weekly
 

No.458          Ryo Onishi               2/20/2005   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
成岡流お酒 雑貨屋のひとり言 LA観光スポット 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

宮里、北田ペアが見事、優勝!やりましたね!感動させてくれて「ありがとう」と言いたいです。3日目は個人プレーでの競技だったのでちょっと不利かと思ったのですが、あの難コースで優勝、しかも大会初優勝ですからすごいです。日本人プレーヤーの活躍を聞くたびに勇気が湧いてきてうれしくなります。
先週末から少し暖かくなりましたが、インフルエンザも流行っているようで、まだまだ油断は禁物です。(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(178)    

Birch Aquarium at Scripps
 サンディエゴ・カウンティの風光明媚なラ・ホヤ(La Jolla)海岸に面する小高い丘の中腹にある水族館で、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)、スクリップス海洋研究所(Scripps Institution of Oceanography)の付属水族館です。年間35万人の見学者がここを訪れています。

広く明るい前庭には巨大な鯨が空に向って立っている小池があり、ここが水族館であることを強調しています。

モダンで明るい感じの建物に入ると、正面は海を見下ろせる屋外展望テラス、そして左右に屋内展示室があります。

右側の展示室は“Hall of Fish”と呼ばれ、太平洋、カリフォルニア、バハ・カリフォルニア、メキシコ、熱帯の海などの区分に分けた各種展示水槽があり、そこに生息する各種の魚、くらげ、珊瑚類をガラス越しに目の当たりに出来ます。

通路途中の大型水槽の前には観覧席も設けられ、大小さまざまな魚の回遊を解説のアナウンスを聞きながら鑑賞出来ます。

また、この展示室は魚の水槽だけでなく、それぞれの海中の状況、潮の流れ、条件など海の生態についての解説パネルも多く、いかにも海洋研究所の水族館と言った感じです。

建物左側は、海洋科学関係の展示室となっています。ここには、海洋調査の歴史がわかりやすく説明されています。

過去に使われた調査器具・機器の実物を始め、写真や資料が展示されています。また、こちらの展示室には海を構成する水、波などと言った個別のテーマの展示もあります。

水と氷の分子の違い、水と海水の電気抵抗、波のメカニズム、地球上の水の循環等々、実験装置もある展示で解説してくれます。

 屋外テラスには海水槽があり、ここでは海の生物を直接手で触れて観察できます。
また、ギフトショップも広く、海に関する書籍、記念みやげ品など充実した内容です。

この水族館は、その設立の目的として、海洋科学教育の普及、海洋自然の保護などを掲げており、ただ単に魚を見せる水族館と言うより一歩進んだ“海洋研究水族館、兼博物館”といった感じで、海について私達がもっと知り、海の大切さを教えてくれる施設と言えるでしょう。
●住   所 :2300 Expedition Way, La Jolla, CA 92037
●オープン日 :毎 日
  (但し、Thanksgiving, Christmas, and New Years Daysは休み)
●時   間 :9:00AM − 5:00 PM
●入 場 料 : $9.50(成人)、$8(60才以上)、$6(3−17才)
●電   話 :(858) 534- 3474(FISH) 
●Web Site :http://www.aquarium.ucsd.edu/

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#405(南)→ Orange County, Irvineで FWY#405 は FWY# 5と合流、FWY# 5 となる。
(2)FWY# 5 になってからさらに南下、San Diego Countyに入り、FWY805との分岐点でもFYW# 5をそのまま進む。
(3)FWY805との分岐点を過ぎてすぐの La Jolla Village Dr. 出口でFYW# 5を降りる。
(4)La Jolla Village Dr.を右折(海岸方面、西へ)、約1マイル進むと道路はNorth Torrey Pines Road と名前が変わる。
(5)North Torrey Pines Road と名前が変わってすぐの Expedition Wayを左折、すぐ(約0.5マイル)Aquarium の入り口と駐車場がある。
(6)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約105マイル、ドライブ約1時間50分。

