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No.468          Ryo Onishi               5/1/2005   

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雑貨屋のひとり言

先週月曜日に起こったJR福知山線の列車脱線事故は107人の犠牲者を出す大惨事となりました。ショッキングな事故でした。犠牲者と、ご家族の方には心からお悔やみを申し上げたいと思います。事故発生現場は、私の住んでいるところからわずか1kmくらい離れたところで、列車が突っ込んだマンションやクレーンが我が家のベランダから良く見えます。今日も、取材のヘリコプターが上空を旋回していました。この影響で、私が朝夕、利用しているJR尼崎駅は乗客が減ったように思います。事故以来、たくさんの方から問い合わせのメールや電話がありました。お気遣いに感謝いたします。(R.O.)

結 婚 記 念 日

 「これから日系スーパーへまわってお赤飯でも買って帰らない?」
現地スーパーマッケットでの買物帰り、ハンドルを握っていた妻が助手席の私に突然語りかけてきました。

私「エッ、お赤飯? また何で?」
妻「だって、今日4月26日は私たちの39回目の結婚記念日よ!」
私「ヘエー、そう?」

「ヘエー、そう?」という私の返事も若干(それとも、おおいに)間の抜けたものだったかもしれませんが、普段、もの忘ればかりしている妻が39年も過ぎた結婚記念日を忘れず覚えていたのには驚きでした。

私は今日が自分たちの結婚記念日だったなんてまったく念頭にありませんでした。結婚記念日の「ケ」の字すら忘れていました。私は来月中旬から日本へ行くので、日本へ着いたら本籍地がある区役所へ行き戸籍謄本を取り寄せて自分たちの結婚式の日付けを再確認してみようかとも思っています。

世の中の夫婦はどのくらいが自分たちの結婚記念日を正確に覚えているものなのでしょうか?興味あるところです。国別、年齢階層別、男女別に調べて見るとおもしろいかもしれません。多分、米国の夫婦は何歳になっても忘れず夫婦二人で祝っているのかもしれません。(特にハズバンドが結婚記念日を忘れていたら奥さんから離婚訴訟を起こされるかもネ)

もしかしたら、日本人だってそんな重要な日を失念したら夫婦失格でしょうね。(私は失格人間なのカモ?恥じています)

ある人から聞いた話ですが、夫婦の一生はおおよそ以下の段階を経るのだそうです。

(1) 結婚当初10年間:愛の時代。
(2) 次の10年:努力の時代。
(3) 次の10年:忍耐の時代。
(4) 次の10年:あきらめ、惰性の時代。

最初の「愛」はともかく、次からの「努力」、「忍耐」、「あきらめ、惰性」では“何のための夫婦なの”と言われそうですが、どうぞご安心下さい。それらの苦難を過ぎると最後に待っているのが「感謝の時代」なのだそうです。

 どうも我が家は今、それほど厳しい状態ではなく緩やかですが「忍耐」から「あきらめ、惰性」の域にあるようで、「感謝」まではまだ10年早いようです。

 「いざこざの種が尽きれば倦怠期」という川柳を見たことがあります。我が家は些細ないざこざは日常ありますので「倦怠期」でもないようで、ありがたいことです。

 と言うことで、その夜は日系スーパーで仕入れたお赤飯と刺身、それに缶ビールでささやかに祝いました。

 私はこちらでも友人、知人(といっても殆どは本人ではなく、彼らの子どもたち)の結婚披露宴に招かれることがあります。そんな時にスピーチの指名を受けた場合、私はいつも次の言葉でスピーチを締めくくります。――― 「どうか、新婚のお二人が“世界で二番目に幸せな”ご家庭を築きますように!」

 「世界で二番目」の意味の解説は不要ですね。(陰の声:ヨク言うよ!)

