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No.467          Ryo Onishi               4/24/2005   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

先週、久しぶりに中條さんにお会いすることができました。高島さんの案内で3人で高槻の面白いスポットで楽しい話に花が咲き、いい時間をすごせました。その中に吟醸ミュージアムが入っているのは言うまでもありません。中條さんは高槻がずいぶん気に入った様子で、これからも用事を創って大阪に来られるのではないかと思っています。(R.O.)

良心に反する仕事

 日本の4月は春爛漫であると同時に、一年のスタートの時期でもあります。学校に、そして社会に“ピカピカの1年生が大きな希望と、ちょっぴりの不安を胸に入ってゆきます。私も小学校、中学校、高校、大学、就職のステップごとにそんな思い出があり、懐かしく思い出されます。

 「上司から良心に反する仕事を指示されたら、あなたはどうしますか?」――― 財団法人社会経済生産性本部という組織が毎年主催する新入社員研修に参加した人(日本人)を対象に、毎年こんな質問をしているそうです。(Asahi.com の記事による)

 この質問に対し「できる限り避ける」と答えた新入社員が昨年秋の調査で初めて半数を超えたそうです。

大手自動車会社の欠陥隠しや銀行の検査妨害など企業の不祥事が相次いだことが影響したのでしょう。しかし他方「不本意ではあるが上司の指示どおり行動する」も30%以上あったそうで自分の所属する集団(家族、会社、社会、など)の利益が個人の利益に優先する日本らしい結果だと思います。ただ「できる限り避ける」派の回答が年々増加しているそうで、この辺に私は日本の若者の変化が感じられそうです。

 ただし「できる限り避ける」と答えた新入社員でも現実にそんな状況(上司から良心に反する仕事を指示される)に遭遇したら果たして避ける(断る)ことが出来るでしょうか。

集団という組織の中で「個の自立による自己主張」などと言うものが無いか 又は無視されるのが一般的な日本の現状ではたいへん難しいことではないでしょうか。

私は組織と言う集団のために個を犠牲にすること自体を悪とは思っていませんが、自分が所属する集団(例えば自分が勤務する会社)のことを本当に思うなら、その集団のリーダー(会長や社長)や他のメンバーに逆らってでも自分が正しいと信ずる意見を具申し、集団(会社)が誤った方向に進むのを防ぐのは正しいことであり必要な筈です。

日本の場合、集団(会社や組織)のための自己犠牲意識が不正防止意識に勝ることがしばしばで、また社会(世間)も時としてそれを認める傾向にあります。

組織の一員であっても個人が正しいと信じる意見具申が受け入れられる社会と会社造りが今の日本に求められているのではないでしょうか。

尤も、個人主義と自己主張の国、アメリカでも(個人主義と自己主張の国だからこそ)リーダーに逆らえば放り出される危険は多く、その点では日本と同じです。ただし、アメリカの場合、企業倫理に対する考えがかなり根付いており、企業不正に対する国民感情は厳しく、企業の不正にかかわった個人が「会社のためにやったのだから」という理由で社会が免責を与えることは先ずありません。

集団の幸せの為には「個の主張」は必要であり、許されるべきでしょう。決して「集団主義」だから「長いものには巻かれろ」だけでは良い集団として存在し、継続する筈はありません。

正義と理想に燃えて企業に入った新人の純粋な志(こころざし)が生かされる社会をつくることも既存社会の責任ではないでしょうか。 

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言“遠く”と“近く”」

仕事でも個人の生活においても、自分の目の前に置かれた困難な課題や問題に、どう取り組み、どんな結果を出したかということが、大きな分かれ道になる。これはごく当たり前のことだが、忘れてしまっている場合が多い。この課題や問題を結果へと導くその間の緊張や圧迫の中で、いかに力を保ちつつ正しい方向へ自分が自分を支えられるか、そこには単純なひとつの原則があると思う。これをさくらは、“遠近両用めがねの法則”という。