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言論文」

地下鉄改札口へ通じる階段を下り終えた真正面の壁に張ってある、一枚のポスターが目にとまる。白い大きな紙に黒墨で「中学生がんばれ」と書いてある。思わず、寒さにすぼめていた背筋をスッと伸ばす。中学生ではなく中年である自分のそんな反応に、つい噴き出してしまう。見渡すと、受験と卒業を迎えたとおぼしき若人たちの姿が、ポスターの前を行き交っている。この季の節は、試練や鍛錬による成長プロセス初期段階を迎えている若者に、人生の折り返し地点にたったミドルエイジの私たちが、何かしらの刺激を受ける時だ。始まりと終わりを同時に体験する今、あらためてこの季節・・・春だと気づく。

この季節といえば、学校年度や事業年度の新旧の狭間となり、受験と合否、入学、卒業(修了)、就職、そして転勤など、社会も人も忙しい。現に私も、受験に挑む、もしくは卒業して就職する甥や友人知人からの報告をたびたび受けることがある。つい先日、「在学中はいろいろとご迷惑をおかけしましたが、なんとか修了できそうで、ホッとしています。提出した要旨と本文を添付します。せっかくいろいろ調べたので、なんとか仕事につなげたいと考えています。ご指導ありがとうございました。」という報告とお礼を兼ねたメッセージ、それに添付された某大学大学院ビジネス研究科修了論文を受け取った。差出人のM君は、以前、私が担当したプロジェクト・チームメンバーの一人、最年少の部下だった。同じ頃、今春大学を卒業、一般企業に契約就職した甥から、会社人としての相談を受けた。昨夏、高倍率の教員採用試験に合格できなかった彼が、それでも将来、教師として児童生徒に向かう自分をイメージし、実社会経験が将来の教育現場に必ず役立つと判断しての相談だった。もう一人の甥からは、「希望しなかった(今の)大学に通う傍ら、違う大学を親に内緒で再度受験した」という、事前に相談のあった事項の報告だった。それは彼の将来への夢と今の彼自身とのギャップに疑問を持った、彼自身の挑戦だった。結果はどうであれ、自分の決断と自分のバイト料で再度挑んだことに彼は、疲れもなく満足そうである。世代の違う若い彼らの、それぞれの挑戦やその成果に、社会という仕組みの変化と、成長し続ける人間の力となる学習成果に、背筋を正される思いがするミドルエイジの私である。

日本的雇用慣習といわれた終身雇用が一般的であった時代の日本では、出身大学名がその就職の大きな鍵と言われた。一流企業に入社して一生その名の下で退職を迎えるというのが、一般市民の安泰な人生構図だった。従って、有名大学の入試にパスするための準備として、それらの大学合格率の高い中学や高校への進学が連鎖反応し、教育の価値が進学率化された時期、学校より進学塾のそれが高いと評された、あの教育錯覚時代である。どんな理由であろうとも、浪人や留年が卒業の価値を下げたその時代には、就職後もしくは退職後の大学挑戦や復帰は勿論、会社においても新卒以外の中途採用などは別世界のものとされていた。後に、日本企業のグローバル化に伴い、社会にもその仕組みにも変化が起こり、それは雇用形態にも顕著に現れた。いうまでもなく、それは大学や専門学校の位置と価値も変えた。いわば、学歴社会の実像と虚像が、実力社会と個々のキャリアを問うしくみへと移行した。現に、MBA修了論文を送ってくれその彼が就職して10年が過ぎ、働きながら大学院へ行く道が開かれ、3年経った今、MBA修了を迎えた。彼の論文は「経営者幹部としてのリーダー人材開発」−コーポレートユニバーシティにおけるレッスンオブエクスペリエンスの実践―であった。彼の論文は、会社人としてプロジェクトメンバーと共に生きた今だからこそ書けた、現場ありきの示唆と提言だと、私は評価している。彼のMBA修了論文の最後に、「この論文を書き上げることがすなわち修了であり、終了ではない。自分がこれから持つテーマにやっとたどり着けたスタートだ」と、結んでいる。社会も会社も、その形と仕組みを変えている。そしてそれは、日本人の慣習をも変えている。ここに、日本企業の責任と役割の方向性に、重い意味があると思う。インターネットでは、卒業論文を楽にできるというツールも紹介される世の中だ。しかし、卒業論文はそんな簡単なツールに惑わされず、沢山の書物や論文を読み、模索し、苦労して書くべきもの、その価値は十分にあると信じたい。

