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No.482          Ryo Onishi               8/7/2005   

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雑貨屋のひとり言

  先週水曜日、仕事で大阪に来られたサクラさんと、半年前にロスから帰国されていた北野さん、そして高島さんと久しぶりの再会を果たしました。北野さんとサクラさんにとっては6年前の雑貨屋の送別会以来のことです。新大阪での2時間ほどの親睦会でしたが、大いに盛り上がりました。雑貨屋500号記念パーティーを雑貨屋の原点であるロスでやろうかという話が出ました。検討しようと思います。
  猛暑の日本は、夕方になると各地でお祭りや、花火が行われています。土曜日は淀川の花火大会を家から観ました。5キロメートルくらいの距離ですが、美しい2万発の花火を観ることができました。ときどき近くで発生する稲妻とのコラボレーションも見事でした。近くで観ていた人はちょっと気になったかも知れませんね。
(R.O.)

 山 中 鹿 之 助

 南カリフォルニア日系社会恒例の「二世週日本祭り」が今年も7月24日に開幕しました。ロサンゼルス市内リトル東京を中心に8月21日までの約一ヶ月間、各種行事で賑わいます。

 既にミス二世週祭(クイーン)候補の6人も決まりました。期間中の行事には「ベビー・ページェント」、「カラオケ歌合戦」、「相撲トーナメント」、「サムライ5キロ・ラン」などがあり、また期間中、各種日本文化紹介展示・実演などが全米日系人博物館、日米文化会館、日米劇場、東本願寺・西本願寺(羅府別院)などを会場にして行われます。

中でも毎年の目玉はその年の日系社会の「顔」として活躍してもらう「ミス二世週祭(クイーン)」を決める「コロネーション(8月13日)」と翌日(14日)のグランド・パレード、それに祭りを締めくくる8月21日の「街頭音頭」でしょう。

グランド・パレードはリトル東京周辺を前日選出されたクイーンの他、日本国総領事、ロサンゼルス市長から日系ハリウッド俳優や日頃社会に貢献している日系人たちが車でパレードし、前後を日系人、現地人の誰でもが参加できる踊りで楽しみます。

今年の踊りには「ニッケイ音頭」に加えて「マツケン・サンバ」もパレード用に振付けられていますので、さぞかし国際色豊かな「マツケン・サンバ」が出現することでしょう。今から楽しみです。
 
また、往年の名女優で「青い山脈」(第1回)で有名な杉 葉子さん(ロサンゼルス在住)もこの二世週行事に協賛し「時空を超えた永遠のシネマ」展を開くことになっています。杉 葉子さんは現在日本の文化庁から委嘱を受けて「文化庁文化交流使」として当地で活躍中です。

 私と「二世週日本祭り」とのかかわりは「詩吟」です。私たちが所属する南カリフォルニア詩吟連盟も毎年この日本祭りに協賛し、吟詠大会を7月31日に開催しました。私も吟者の一人として参加しました。私の今年の吟題は「山中鹿之助」でした。
   
「山中 鹿之助 谷口 廻瀾作」
  大義は山の如く  身は毛に似たり
  誰か成敗をもって 英豪を品する
  清光一片     初三の月
  忠魂を照映して  万古に高し

この祭りは今年が24回目ですが、最近は開催地のリトル東京がその魅力がうすれ若干衰退気味であることから祭りへの参加者もやや減少しているようです。

でも、この祭りはロサンゼルス日系社会にとって最大の行事であり、これからは日系社会だけでなくアジア系、ラテン系を含めた国際色豊かな友情の絆のお祭りとして続いて欲しいと願っています。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「 祭りだ、ワッショイ

珍しく、重たい瞼がパッと開いた日曜日。早朝から途切れもなく続く笛太鼓の囃子に、飛び起きて窓を開けた、「祭りだ!」。ここ佃は今、3年に一度の住吉神社例大祭の真っ盛り。大川(隅田川)に囲まれた島の、この近代的な高層マンション群と瓦葺の家並みの間に響く笛と小太鼓が絶妙だ。江戸時代から伝わるこの祭り文化と情緒が、不思議な調和と情熱を持ち、まるで押し寄せる波のようで、感動する。とうとうじっとしていられなくなり、ついに出かけた。「祭りだ、ワッショイ!」

