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No.456          Ryo Onishi               2/6/2005   

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雑貨屋のひとり言

偽造の500円硬貨が大量に発見されたというニュースを見て、さっそく貯めていた500円硬貨を調べてみました。問題の「平成13年」の硬貨が何枚か出てきました。肉眼で見るとニュースで説明されていた特長と合致するところがあり、ニセ硬貨なのかなーと思いました。でもよーく調べると本物でした。ニセ札が出回り、クレジットカードのスキミングが行われ、そしてニセ500硬貨、・・・セチガライ世の中です。
(R.O.)

ク イ ズ の 帝 王   

以前、この欄で『 クイズ・トーランス教育委員会 』という題名のコメントを書きました(Zakkaya Weekly #411、2004年3月28日号)。

また、似たようなゲームを行ないました。私たちの仲間の若い一人の結婚祝賀会も兼ねた内々のパーティで、でしゃばりの私(ほんとうは内気で恥ずかしがりやなのです!)が「クイズ担当」をひき受けました。 

会場はわれわれ主催者側のひとり、往年の名女優、杉 葉子さんにご自宅を提供いただきました。そこはロサンゼルス市郊外、パロス・ベルデス半島の高台で庭へ出ると、真下に太平洋を見下ろす絶景の場所です。

 私がクイズ問題を用意・出題し、正解すると“クイズの帝王”シールを渡し、そのシールを各自、体にペタペタ貼っていきます。そして獲得シールの枚数で順位を決め、“豪華(?)賞品”を授与するという趣向です。

以下は、その時の問題集の一部です。出席者のプライベートな内容に関する問題もあったので全部を公表できません。これをお読みの皆さんはいくつ出来ますか?挑戦下さい。【注:回答数と頭脳明晰度とは無関係です。念のため】――― 解答は最後にあります。

☆アメリカ合衆国に関する問題:

(1-1)アメリカ合衆国、二大政党のうち、共和党のシンボル・マークは「象」ですが、それでは、民主党のシンボル・マークは?

(1-2)アメリカ合衆国50州のうち、面積がいちばん大きい州は?

(1-3)アメリカ合衆国50州のうち、面積が2番目に大きい州は?

(1-4)アメリカ合衆国50州のうち、面積が3番目に大きい州は?

(1-5)アメリカ合衆国50州のうち、面積がいちばん小さい州は?

(1-6)アメリカ合衆国50州で面積がいちばん大きい州は日本の面積の約(  )倍?

(1-7)カリフォルニア州と日本では、どちらの面積が大きいか?

☆スポーツ(オリンピック)に関する問題:
(2-1)【日本人に対する問題】今年のアテネ・オリンピックで日本人選手が獲得した金メダルの数は?
     【アメリカ人に対する問題】今年のアテネ・オリンピックでU.S.A.選手が獲得した金メダルの数は?

(2-2)【日本人に対する問題】今年のアテネ・オリンピックで日本人選手が獲得した金・銀・銅メダルの総数は?
     【アメリカ人に対する問題】今年のアテネ・オリンピックでU.S.A.選手が獲得した金・銀・銅メダルの総数は?

(2-3)オリンピックの五輪のマークの五つの色は?

☆その他の問題
(3-1)300マイルと500kmはどちらが長いか?

(3-2)50ポンドとkgはどちらが重いか?


☆解 答

(1-1)ロバ
(1-2)アラスカ州
(1-3)テキサス州
(1-4)カリフォルニア州
(1-5)ロードアイランド州
(1-6)約4倍
(1-7)カリフォルニア州(約1.1倍)
(2-1)日本選手16個(U.S.A.選手35個)
(2-2)日本選手37個(U.S.A.選手103個)
(2-3)青、黒、赤、黄、緑
(3-1)500km(300マイル=約480km)
(3-2)50ポンド(50ポンド=約22.7kg)




                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「津波・・・『剣客商売』その2

週末が近づき、「さて、次号の『さくらの独り言』は何を呟こうか」とテーマを探す時、どうしても『剣客商売』が脳裡をよぎる。それほどにこの本は面白くて面白くて仕方がない。
雑貨屋454号(2005年1月23日発行)でも書いたように、アンチ時代小説だった私にすれば、これはもう青天の霹靂。「人間、思いがけぬ事が起きるものじゃ。だから面白いのじゃ」とは秋山小兵衛の弁。解説者の常盤新平氏によると「池波文学には、圧倒的に女性ファンが多い」とのこと。その理由はさまざまだろうが、私はやはり、秋山小兵衛がさり気なく呟く“珠玉の処世訓”に惹かれる。枯淡の人が語るゆえの重みだろうが、それは今、つなみの如く私の生活に押し寄せている。