さて、こうして、元部下の論文を片手に、自分の大学卒業論文を引っ張り出してみた。400字詰原稿用紙約66枚、黒い閉じ紐で束ねられた黄色くなった紙の、万年筆で論じられている字が若く、懐かしい。その結びには「私は、この論文のテーマに対して、結論が出たとは思っていない。またテーマにそって展開できたかどうかははなはだ疑問である。むしろ、立つべき地点のスタートを明示され、そこからの学びと研究、そして自己吟味すべきことを与えられたと思っている。云々・・・」とある。元部下の修了論文と似たこの結びに、輪廻のようにめぐる人間のステージを感じ、にんまりと微笑んだ。終わりではなく始まりの、始まりではなく終わりの、卒業や卒業論文にはそんな二重共存の意味がある気がする。入学や卒業、入社や退職、いずれも論文のようなものではあるまいか・・・と呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

正論を不遜とボスの閻魔帳

感情線 握り拳の中で伸び

借りてきた褌少し緩かった

したたかなキャリヤ鬼まで飼い慣らし

エリートコースで頓死の転び下手

( ニュースやぶにらみ )

「呪文」
ヤスクニ ヤスクニ −中国

「呪文」
カネ カネ カネ −堀江社長

「お題目」
ユウセイ ユウセイ ー小泉首相

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行(11)
 
 「さぁーて、今日は……」
 朝起きると夫がおもむろに言いはじめた。 
「痛んでいた下腹も治ったし、血便も出なくなった。調子がいい。この分ならあせって帰ることはない。午前中にモルモン教の教会を見学して、ラバ温泉へ行こう」
 ソルトレイクから2時間あまり北上したアイダホ州にある温泉である。
「その温泉から、真っ直ぐロサンゼルスへ帰りましょうね」
「うん。そうだな、そうするか」
「ほんと ? 」
「武士に二言はない。こうみえてもオレの先祖は龍野藩の武士だ。知ってるか、松の廊下で吉良上野介に切りかかった浅野内匠頭を『お待ちなされい』と、うしろから抱きとめた殿様を、あれが龍野の殿様だよ」
「また出た。アホらしい」
 武士といっても足軽でしょ、というつぶやきは私の胸のうちに収めた。
 周知のように、ユタ州は1847年、ブリカム・ヤングに率いられた末日聖徒イエス・キリスト教会( モルモン教) の開拓者たちが入植した州で、ソルトレイクにはモルモン教の総本山がある。敬けんな信者が多く治安の良い州として全米で一番という評価がある。また、明治初期には岩倉具視を団長とする使節団が訪れたと史実にもあった。
 夫は独身時代、友人とアメリカをドライブしたときに教会に立ち寄ったそうだ。
「世界最大級のパイプオルガンがあって、とにかくすごい教会なんだ。鉛筆でも落とそうものなら、ワワーンと響く。あの時、オレたち三人は最前列にすわらされてな」
 夫は高校生のころモルモン教の布教にアメリカからきていた若者に英語をならった。背広を着てバックバックを背負い、二人一組になって自転車でまわっていた。宗教に興味はなかったが、英語を教えますという広告に惹かれた。そのころ外国にあこがれていた夫は、海外に通じる唯一の道のような気がして英語を習いはじめたのだという。夫が大学を卒業してアメリカに留学しようと考えたのも、このあたりに原点があるのかもしれない。
 日曜日だった。教会の入り口には初老の日本人がいた。世話人のようだ。日本語の小冊子をもらい、礼拝に参加したが宗教的ではない私たちは退屈してしまった。
 開拓者たちの博物館を見学したあと、アイダホへ向った。降り積もった雪で見渡すかぎり白の世界。濡れそぼったアスファルトの道路だけが黒々と一直線に北へ伸びていた。
 ラバ温泉は、幹線道路から反れた山間のひなびた集落にあった。 
 モーテルに宿をとり、公衆浴場に出かけた。家庭にあるプールの二倍ほどの屋外温泉である。底に砂利が敷いてあり、底からお湯が湧いていた。その感触が足裏に気持ちいい。Lava Hot Springsの頭文字「L」の字が山肌に見える。その山裾を赤い貨車がオモチャのように列をなして通っていった。いい温泉だ。来て良かった。
 夕食どきになった。レストランは見当たらないし、どうしたものかとモーテルの主人に尋ねると「普通の民家で食べさせてくれる。予約制だけどね」という。
 民家の主婦は、ここで生まれ育ったけれど都会にあこがれ南カリフォルニヤに仕事をみつけて住んでいた。しかし、ここが一番いいと帰ってきたというのだ。
「私たち、ロサンゼルスから来たのよ」
「えっ、どこ? 私、トーレンスにいたのよ」
 急に親近感を覚えた。
 夜、モーテル専用の屋外温泉へ入ると、私たちの他に、カップルが一組いた。若いのか中年かは外灯では分らない。ただ湯の中でカップルはくっついたままであった。
 夫は、真面目くさった顔で下腹を押さえていた。                                           つづく
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