“遠近両用めがね”にはまだお世話になっていない45才の私だ。しかし、「離せば分かる」年齢と同時に、役割や任務を負う立場に置かれることが多くなったのは事実だ。先日、久しぶりに、数百人の聴衆を前に、重要なプレゼンテーションを担当した。実は、準備の段階からそのプレゼンテーションが終わるまで、失敗が怖く、緊張と不安でいっぱいだった。この数週間、眠れぬ夜が続いたほどだった。当日、いよいよ壇上に上がり、マイクを持った時、緊張のあまり頭は真っ白、声はパニックで詰まりかけた。私はどうしようもなくなって、とっさに手元にあった自分の資料をスピーチテーブルに置き、遠く最後列の席に目をやった。そこには、社内で一番親しい友人M.Iさんの顔があった。彼女とは部署も任務も違うが、同性同年輩ということもあり、仕事における夢や挑戦を語り合う戦友の一人だ。私はその瞬間、「これだ!」と悟った。不安が消えた。ほんの数秒間の出来事だったに違いないが長い時間に思えた。そしてこの一瞬に学んだことは、大げさな表現かもしれないが、仕事や人生におけるひとつの自然原理の“法則”だった気もする。それは自分の目前にある手元足元から線上にある遠方(将来)へと視点を変えることにより、不安や恐怖が安心や信頼へと変化させられていくのである。そして、歳をとるということも、それに伴った仕事に応えていくことも、遠近両用のめがねを使用する時を迎えると同じように、人生の次のステージへの季節なのかもしれない。

ところで、以前中国の諺「月を指差した時、愚か者は月を観ないで指先を見る」をこの面で紹介したことがあるが、これに似た話でちょっと違う示唆をかもし出す逸話を先日みつけた。メキシコ先住民関連の書『老アントニオのお話』(マルコス副司令官著書・小林到広編訳・現代企画室刊行)である。以下に一部抜粋する。

『老アントニオ: 太陽を指差した時、間抜けな者は指を見る。しかし、もし太陽を見る 奴がいるなら、それ以上に間抜けだ。目が見えなくなるからだ。仮に目が見えなくならなかったとしても、上ばかり見ていると、やたらに転んでしまう。一方、指ばかり見ていると、自分の進む道がわからなくなる。つまり立ち止まったままになり、指の後ろしか歩けなくなる・・・
マルコス: どうすれば、遠くと近くを同時に見られるのですか?
老アントニ: 話し合いながら、耳を傾けるのだ。近くにいる者と話し合い、耳を傾けるのだ。遠くにいる者と話し合い、耳を傾けるのだ。夢を見る時、はるか彼方の天上にある星を見なければならない。しかし、戦うときには、星を指差している手を見つめねばならない。それが生きることである。継続して視線を上げ下げするのだ』。

仕事の世界では、役が人を育てる場合がある。逆に、役が人を駄目にしてしまう場合もある。同様に、人生や個々の生活では、困難や逆境が、人を育てたり殺したりする。いずれも戦とするならば、そこに勝利の法則としてひとつ、「遠近両用めがねの法則」なんてものがあるように思うのだ。そう考えると、遠近両用めがねをかけられる年齢というものは、違った意味ですばらしい人生のステージだと言えないだろうか。今はまだ遠近両用をはめてはいなが、今年さくら45歳は、色々な意味でそのステージへの階段へ足を一歩のっけたのかもしれないなあ・・・っと呟くさくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

出世魚挫折 回転皿に乗る

定年になってスーダラ節の悔い

食卓に糖尿と言うお品書き 

青い山脈歌う老春肩を組み

今更のうぬぼれ歳に笑われる

( ニュースやぶにらみ )

「フジ賞レース」
4コーナーで失速した −穴馬ホリエモン

「NHK会長、受信料回復に全力」
信用は? ー視聴者

「ゴールデンウイーク」
みどり、憲法、子供は大事です −レジャー産業

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

法王  あの時私は( 2 ) 