今日7日(日)は、本社から宮出しされ宮神輿が、台船で運河を巡る船渡御(ふなとぎょ)と陸の巡業である渡御がメイン、いわば大祭のクライマックスといえる。私が出かけたのは、船渡御から帰着する神輿の出迎え。笛、太鼓、幟(のぼり)などで賑やかに飾られた神輿を乗せた御座船、4船の守護船が佃を出発し、隅田川から東京湾へ回り、海上祭りを行い、再び佃へ戻ってくるというもの。相生橋方面から中央大橋をくぐって帰着した船が接岸し、「ただいま戻りました」という若年寄の雄叫びがした途端、待ち受けていた観衆が一斉に立ち、拍手と歓声を沸かす。すると、揃いの浴衣姿の若衆たちが「セイヤッ!、セイヤッ!」の掛け声とともに、神輿を船上から陸(おか)へ担ぎ上げ、住吉神社の参道へと向かう。ここでひと声、「かっこいいぃ〜!」と、心の中で叫んでしまった。こんな時、男に生まれてきたかったと、つくづく思う。

ところで、この佃は、もともと大川(隅田川)河口にできた自然の寄洲だった。1644年、徳川家康に従って江戸へ下った摂津国西成郡佃村(現・大阪府西淀川区佃町)の漁師たち33名が、その干潟の約四方180メートルの土地を拝領して埋め立てて住み、故郷・本国の佃島と同名をつけたのが始まり。そして1646年、本国をしのぶために大阪の住吉の神を分霊し祀ったのが、佃・住吉神社。高度経済成長期に賑わった重工業が他の地域へ移転した後のこの町には、高層住宅が建ち並んだ。関東大震災では多少被災したが、先の大戦の空襲を免れたこの佃には、戦前からのまち並み、長屋風建物が今も残り、その中に、この佃住吉神社もあるというわけだ。この大祭で特に注目すべきことは、3つ。ひとつは、3組6本の大幟柱。神様がここに降りてくるというこの柱、これは普段、傷みや破損を避けるために、住吉神社の裏にある佃の堀に埋められている。それらは、大祭ひと月前に掘り起こされ、住吉神社を中心に佃に掲げられる。その昔この大幟柱は、江戸城からも見えたという。二つ目は、中央区民有形民族文化財となっている住吉神社宮神輿。八角形のこの神輿は関東では珍しく、東京ではこの佃だけらしい。三つ目は、この地域と住民が伝え続けている江戸文化と男文化である。祭りもさることながら、この佃の人たちは、大阪の佃との交流を絶やさず、次世代へ伝え続けていることだ。佃1丁目にある佃小学校では、創立以来、大阪の佃小学校との交換児童行事などによる交流を深め、歴史的つながりを大切にしていることだ。そういった活動が、こども神輿への参加や意味を高めている証だろう。佃とは、家康が「人間は田を耕せ」といったことから命名されたという。これを考えると今も昔も、海であろうが山であろうが、モノを育てる田があり、育てる人があるのだと思うと、この佃はその名にふさわしいと、心から思う。

『住めば都』というけれど、住めば住むほど、本当に離れられなくなる町だ。歴史や文化、住人やこの地域の生活に触れたり、知ったりすることが多くなったり深くなったりすると、どこかで、つながりとか縁というものを感じずにはいられない。それはもともとその昔、網元で且つ海外貿易をしていたという私の祖先の血脈が、今昔を超えて私を揺さぶるのかもしれない。そして、祭り文化というものは、単なるお祭り騒ぎではなく、自分より大きな何かに感謝したり、ゆだねたりするような、謙虚で大胆で勇壮な、大和魂をくすぐる力があるのかもしれない。明日でこの大祭は終わる。次の3年後、今回よりも熱く燃えたいものだ。「祭りだ、ワッショイ!」っと、呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

ジーンズに我が青春のプレスリー

ジョンウェイン シナトラ ドルが燃えていた

マッカーサー ドル百円に目を凝らし

悔しいが今日も付き合うビルゲイツ

右向け右 そこにブッシュの顔がある


( ニュースやぶにらみ )

「算数の時間」
ー 比例の例を挙げよ
ー 青票の数と小泉首相の顔の色

「常任理事国入りも絶望」
こっちも青票が −外務省

「原爆忌」
過ちは繰り返しま… −六ヶ国協議

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから




  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記

長い休みに突入しました。家にいると暑くてダラけます。
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Zakkaya Weekly No.482

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com