 《清鶴の蔵見学に25名》 
                         
        『百四十九年目乃お酒の搾りたて』に一同感動! 
  
               吟醸酒蔵みゅーじあむ友の会会員 井手 司 
  
 新年に入って、『吟醸酒蔵みゅーじあむ』を買い支えてきていただき、当ビルで長らく「素人による駅前寄席」を開催してもらっている、寿亭司之助こと井手さんから、「館長、蔵見学に行きたいと言う同僚がいてるんですが、地元の清鶴の蔵見学、実施してもらえませんか」という依頼があった。 
 私は仕込み期間には何度か足を運んで、出来上がり具合を見せてもらっているが、蔵見学会は久しぶり。 
 そこで、蔵にお邪魔したおりに、藏元の石井清隆さんに、お願いしておいた。そして、井手さんの方の日程調整がつき、二月の十一日(金)の祝日の午後に実施することになり、藏元さんに「十名は越えないと思いますが、前日には確定した人数を連絡します」と連絡。その後、常連さんには、来館時やメールアドレスで連絡したところ、日に日に参加者が増え、当日には二十五人に膨れあがっていた。 
 今回の蔵見学レポートは、言い出しべぇの井手さんにお願いしました。 

  
味は保証付き! 
  
 かねてからお酒好きの仲間と酒蔵見学に行きたいと思い、成岡館長にお願いしていたところ、『みゅーじあむ』とも関係が深い高槻市富田町にある「清鶴酒造」さんへの訪問が実現することになった。 
 私としては、こちらの酒蔵への訪問は四回目になるのだが、私のお気に入りの『清鶴』の蔵ならば安心して皆を誘うことができる。 
 「富田の酒」は、江戸時代から「純で濁らず、香りの良さとコクが身上」と江戸の人の評判も高かったそうである。 
さっそく、同僚らに「お酒の味は私が保証します」とのお墨付き?を付けて連絡したところ、それならば是非にということで、本人のみならず、奥さんや友人まで輪が広がり、数名で参加の予定が私のグループだけで十人の参加になってしまった。 