 あの日、ローマ市内はポリスカーのサイレンが鳴りひびいていた。ローマ法王パウロ二世狙撃事件が起きた一九八一年五月十三日のことである。
 夫と私はポリスカーの走行方向とは逆のテルミノ駅に向かっていた。はじめてのイタリア旅行だというのに、半日ローマ市内を見学しただけだった。ふたりともしょげていた。スイスからヴェネツィア行きの夜汽車の中で私のバッグに入れていたトラベラーズ・チェックを全部盗まれたのだから、元気の出ようはずがない。
 パリ行きの汽車に乗り、車窓を流れる田園風景を愉しむ気にもなれず、ただ呆然と眺めていた。ピサの斜塔のある街をすぎてフランスに入った。パリに到着すると、ドーバー海峡行きの汽車に乗りかえるには五時間もあった。セーヌ河沿いのベンチに座ってフランスパンをかじり、パリの北駅に行った。それでも待ち時間はたっぷりあったが、お金がないからどこにも行けない。しかたがないので駅の構内をぶらついていると映画の撮影をしていた。
 ロサンゼルスの家で私の姪と留守番をしている六歳の娘に、
――すてきな女優を見たわ。パリの駅で映画を撮っていたのよーー
 話してやると喜ぶにちがいないと思いながら、私はぼけっと撮影のようすを見ていた。ローマ市内のグッチ本店で買ったばかりのバックを肩にかけて。
 ドーバー海峡行きの汽車が音もなく、すっーと動き出した。
 いよいよ旅の終盤である。
「酷い目にあったから、ロンドンへ着いたらいいホテルに泊まろう。貧乏旅行だったからからな、一回は贅沢なホテルに泊まらなくちゃ」
 夫がいった。向かいの席に中年の紳士が一人座っていた。気をつけろよと夫が注意したので、私はバッグをずっと膝の上に抱きかかえていた。終点近くになって、何気なくバッグを開けて唖然とした。財布がない。パッグとお揃いで買った財布がない。前に座っている紳士を改めてみつめなおしたが、マジシャンでもあるまいし、彼でない。だとすると、考えられるのは、パリの北駅。
 スリだ !  
 映画の撮影をぼけっと見ていたとき、スリにやられたとしか考えられない。お金は入っていないが、財布にはアメリカ永住権カードが入っていた。あれがないとアメリカへ入国できない。どうしよう ! 
 いいホテルどころか、ロンドン市内の安宿に荷物を置いてアメリカ大使館へ行った。あいにく木曜日の午後。週末に入るので来週にならないと手続きができないという。夫は予定どおりの飛行機に乗らないとオーバー料金をとられる。
「いいよ、いいよ。ひとりで大丈夫。先に帰って」
 とはいったものの、心細くて心細くて泣きだしそうだった。
 ひとり取り残された私は、不安と孤独をかみしめながら、アメリカ大使館から連絡がくるまで、安宿から一歩も出ることなく待機していた。
ちょうどチャールズ英皇太子とダイアナ嬢の婚約発表があり、二ヶ月後にはロイヤル・ウエディングが挙行されることになり、ロンドン市内は沸き立っていた。
 
 あれから二十五年後のニ〇〇五年四月九日、すでに故ダイアナ妃と離婚していたチャールズ皇太子は、三十年来の恋人カミラ・パーカーポールズさんと結婚式を挙げた。ちょうどローマ法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀が執り行われた翌日である。
 なんだが因縁めいた感傷に、私は浸っていた。
 これから二十五年先、私はどうしているだろう。生きているか、いないか。
 ――明日のことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である――
 私の好きな聖句である。
 今日一日精いっぱい生きたいと思うが、はてさて、どうしたらよいものか……。
                              おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