常盤氏は、『剣客商売』第12巻(十番斬り)の解説で、池波正太郎の執筆に際しての心得を次のように紹介している。「小説は最初の一枚が勝負。だから、ぼくは自分が読者になったつもりで書いている。“こんな小説だったら、おれは読まないな”と、もう一人の自分が批評しながら筆を進めるんです」。このことは、そのまま私の仕事にも活かされる。企画書や提案書作りの多い業務の中で、“最初の一枚”がどんなに重要か、さんざん苦労してきた私である。ご承知の通り、企画書は6つのW(Who, When,Whom,Where,What,Why)と、2つのH(How,How much)が網羅されなければならないが、とりわけ一枚目に記載される企画意図(Why)、すなわち「どんな効果を期待して、誰のために、何をやるのか」、が明確に記されていない企画書や提案書は、それそのものが未熟であり、執行者の同意と決定を得ることはなかなか難しい。

ところで、「書き物の最初の一枚目が勝負」・・・なら、「人と人との出会い(エンカウンター)」の勝負はどうだろう。初対面の際のファースト・インプレッションなどは、書き物の一枚目同様とは言えまいか。その第一印象を決定づける要素として、目の輝き、挨拶、言葉使い、物腰、服装などが考えられるが、私にとっての最重要ファクターは“自分を飾らず、誠実に対すること”である。秋山小兵衛は、40歳も年下の女房・おはるに対しては勿論のこと、息子・大治郎、その嫁・三冬、そして小兵衛をとりまくさまざまな職業の、全ての人々に対して“誠実”を貫いた。人々もまた、小兵衛の誠実さに応えた。ここに「インチメート(水入らず)で強固なコミュニティ(共同体)」である“秋山ファミリー”が成立しているのではなかろうか。

たかが時代小説、せっかくの友人の薦めだから読みでもしようか、とたかをくくって読み始めた『剣客商売』から、さまざまな教訓を得ている。立派な剣士に成長し、世帯をもち、少しずつ剣客商売が成り立とうとしている息子・大治郎が難問に直面した時、「父上なら何とおっしゃるか、どんな方策をお考えになるだろうか」と、父である小兵衛を常に人生の師とも仰いだ。様々な世界のいろんな人に出会うこと、業務として企画書や提案書を書くことが多い私にとって、「この場合、秋山小兵衛だったら、何と言うだろう?どんな段取りを考えるだろう?」と、私もまた、いつの間にか小兵衛(実際は池波正太郎氏)に範を求めるようになっている。それは、今は無き池波正太郎の世界、その中で活かされた小兵衛ワールドの余波が私に近づくにつれ大きくなり、私の心と生活にドッと押し寄せてきたといっても過言ではない。まるで人生のツナミのように。どっぷり漬かった『剣客商売』の余波はまだまだ当分続きそう。ツナミはツナミでも被害ではなく恵みの波だが・・・っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

日本がニッポンになる空洞化

猿知恵の進化が核をもてあそぶ

独裁の電車で吊り革が揺れる

国境の戯画に偽造のパスポート

クローンを神の許しも得ぬままに 


( ニュースやぶにらみ )

「連獅子」
子獅子が大トラになった −中村勘三郎

「豆まき」
にせさつは〜そと −神社、お寺

「五百円硬貨も偽造」
頼みは一円玉だけだ −日本のお金

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行( 9 )
 
