weekly
 

No.474          Ryo Onishi               6/12/2005   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
成岡流お酒 雑貨屋のひとり言 LA観光スポット 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

6月に入り、関西もついに梅雨に入ったようです。幸いこの週末はそんなに雨は降らなかったですが、これからムシムシした日が続くんですね。クールビズとやらでノーネクタイが流行っています。たしかにノーネクタイにすると涼しく感じますし、経済的だと思いますが、ノーネクタイだとちょっと間抜けな恰好になりそうなので、なにか工夫が必要ですね。みなさんはどうされているんでしょうか?(R.O.)

瞳 を 閉 じ て

 和の精神を尊び調和を旨とすることの多い私たち日本人は何かを表現する時、直接的な言い方より、婉曲的な言いまわしを好む傾向があるようです。それゆえに日本人の言葉や文章には否定形が 多いと言われています。

確かにそう言われてみればそんな気がしないでもありません。(「気がします」でいいものを、わざわざ「しないでもありません」と2回も否定している私も典型的な日本人かも・・)

私は以前、日本人になじみの深い「小倉百人一首」について、否定表現を調べてみたことがあります。全百首のうち 否定表現が 一ヶ所でもあるものを拾い出してみたらなんと百首中、46首(46%)もありました。(例えば;「まだふみもみず」「こころもしらず」など) 中には、

わが袖は 潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし(二條院 讃岐)

のように、一首の中に3ヶ所(みえぬ、知らね、まもなし)もあるのすらあり、日本人の否定形好きは長い歴史と文化に裏付けられているようです。

カラオケで今でも人気のデュエット曲「居酒屋」の歌詞の最後は、
♪ 絵もない 花もない 歌もない そんな居酒屋で ♪
となっています。これじゃあ何にも無いじゃあないか、ということになりますが、これで日本人はちゃんと〈場末の侘びしい〉居酒屋の雰囲気を感じているのです。

昔、「勇敢なる水兵」という軍歌がありました(作詞:佐佐木信綱)。私は戦時中、兄たちが唄っていたのを覚えています。こんな出だしの歌でした。

♪ 煙も見えず 雲もなく 風も起らず 波立たず ・・

ところが最近、そんな日本的否定形発想に逆らった歌詞がヒットしているのを知りました。それは、『瞳をとじて』という歌です。『大きな古時計』で大ヒットを飛ばした平井 堅が作詞・作曲し、自分で歌っています。

『瞳をとじて』は次のような詩ではじまります。

♪ 朝目覚める度に 君の抜け殻が横にいる
ぬくもりを感じた いつもの背中が冷たい

 『君の抜け殻が横にいる』という発想はこれまでなかった訳ではありません(要するに“あった” ということ)が、私流に感想を述べれば“非日本的”な発想に思えてなりません。

これまでの日本人的発想からすれば、ここのところは『君はもういない』とか『君のいない横が淋しい』といった表現が相応しいように思われます。

 “『抜け殻』という空虚が横に存在する”という表現は、“I have no money”(私は no money を持っている = 私はお金を持っていない)を連想させます。

 言葉は文化であり、言葉の変化は即ち文化の変化を意味します。

――― この世のすべては移ろうもので常ならず(無常)、お互い関係しあって存在する(無我)
私は『瞳をとじて』を口ずさむ時、なぜか無常・無我を心に感じているのです。
    
                                         河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言生まれ出づる悩み」

最近、家と通勤電車に乗る駅間の徒歩が、とても楽しくなった。その日の、昨日とは違う外気や風景という外的要因に、昨日に積み上げられた自分の仕事や想いという内的要因がエコーして、足取りのテンポに音色が付く。それが、自分のバイオリズムのバロメーターにもなっている。この、ほんの10分程度の駅までの時間なのだが、短い自分の人生の過去から未来を、その中で出遭った人や出来事を、走馬灯の如く想い出したり、巡らしたりする。すると、自分の「こころ」がどこにあるのかを実感できるほどに、喜怒哀楽が振動する。そんなある朝、中学時代に国語の教科書で読んだ有島武郎の「生まれ出づる悩み」を思い出した。

