最近、家と通勤電車に乗る駅間の徒歩が、とても楽しくなった。その日の、昨日とは違う外気や風景という外的要因に、昨日に積み上げられた自分の仕事や想いという内的要因がエコーして、足取りのテンポに音色が付く。それが、自分のバイオリズムのバロメーターにもなっている。この、ほんの10分程度の駅までの時間なのだが、短い自分の人生の過去から未来を、その中で出遭った人や出来事を、走馬灯の如く想い出したり、巡らしたりする。すると、自分の「こころ」がどこにあるのかを実感できるほどに、喜怒哀楽が振動する。そんなある朝、中学時代に国語の教科書で読んだ有島武郎の「生まれ出づる悩み」を思い出した。
この有島武郎の「生まれいづる悩み」の大筋は、芸術家を志す主人公が困窮する家族を見捨てられず思い悩むというものだが、今の私は詳細までは覚えていない。ただ、終末部分に『君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る』というくだりがあったことを、初夏の東京で今、突然思い出した。実は、私は生まれた時から、男に生まれでなかったことを思い悩む悪癖がある。つまり、女性であることを自分自身が非常に喜べず、落胆することが多いのである。一方それとは裏腹に、周囲は私を、女性だからと特別に意識したり手加減したりせず、同等と扱ってくれているという。その真偽は別としても、事実と真実のギャップの中で、『確かに、正しく、力強く』と自分に語りかけることが、明日の自分を生む力になっていることを知るのである。回りが意識しようがしまいが、女性という自分が“自分の仕事”を貫こうとする時、壁があるのは本当だと思う。
ところで、今月は「男女雇用機会均等月間」だ。1986年4月に施行された男女雇用機会均等法から20年が経ち、この法も人間で言えば成人式という節目を迎えたことになる。内閣府は、この現行に加え新たな取り組みとして、(1)科学技術や防災・災害復興、環境分野などでの女性登用、(2)男女の性差に応じた的確な医療の推進、(3)2015年までに教育・学習面での男女格差の解消、などを盛り込んだ「新しい男女共同参画基本計画」策定に向けた中間整理(2006年度から実施する)を公表した。この中間報告は、「2020年までに社会のあらゆる分野で、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度になるよう取り組みを促進する」とし、まずは指導者となる女性の育成に力を注ぐことを奨励している。そんな中、新聞やテレビでは、制度上の均等は定着しつつあるが、女性管理職数は男性に比べてまだまだ少ないとか、登用や配置の男女格差を問題視するものが多い。しかし一方では、東京都のある調査によると、「女性は積極的に管理職になりたがらない」傾向があるという。その理由には、「自分の能力では自信がない」、「考えたことがない」、「仕事と家庭の両立が困難」、「管理職になるための訓練を受けていない」などが上位にランクされているという。これは女性なら誰でも持つ理由ではないかと、女性管理職としての私は思う。現に私も、まったく同じ理由とその現実の中で生活しているからだ。しかし、だからあえて思うのだけど、まず女性自身が自分自身に挑戦する積極的な意識への転換や開拓する女性プロフェッショナル同士の育成と姿勢が必要ではないかと。それはまた、女性の能力を十分に発揮できるための施策、理解やサポートの推進を男性管理職が、自らのプロフェッショナル課題として取り組めるかということにもなるだろうと思う。そういった意味で今年は、男女協業授業(レッスン)元年、二十歳になった雇用均等機会にふさわしいと思う。生まれながらに男性・女性であることの悩みも、均等配分させてもらえるとありがたい。
さて、有島武郎といえば、札幌市中央区大通公園にある有島武郎文学碑は有名だ。私も札幌で観たことがある、今から20年ほど前だが。その文学碑には、同じ白樺派の作家・武者小路実篤の手によって「小さき者へ」の一節が刻まれていた。「小さき者よ 不幸な そして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ 前途は遠い そして暗い しかしおそれてはならぬ おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ −『小さき者へ』より−」だ。出勤途中の朝の10分が、こうして過去に出遭った言葉を思い出し、変革を続ける社会に生きる新しい自分への力を得る。7月に、昔の教え子の結婚式で札幌へ行く。私は、小さき者ゆえ持ち続ける生まれ出づる悩みを解消するためにも、大通り公園のこの文学碑の前に立ってみようと考えている。「おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ」と呟く、さくらの独り言。
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