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No.463          Ryo Onishi               3/27/2005   

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雑貨屋のひとり言

「愛・地球博」が開催されました。人気の高いパビリオンの予約はインターネットでやれるなどパーソナルコンピューターの時代になっている今日の社会を35年前の大阪万博のときに誰が想像したでしょうか?そして環境問題など、みんなが一人一人何ができるのかを考えさせるのがテーマのひとつと聞きます。これも大きな変化ですね。さあ、私はいつごろ行こうかな。(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(180)

今年のカリフォルニア・ポピー(2005年)
 今年もカリフォルニア・ポピーの季節が到来しています。この花はカリフォルニア州の花(The State Flower)」に指定されています。

今年も我々夫婦は『観光スポット』取材のため、この花の保護地区である Antelope Valley California Poppy Reserve(ロサンゼルス・ダウンタウンの北、ドライブで約90マイル)へ行ってきました。

カリフォルニア・ポピーは自然条件に左右される花で一昨年は見事でしたが昨年は不作でした。今年は一昨年には若干及びませんが、それでも広々とした高原一面に咲き乱れる様子は充分一見の価値がありますのでぜひお出かけください。(添付写真は3月25日に撮ったものです)

 資料によると、このカリフォルニア・ポピーは、北米大陸原産のケシ科の野生植物で、荒野に群生し、3 月中旬から5月初旬にかけて、南カリフォルニアの各地で目の醒めるような鮮やかな黄色、またはオレンジ色の可憐な花を一面に咲かせるとあります。

花は日が沈むと閉じ、日が昇ると開花する性質があるようで、日の出とともに荒野にいっせいに花開き、あたり一面を黄金色に染める光景は迫力満点であり、感動以外のなにものでもありません。

カリフォルニアの青い空の下、キラキラと輝くその姿から、この花は、別名を「ゴールデン・ポピー」とも“copa de oro (黄金の杯)”とも呼ばれていますが、まさにこの花にふさわしい名前といえましょう。

1年草で草丈はせいぜい20センチ内外、4つの花弁で、向かい合った1対の花弁がもう1対の上に重なった独特の花びらのつきかたをしており、このため真上から見ると花がひし形に見えるので日本では「花菱草」という別名もあるようです。

ひとむかし前までは、南カリフォルニアの荒野のいたるところで目に出来たこの花も、近年、急速に進む土地と自然の開発のため、生息地が年々減少しつゝあり、そのため「カリフォルニア州花(ポピー)を守ろう」というボランティア運動の結果、1976年4月に出来たのが“Antelope Valley California Poppy Reserve(保護区)”で、この地域がカリフォルニア・ポピーの最後の大規模生息地ともいわれています。

1,745エーカーもの広大な保護地域内には、車椅子でも利用できる舗装道路を含む全長7マイルのトレイルなど広大な眺望を楽しむ施設が整備されています。

また、ここにはカリフォルニア・ポピーだけでなく、その他の野生植物、例えばowl's clover(南北アメリカ原産のゴマノハグサ科)、lupine(南北アメリカ原産のマメ科)、 goldfields(北米西海岸沿いに見られるキク科)、cream cups(北米カリフォルニア原産ケシ科)、coreopsis(キク科)などの草花の鑑賞も出来ます。

ビジター・センターには無料の案内資料やビデオ映写による説明などもあり、いろいろ学べます。

カリフォルニア・ポピー始め、これらの草花は、気象条件によって開花の時期が毎年変化するので、出かける前に事前確認が必要でしょう。

Poppy Reserve(保護区)地域だけでなく、周辺にも見渡す限りの黄金の絨毯、または黄色いペンキを撒き散らしたような風景があちらこちらに点在しています。

中でも Lancaster Road とAve. D の間の 170th St. West とか、Ave. D を西に進み、140th St. West との角、また 190th St.を右に曲がった奥などは、まさに自然そのままと言った感じで壮観です。
●住   所 : 15101 West Lancaster Road, CA 93536
●オープン日 : 3月中旬 〜 5月中旬の毎日
●時間(ビジター・センター)土曜、日曜日、9:00am 〜 5:00pm
ウイークデイ、9:00am 〜 4:00pm
●入 場 料 :無 料
●駐 車 料 :$4.00(62才以上の人の車:$3.00)
●電   話 : (661) 724- 1180 
●Web Site : http://www.calparksmojave.com/poppy/

