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No.459          Ryo Onishi               2/27/2005   

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雑貨屋のひとり言

いいニュースが続いています。宮里藍選手が先週に引き続き、オーストラリアで大活躍。残念ながら優勝は逃しましたが、今年も女子プロゴルフは宮里選手を中心として高い人気となりそうです。
スノーボードのワールドカップ(W杯)で17歳の成田夢露が初優勝、上村愛子のスキーW杯モーグルでの優勝、横浜国際女子駅伝での日本チーム優勝など、女性選手の活躍が目立ちます。それからもうひとつ、失敗続きのH2Aロケットの打ち上げの成功、あまりいいニュースがなかったのでうれしいですね。
(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(179)    

今年の バルボア・パークお花見情報(2005年)
 雨の少ないのが特徴のロサンゼルス地方ですが、昨年から今年にかけて異常気象ともいえる雨量を記録しています。

全米気象局(NWS)の発表によると、ロサンゼルスの雨量は昨年7月からこの2月22日までの総雨量が33.45インチ(850ミリ・メートル)に達し、現時点でも観測史上4番であり、このままゆけば1883−84年に記録した38.18インチ(970ミリ・メートル)を121年ぶりに更新する可能性が高いのだそうです。

この2月17日(木)から22日(火)までの5日間だけの雨量でも平均9インチ(230ミリ・メートル)となっており、雨に弱いロサンゼルスとその周辺は各地で地滑り、家屋の崩壊、道路の陥没など被害続出といった状況です。

しかしそんな中でも春は確実にやってきています。ロサンゼルス地方の桜は異常気象のためなのでしょうか、今年は開花が早く、例年より1、2週間も早くなっています。

例年なら3月中旬頃が見頃の桜なのですが、リトル・トウキョウやトーランスのアメリカ・ホンダ敷地に植えられた桜の若木は2月24日現在、既に盛りを過ぎました。

 私たち夫婦は2月23日(水)の午後、“お花見”名所であるバルボア・パークへ今年の桜の下見に行って来ました。(添付の写真はその時に撮ったものです)

3千本を越える桜の木はほぼ満開に近く、この調子では週末(2月26、27日)が見頃でしょう。

ただ、雨の影響で足元の草原がぬかるんでおり、腰をおろしてお弁当を広げる場所の確保に難儀をしそうです。

それでもここの桜は必見です。これからのお天気次第ですが、ロサンゼルス周辺にお住まいの皆さんはお見逃しないようお出かけ下さい。

☆バルボア・パークと桜について:
 ロサンゼルスのフリーウエイ、#405と#101の交差する北西一帯は、“Lake Balboa Recreation Area”または、“Sepulveda Dam Recreation Area”と呼ばれ、3つのゴルフコース、スポーツセンターその他があり、EncinoはじめSan Fernando周辺地域の人々にとってリクリエーションの場となっています。

 その中の一角にある湖が“Lake Balboa”で、周囲を広く青々とした草地に囲まれた憩いと語らいの場所です。

 湖の周囲には3,400本の桜の木が植えられ、季節になると見事に開花し、訪れる人々を楽しませてくれます。

 これらの桜は匿名の日本企業の寄付によるもので、1990年に計画が持ち上がり、1992年に最初の苗木が植えられました。

 桜を寄贈した日本企業の責任者の話によると、桜の花にとって必要なことは、暖かな春だけではなく、寒い冬、良い水はけ、病害虫が無い・・など、数多くの条件が満たされなければならず、当地ロサンゼルスのような、いわゆる “地中海性気候”では1ヶ所に大量の桜を育て、開花させるのは不可能とされていました。また育ったとしても葉桜になってしまうのだそうです。

 そのため、関係者が数年をかけてロサンゼルスにも適する桜を開発し、“Pink Cloud”という品種にまで辿りつき、それがこの場所に植えられたのだそうです。 

 沢山の水鳥が戯れる湖と広く明るい湖畔は、桜の季節以外でも充分素晴らしい環境です。“貸ペダル・ボート”に乗ったり、湖畔でバーベキュー・ピクニックをしたり、遊園施設で楽しんだり、一人でも、二人でも、家族全員でも楽しむことが出来る、思いきり明るいところです。(但し、アルコール類は持ち込み禁止です)
●開園時間:日の出から日没まで(毎日)
●入園料 :無 料
    貸ペダル・ボート料:一 般 者 $10(1時間)、$7(30分)
     65歳以上 $ 7(1時間)、$5(30分)

