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No.476          Ryo Onishi               6/26/2005   

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雑貨屋のひとり言

95歳で陸上100mの世界新記録を出した方がいますが、この方は60歳から健康のために始めたそうです。何ごとも続けることがチカラになるようです。モントリオールのスキー場で出会った70歳台のスキーヤーはもう90歳半ばになっているはずですが、まだスキーをされているのかなあと思い出しています。(R.O.)

 シ ニ ア の 合 言 葉

  私の知人で、異文化交流コンサルタントをしているドクター(日本人女性、臨床心理博士)がいます。彼女は米国企業や在米日本企業のためのコンサルタントとして、また、ロサンゼルスの日系メディアのコラムに登場し、カウンセラーとして忙しく活躍しています。

先日、当地の日系人向け新聞(羅府新報)の人生相談コラムで、ある相談者に対する回答として彼女は概略次のようなことを書いていました。

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いつも思うことですが日本人文化ほど年にとらわれる文化はないと思います。

「いい年をして恥ずかしい」「年甲斐もなく」「年の割には幼稚だね」「いい年して!いい加減にしてよ!」「○○歳にもなると視力も弱るし頭も鈍って当たり前」「年には勝てない」「恋人をみつける年はもう過ぎた」「私の年齢ではいい仕事はみつからない」など・・。

 このように私たちは年をとることに関して非常にネガティブな概念をそのまま自分の日常生活に取り入れていることがかなりあります。

私個人の意見としてはそんなネガティブな概念に大いにチャレンジすべきだと思います。50代の人は20代の人と比べたらたしかに体力的に劣るかもしれません。でもだからといって気持ちまで弱くなる必要はないというのが私の率直な意見です。(以下略)

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 このように言われてみると、確かに私たち日本人は年齢を気にする民族だと気付きます。

日本には古来中国から伝わったとされる「長幼の序(年長者と年少者との間の社会的・道徳的な序列や秩序)」という麗しい習慣があります。日本人が年齢を気にするのは、もしかしたらこの「長幼の序」の悪しき側面が出ているのかもしれません。

 人間は刻一刻年をとります。年を重ねる途中のある時 、新事業など新しい分野への挑戦のチャンスが巡ってきたとします。そうするとその時30代である人も、40代である人も、50代、60代、70代である人も 殆どの人は異口同音に「せめて私があと10歳若かったら‥」 と言うそうです。かくいう私も恥ずかしながらこれまでそう言ってきたようです。

 また、若者が何か新しいことにチャレンジしようとする時、先輩は時として「オマエがそんなことをするにはまだ10年早い!」と言ったり、逆に、若者のほうが「オレは未熟だからまだ10年早い」と思い込んだりするのは、どちらも“チャレンジしない(させない)ための言い訳”なのかもしれません。

要するに私たちは何かを始めるのに(物理的)年齢はほとんど関係なく、必要なのは“始めよう”という前向きの気持ちであり、精神的年齢(気持ちの若さ)のようです。

 前にも書きましたが、 「大往生(永 六輔著)」という本に、「あなたの人生にとって一番若い時は“今”なのです」 とありました。「過去はもう過ぎ去ったものだから、今の自分にとっての人生とは今の瞬間から死ぬまでということになり、従って“今”こそが人生の中で一番若い時なのだ」という意味でした。

 したり顔して無事無難な人生を送ることも、それはそれで悪くはないのでしょうが、でも何かをするのに「遅すぎる」という時はなく、何でもプラス思考で挑戦すれば「思い立つ日が吉日」になるということも常にしっかり胸に刻んでおきたいものです。

 体力の衰えは経験と分別で補い、「もう○○歳」は「まだ○○歳」に変えてシニア人生を歩みたいものです。私はシニアの合言葉として『“もう”から“まだ”へ』を提唱したいと思っています。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言武者ん良か」

一年を通して、シックなスーツ、ホワイトシャツにいかすネクタイの弊社社長Aさんは、長身と人柄のセンスも相まって、なかなかかっこいい。就職した時から、カラーシャツは一切着ないといい、事実私は、休日出勤かゴルフの時以外、ネクタイをはずしたAさんの姿を見たことがなかった。先日、私のディスクへ立ち寄ったAさんの、そのホワイトシャツにぶら下がるネクタイがない。今話題のクール・ビズかと訊ねると、「単にネクタイに染みがついたので、はずしたのだが、なかなか涼しくていいものだ」という笑い話。見慣れないネクタイなしのホワイトシャツ姿のAさんもなかなかいい。それは容姿だけでなく、社長自ら部下のディスクへ足を運ぶオープンな姿勢がかもし出すもの・・これを私の故郷の熊本弁では「武者ん良か」(むしゃんよか)という。