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#405(北)→ San Fernando で FWY#405 は FWY#5 と合流し、FWY#5 となる。
(2)FWY#5 になってからすぐ(1マイル)FWY#14 へ入る。
(3)FWY#14 に入ってから約45マイル進み、Ave. I(アイ)出口で FWYを降りる。
(4)Ave. I出口で FWYを降りたら、Ave. Iを左折(西へ)。
(5)Ave. I を約10マイル直進し、120th St. West を右折(北へ)。
(6)120th St. West はそのまま West Lancaster Road となり、120th St. Westへ入ってから約5マイル進んだところで、道路の右側に“Poppy Reserve”入口ゲートがあるので、そこを右折し、中へ入る。
(7)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約100マイル、ドライブ約2時間。


 
                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言池波正太郎記念文庫」

「東京に根をはり生きていくんだから、もっと江戸を知り、そして愛せるようになりたいと思っている」と話した私に『剣客商売』を紹介してくれたのは、LA在住の井出さんだった。昨年は晩秋のことだった(1月23日発行の雑貨屋454号「剣客商売」)。自分の未知の世界であった時代小説に挑むことに、いささか抵抗感はあったが、先週の日曜日、ちょうど全16巻を読み終えた。凝り性の自分を自制するために、読書は通勤電車内のみと決めていたため、通読にひと季節(冬)を要した。読み終えて、またもや井出さんの話を思い出した。「池波正太郎記念館」のことである。先週の連休を利用して、叔母と二人でついに行った。ところは東京都台東区生涯学習センター・中央図書館。その館内の一角に「池波正太郎記念文庫」が開設されている。私も祖母も、記念館へ行ったというよりは、「秋山小兵衛」に会いに行ったというのが、本音かもしれない。

ひと月も前だっただろうか、まさか老齢の叔母が『剣客商売』でもあるまいと思いつつ、遊びに来た叔母に、「読んでみる?」と何気なく薦めてみた。なんと叔母は寸暇を惜しんで、私以上に“秋山小兵衛”にのめりこんでいるという。「小兵衛は、池波正太郎その人みたいね」と、感想までが私と同じ。本来、趣味や食べ物など、いくつか私と共通点のある叔母ではあるが、こうまで一致点を見出すと、これはもう血というほかはあるまいと思ったりもした。まさに解説者の常盤新平氏によると、「『剣客商売』の秋山小兵衛は、作者・池波正太郎氏その人(のキャラや人間観、人生観)が完全に投影されており、年齢を超えた厚い層の男性ファンはもとより、そういう理想の男性像に魅せられる女性層にも、圧倒的な支持を得ているのが、池波作品の大きな特徴の一つである」という。叔母も私も、もはや池波ワールドの一員になったということか・・・「秋山小兵衛に会いたいね」と叔母からの誘いに乗って、「池波正太郎記念文庫」への小旅行が実現した。