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「スポーツシーズン

アメリカでは、季の節に沿うように、スポーツの種目が変わる。野球が終わる頃、フットボールやバスケットが始まり、それが終わる頃アイスホッケーが始まる。どのスポーツが新聞の紙面やTVを賑わすかによって、むしろ廻る季節の到来に「あぁ、もうこの季節か」と気付かされるほどだ。日本では今、野球やゴルフのシーズンがスタート、昂揚させられる試合が目白押しで、それはこの季節にリレー開花する草花の様でもある。各スポーツシーズンで、今年も様々なドラマが展開されるだろうと思うと、とても楽しみだ。それはスポーツ観戦においても、自分自身の参加(プレー)においても。

最近、ゴルフトーナメント中継のテレビに見入る週末が多い。テレビ大嫌いの私が、今まで開きもしなかったテレビ番組欄で放映時刻を確かめ、それを確保するためにその日の生活スケジュールを工夫する。US時代を思い出し、スナックや飲み物を手に、カウチポテトするのだ。時々、テレビの前で、スイングの練習もしたりする・・・下手なくせに理想は高い。逆に、野球生中継は、あまり好まない。昔は日本でもUSでも、野球生中継は楽しんだが、今は違う。むしろ嫌いかもしれない。その理由は二つ。ひとつは今の私が、日本の野球というスポーツに昂ぶらせる心がない。それは帰属意識を持つ球団や好意を持つ選手を私自身が持っていないからだ。もうひとつは、とにかく、うるさい。解説者がうるさい上に解説そのものの質が低く感じられ、どうもゲームを楽しめなくなり、自然と苛立ってくる自分を隠せない。だから、野球中継は見ない。よほどみたい野球ゲームは、音を消して見ることにしている。今やテレビも言語を切り替えできるだけでなく、テレビと会場を結ぶやりとりさえできる時代となった。近い将来、視聴者が、野球場のプレーの音や観客の声は聞こえるが、解説を聞くか聞かないという選択のできるテレビが誕生してくれたらいいなと思う。野球生中継だけとは限らないが、昔の名解説者は、もういなくなってしまった気がするというのは、言い過ぎだろうか。

ところで、スポーツという言葉は、もともとラテン語として生まれ、フランス語を経由して周知の英語”Sport”と変化し、そしてそのまま日本へ到来した外来語である。新修体育大辞典スポーツ「体育社会学」(不昧堂)によると、『もとはdisportといったが、英語になってからdiが落ちてsportとなった。原語の中のdisというのは「分離」の意味を示す接頭語でawayに相当し、portは「運ぶ」(carry)の意味であった。disportはcarry awayということになり、つまり「自分の仕事から心を他の面に運ぶこと」、言い換えれば「仕事に疲れたときに気分転換に何かをすること」「生活のまじめな、あるいは悲しい場面を離れて気晴らしをすること」であった。』という。スポーツには、この語源に近い気晴らしや遊びの部類とオリンピックなどの高度な記録や技へ挑戦する競技がある。後者の発展は、人間が能力の限界へ挑むことを讃える一方で、ドーピングや遺伝子組み換えなど、現代科学を冒涜した倫理観の希薄が問題になってきた。今世界では、”sports for all”が展開されており、スポーツの狭義・広義を問いながら、競技性の有無に関係のない、いや両方に共通する、健康や生きがいのための「生涯スポーツ」実践を勧める社会となっている。

一年を通して最も活動種目の多いこれからのシーズンには、自らがスポーツをすることも、スポーツを観戦することも一番多い。一年のなかでもこの初春から晩秋にかけては、自分の身体を動かすことが一番多い。そしてこのシーズンは、様々なドラマの展開を体験したり見聞きしたりして、「スポーツマンシップ」というものを考えさせられることも、一番多い。そう考えると、ある意味でこのシーズンは、今まで眠っていた身体と心の、自然の芽吹きから結実への節ともいえる。そんな淡い期待を抱きながら、ゴルフを自分の生涯スポーツにしたいと思っている自分の、かすかな成長、へたくそゴルファーからの脱出を夢見てしまう。このスポーツシーズン、調和をテーマに、やっぱりゴルフかな・・・っと呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

千尋の谷に獅子にはなれぬまま

過保護の巣金の卵を腐らせる

子の何故に答え出せずにいる戦

二拍子とロック親子が噛み合わず

父の駅子の急行が通り過ぎ

( ニュースやぶにらみ )