この有島武郎の「生まれいづる悩み」の大筋は、芸術家を志す主人公が困窮する家族を見捨てられず思い悩むというものだが、今の私は詳細までは覚えていない。ただ、終末部分に『君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る』というくだりがあったことを、初夏の東京で今、突然思い出した。実は、私は生まれた時から、男に生まれでなかったことを思い悩む悪癖がある。つまり、女性であることを自分自身が非常に喜べず、落胆することが多いのである。一方それとは裏腹に、周囲は私を、女性だからと特別に意識したり手加減したりせず、同等と扱ってくれているという。その真偽は別としても、事実と真実のギャップの中で、『確かに、正しく、力強く』と自分に語りかけることが、明日の自分を生む力になっていることを知るのである。回りが意識しようがしまいが、女性という自分が“自分の仕事”を貫こうとする時、壁があるのは本当だと思う。

ところで、今月は「男女雇用機会均等月間」だ。1986年4月に施行された男女雇用機会均等法から20年が経ち、この法も人間で言えば成人式という節目を迎えたことになる。内閣府は、この現行に加え新たな取り組みとして、(1)科学技術や防災・災害復興、環境分野などでの女性登用、(2)男女の性差に応じた的確な医療の推進、(3)2015年までに教育・学習面での男女格差の解消、などを盛り込んだ「新しい男女共同参画基本計画」策定に向けた中間整理(2006年度から実施する)を公表した。この中間報告は、「2020年までに社会のあらゆる分野で、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度になるよう取り組みを促進する」とし、まずは指導者となる女性の育成に力を注ぐことを奨励している。そんな中、新聞やテレビでは、制度上の均等は定着しつつあるが、女性管理職数は男性に比べてまだまだ少ないとか、登用や配置の男女格差を問題視するものが多い。しかし一方では、東京都のある調査によると、「女性は積極的に管理職になりたがらない」傾向があるという。その理由には、「自分の能力では自信がない」、「考えたことがない」、「仕事と家庭の両立が困難」、「管理職になるための訓練を受けていない」などが上位にランクされているという。これは女性なら誰でも持つ理由ではないかと、女性管理職としての私は思う。現に私も、まったく同じ理由とその現実の中で生活しているからだ。しかし、だからあえて思うのだけど、まず女性自身が自分自身に挑戦する積極的な意識への転換や開拓する女性プロフェッショナル同士の育成と姿勢が必要ではないかと。それはまた、女性の能力を十分に発揮できるための施策、理解やサポートの推進を男性管理職が、自らのプロフェッショナル課題として取り組めるかということにもなるだろうと思う。そういった意味で今年は、男女協業授業(レッスン)元年、二十歳になった雇用均等機会にふさわしいと思う。生まれながらに男性・女性であることの悩みも、均等配分させてもらえるとありがたい。

さて、有島武郎といえば、札幌市中央区大通公園にある有島武郎文学碑は有名だ。私も札幌で観たことがある、今から20年ほど前だが。その文学碑には、同じ白樺派の作家・武者小路実篤の手によって「小さき者へ」の一節が刻まれていた。「小さき者よ 不幸な そして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ 前途は遠い そして暗い しかしおそれてはならぬ おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ −『小さき者へ』より−」だ。出勤途中の朝の10分が、こうして過去に出遭った言葉を思い出し、変革を続ける社会に生きる新しい自分への力を得る。7月に、昔の教え子の結婚式で札幌へ行く。私は、小さき者ゆえ持ち続ける生まれ出づる悩みを解消するためにも、大通り公園のこの文学碑の前に立ってみようと考えている。「おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ」と呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

出ない知恵二番煎じの茶を啜る

好きな酒カルテの指図など受けぬ

形状記憶 性善説が揺れている

生涯をシテになれない太郎冠者

シナリオをコント仕立てにして生きる


( ニュースやぶにらみ )