  
落語と酒の深い縁 
  
 私はご紹介のとおり、ここ十数年グリーンプラザたかつき1号館の「駅前寄席」で落語をさせていただいている。現在、基本的には偶数月の日曜日がグリーンプラザで、奇数月には高槻市生涯学習センターで「高槻市民寄席」を開催していて、おかげさまで今年の一月に延べ入場者が一万人を越えました。 
 上方落語にはお酒にまつわる噺も多く、「落語」と「お酒」は切っても切れない縁がある(この話題については、シイームの一九九六年九月号と十月号の「成岡流お酒の楽しみ方」に詳しく書かせていただいた)。 
 落語の登場人物が何か失敗をやらかす時は決まって酒が絡んでくる。それだけ、お酒が昔の生活に密着していて、落語の題材になりやすかったということだろう。お酒を呑んでの失敗は今も昔もあまり変わらないようだが、「お酒を呑んでも呑まれるな」という教訓が落語の中に含まれているような気もする。 
 酒蔵には古い歴史が刻み込まれている。酒造りも近代化したとは言え、基本的には昔から変わるところはない。落語を演じる上で、こういった酒造りに接することは大変勉強になることが多い。石井社長さんの見学前の蔵の歴史解説も、郷土史を踏まえたお話なので、落語の舞台を頭に浮かべながら聞いていると、その当時の雰囲気が彷彿としてくる。 

  
自然との闘い 
  
 この時期、寒さも少しはやわらぐ昼間でも蔵の中はさすがに冷え込む。初めて酒蔵見学に参加する人に「蔵の中は冷えるので防寒具を用意してください」と伝えたところ、「アラスカの冬並みですか?」と極地用の防寒具を用意しようとした人もおられた。まるで落語の「池田の猪買い」の世界だ(ご存じない方は是非とも聴いてみて下さい)。 
 また、初めて酒蔵を訪れた人は、軒先にぶら下がっている杉の葉が玉になった「酒林(さかばやし)」も珍しいらしく、いろいろと質問されていた。ちなみに、この「酒林」は、毎年酒の神を祭る奈良県の三輪神社から送られてくるそうで、これをお酒が出来上がった時に軒先に吊す、いわば酒蔵の看板みたいなものである。 
 さて、待望の酒蔵見学だが、まずは仕込み水を汲み上げる井戸を見せていただいた。酒造りの元となる水 
である。『みゅーじあむ』でもたまに飲ませていただくのだが、やや硬水で実に旨い。この水から銘酒が造られるのも納得できる。水質の良し悪しは、お酒の味にも大きく影響する。しかし、水が良いというだけでいい酒になるとは限らない。精米歩合、米の浸漬、米の蒸し方、麹作り、そして、仕込みの温度管理等々、但馬杜氏の田淵林太郎さんをはじめ、蔵人の方たちの匠の技に裏打ちされた細心の気配りが、素晴らしい酒を醸し出す。それも自然との闘いなので、いかなる寒中であっても、日々手を抜く訳には行かないのである。特に大吟醸などの造りは、洗米時における水の浸漬時間も、気温や米の質を見て秒単位で管理される。 
 次に酒米を蒸す行程である。昔は一定の火力がなかなか維持できなかったので、蒸し具合にもむらがあったそうだが、今では大丈夫とのことである。また、蒸米を冷やす作業も、昔は高温の甑(こしき)の中にわら靴(ゴム長靴では溶けてしまう)を履いて入り込み、蒸米を運び出して放冷したそうで、まだ寒気厳しい深夜から早朝にかけてのきつい作業だったようだ。現在では、大きな袋ごと米を蒸して、クレーンで移動することが出来るようになっている。 
 放冷の済んだ米は、麹(こうじ)作りの工程に入る。ここからは荒々しい蒸米の作業と打って変わって、繊細で微妙な作業になる。麹室(こうじむろ)では、温度と湿度を管理しながら48時間、静かに麹ができあがるのを待たねばならない。 
 その後は仕込みのタンク の見学である。タンクに近づいただけで、何とも言えない良い香りが漂ってくる。昔の酒造りは、当然、木の樽だが、ここではすべてが琺瑯(ほうろう)製のタンクで、吟醸酒などの微妙な温度管理が必要なものは、サーマルタンクと言って温度調節ができるタンクを使用している。 
 タンクの上部に上って中をのぞくと、醪(もろみ)がふつふつと泡を出しながら出来上がりつつあるのが分かる。タンクごとに香りや泡の立ち方が違うのがおもしろい。清鶴酒造の最高級酒の純米大吟醸「ふりーらん」は、まだ発酵途中で、出来上がるまでにあと二週間はかかるそうだ。その間、田淵杜氏さんは昼夜を分かたず、醪と会話しながら「設計図」どおりのお酒に、仕上げていかれる訳である。 