 追い越しぎわにバスが泥雪をはねる。
 ワイパーで汚れをとる。
 スキー用具を積んだジープや小型乗用車、コンテナ・トラックなどは小気味よいスピードで追い越していく。そのたびに泥雪がフロント・ガラスに飛び散る。スノー・タイヤをつけないで走っている私たちの車をあざ笑っているかのようだ。
 ちくしょう、ちくしょう。やはり私は自分の意見を主張できなかった。こんどこそはと思いながら、ついつい夫のいいなりになってしまう。いつもとおなじパターンだ。子どもの育った環境がトラウマになっているのだろうか。
 十人きょうだいの八番目だった私は、いいたいことなど言えない、言っても聞いてもらえない抑圧されたような環境で育った。そうした心の奥底にひそむ原体験が、いまだに私を支配し、動かしているのだろうか。どちらかといえば言い出したら後に引かないタチの夫に言われると、敢然と反論すべきときであっても、何も言い返せず無言の行になってしまう。ハラワタが煮えくりかえっていてもである。男の面子で引っ込みがつかなくなっただけで、冷静になれば考えなおしてくれるだろう。思いなおしてくれるに違いないと、自分を納得しようとする。だが、どっこい、そうはいかない。私は不完全燃焼の心を抱え、愚痴というかたちで出口を求めてしまう。悪い癖だ。言うべきときは正々堂々と主張しようと思うが、いざとなれば、妥協してしまう。今回もそうだ。
 やはり、スノー・タイヤはつけるべきだった。喧嘩をして、でも。しかし、もう遅い。覚悟していたとはいえ、愚痴がでそうになる。
「スリパリー・ロード」
 標識が目にとまる。
「なぁーに、アクセルを踏まずに滑るにまかしていりゃ、大丈夫」
 あいづちも打ちたくない。苛立ちがつのる。
 右端のレーンをゆっくり走る。バンが追い越しざまに泥雪をはねた。ワイパーで汚れをとるやいなや、今度はコンテナを積んだ大型トラックが、フロント・ガラスいっぱに泥雪をたたきつけた。
「ギァッ ! 」
 叫んだ拍子に、身をよじっていた。
「カチッ ! 」
 フロント・ガラスに何か当たった音がした。と、ツルッ、ツルッと車が滑った。
 アアアーッ、それ以上は声にならなかった。
 ダメ! 
 瞬間、目を瞑った。心臓が口から飛び出そうになった。
「オットトトトッ――」
 その時は幸運にも、車は立ち直っていた。
「スロー、スロー、前の車のチィールライトがついたわ。後から大型トラックがきているわよ。スロー、スロー」  
 運転する夫も、助手席の私も真剣勝負である。
 長いトンネルを抜けると、陽光がふりそそぎ、雪山の向こうに真っ青い空がひろがっていた。無事に雪のロッキー山脈の難関を越えたのである。
 快適なドライブが続いた。
 途中、ガス・テスーションに寄ると、フロント・ガラスの左端にひびが入っていた。小石が当たったらしい。セロテープを張り応急処置をして走り出したのだが……。                                           つづく

  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方


 《年末のソウルは活況を呈していた》 
そのA韓流「冬のソナタ」・ヨン様効果も多大と実感! 
  吟醸酒蔵みゅーじあむ 館長 成岡 卓翁 
  
 第三日目の十二月十八日(土)は、予定時刻よりも20分も早くほの暗い6:40にホテルを出て、地下鉄禿山(ドクサン)駅へタタクシーで向かい、予定よりも20分早く、国鉄清涼里駅に着いた。 
 ところが、朝食に「駅前うどん」を食べてコンコースに上がると、次の春川(チュンチョン)行は8:30しかない。ここで一挙に30分遅れとなり、時間調整をどうするか悩んでしまった。 
 思案の結果、「冬ソナ」の撮影現場を極力短時間で見て回ることにして、まずは、終点の春川駅より少し手前の加平駅で下車して、南怡島(ナミソム)に渡ることにする。列車はグンファ号という特急列車の座席指定で、1時間20分乗っても3,500W(ウオン)(日本円で約350円)。ところが単線運転だから、対向列車が遅れていて10分の延着。 
 加平駅で春川行きの時刻表を見て、駅前のタクシーに飛び乗り、まだ舗装されていないガタガタ道を渡し場まで行き、往復のフェリー代込みの入園料5,000Wを払ってナミソムへ。フェリーは韓国の若い男女に、日本人の若い女性から高齢の女性で一杯。 
  