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY #405を北へ。 FWY #10を通り越し、FWY #101(West、Ventura方面)へ入る。
(2)FWY #101(West)へ入って2つ目の出口、Balboa Blvd. で降りる。
(3)Balboa Blvd. へ降りたら右折(北へ)、すぐのBurbank Blvd.を横切りそのまま北上、 約1マイル進むと右側に“Authony C. Beilenson Park、Lake Balboa Recreation Area”という看板があり、そこを右折、中へ入る。間もなくLake Balboa湖畔に出る。
(4)全行程;(Torrance方面からの場合)約30マイル、ドライブ約1時間。 

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「ひな祭り

♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひな祭り・・・♪
先日プレーした千葉のゴルフコースに、梅の花が咲いていた。梅が終わる頃には、桃だな・・・とゴルフの合間に「桃の節句・ひな祭り」を思う・・・。「ひな祭り」には、特別の感慨がある。一つには幼い頃、両親は私に雛人形を与えてはくれなかった。“ガキ大将”を気取っていた私を両親は、“女の子”と認めてくれなかったのかもしれない。現に父の口癖は、「この子が男の子だったら・・」だった。姉には何段もある、どでかい雛壇が与えられ、私にはなかった。自分の「雛壇」が欲しくてたまらなかったことを今でも覚えている。そんな末っ子で寂しがりやの私は、男マサリの反面、雛壇が与えられた姉よりも人形遊びをすることが多く、お人形がいっぱいのおんなの子の生活だった。そして、おとなになってからのうれしい思い出は、渡米当初、九州の親友が小石で、知人が古着で、それぞれ手作りの雛人形(お内裏さまとお姫さま)を贈ってくれたことだ。ただ気力だけの生活を余儀なくされていた当時の自分は、望郷の念を抑えきれず思わず涙した。その時、日本人であることと、“女の子”であることを思い知らされたものだ。素朴な、しかし、愛情のこもった親友と知人の手作り二組の雛人形が、その後の米国生活にどれほど心の安らぎと励ましを与えてくれたことだろう。以来、ひな祭りの季節には、“日本人であること、と、女性であることのよろこびをかみしめよう”と決めている。

親友と知人が在米中の私へ贈ってくれたその二組のお雛様は、私と共に再び日本へ舞い戻った。年中、リビングのサイドボードの中に飾られ、ガラス越しに私の毎日を見ている。そのお雛様がガラスの外に姿を見せるのは、毎年節分を過ぎた頃から3月3日まで。リビングに漂う桃ならぬお香のけむりに包まれ、1年ぶりに飾られる雛人形たちは、いかにもうれしそう。そんな雛人形を眺めながら、幼い頃に聞いた父の言葉を思い出す。「何時も女は、男が刀を抜く利き手側に立ってはならぬ。しかし、結婚式の時のみその位置にたってよい。利き手が側に一度だけ、男が人生を信頼しゆだねるという意味で契りの証だ』と。実は、雛人形の並べ方は、関東と関西では違うそうだ。関東では男雛は右(向かって左)。これは、男上位、右腕(最も優れた部下)」、「右に出る者はいない(一番である)」という説。反対に関西方面は、天照大神や卑弥呼のように「女性の力が強く、男女対等という思想があったのでは」、ということらしい。果たして九州男児の父は、どの説を伝えたかったのだろうか。

ところで、このひな祭りの起源は古く、『日本書紀』にもその記述が残されているとかで、「奈良時代から“上巳(じょうし、または、じょうみ)の節句”といって3月初めの巳の日に水辺に出て不浄を取り除くための禊(みそぎ)祓(はらえ)をして幼児の無事な成長を祈願した」といわれている。また平安時代には、小さくて可愛らしいことを“ひいな”と呼び、幼女が小さな人形を用いて遊ぶことを“ひいな遊び”といったそうだ。確かにその様子は、かつて読んだ『源氏物語』や『枕草子』にも描かれていた、という記憶がある。時代が江戸の泰平の世になると、本来は別のものだった“上巳の節句”と“ひいな遊び”とがいっしょになって、現在のような「ひな祭り」へと変化していったらしい。

「上巳の節句(ひな祭り)」は「桃の節句」。桃という字は「木」へんに「兆」。「兆ほど(たくさん)実をならせる(子供を産む)」と解釈され、安産、強い生命力、悪魔(災い)を払う力を与える果実として、古くから重宝されてきた。少子化傾向がますます加速し、深刻な高齢者化社会を迎えた今日、3月3日の「ひな祭り」を機に「鬼退治をした桃太郎のような強い日本人をたくさん生み育て、将来日本の健全なる国家構築に備えなければ」などと硬いことを言いたい気もする。しかし、正直なところ、仕事を終え帰宅して、サイドボード上の可愛いお雛様を見つめ、白酒ならぬ“いいちこロック”を飲みながら、こどもの頃やアメリカ時代の生活、そしてまた旧友への懐かしみに浸ることの多いこの頃である。
「♪ 金の屏風に うつる灯を かすかにゆする 春の風 お内裏さまとお雛さま ふたり並んで すまし顔・・・」のさくらになれるのはいつの日だろうか、っと呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

