逆を順にかえた人
ボブ・ウィーランドの場合
もう二十センチ背が高ければ「あの人」とダンスをしてもバランスが取れるのに……。私の背丈では大木に蝉が止まっているようなものだ。あと二十センチと思った時、ボブのことが頭に浮かんできた。
身長八十八センチになった身体で、両手に黒板消しのような物を握り、てこのよう
にして胴体を前へ放り出して進む。二年前、東京荒川河川敷で行われた「バリアフ
リー・タートルマラソン全国大会」に参加したボブの伴走をしたことを、私は思い出
したのである。
ボブ・ウィーランド。大学在学中ピッチャーとしてメジャーリーグ入りが決まり契約寸前で徴兵令状が届き、ベトナム戦争の衛生兵として前線に配属された。友人を助けようと飛び出した時に地雷を踏み、両脚を吹き飛ばされてしまった。ボブは「僕は
身体障害者なんかじゃない。なんでも出来る普通の人間さ。ただ脚がなくなっただけ
なんだ」という。
ボブの言葉が、単なる強がりでいっているのではないことが傍にいるとよく分かる。明るくて、ユーモア溢れる魅力的な男性だ。
あの日、二年前の九月十五日。まだ薄暗い早朝四時、新宿京王プラザ・ホテルのロビーで荒川河川敷へ行くため迎えの車を待っていた。ボブとボブをタートルマラソンへ参加出来るように交渉した友人の真美子と私。
五キロ種目に出場するボブは、一般の走行者より六時間も早くスタートした。通訳、カメラマン、水係、マッサージ係などと各々の役割を担った人たちが十人ばかり、ボブの歩調に合わせて歩きはじめた。敬虔なクリスチャンのボブは、十メートルあまり進むと「シュオホメヨ」と力強くいって、休む。心拍数を計る。時たまトランポリンに乗って筋肉の凝りをほぐす。着ていたシャツが瞬く間に汗びっしょりになった。予測しない出来事だ。完走するまでに何枚必要か不安になり、慌てて汗まみれのシャツを広げて自然乾燥させながら歩く。夜が明けた。河川敷で野球をする少年が自転車でやってくる。
「ノモ! スズキ!」
アメリカで活躍している野茂選手やいちろう選手のことだが、英語の発音では何を
言っているのか分からず、少年たちは怪訝な顔で行過ぎる。早朝散歩の人たちに声をかけ、愛嬌をふりまくのはボブの方だ。目礼だけの人、素知らぬ顔の人、ただならぬ様子に「何をしているの?」と尋ねる人もいる。が、総じて日本人は無愛想だなという感じである。
折り返し地点を過ぎたころから、一般の人たちがスタートを切った。ボブとすれ違
う。「ボブさん、ファイト」
声援が飛ぶ。ハイタッチをして走りすぎる人。握手する人。腕で五キロ歩くということは正常の人の四十キロ歩くのに匹敵するそうだ。まさに亀の歩みだ。ゴール間際
のボブは疲労の極地にあった。私も足が痛くてしようがない。コンクリートの上を七時間もゆっくり歩くことは耐えがたい苦痛だった。それだけに、疲れてもユーモアを忘れず、我慢強いボブに感動さえ覚えていたのである。
「すし! 刺身!」
ボブの声に、周囲からどっと笑いが起きる。
ついにゴール。タイムは七時間二十一分。「ありがとう、ジャパン!」
ボブが叫んだ。
「ヤッター」
大歓声が上がった。
私は、涙が溢れた。
真美子もうるんだ目をして黙っていた。
「Can do !」
やれば、出来る。とボブはいう。
「足がないのを理由に、あきらめることは絶対にしない。神の力があるかぎり、どんな困難でも乗り越えてみせる」
不屈の精神で、ボブは腕で歩いて大陸横断を果たした。三年八ケ月もかかって。
日本では毎年三万三千人の自殺者がいることを知らされたボブは「過去の失敗にとらわれて人生を諦めないで欲しい」という励ましのメッセージを携えて講演をして回った。
訪日は奥さんと一緒だった。名はジャクリーン。背が驚くほど高い。それもそのはず、ファツションデザイナーでモデル、プロのダンサー、料理が好きでガーデニングが得意だという素敵な女性だ。人前に出たくないというジャクリーンと私は東京見物に出かけた。 屈託がなくて、底抜けに明るい。結婚するとき「普通の人よ。ただ脚がないだけ」といって母親を説き伏せたそうだ。
二人はダンスが好きだったという。車椅子のボブとどのようにして踊ったのだろう。想像すると楽しくなってきた。
私の背が二十センチ高かろうが低かろうが、問題ではない。人生において何が一番大切か、ボブに教えられたような気がする。勇気も貰った。なんと表面的なことにとらわれ無駄な神経を使って生きていることか。
しかしである。
もうちょっと背があったらダンスの好きな「あの人」と格好よく踊れるのにという思いを、私は拭い去ることはできない。それがいかにつまらないことであろうとも……。
おわり
森田のりえ noriem@JoiMail.com
|