「武者ん良か」というこの熊本の方言は、単に武士のようにかっこいいとよく言われるが、武勇があって潔いだけでなく、その人物に裏表がなく正直で、自分の正しいと思うことを陰険な策略を使わず突き進むことを表す。だから、熊本人から「武者ん良か」と言われることは、大変な褒め言葉と言っても過言ではない。それに引き換え、話題のクール・ビズに協力的な自民党の一部、胸元から金のネックレスなどちらつかせ、全く品がない。一方、非協力的な自民党の一部である大物議員は、バッジのついてスーツにネクタイを崩さず、郵政民営化の反対をアピールするが、これもまた単に歳をとったガキの群れを感じ、無様に見える。いずれも、クール・ビズが“さま”になっていないばかりか、清き一票で選ばれた者のミッションもなく、「武者ん良か」とは、とうてい呼べない。クール・ビズの語源説には色々あるが、アメリカのアイビーリーグ出身者のボーイズクラブが使い始めた言葉であることは、あまり知られていない。その意味は「さぁみんな、かっこよく(Cool)、仕事(Biz)しょうじゃないか!」。環境省のクールビズ推進は、地球温暖化の危機のみならず、仕事人としての危機への呼びかけではないだろうか。そしてそれを率先して応えて見せて(実行して)くれるのが、各業界のリーダーであったり、国を司る議員などのミッションではないだろうか。

ところで、クー・ビズという地球温暖化防止国民運動を、環境省地球環境庁はどのようにうたっているのだろうかと、調べてみた。『地球温暖化問題は経済社会活動、国民生活全般に深く関わるもので、国、地方公共団体、事業者、そして国民一人ひとりが協力して取り組むことが必要です。そこで、京都議定書の発効を契機として、愛・地球博や地球温暖化問題をメインテーマにしたG8サミット、温暖化防止に関係する各府省によるイベント・キャンペーン等と効果的に連動し、経済界を始めとする各界と連携しながら、各種メディアを有機的に用いて、地球温暖化の危機的状況を伝えるとともに6つの具体的な温暖化防止の行動の実践を促して国民運動を推進する集中キャンペーンを実施します。国民一人ひとりや企業・各種団体が具体的な温室効果ガス削減行動を宣言し、実践していただくことによって、地球温暖化防止の輪を広げていくことを目指すものです。6つの具体的な温暖化防止の行動のよびかけは、@冷房は28度に設定しましょう(温度調節で減らす)。A蛇口はこまめにしめましょう(水道の使い方で減らす)。Bエコ製品を選んで買おう(商品の選び方で減らそう)。Cアイドリングをなくそう(自動車の使い方で減らす)。D過剰包装を断ろう(買い物とゴミで減す)。Eコンセントをまめに抜こう(電気の使い方で減らす)。』また、「チームマイナス」という愛称があり、その内容は『6%地球温暖化防止「国民運動」の愛称を「チーム・マイナス6%」としました。「チーム・マイナス6%」とは、京都議定書による我が国の温室効果ガス削減約束である“マイナス6%”の達成に向けて、個々人で行動するのではなく、みんなで一つの“チーム”のように力を合わせ、チームワークの意識を持って、みんなで一丸となって地球温暖化防止に立ち向かうことをコンセプトとしたものです。 チームリーダーは、小泉純一郎内閣総理大臣(地球温暖化対策推進本部長)で、運営事務局は、環境省の地球環境局、その下に「チーム・マイナス6%」運営事務局を設置します。』(環境庁HPより)http://www.env.go.jp/earth/ondanka/kokumin/index.html
この提唱を今一度、国会議員一人ひとりに、熟読いただきたいと願うのは、私だけだろうか。さらに、都議会選挙告示後の今、立候補者の宣伝カーが都内を駆け巡る。 “1候補に1台”と、選挙カーのクール・ビズなんてことを、力を合わせて実践できないものかと疑問に思う。

自分のクール・ビズはと振り返ると、クライアントとのミーティングがある場合はスーツ、内勤の場合はオフィスカジュアルで通している。そのため、完璧クールビズ派ではないと反省する。温暖化は「みんなで渡れば怖くない」風に、一人ひとりが、みんなが、やらねば効果は生まない。ただ、そこには、何かフォームという形だけではない内外・本音と建前に貫かれるイメージ、それこそ「武者ん良か」が感じられるものがあって欲しいと願う。先月亡くなった服飾評論家の石津謙介氏は「ダンディーとは、自分流を貫くこと」と言い残した。衣替えを機に開始されたこのクー・ビズ、自分の衣替えも考えて「武者ん良か」を目指してみようか・・・と呟くさくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

絶品と言われ苦笑の馬の脚

野次馬の中冷静なカメラアイ

勝ち馬の尻を打算が撫でている

ラーメンをはずれ馬券が啜ってる

ハイセーコーなお伝説の中を駆け


( ニュースやぶにらみ )

