北京オリンピックの次、2012年夏のオリンピックの開催地は、英国ロンドンに決定しました。
本命候補のパリ(フランス)を破りオリンピック開催を獲得したロンドン市民の歓喜の声がテレビに流れていました。
ところがその直後に突如発生したロンドン市内の同時多発爆発事件(テロ?)に水を差された感じで盛り上がりに欠けてしまったようですが・・。
ロンドンは既に過去二回、近代オリンピックの開催地となっており(1908年、1948年)今度が三回目となります。
1948年の第14回夏季オリンピック大会は第二次世界大戦直後の開催でした。(本来は1944年にロンドンで開催される予定だったものが戦争のため中止となり繰越となったもの)この時私は小学校5年生でした。
この頃、日本のスポーツ界で私達日本人の誇りは水泳の古橋(広之進)選手でした。日本大学在学中だった当時の古橋選手は同じ大学水泳部仲間の橋爪(四郎)選手とともに水泳400メートル、1,500メートル自由形で泳ぐたびに世界記録を更新し続けていました。
これらの快挙は敗戦に打ちひしがれ、自信喪失状態の日本人の心にともされた希望の灯りでした。
私は全盛時代の古橋選手の泳ぎを目の前で見たことがあります。小学校高学年時代の夏、私達はよく近くの隅田公園プールへ泳ぎに行っていました。
ある時、そこで古橋選手をはじめとする日本の競泳選手たちによる模範水泳があり、目の前で颯爽と水を切る古橋選手に感動したことを60年経った今でも鮮明に覚えています。
ところがその古橋、橋爪選手たちがロンドン・オリンピックに参加できなかったのです。敗戦国日本はこのオリンピックへの参加が認められていなかったのです。私も子ども心に悔しい思いをしたものです。
古橋、橋爪選手がこの時のオリンピックに参加していたら間違いなく金、銀メダルを獲得したでしょう。
現に古橋選手はこのロンドン・オリンピックとほゞ同時に開催された全日本水泳選手権大会での1,500メートル自由形で、オリンピック優勝者に40秒以上の差をつけた記録で泳いでいます。(この時も世界新記録でした)
ロンドン・オリンピックの次のヘルシンキ・オリンピック(1952年)から日本は再びオリンピックへの参加が認められましたが、既に全盛時代を過ぎた古橋選手は400メートル自由形競泳で決勝進出はしたものの8位(最下位)という成績に泣きました。橋爪選手は1,500メートルに出場、銀メダルでした。
よく「オリンピックで優勝することは世界記録を出すよりむつかしいことだ」と言われますが、国家の事情によって全盛時代にオリンピック参加を逸した古橋選手たちはこの言葉を別の意味で実証したと言えるのかもしれません。
今回ロンドンで発生した連続爆発事件はテロによる可能性が高いと言われています。国境を越えた平和の祭典であるオリンピックの開催地に決定という時に発生した爆発事件は現代の不安定な国際情勢をよくあらわしているのかもしれません。
戦争、テロとは無縁な世界はいつ来るのでしょうか。
河合将介( skawai@earthlink.net
)
|