成岡流お酒の楽しみ方 番外編

《吟醸酒蔵みゅーじあむ13年を回顧する》 
日本酒の味・香り・造りに感動!感動! 
                   吟醸酒蔵みゅーじあむ 館長 成岡 卓翁 
  
 私は、八〇年代はある理由で、禁酒・禁煙の誓いをたて、十年間の禁が明けた十九九〇年元旦に、酒飲み友達からもらった静岡県の純米大吟醸「おんな泣かせ」を呑んで、美味しい日本酒に目を奪われた。 
 以来、友人と飲みに行くとしても「美味しいお酒」が呑める店を選び、宴会などでは魔法瓶に吟醸酒を入れて持って行き、わけの分からない燗酒には手を出さなかった。 
 また私は、就職以来自分が公務員に向いてないと思い、いずれは自分の技術を生かせる設計事務所を持ちたいと、脱サラのチャンスを窺ったが、一次二次のオイルショックなどの不況で実現しないまま、四十代の男の厄年に入り、夢は消えかけていた。 
 ところが、ひょんなことから十三年前の一九九二年四月十三日に銘酒居酒屋「吟醸酒蔵みゅーじあむ」を開館することになり、数ヶ月後「ぎゃらりー幾」の縁で「シイーム」に毎号つたない文章で執筆させていただき、遂に一五〇回を数えるまでになった。 
 ゆえに、ある意味で「シイーム」は、みゅーじあむの軌跡を綴らせてもらった、私にとって貴重な月刊冊子でした。殆どの読者とは面識もなく、社長の石田さんには「いつでも降板しますので、読者から不満が出たり、より良い執筆者がおられたら遠慮無く言って下さい」とお願いしていたが、結果シイームの最終号まで書かせていただけたことは、光栄であり、恥ずかしい限りです。 
 ただ、私の文章では表現しきれない、素晴らしいお酒を読者の方々に紹介できたことは自慢できると思っています。そこで、有終の美を飾る意味で、私が十五年間余で感動した出来事と、お酒を披瀝させていただくことにします。 
  
北海道の酒 
  
 私が実際尋ねた酒蔵は北は北海道から南は九州までありますが、東北地方の酒蔵には一度もお邪魔できなかった。 
 北海道も唯一、旭川市の『男山』の酒蔵に厳寒の中お邪魔しただけである。そのきっかけは、寺内さんというお客さんが、企業派遣で北大に研究に行っておられたので、その彼を頼って、行きはトワイライトエキスプレス、帰りはジェットで札幌に行き、せっかく北海道に行くのだからと、旭川まで足を伸ばしたわけだ。 
 トワイライトエキスプレスは決して豪華列車ではないし、速いわけでもないが、憧れの列車の旅は楽しかった。正午に出発して、青函トンネルを夜明け前に通過し、その時刻に専務車掌のトンネル秘話が聞けるとあって、わざわざ起きて展望車両まで行ったことを覚えている。 
 さて、「純米大吟醸・男山」は四合瓶で五千円もするが、さすがに旨い。もう一つ、元禄時代の酒造り法で醸した「復古酒」も当館に置いたが、こちらはメチャ濃くて甘いので、極限られた方には人気がある。 
  
