ください。

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*開館時間: 10:00am 〜 5:00pm
( Thanksgiving day、X'mas day、New Year's dayは休み)
入場料: $12(大人)、$9(シニア62才以上)、$3(17才まで)無料(10才以下)

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#405を北へ。
(2)FWY#10を横切り通過し、更に北へ行き、FWY#101を西(Ventura方面)へ入る。
(3)FWY#101(西)へ入って約24マイル走り、FWY#23を北(Fillmore方面)へ進む。
(直前に 一般道路≪23≫“Westlake Blvd.”という出口があるが、間違えないようにすること)
(4)FWY#23を北へ約5マイル進み、Olsen Roadで降りる。
(5)Olsen Road出口でFWYを降りたら Olsen Roadを右折。 約2マイル進み、Presidential Dr.を左折し、坂を1マイル登れば記念館の駐車場に着く。
(6)全行程 ;(Torrance方面からの場合)約60マイル、ドライブ約1時間30分。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言 隣のテーブル

先日、久しぶりに集まった旧友と居酒屋へ行った。女性3人集まれば“姦しい”の字の如く、おなかがよじれんばかりの話題が尽きない。愉快な宴もたけなわのその時、私たちの今まで忙しく動いていた口よりも、二つの耳がダンボになった。今まで気にしなかった「隣のテーブル」で起きている異変が無視できない。最近めっきり少なくなったと聞く酔っ払い口論だ。私たちと同年輩らしきサラリーマン風の男性が、もうひと回り年上と思しき先輩に、口角泡を飛ばして反論・抗議しているのだった。仕事以外では「隣のテーブル」に気を配ることのない自分が遭遇したこの場面に、ある人間の強さ弱さの縮図を見た思いになった。

居酒屋内に響き渡るその若者の声高な発言は、こういうものだった。「先輩は、いつも、誰かのことを『俺がこうしてやった、ああしてやった』とか『**界で有名な**と交流がある』などの自画自賛と自慢を繰り返し、時には誰かのことを『俺が世話してやったのに、それっきりだ』と人の不義理や疎遠をなじり、挙句には、一部分しか知らない誰かの人格・性格や環境に対して比較や評価をし、『あいつの性格は云々』とか『俺が思うに、あいつは絶対**だ』と、推測して決め付けた言い方で話しますよね。うんざりです。先輩は、人のことを言い過ぎます。決め付け過ぎます。自分の自慢話をし過ぎます。それに、自分が世話をしてやった人から感謝され続けることを求めたりするなら、世話しない方がよっぽど親切ではないでしょうか。先輩、こうして昔の先輩後輩が集まる時に、先輩は人の話をじっくり聴いてやったことがありますか。先輩はいつも、自分のことや意見を一方的に話していませんか。」と力説していた。「隣のテーブル」に無関係な私たちには、至極もっともな忠言のように思えたが、先輩なる人は「俺がいつそうだっ?、俺がいつ自慢した?」と、ドスの利いた声で後輩を睨み付けていた。後輩のこの勇気ある忠言に、先輩の耳は傾けられていない様子だった。その時、昔読んだ何かにあった「右手でよいことをしても、左手には知らせるな」を思い出し、作家、故吉川英治の名言、「人みな師なり」が私の頭をよぎった。

ところで、“隣”といえば、『隣の芝生は青い』の諺を思い出す。もともと日本では、『隣の花は赤い』という諺だったが、後に、西洋の諺”The grass always seems greener on the other side of the fence”の影響か、花が芝生に代わってしまったらしい。隣の家への妬みや憧れを意味するこの諺だが、庭付きでない高層マンションの生活ではピンとこない。また、素晴らしい歳のとり方をしたシニアの話を聴くと、他人の生活や生き方を妬んだり憧れたりするよりは、自分自身そのもの、つまり、人の評価や対応に振り回されない自分のあり方探しを楽しんでいる人が多い。その人たちは、他人との比較や知名度で価値設定することやされることがいかに空しいものかを熟知していると、私は思う。成熟した人はある意味で、「自分の芝生」を豊かに育成している人、と言えるだろう。

さて居酒屋の私たちは、「隣のテーブル」の口論から離れ、愉快な話題に戻って会を閉じたが、帰路についた私の耳には「隣のテーブル」の話が残っていた。そして地下鉄に揺られながら「情報セキュリティ」を思い出した。『ビルのエレベーター、移動中の交通機関、外での飲食時などの会話には注意』とは常識だが、壁に耳ありとはこんなものだなと、実感した。「隣のテーブル」に耳がダンボになった自分を恥じながらも、しかし、そこには、何か人間の強さ弱さの縮図があるように思えたのだった。「隣のテーブル」は寒かった・・・っと呟くさくらの独り言。