下請けの汗がデフレに値切られる

再建は無理かなロボットも欠伸

合併の社に日本語が小さくいる

若返り人事ビー玉転げ出る

一夜城諸刃の剣を裏返す

( ニュースやぶにらみ )

「結婚しなくても幸せ、73%」
負け犬と言わせない −独身女性

「売上高一兆円越す」
チョー気持ちいい −ヤマダ電機

「給与削減を提示」
受信料不払いをしたい −NHK職員

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行(12)
 
  ラバ温泉に入って元気をとりもどした夫は、 
「ここまで来たからには、アイダホポテトを食ってイエローストーンへ……」
 と言いかけたので、
「ダメ!」
 私は夫の口に蓋をするようにピシャリといった。
「もし癌だったらどうするの? 帰りましょう」
 
 一夜明けて翌朝である。
「ロサンゼルスに帰るには三通りの道がある」
 地図をみていた夫がいった。
「一つは、十五号線を真っ直ぐ南下してラスベガスを通り、来た道を引き返す。しかしだな、それはノウがない。な、そう思うだろう?」
 たしかにそうだ。通ったことのない道がいいに決まっている。
「二つ目は、ソルトレイクから八十号線を西へ行く道。塩の砂漠を通ってネバダ州を横切りシェラネバダ山脈のドナー峠を越えてサンフランシスコへ出る」
 このドナー峠は、カリフォルニア移住史のなかで最も悲惨なできごとが起こった場所だとノンフィクション作家の渡辺正清氏は「カリフォルニアをゆく」に書いている。
 今から百五十年近く前、時は十一月。数十台の幌馬車を連ねて西へ、西へと楽園のカリフォルニアを目指してやってきた移住団八十一名は、多くの牛馬や幌馬車を失い、やっとの思いで標高七二三九フイート「ドナー峠」の湖畔にたどりついた。その年は不運にもシェラネバダ山脈には早い冬のおとずれと平年の三倍もの豪雪にみまわれ移住団は雪のなかに閉じ込められてしまった。空腹と疲労が重なり移住団八十一名のうち三十六名が湖畔や山腹で死んだ。仲間の死体を食べて飢えをしのいだ例もいくつかあるという。
 ドナー峠に行って見たいと思った。しかし、雪のロッキー山脈越えで、雪の怖さを充分体験した私は、生死をかけた走行はもうたくさんだという思いがある。
「三つ目は、オレゴントレイルをゆく」
 と、夫がいった。
「八十四号線を北西へ行く。途中、ワシントンとオレゴンの州境に『Walla Walla』というオレゴントレイルの原型をとどめた場所がある。そこに寄る。それからポートランドに出て大学にいるジュディ( 娘 )を訪ねて、一挙に南下する」
 これが一番いいと思うが、オマエの意見はどうか、と尋ねた。
 私に異存はない。夫の身体具合もよさそうだし、ここまできたからには娘を訪ねたいのが私の本音である。決まれば、出発は早いにかぎる。
 八時に出発した。見渡す限り雪景色である。しかし、幹線道路に雪はない。快晴だ。一面広がっているはずのアイダホ州のポテト畑は雪に覆われて見えなかった。民家とてない。
 舗装されているという以外は、この道と大して違わない道を西部開拓民はひたすら新天地での暮しを夢みて、幌馬車に家財道具一切を載せて「西のエデン」と呼ばれていたオレゴンへと向ったのである。拓かれていた「オレゴンへのみち」といっても幌馬車のわだちの跡や牛馬の足跡が目印にして、アメリカ先住民の助けをかりながら通ったのであろう。
 手元に古い一枚の地図がある。地図といってもスケッチ程度で南カリフォルニヤの太平洋岸にある僧院の絵と集落名があり、川、山などが簡単に書かれている。これと大差ない地図をたよりに開拓民は東部からやってきたに違いない。
 オレゴン州に入った。
 山は雪をかぶり、冬枯れの草原や畑が続く。単調な風景に飽きてきた夫と私は会話もなく、ひたすら走り続けているとベイカーシティが近くなった。午後の四時を過ぎた。今夜はこの田舎街で泊まろう。明日はポートランドだ。                                           つづく
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

2月ももう終わりですね。来週からは3月にはいり春がグッと近づきますね。もう少しこの寒さを楽しみましょう
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Zakkaya Weekly No.459

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com