東北の酒 
  
 東北地方は、秋田を中心に美味しいお酒を醸す蔵が沢山あり、紹介する蔵を絞るのに苦労するが、まず本州最北の青森県の『田酒』はピカ一ではなかろうか。秋に大阪で、建築家の篠田次郎さんらが音頭を取って作られた、日本吟醸酒協会主催の?き酒会があり、私は何度か田酒の西田社長さんに、関西では入手し難いので苦情を言ったことがあるが。今当館ではやむなく千葉県の酒屋さんから田酒を仕入れている。 
 「田酒純米大吟醸」は関東で大変人気の銘柄で、吟醸香が強いわけではないが、スッキリとした飲み口はなかなかインパクトがあり、「特別純米酒」にも蔵の姿勢の良さがにじみ出ている。 
 続いて東北の各県のお酒でお勧めを紹介すると、太平洋側の岩手県では南部杜氏協会・仙台国税局・全国新酒鑑評会の三冠を取った『南部美人』が光っている。若い五代目藏元久慈浩介製造部長のエネルギッシュな活躍は、日本酒の未来に明るさを与えているように思う。 
 岩手県には「(社)南部杜氏協会」があり、杜氏集団を束ね、全国に蔵人を派遣しており、醸造の研修や杜氏試験などをおこなっていて、その技術は高く評価されている。その中でも岡山県倉敷市の『正義櫻』に来られていた渡邊栄二杜氏は、何度か話をさせてもらったこともあり、尊敬している。 
 我々が田植え・稲刈りなどをさせてもらった備前山田錦で醸された「百花繚乱大吟醸」は、日本酒度+7、アミノ酸度0.5という、とんでもない数値であるのに、真似の出来ない素晴らしいお酒を醸しておられた技には頭が下がる。 
 次ぎにその南に位置する宮城県では「浦霞」「一ノ蔵」「墨廼江」など、美味しい地酒蔵が沢山あるが、『綿屋』が私は気に入っている。名前が名前なので、こちらがお勧めしないと呑んでもらえないが、どのランクのお酒も見劣りしない出来映え。 
 その南の福島県では、醸造に手間と時間のかかりリスクの多い、生もと造りで頑張っている『大七』が「純米大吟醸」まで生もと造りをしているのは、賞賛に値する。 また『天明』の曙酒造に『玄宰』の末廣酒造が良い。 
 日本海側では、酒所の秋田県では色々良い酒はあるが、中でも戦前に蔵が合同してできた『北鹿』の「丹誠無二大吟醸」は群を抜いているように思う。 
 山形県も最近人気の蔵がいくつか出てきているが、「くどき上手」「米鶴」「出羽桜」「東北泉」などの人気地酒を飛び越して「十四代」が脚光を浴びているが、『楯野川』の「秘蔵大吟醸」は凄いインパクトがある。中でも「平成二年」ものは実に素晴らしく、在庫を全部いただいたが、それはもうない。実際にこの酒を造られた藏元は亡くなられているが、いずれはこのお酒が日の目を見るだろうと思い、氷温貯蔵されていたようだ。実に丁寧にお米を磨き、細心の注意をはらって造られたことは、手に取るように伝わってくる良いお酒だ。もちろん現在の若き杜氏や藏元が醸すお酒も優秀であるのは間違いない。 
  
想い出の酒と酒器のエキシビション 
  
 前出の日本吟醸酒協会と言えば、その?き酒会の合間に開催される吟醸酒大学校を、一定回数受講し申請料を添えて申請すれば「吟の騎士」の称号が与えられ、私も篠田学長直々に賞状と盾をいただいた。その時に、篠田さんは「貴方の貢献度は大したもので、こうした賞を渡すのは失礼かも知れませんな」というようなお褒めの言葉をいただいた。それには訳があって、その二年前に「吟功績賞」(副賞:銀鉱石約一s)というのを幻の日本酒を飲む会・吟醸酒研究機構名で、同じく篠田さんからもらっている。 
 その「功績」とは、酒造りと器創りのコラボレーションとでも言えるのか、美味しいお酒をより楽しく呑むために、マッチした酒器を見つけるための「酒と酒器のエキシビション」を赤字を繰り返しながらも四回も主催した「カド」で、表彰してもらっているからである。 
 沢山のみゅーじあむに集う愛飲家に協力してもらって実施できたわけだが、景気が良くなればきっと大反響を巻き起こせるイベントだと確信している。それにしても、主旨に賛同して会計役を買ってくれていた、お客さんの寺岡さんが一昨年末他界されているのが残念だ。 
  