 

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

敵 味方分ける踏み絵という驕り

ラストチャンスに鈍刀の錆落とす

甘言にこんなにあった添加物

石一つ楽観論を躓かせ

絶妙の間合い瓢箪からの駒

( ニュースやぶにらみ )

「披露宴にて」 
日のもとい〜ちのお嫁さん  ―黒田節

「耐震強度偽装 21棟」
大揺れです −欠陥マンション

「紅白歌合戦の司会を受ける」
ファイナルアンサー −みのもんた

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
            温かさ( 7 )

 朝食用テーブルに、真っ赤なバラが一輪ガラスコップにさしてある。我が家から五、六軒向こうのミセス・アン・ゴートンがヘルパーに身体を支えられるようにして杖をつきながら、庭のバラを手折って持ってきてくれた花である。
「困ったことがあったら、いつでもいっておいで、お手伝いしますよ」
 そして、私の眼をじっとみて
「いつでも」
 と、念を押した。
 アンが夫を亡くしたのは、随分まえだった。言葉の問題もあり親しく行き来することはなかったが、散歩中に出会うと軽い挨拶程度の会話はしていた。そんなふうだから、アンのご主人が病気になったことも亡くなったこともずっと後になって近所の人から聞いて知ったほどである。それなのにアンは、たとえ口先にしろ私にやさしい言葉をかけてくれたその心根が嬉しかった。アメリカ人らしいお見舞いの仕方にも好感を抱いた。夫が食道癌だと知った近所の人たちは、付き合いのない人たちまでアンと同じことをいい、温かい心遣いを示してくれた。。
「症状は? どんな治療をしているの?」
 薬剤師をしている筋向いのピーターは、夫の姿を見ると、近寄ってきていろいろなことを尋ね「わたしにできることがあればしますよ」と付け加えることを忘れなかった。
 二十年も音信がなかった友人からお見舞いの電話がきた。夫の学生時代の友から励ましのEメールが届く。四ヶ月前に親しくなったロス在住の作家B氏などは、同じ食道癌で治療もせずに亡くなった友人がいるので、さっそく花束を抱えてやってきた。親しい友人は気晴らしになるからと夕食に度々招待し、帰りには手料理をもたされた。肺癌で夫を亡くしたK子は急に我が家を訪れるようになり細やかな心配りをしてくれた。入れかわり立ち代り誰かが声をかけてくれる。それとは逆に、いままで親しくしていた友だちのある者とは、夫が癌になったと知るや音信不通になった。そんなこともあるが、
「病気になって人の情を知る」
 というのはほんとうであった。声をかけてくれる火地たちはありがたいと思った。
 
 夫は二回目のキモセラピーを受けた。そのころから頭髪が七分方抜けた。床やベッドの抜け毛をセロテープで集めている夫の姿をみると、私は涙が溢れでそうになり居たたまれなかった。治療中は白血球の数が減り免疫力が低下するので風邪を引かないよう、人ごみはさけ、ケガをしないように気をつけた。手足のしびれ、倦怠感はあるものの、恐れていたほどのキモセラピーの副作用はない。食がすすみ煮魚など食べられるようになった。体重が二ポンド増えた。庭の芝刈をし、車の運転を再開した。夫は私に預けていた家計の財布まで取りかえした。三回目のキモセラピーを受けた四月末、レントゲン検査の結果を聞きに行く車中で、夫は、突然に唄いはじめた。

  ♪ ちょっと来てねぇと、泣いていた。
    かわいいあの娘がよ〜

 元気なころカラオケでならした十八番の『宗右衛門町ブルース』である。
「どうしたの、急に」
「高い声がでるかどうか、試したんだ」
 大丈夫だ、歌える。と、夫は嬉しそうだった。
 レントゲンの結果、右肺の五センチ大の癌は縮んでいた。しかし、喜んだのは束の間。ある日、喉に栓をしたように唾液さえ飲み込めない状態になったのである。
                               つづく

 

 

 

編集後記

タイガーウッズはすごい人気です。男子ゴルフ、ダンロップフェニックスは最終日、ウッズと横尾のプレーオフで結局、ウッズの3連覇になってしまいました。横尾選手、惜しかったですね。女子ゴルフは、賞金王の話題の中、優勝した宮里藍はすごいですね。
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Zakkaya Weekly No.497

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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