  
百四十九年目乃お酒 
  
 酒造りを順に見学し、最後の搾りの工程に向かう。この日は、たまたま私の愛飲酒の純米吟醸酒を搾っているところだった(というより、社長さんのご好意で、見学に合うように搾りの日程調整をしていただいたようだ)。 
 『清鶴』は富田酒として安政三年(一八五六年)創業なので、それを記念して毎年、創業以来の年数を冠した「百○○年目乃お酒」という銘柄を醸造しておられ、今年は「百四十九年目乃お酒」ということになる。 この純米吟醸生酒は、香りと味のバランスがすばらしく、のど越しもいいので、私は自分で呑むのはもちろん、贈答用にもよく利用させてもらっている。 
 今回の見学時は、槽(ふね)での搾りもまだ圧搾機をかけずに酒袋を積み上げた、その重みだけで搾り出されている、原酒をいただくことができた。それも社長さん自らが、ほとばしっているお酒を汲み取ってきていただき、皆が呑んでしまうと、すぐにまた汲み取っていただいた。正真正銘の搾りたてである。もちろん、味・香りは言うまでもなく格別だったが、社長さんは「まだ荒いので、落ち着かせないと商品にはならない」と言われる。このお酒が出荷されるのが本当に楽しみだ。ちなみに?酒師の館長に聞くと「昨年以上に良くできている」と太鼓判を押した。 
 その他にも、純米酒で昨冬に出来たお酒を低温殺菌(酒造り用語で火入れという)後熟成させ、出荷時に二度目の火入れをしない(酒造り用語で生詰めという)「ひやおろし」、この冬造った純米で、一番搾りの無濾過生原酒「あらばしり」、本醸造のにごり酒「しずり雪」、本醸造生酒「香酔」の四銘柄を唎き酒させていただいた。いずれも香りの立った味のしっかりとしたお酒であった。 
 酒蔵見学の醍醐味は、搾りたての蔵出しを?き酒できることだが、それが自分好みの酒だとなれば最高の幸せと言えるだろう。他の見学者も満足げに利き酒のグラスを傾けていた。 
 面白いのは、普通、?き酒をする場合はお酒を飲み込まずに吐かねばならず、吐き器もちゃんと備え付けてあるのだが、『みゅーじあむ』関連の人たちは、館長の教育が行き届いているのか、誰一人として吐き器を使う人はおらず、口に含んだお酒はすべて飲み込む。貴重なお酒は一滴も無駄にはしないという立派な?心掛けなのである。 
 終了後、それぞれ?き酒グラス、「香酔」の四合瓶、美味しい酒粕をいただいて、解散とあいなったのは三時半を回っていた。 
  

日本酒の効用 
  
 しかし、私のメンバーの中には遠方から来ている人もおり、せっかく高槻まで来てもらっているので、その筋では大変有名な『みゅーじあむ』で打上げの宴を持ちたく、営業時間前だったが、館長に店を開けていただき、みゅーじあむ名物の鍋料理(この日は鴨鍋)に舌鼓を打ちながら、『清鶴・ふりーらん』をはじめ、様々なお酒を楽しませてもらった。酒造りを目の当たりに体感した後だけに、お酒の味わいもまた格別である。 
 最近、日本酒は健康や美容への効果が再評価されてきている。必須アミノ酸等の体に良い成分も多く含まれており、血行促進になるのはもちろんのこと、がんをはじめ心臓疾患や脳血管障害などの予防効果も確認されている。古来から言われている「酒は百薬の長!」という諺もまんざら酒飲みの詭弁とは言えないようだ。 
 美味しいお酒を楽しく飲んで健康になり美容にも良ければ、一石二鳥、いや一石三鳥と言えるかもしれない。再度「清鶴のお酒で乾杯!」

 


編集後記

一ヶ月前から、喉がいがらっぽく、うっとおしい日が続いています。のど飴や飴はどうも私に合わないので、何十年かぶりに「龍角散」を使っています。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.458

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com