関東の酒 
  
 さて関東のお酒のお勧めを紹介すると、栃木県では「四季桜」「大英勇」「東力士」なども美味しいが、いま一番冴えているのは『鳳凰美田』の小林酒造ではないだろうか。三十五歳の若き小林専務に、醸造試験場の講師の経歴を持つ奥さんと、山内杜氏の藤田コ松さん他蔵人が一丸となって醸している。また小林酒造のお酒に惚れた酒販店や一般ユーザーを巻き込んで、酒米を田植えして稲刈りして、それで醸しているのも心強い。 
 茨城県は、「一人娘」や「府中誉」も凄いが、何と言っても日本一香りの華やかな須藤本家の『郷乃誉』「花薫光・純米大吟醸」は他を圧倒している。自家培養した酵母は門外不出とかで、大切に保管されているそうだ。ただよその蔵がお酒の価格を下げてきているのに、「花薫光」は一六〇〇〇円(一升瓶)と上げられた。造る側の論理と呑む側の論理が齟齬をきたすと、結果マイナスにしか作用しないのではないかと心配する。 
 群馬県では名前のイメージ通りの龍神酒造『尾瀬の雪どけ』が、サラッとした中に輝きがある。「みゅーじあむ」開業当時の人気のあった『聖の真酒』は最近六年連続全国新酒鑑評会で金賞を受賞しているとホームページに書いてあるが、最近呑んでないので何とも言えないが、きっと良いお酒だろう。 
  
 千葉県は、醤油では全国銘柄の蔵があるわけで、そういった意味では日本酒の酒蔵も多いと思うが、「岩の井」自然派指向の「五人娘」なども当館に置いているが何と言っても『東薫』の「特選大吟醸・杜氏又川」の生酒は群を抜いているように思う。 
 埼玉県にいくと、東京のベットタウン的イメージが強いが、純米造りを早くから始め辛口で関東に人気の「神亀」もさることながら、麻原酒造の『琵琶のささ浪』の「純米大吟醸・大香の蔵」他どのランクのお酒も良くできている。最近は「梅酒」や「焼酎」など、何か楽しんで酒造りをされている様子が伺い知れる。 
 東京都ではさすがに蔵の数も限定されてしまうが、『澤乃井』の「大吟醸」が光っている。もちろん東京都でも「日本に米があり、奥多摩に銘水がある限り美酒を造り続けます」と宣言しているだけの、自然が残された所での酒造りなんでしょう。 
 関東で最後は神奈川県のお酒ですが、「いずみ橋」や「初駒」もリーズナブルなお酒で人気であるが、今一番人気なのは『丹沢山』の「隆」シリーズである。こちらも太平洋からは離れた山間にある酒蔵で、南部杜氏の上川さんが醸すバラエティー豊かな酒質が楽しい。 
  
甲信越の酒 
  
 甲信越の最初に長野県のお酒で一番人気は、何と言っても『真澄』の「大吟醸・夢殿」だろう。季節商品として「吟醸・あらばしり・しぼりたて生原酒」もリーズナブルなお酒だが、「大吟醸・夢殿」は看板商品としての価値を十二分に発揮して、長野県一の蔵に成長している。私は個人的に飯田市の『喜久水』を評価しているが、地元の人たちが大手のお酒を呑んでいて、乖離してしまっているのが悲しい。その他「天法」「牧水」「明鏡止水」「大雪渓」「千曲錦」「七笑」なども良いお酒を造っているが、みゅーじあむで特異なお酒で一番安いお酒として、宮島酒店の『大自然』「本生・にごり酒」三〇〇_が長らく人気を維持している。それというのも、通年商品だが、瓶詰めされた冬から春にかけては、爆発しそうな発酵力を見せてくれるので、日本酒がどのようにでき上がってくるか知らない人でも、一目でその凄さに驚いてくれる。実はその陰には、何人もの蔵人が仕込みタンクに落ちて殉職されているという、酒造りが厳しいものであることを証明しているのである。    (つづく) 


編集後記

来週末はゴールデンウィークですね。みなさんはどんな予定を立ててますでしょうか?
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

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Zakkaya Weekly No.467

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
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