「クレジットカード」
恐くって使えない。かといって偽札もねえ −福沢諭吉

「高騰続く」
火の消しようがない −原油市場

「米のBSE感染牛、2例目確認」
やっぱりねえ −トリインフルエンザ、コイヘルペス

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

ローマン・ボール
              
 カリフォルニヤ州ベンチュラ郡にあるアメリカ合衆国第四十代大統領ロナルド・レーガン記念博物館を最初に訪れたのは、十一年前だった。
 大統領時代にわたる写真や歴史的資料、ナンシー夫人の衣装など数多くの展示品のなかに、アメリカを訪れた国賓からの贈り物が陳列ケースの中に飾ってあった。その中に一つ、場違いと思われるような野球ボールほどの石ころがあった。『ローマン・ボール』と名付けられたこの石に、私はなぜか興味をもった。
 六年前の夏、再び訪れた。その時私は、ローマン・ボールに呼ばれたという気がしてならなかった。そして、今年五月、ローマン・ボールの説明書をもう一度読み返すために訪れたのである。説明書にはこう書かれていた。
「Ballistic stone fired by the roman’s in the First Century siege of Massed」
 紀元一世紀、マサダ要塞の包囲戦でローマ軍が放った投擲石。米国レーガン大統領に贈呈、一九八七年十一月 ハルム・ヘルツォグ。
 イスラエル大統領からの贈り物だった。 
   
 一昨年、イスラエル旅行をした。
 死海のほとりを南下していると、高い山のてっぺんをスパッと切ったような赤茶けた岩の台地が前方に見えた。死海の水面から高さ約四三〇メートルの険しい断崖の上にあるマサダの要塞である。
 山頂の台地へはロープウエィで行く。台地に立つと死海の向こうには薄紫色に染まったヨルダンの山が連なり、あとはただ荒削りな丘陵が続いていた。風が吹く。時たま、轟音が空を切り裂く。ファントムF・16だ。あっという間に飛来し、またたく間に視界から消えていく。イスラエルとヨルダン国境の厳しい現実を垣間見る思いだ。蛇の道と呼ばれる狭い道が一本、麓から山頂まで通っていた。徒歩で登ってみたいと思ったが、団体旅行ではままならない。
 マサダは紀元前百年頃、大祭司ヨナタンが地形を利用して造った要塞である。その後ヘロデ大王が建物を強化増築した。二千年前の復元図を見ると、三段階になった崖に石を積みあげ、バルコニー付きの建物が三層に分かれて建っている。よくぞあの崖っぷちに建てたものよと、あきれると同時に感心もする。
 台地には巨大な貯蔵庫、建築材料の石を切り出した後を利用した貯水槽やプール、ローマ風呂、シナゴークなどの遺跡があった。
 当時の歴史をひもとくと、紀元後七〇年、エルサレムがローマの手中に落ち、追いつめられたユダヤ人のゼロテ党員九六七人は、マサダの要塞へ立てこもり、ローマ軍団一五、六〇〇人を相手に二年以上の抵抗を続けたとある。
 私は、数年前にレーガン記念博物館で見た『ローマン・ボール』を思い出した。
 麓に陣取っていたローマ軍から放たれた投擲石は、上まで届いたのだろうか。投石器の飛行距離は四五〇メートルもあったという。ユダヤ人側は、崖をよじ登ってくるローマ兵を見つけ、石を落として抵抗したという証拠見物件のバレーボール大の石が数個、歴史を物語るように転がっていた。
 数年間にも耐えられる食料が備蓄それていたのに、なぜユダヤ人は負けたのか。それについて、ガイドはこのように説明した。
「ローマ軍は、捕虜にしてユダヤ人の奴隷をつかって土を盛り、ついに頂上へ届くほどの斜道を築いたのです。あれです」
 崖っぷちから、ガイドの指さす方向を見ると、それらしいものが見えた。
「紀元後七三年の春、ローマ軍は斜道から城壁を突き崩して突入しました。そこで目にしたのは、夥しい死体でした。ユダヤ人は生きて異教徒の辱めをうけるより、死を選んだのです。この戦いはヨセフスの『ユダヤ戦記』に詳しく書かれています。また、水道トンネルに隠れていた二人の女性と子供五人は大量自決を免れたことも記されています」
 さらにガイドは続けた。
「ユダヤ人は悲劇を再びくり返さないという決意をこめて『ノー・モア・マサダ』というスローガンを掲げ、イスラエルは軍の入隊宣誓式をここで執り行います。最後は、マサダは二度と陥落させないという言葉でしめくくられるのです」
 
 投擲石を贈ったハルム・ヘルツォグ氏の想いは、どこにあったのだろう。
 肉体は死しても、ユダヤ人の魂は滅ぼされないという意味なのか。私は『ローマン・ボール』を前にして、あれこれと想いを馳せたのである。
                             おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記

梅雨入りしてから雨がほとんど降らないので、この夏は水不足が深刻になりそうです。
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Zakkaya Weekly No.476

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com