冬ソナ撮影現場は長蛇の列 
  
 5分足らずで島に着くと電気自動車のタクシーが何台か客待ちをしている。急ぐ我々は、2万Wと高額だが、背に腹は代えられない。流暢な日本語を操る運転手兼ガイドの青年に案内されて、駆け足も良いとこで、「冬ソナ」で、いっしょに自転車に乗り……初雪の中で交わしたファーストキスシーン、オープニングに使われている並木道を始め、ユジンとジュンサンが雪だるまを作って遊ぶテーブル、ジュンサンが死んだと思ってサンヒョクたちが「葬儀」をした場所などを回る。 
 それぞれの撮影現場は、記念撮影を待つ女性達の行列が出来ているものだから、我々はその列をバックに記念撮影を済まさなくてはならなかった。 
 タクシーのお陰で、予定時間の半分で回り、加平駅には予定通りの時間に戻れたが、やはり列車は12分遅れて到着。車中気をもんでいたが、春川駅にはほぼ予定通りに着いた。 
  
春川滞在1時間弱!? 
  
 駅舎にある時刻表でソウルに帰る便を調べてビックリ。こちらの考えている都合の良い便がなく、結果1時間も春川に居られないことが分かる。 
 やむなく1時間後の便の切符を買うべく窓口で頼むと、満席で乗れないという。グンファ号という特急列車はどうも全席指定らしい。そこで途方に暮れていると、気の毒に思ったのか窓口嬢は松本さんに「貴方の歳は何歳だ?」と聞いている様子。そこで67歳だと答えると「シルバー割引」のシート?があるらしく、5,200Wのところ一人3,600Wで乗せてくれるようで、ホッと一息。 
 駅舎を出た我々はタクシーを捕まえ、韓国風鶏肉野菜炒めとでも言える、春川名物のタッカルピの店に急いだ。 
 そこは、「冬ソナ」でジュンサンとユジンがたこ焼きを食べながら楽しく過ごしたり、クリスマスツリーの前でユジンが来ない彼を待った春川明洞通りにある。 
 その中で一番有名な店に飛び込むと満員御礼。これではいかんと、斜め前の店に入ると、こちらはそうでもない。早速注文して、時間がないむねを伝えると、難しそうな顔をして厨房にオーダーを通してくれた。しばらくして出てきた大鍋のタッカルピは、なかなか煮えない。ついには、春川の「冬ソナ」撮影場所になったバス停、ジュンサンの家、ユジンの家、その母の店のある中央市場通りなど1カ所も寄ることなく、タッカルピを相当量残して春川駅にUターンを余儀なくされて大通りへ。 
 しかし、流しのタクシーがなかなか来ないので気をもんだが、結果列車の出発5分前に辛くも滑り込んで、指定席へ。ところがガラガラで、本当に満員なのかと不思議に思っていたら、途中の駅から若い男女がどんどん乗り込んでくる。加平駅を過ぎた当たりで超満員。確か全車両座席指定のはずなのに、この混みようは日本の通勤列車並み。 
  
韓国文化と日韓交流? 
  
 実は、これだけ焦ったのは、日本からインターネットで予約していた貞洞(チョンドン)劇場=伝統芸術舞台の開演に間に合うためであった。(インターネットで予約すると1割引の27,000W) 
 最終的には余裕で到着するつもりでいたが、結果開演13分前の15:47に到着。窓口で会えると思っていた民族村に行った山田さんと川さんの姿はなく、先に場内へ。 
 韓国を代表する民族楽器を使い、民族衣装での踊りと1時間30分、色々と楽しましてくれた。終演後階上の広場で二人を探すが見つからず、「時間が間に合わなかったんだ」と判断して、南大門市場へタクシーで向かう。(実は、翌朝聞くと階下のホール入口辺りで我々を探していたとか) 
 南大門市場に着いた我々は、日本語での呼び込みについつい引き込まれたりしながら、「ノリのり天国」の兄ちゃんの話芸に負けて土産用の海苔を買ってしまう。そうして、市場の奥の方に進むと、路上の屋台が我々の進行を防ぐように並んでいる。 
 値札も付いてないので、入る店を躊躇しながら進んでいく。ある店で「ビールサービスします」と「正直そうな」青年が松本さんに声を掛ける。それにつられて中に入り、勧められるままにオーダー。 
 隣に座っていた、そう若くないアベックの女性が相当酔っぱらっているようで、ついには松本さんに「一献」と注ぎにくる。こちらも負けずと、マッコリやビールに眞露で応戦。さながら日韓交流四人の大宴会が続く。 
  
またもW.H.で……? 
  