「11連敗」
転落 −楽天

「民主党二戦二敗」
嫌な予感がするな −大関力士

「厳しい懲罰措置」
国際サッカー連盟の会長が日本人ならなあ −北朝鮮

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

イタリアの太陽に魅せられた男

 四月十八日の朝、テレビのスイッチを入れると、故ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の後継者を決めるコンクラーベがシスチィーナ礼拝堂で始まる様子を報じていた。ミケランジェロがしたたり落ちる絵の具に目をいためながら描いた天井画、祭壇の壁画「最後の審判」がテレビ画面に映っている。あの天井画を首が痛くなるほど見上げていたのは、十四年前の暮れだった。あのころ夫は元気だったし、娘は高校生だった。天才画家の描いたフレスコ画を熱っぽく語ってくれたK氏は、いまどうしているだろう。
 
 一九九一年のクリスマスの前日、空港に私たち家族を出迎えてくれたのはローマ在住の日本人画家K氏であった。その足で私たちはK氏のアトリエに案内された。私は一歩玄関に足を踏み入れるなり、立ちすくんでしまった。
 燦然と輝いていた太陽が沈んだ、その瞬間を捉えた絵が壁面を覆いつくすように描かれていた。街はすでに宵闇がただよいはじめ、教会のドームや尖塔のシルエットが茜色の波間に浮かんでいる。大作であった。
 イタリアの太陽に魅せられて描いたK氏の作品は、二千枚はゆうに越えるという。ローマ法王に謁見しバチカン近代美術館に彼の作品が収蔵されたのは一九八六年である。
 呆然と見ている私に、K氏はこんな話しをしてくれた。
「西の空に沈む瞬間、街を黒々とうかびあがらせるその光と影のコントラストが何ともいえず美しいんです。これだけ描いても、まだイタリアの光は描ききれていません」
 美術的素養のない私でも記念に一枚求めたいと思ったほどの絵だ。私たちの手の届く値ではなかったのであきらめたが、いまとなってはなんとも心残りである。
 翌日K氏は、私たちをローマ郊外にあるローマ法王の夏の別荘がある湖畔へドライブに誘ってくれた。古代城壁の門を出てアッピア街道を走る。二千年以上たっても、びくともしないで使命をはたしているところが、まことに頼もしい。
 車のハンドルを握っているK氏は、
「素晴らしい ! 今日のような太陽はめったに見られません」
 というと、路肩に車をとめてスケッチ・ブックをひろげた。
「すみません。こんな時でないと時間がなくてねぇ」
 申し訳なさそうにいいながら、ササッと鉛筆を走らせる。横目で見ていた私は、
「あら、これくらいでいいんですか。グシャグシャと描くだけで」
 写真を撮っておくわけにはいかないのですか、と素人考えをいうと、
「この一瞬の美しさを頭に留めるんです。あまり詳しく描くと、それにこだわってしまうから駄目なんです」
 と、K氏はいった。
 アメリカも日本もイタリアも同じ太陽ではありませんかというと、
「赤いんです。日本にもパリにもない、どこの太陽とも違います」
 K氏だけが持つ感性である。
 湖畔にある田舎風のホテルでカプチーノを飲んだあと、ローマへの道を引き返した。
 道々、西の空がほんのりと夕日に染まりはじめた。刻一刻と色を変えながら、見る間に空いっぱいに真っ赤な夕焼けが広がった。崩れかけた古代水道橋が黒いシルエットとなって、一幅の名画のような光景になった。ふと私は、子供のころ縁側に座ってきょうだいと眺めた夕空を思い出した。それは郷愁へとかわっていった。
「これだ !」
 夕焼け空は、生まれ育った故郷を離れ、遠い異国に住んでいる者のノスタリジアではないだろうか。イタリアの夕日を描きつづけるK氏は、夜中、精根尽き果てるほど絵筆を握っていた後にチビリチビリとお酒を飲んでいると、白々と夜が明けてくる。その「朝日」をみているとまた創作意欲をそそられる、といっていた。
 元気だろうか。K氏と音信が途絶えて七年になる。
                             おわり

  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

29日から休みに入りました。5日に松村夫妻に会う予定になっています。楽しみにしています。
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Zakkaya Weekly No.468

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com