「四代目を襲名」
藤十郎の恋が気にかかる −扇千景

「クール・ビズ」
−今日はネクタイして行くの?
−謝罪会見だ

「同じポーズでも」
バンザーイ −ジーコ監督。  お手上げ −堀内監督
ギブアップ −田尾監督

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

心象風景

 小学校の同級生から、九月二十七日に広島ステーション・ホテルでクラス会を開催する旨の通知がきた。ロサンゼルスに住んでいる私には、予定もあるだろうからといって早目に知らせてきたのだ。級長だったK君が日本の大手企業の駐在員としてサンフランシスコにいるという情報も書き添えてあった。
 その時から、私の奥深い記憶のフィルムがまわりはじめた。
 長身でおっとりした感じだったK君の色白で丸い顔がぼーっと浮かんでくる。必死で思い出そうとすると、不思議なことに何も分らなくなってしまう。
 小学校のころ、私は胸をドギトキさせながら遠くから、優等生だったK君を尊敬の眼差しで見ていた。それは、エンドウ豆の紫花の遺伝子に白花の遺伝子が入ると第二代目では……と、メンデルのエンドウ豆の交配を教えてくれた先生のせいでだった。
「ええ、男で一番背の高いのは」
 理科の授業時間に、先生は即座にK君の名前をあげた。
「女で一番小さいのは……」
 と、いいながら教室中を見渡している先生の眼が私のところでビタッと止まった。ああ、イヤだと思った。背の低さにコンプレックスを抱いているともしらず、先生は私の名を無神経に叫んだのである。
「そうだな、このふたりを混ぜ合わすとちょうどよくなるんだよ」
 混ぜ合わせるという言葉がなんとなく気恥ずかしかった。
 それからだった。K君に出会うと、うつむいて足早に通りすぎたり、わき道にそれたり。遠くからK君を見ていると、ひょぃと眼が合ったような気がしてあわてて眼をそらしていた。言葉など気軽にかけられようはずもなく……。
 あのK君が私と同じアメリカの西海岸にいる。私はすぐ電話をした。
「列の一番前にいたミジンコのような女の子だったの、覚えている?」
 美少女でも成績優秀でもなかった。愛くるしく誰からも好かれる性格でもなかった。その他大勢のなかに埋もれていた存在感のうすかった私を、
「よう覚えとるようねぇ」
 と、郷里の言葉でいってくれたK君の心根がうれしかった。
「どうしてアメリカにきたの? 何年になる? 何をしている? 奇遇だねぇ、シスコにくることはないの? 会いたいなぁ」
 矢継ぎ早に質問するK君の言葉を、私もそっくりお返しした。
「現地社長といってもサラリーマンじゃけぇ、大したことはないよ。リタイヤしようと思うとるけど、日本に帰るかアメリカに住むか迷うとるところなんよ。娘たちは日本に住んどるし」
 そして、シスコにくることがあったら食事でもしよう、待っているといってくれた。たまたまメリーランドに住んでいる娘夫婦が所用でサンフランシスコ近郊へくることになっている。ちょうどいい。グッド・チャンスだ。
 空港へ迎えに行くといったK君は、
「お互いに変わっとるし分るじゃろうか」
 と、心配そうだった。
「あら、私は分かるわ」
 といったが、本当は自信がなかった。
 あれは五年生の時だった。テストの時間、私の斜め前に座っているK君の答案用紙が机から半分垂れ答えが見えた。私はカンニングをしたのである。エンドウ豆の話もしよう。そうそう、図画の時間に屋外写生に行き小高い丘からK君の藁葺き屋根の家を写生したこともあった。
 瀬戸内海が見下ろせる山裾にひらけた村の小学校。澄みきった青空のもとで思っきり遊びまわっていた同級生たち。みんなどうしているだろうか。
 日々の雑事で忘れてしまっていた心象風景が胸にこみあげてきた。
 K君は白髪で頭がまっしろになっているというのだが……。
                             おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記

日曜日の「あるある大辞典」で取り上げられた健康関連の食品は、翌日、街のスーパーなどでバカ売れし、売り切れ状態になるようです。でも一週間くらいするともとに戻っているんですねこれが。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.474

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com