同文庫の挨拶文に、「上野、浅草を故郷とし、江戸の下町を舞台にした『鬼平犯科帳』など時代小説の傑作や池波正太郎さんの業績を広く伝えるため平成13年9月に開設した」とある。なるほど、一歩足を踏み入れると、ウオークマンでクラシックやジャズを聴きながら執筆していた<書斎>が、ひときわ目を引く。その書斎は、品川荏原の自宅にある書斎の一部を復元したそうだ。その書斎の中に今も池波氏の呼吸が聞こえ、“小兵衛”が棲み付いているような錯覚も覚える。というのも、執筆の際に必要な資料が手をのばせば取ることが出来るように配置された机の周りや書架、『剣客商売』にたびたび引用されている「寛政重修諸家請」や「姓名家系大辞典」など常時手元に置いていた蔵書などが、生前のままに置かれているからだ。歩を進めると、まず<自筆原稿>が数種。『剣客商売』の第1巻「女武芸者」の生原稿が目にとまった時は、まるで佐々木三冬(田沼意次の妾腹の娘、のちに小兵衛の息子で同じ剣の達人・大治郎の妻となる『剣客商売』シリーズの重要な登場人物の一人)に再会したような懐かしさがこみ上げてきた。<遺品コーナー>では、前述のカセット・テープの山積みやパイプ、それに昭和35年(私が生まれた年)、37歳の時に『錯乱』で受賞した直木賞の副賞・万年筆、師と仰いだ長谷川伸氏から贈られた掛け軸、たばこ盆、山口瞳氏から贈られた茶碗などが所狭しと陳列されている。この一角で面白かったもの、川口松太郎氏から寄せられた一通の手紙だ。そこには「飲み過ぎ(アルコール類)、観過ぎ(映画)、食べ過ぎにご注意を・・・」などと記されている。そういえば、『池波正太郎の銀座日記』に「今日も試写会の帰りに立ち寄ったレストランのフランス料理がうまかった。明日の試写会の帰りは、どこどこの蕎麦を食べに行こう」、「夜食を食べ、一杯やりながらウオークマンで音楽を聴かないと筆が進まない」というような文章がたびたび出てくる。いうまでもなく池波氏が敬愛する先輩・川口氏は、それぞれの”過度“を心配しての言葉(はがき)なのだ。偶然にも、作家・川口松太郎の肉筆をも見ることができうれしかった。<著作本>、<時代小説>コーナーを回わり、充分に池波ワールドを満喫したが、私が最も瞠目(「感動して目を見開くこと」:池波作品の中には、たびたびこの言葉が使われている)したのは、<自筆絵画>であった。「私は画家になりたかった」と池波氏自身が語っているように、彼の著作本の中には、多くの自筆絵画が挿入されている。疎開時にも「クレヨンと紙さえあれば、楽しめる子だった」と母親が話していたというが、どこで絵の勉強をしたのか、あるいは自分の感性だけで描いたのか、とにかく“個展”でも開けそうな、どれもこれもが私の目と心を捉える。シロウトの私にもそう思えるほどの秀逸挿入絵ばかり。小説家、エッセイスト、映画評論家、料理評論家、そして人間として一流だった池波正太郎は、本人の夢だった“画家”も実現させた。そんな池波正太郎のかほりいっぱいの小さな館、それが「池波正太郎記念文庫」なのだ。

池波正太郎氏は、平成2年(1990年)月3日、急性白血病で逝去、享年67。93歳まで生きたとされる“秋山小兵衛”にくらべ、何とも短い生涯ではあるまいか。命日は私の誕生日である4月3日の、ちょうど1ヶ月遅れ。来る5月3日には、もう一度「池上正太郎記念文庫」へ行って、氏の自画像に花一輪でも、と、またまた叔母と計画中。通勤電車内で「剣客商売全16巻」を読んだ冬に続き、小さなリビングに“江戸古地図”を広げ、“秋山ファミリー”の世界を歩いているさくらの春である。吹き付ける冬風にも凛々しく立っていた大川(隅田川)沿いの桜も今、つぼみをのせた腕をそっと陽の光に向けて伸ばしている。その枝をくぐりながら、江戸を知るということは、江戸を愛するということだよなぁ、っと呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

あだ花と知らず両手の花に酔い

こんな日もある一球の負け投手

背後から二の矢 心に負う深手

勝ち組のルールが黒を白にする

拾う神あって明日の陽を貰う

( ニュースやぶにらみ )

