今からもう30年ほど前になるだろうか、『夢の中へ』というフォークソングが流行した。井上揚水というフォークソングシンガーの作詞作曲した歌だった。かぐやひめ、吉田拓郎、さだまさし、そして井上揚水などがちょうど一世を風靡し始めた頃だ。当時中学生だった私は、ギター片手にこの唄をよく歌った、青い春の入り口だった。今でもこの時代の歌詞は、不思議と覚えていて、自然と口をついて出てくるもの。例えばこの『夢の中へ』
♪ 探し物は何ですか、見つけにくいものですか、
鞄の中も机の中も探したけれど見つからないのに、
まだまだ探す気ですか、それより僕と踊りませんか、
夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか、
うふふぅ、うふふぅ、あぁ〜 ♪
25年ぶりに上京した母と過ごすこの数週間、私はこの唄を母に、そして私自身に向かって口ずさんでいる、さくらの初秋。先週に引き続き、母との生活を呟いてみたい・・・
高校進学と同時に家を出る我が家の習慣にのっとり親元を離れた私が、こうして母親と2〜3週間を共に過ごすのは、まさに30年ぶり。母と過ごしているこの数週間の東京の生活には、驚きや喜びが充満している。その中には、俗に言う「同居」の貴重な影響と刺激の賜物がある。私の生まれる以前の母しかしらない時代の母や亡き父の世界のこと、さらに母も知らない時代の、先祖の世界を知っている母は、まさに生き字引、我が家の語り部でもある。逆にまた、通常、母が九州で同居している孫(姉の子どもたち)は、今や青春の真っ只中。そんな彼らは、シニアの母や壮年の私たちとは違う嗜好や趣味の世界、つまり“現代のこどもや若者”の情報や動きを持っている。日ごろそんな孫に触れ、また彼らの世界を見聞きしている母にとっては、若者の世界は“夢の国”の事象のごとくであり、しかしまたシニアでありながら、若者の世界に対する“耳年より”、母と娘(私の姉)と孫(姉の子どもたち)の3世代の情報を共有する生活、私より何でも知っている。そんな母が75歳にして先日私に言った、「ディズニーランドって、ここからどれぐらい(の時間)で行けるの?」と。あっけにとられ絶句のさくら、孫の影響はいうまでもない。しかし、隅田川遊覧と浜離宮散歩を密かに計画していた私は、急遽全てを変更、半日の休みをとってディズニーランド・ツアーへと、しぶしぶ出かけた。こんな行楽地が大嫌いな私がフロリダのディズニーへ行ったのは1990年のみ。まさか日本で、しかも母のリクエストで行くことになろうとは、夢は夢でも私にとってはまるで悪夢に思えた。またまた先週に引き続き今週も、日ごろムクチ(六口)な私が無口になってしまった。
嫌々ながら出かけたディズニーランドではあったが、友人の手を借りて半日を満喫した。駐車場から正面入り口をくぐり、花模様のミッキーマウス、正面に見えるシンデレラ城を前に「ああ、ここがあのディズニーランドね」と、驚くほど足も軽く歩く母。アメリカ南部を連想する水蒸気船“マークツエイン号”、愉快な船長と一緒に野生動物やインディアンに出会う“ジャングルクルーズ”、海の海賊生活を覗く“カリブの海賊”、世界中のこどもたちが国の衣装をまとい幸せな心地、ディズニーワールドのテーマソングでもある“イッツア・スモールワールド”の旅など、75歳の母でも十分に楽しめる世界がそこにはあった。そして、クライマックスは、なんといっても、“東京ディズニーランド、エレクトリカルパレード・ドリームライツ”。『いつまでも、心に生き続ける感動を』のキャッチフレーズで次々と登場するディズニーの仲間たちに、母が必死に手を振り、「すごい、すごい」を連発。そんな母を見て、私も大喜び。スタート1時間前から路上に座って待った疲れのかけらも感じさせない。日ごろ自分は病持ちを苦にして行動力をなくし、感動や感激もなくなったと嘆いていた母が、まるでマジックにかかったみたい。ディズニーランドという母の人生や生活とは全く違う世界を体験し感激して大喜びの母は、ディズニーランドの門を出る時に言った、「夢の国に居るみたい、私は一生忘れない。ありがとう、ありがとう。感激でした」と。母は、嬉し涙でいっぱい。お世話をしてくれた友人の手をしっかりと握り締めていた。そういえば、シンデレラ城の上空には、きらきらと星を降らせる天使がいたなと、思い出しながら、ディズニーランドを後にした。
若かりし頃、政治家で実業家だった父を支え、色々なしがらみの中で苦労し続けた母の半生、だからこそ老いていくという不安と戦う今。気丈でりっぱですごい母だったからこそ、子どもたちである私たちは“母の老い方”へも理想が高く、遠い過去の母の姿を再現しようと試み、ついつい母の言動に厳しくなってしまう。そんな時母が言う、「私の年になったら、今の私の気持ちが分かってもらえる」と。シニアの鬱や不安定が話題になる昨今、母を見て学ぶことが多い。そして、そんな母が孫の影響でディズニーへ自らが行き、「夢のよう」と感激してくれた、私にとっても「夢のよう」。私の大嫌いだった東京ディズニーランドで75歳の母と一緒に過ごした半日、私にとってそれはまるで「夢の中へ」の歌のごとく、何かを必死に探したり求めたりすることをやめて、母と踊ったような、そんな時だった。きっと母は本当に一生、「夢のよう」なこの感激を忘れないと私は思う。♪夢の中へ、うふふぅ、うふふぅ〜♪ っと呟く、さくらの独り言。 |