 ようやく彼らが精算して帰っていき、我々も次の目的地へ行くために精算してもらってびっくり。二人で八万W(日本円で約八千円)。初日の焼肉店並み値段だが、これでは観光客は寄り付かなくなると思いながら、彼に大通りまで送ってもらい、タクシーを止めてもらって、ウォーカーヒルへ。 
 ここはご存じの方も多いと思われますが、韓国政府公認の賭博場。と言っても、殆どの客は日本人。過去に来た時も、酔っていたのか、アッという間にすってしまていて、そのリベンジを掛けて「ボロもうけ」するつもりであった。 
 私はここ1年、インターネットのブラックジャックで腕を上げたつもりだった。本当は一番下に座って、トランプを配るディーラーと勝負したかったが、先客が居り、ほぼ中央の席に座る。 
 初めの間は一進一退を繰り返しながら、少しずつチップを貯めていったが、大事な一番下(しも)の客が、母親らいし人と入れ替わった。彼女は、殆どルールを知らないで、ただ「自分が21になること」だけを考えてカードを見ている様子。そうなると、場の流れなどは関係なしで勝負するものだからえらく側(はた)迷惑。 
 次第に私を含む他の客のチップは目減りしていく。他にもいくつかブラックジャックのテーブルはあるが、最低の掛けチップ(レート)が一桁違うので、私みたいな「貧乏な日本人」には移りたくとも移れない。半分やけくそ気味に、無料で頼めるドリンク、それも一番高そうな「ブランデー」を注文して、ひたすら時間を稼ぐが、ついにチップはなくなり、高いドリンクを飲んだ勘定で、「次は今までの分を取り返しに来るからな!」と心に誓って、長らく待ってもらった松本さんとタクシーでホテルに向かった。 
 ホテルに帰り着いた時刻は23:45で、日付が変わる寸前。実は前号に書いたように、三泊四日といっても有効時間が短い。4日目の帰国日は、朝6時ロビー集合、途中土産物店に寄る(旅行費用が安い分、お金を使ってもらう仕組み)。昔ほどえげつなくないが、決して安い価格設定ではないのに、私もキムチなどを買ってしまっていた。 
 8時に仁川国際空港に着き、まとめてチェックインの手続きをしてもらい、ガイドの丁善南さんに別れを告げて帰国とあいなりました。 
  
おまけは泉佐野ですき焼き 
  
 普通であればここで話は終わりなんですが、今回は付録があります。 
 お客さんで何度もこの紙面に登場している岡さんが、超お勧めのレストランが泉佐野にあると言っておられ、以前に何人ものお客さん達と行かれていて、皆さんお気に入りになっている「びーふらっと」というお店。 
 私は営業日の関係で行きそびれていたが、外国からの帰りを理由に寄り道することにして、岡さんに予約をお願いしていた。大阪空港近くで宝石デザイナーを生業とされ、レストランも経営されるようになり、来店される航空関係者の人脈からか、空港のメインが関空に移ったため、泉佐野に店を移転されたようだ。 
 さて、南海で泉佐野まででて、大きなスーツケースを引きずりながら駅東のビルの2階へ。今日は予約の我々だけで、すでに岡さんは食べ友達と待機中。 
 挨拶もそこそこにすき焼きコースの料理が出てくるが、サラダや自家製生ハムなど、量が半端ではない。小食の人だったらメインディッシュのすき焼きまでたどり着けないのではないかと思うぐらいの量。店の中は国際的で、色々な國の民芸品やお酒のボトル(殆どお土産らしいが)の数々が所狭しと並んでいる。『吟醸酒蔵みゅーじあむ』も雑然としているが『びーふらっと』の比ではない。 
 さてメインのすき焼きはオーナーの池田恭子さん自ら焼いてくださる。生でも食べられる素晴らしい肉の味には、韓国で味わった焼肉とはまた違うもので、一同表現をすることを忘れて堪能。 
 トドメのすき焼きで、至福の時間をくれた池田さんに感謝しながら、一連のツアーを締めくくれたことに満足して、韓国ツアーは終わりを告げたのです。

 


編集後記

先週の日本はすごい寒さでしたね。中越地震の被災地に追い討ちをかけるような記録的大雪が降り、大混乱になっています。世界中のあちこちで、異常気象が起こっているのは、偶然なのでしょうか?
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.456

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com