「 素朴な疑問」
どうして戦争がなくならないんだろう −愛・地球博

「ソフトバンク系会社が筆頭株主に」
スポンサー探しはお手のものです −フジテレビ

「漁夫の利」
子会社、系列会社を使って −孫社長

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

夜回りムッシュの村
 
  アルザス地方のワイン街道をレンタカーで走っている。
 ブドウ畑の幾筋もの列が早おくりのビデオテープのように車窓を流れる。緑の縞模様を貼り合わせたようなブドウ畑の丘陵を上がったり下がったりしていると、赤茶色の屋根をした集落が行く手にあらわれてはうしろに消えていく。見事に整備された田園風景を眺めていると「豊か」という思いが胸にせまる。村に立ち寄り、特産の酢漬けキャベツとソーセージをパンにはさんでもらう。五月のさわやかな風をうけ、パンをほほばりながらの快適なドライブである。
「さぁーて、……」
 夫がいった。
 今晩はドイツのコマールに泊まろう。あそこは秋になると備中神楽や倉敷天領太鼓、それに大名行列が行われるほどの日欧文化交流のある街だ。旅好きの夫は、新聞などに珍しい記事が載っていると切りとっておく。今回の情報もそうであった。
 私は、フランス側のティルクハイム村で泊まりたいといった。なぜなら、アルザス地方で唯一残っている昔ながらの『夜回りムッシュ』がいることをガイドブックで知っていたからである。いつもなら聞く耳を持たない夫がめずらしく私の意見に同調した。
 ティルクハイムは城壁に囲まれた小さな村だった。入り口はアーチになっており中世風の尖がり屋根をした塔になっていた。見上げると高い位置になにやら古びた日時計らしき物を見つけた。こんな物を見付けると、外国を旅しているという実感があって胸が躍る。私たちは門外に車を停め、昔の旅人になったつもりでアーチの門を入った。剥げ落ちた壁、デコボコの石畳、パステルカラーに塗られた木組みの家が軒をつらねるている。村の広場に案内板があり、そこに夜回りムッシュの絵があった。
「これよ、これ。私が見たかったのは。毎晩十時、ここから出ると書かれているわ」
 私が興奮していうと、夫はまったく興味がないらしく、
「なんだい。これかい」
 と、そっけない返事をした。
 私たちは田舎風のレストランで鱒料理を食べ、地元の白ワインを飲んだ。ふたりともいい気分に酔ってしまった。ベッドへ横になるとそのまま寝入ってしまいそうなので、私は旅日記をつけながら、時間がくるのを待っていた。夫は「疲れた。オレは寝る。オマエひとりで行ってこい」と、さっさと寝てしまった。九時半を過ぎた。豪快なイビキをかいている夫を横目に、私は、そっと部屋を出た。
 夜風が吹いていた。私はセーターを着ていたが、それでは足りず、コートを持ってくればよかったと悔まれた。人が集まりはじめた。ほとんどが初老の夫婦連れである。夜回りムッシュが出るまでに十五分ある。コートを取りにいったついでに夫を起こして「あれを見なきゃこの村に泊まったカイがないわ」と、強引にひっぱってこようかしら……。夫を呼びに行く時間はある。どうしょう。だが、見逃したら元も子もない。しだいに見物人は増えていくし、私はその場から離れられなくなってしまった。
 十時五分前、三分前、一分前、十時。鐘が鳴った。
 黒い帽子に黒いマント、右手に槍を持ち左手にカンテラを下げた長身の「夜回りムッシュ」があらわれた。拍手がわきおこる。ムッシュは声高らかに唄いはじめた。

 ♪  十時の鐘がなったら、暖炉の火とローソクを消そう。
    神がすべてお守りするように、私は警護にまわる。
    神が皆にすばらしい夜を与えんことを !
                  ( 地球の歩き方から )

ムッシュは唄い終わると歩きはじめた。見物人が後につづく。街角ごとに立ち止まって唄う。いつしかみんな声を合わせて唄い出した。
「夫といっしょにくればよかった。一人は淋しい。喧嘩しながらでも夫婦でいられるのは、どれほど幸せなことか」
 私は独りごちつつ、石畳に響く靴音を聞きながら夜の村を歩いた。                                           おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

何度も書いて恐縮ですが、鼻がぐずぐず、目がかゆくて困っています。今年は昨年に比べてひどいと思います。
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Zakkaya Weekly No.463

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com