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No.452          Ryo Onishi               1/9/2005   

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雑貨屋のひとり言

インド洋大津波の被害は、想像を絶していました。ビデオで観ているとゆっくり見える津波は、とてつもないエネルギーを持っているのですね。クルマや家がおもちゃのように流されているのを見るとぞっとします。映画「The Day After Tomorrow」の中に、ニューヨークマンハッタンを津波が襲うシーンが出てきます。映画ではあんなにリアルに創られているのですが、まだまだ津波に対する認識が低いのですね。(R.O.)

今 年 は 日 露 関 係 の 年 

 今年は「日露(魯)通好条約」(「日露和親条約」または「下田条約」とも言う)締結から150年目の年にあたり、同時に「日露戦争」終結にともなうポーツマス条約締結から100年目の年でもあります。さらにまた、第二次大戦で日本がポツダム宣言受諾直後に北方領土がソ連軍侵攻によって占領されてから60年目にもあたります。

1855年2月7日(安政元年12月21日)に締結された「日露通好条約」は日本と当時のロシアとの間で締結された最初の条約でした。そしてこの条約で初めて日本とロシア両国の国境が、択捉(エトロフ)島と得撫(ウルップ)島の間に決められ、択捉島から南を日本の領土とし、得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領として確認されました。なお、この時は樺太は今までどおり国境を決めず両国民の混住の地とすることに定められました。

その後、北方の島々に関しては、日露両国の間で「樺太千島交換条約(1875年、明治8年)」、「ポーツマス条約(1905年、明治38年)」などによって変遷があり、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約を経て現在にいたっています。 
 しかし本来、日本固有の領土である、択捉(エトロフ)島、色丹(シコタン)島、国後(クナシリ)島、歯舞(ハボマイ)群島の問題が半世紀以上過ぎた今も未解決であり、ロシアによる「不法占拠」が続いていることは私たち日本人として残念なことです。今年2005年こそ、ぜひ全面解決、または、少なくとも解決の糸口くらいはつかみたいものです。

昨年、私は「日米和親条約」150年を契機に日米関係の歴史について特別の関心を抱き、自分なりに調べ、学びました。「日米和親条約」締結の地である横浜をはじめ、神奈川、久里浜、下田などへも足を運びました。そして、私は米国に住んでいながら日米関係史についていかに自分が勉強不足であったかを思い知らされました。私はこれからも日米関係史について関心を持ち続けますが、加えて今年は日露関係史についても時間の許す限り学んでみようと思っています。

私の性格として、調べたり学んだことはすぐに誰かに喋りたくなる“悪いクセ”があり、先ず差し当たり私が関わっているセミナーや勉強会で研究成果(?)を発表しようと今から計画しています。会の皆さん、ご迷惑でしょうがどうかご覚悟ください。

日露関係節目の年である今年は、日露両国の戦後に終止符を打ち、関係改善・友好推進にとって最良のタイミングの年ではないかと私は思っています。ロシアのプーチン大統領も近々来日予定とか、外交交渉は簡単なものではないでしょうが、今年こそ懸案の北方領土返還と日露平和条約交渉が大きく前進することを期待し、今後の日本とロシア両国関係にとって今年が前向きの記念すべき年となって欲しいと願っています。
                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「翔」

酉(鳥)年にちなんで、そっと囁いた・・・「鷲の様に空を衝くように」、「ツバメの様に軽やかに舞うように」、そして「啄木鳥の様に円を目指すように」・・・真っ白いゴルフボールに向かって。新年打ち始めのおまじないだった。飛ばすことだけに快感を覚えるのではなく、その願い「〜の様に」に秘められた調和への憧れだ。美しい弾道とそれを創るフォームへの飛躍は、白いボールに同化させた私自身への祈りでもある。今年の私のテーマは「翔」・・・幾つになってもいい言葉だぁと思いたい。

“翔”という字の“羊”は、「いい形で立派である」ことを意味する。昔、神に祈願や感謝を捧げたとき、形がよく立派な羊を選んで生贄にしたことに由来する。それに羽がついた“翔”は、「いい形に翼を広げて雄大に大空へ飛び舞う」ことだ。羽を持つ鳥は、ハミングバードや特殊状況を除き、後ろに飛ぶことはない。進歩した科学の作品、同じ翼をもつあの巨大な鉄塊の飛行機でさえ、前にしか飛べない。飛ぶということは、常に「前」を意味すると言ってしまうと大げさだろうか。「翔ぶ」ということは、明日を創る力になるに違いない。

ところで、今年1月4日(火)の日本経済新聞夕刊「あすをつくる力」シリーズ@に、女子ゴルファー宮里 藍の記事が載っていた。そこには今年私のテーマとする「翔ぶ」ことへのkey wordが散りばめられていた。それは、@上を目指すには些細なことに拘らず、純粋に自分を信じることが大切、A世界を身近に感じ、様々な人の考えを吸収することで自分が鍛えられる、Bミスに落ち込んだ姿を見せない、その元気や爽やかさが魅力となる、Cくよくよせず前向きな課題に挑戦すること、またそのように常に次を考えた指導をする師匠の存在とその力量の偉大さ、D何を目指すかという目標をクリアにする強い意志の重要性、などである。現在19歳の宮里 藍は『自分らしさを求められて育った世代』であり、だからこそ『歩む道を選ぶ作業に悩む人が多』く、私達の理解できないフリーター等も当たり前の世代社会だ。しかし、日本や世界の明日を担う彼らの時は既に始まっており、その証拠に、この若き彼らの言葉に何かが創り出されていく力を感じる。それはまた過去から未来への架け橋の予感、何かを創出する知恵と力が響き合う瞬間、時代共存の時、つまり共に成長・成熟がその時にかなって影響を与えあう良き時代の到来だと思う。

さて、ゴルフの楽しみとは裏腹に、スランプの極地で年を越した。果たして今年、ゴルフクラブを握れるだろうかとさえ心配した。ゴルフなんてきっと嫌になってしまうだろうとも思った。しかし、新年の朝風呂で、ふとひらめいた。テイクバック(ボールを打つためにクラブを後ろに振り上げること)にのみ注意と不安が集中し、フォローとフィニッシュ(ボールを打った後にクラブを前方へスイングし、そのまま振り上げること)までも意識する余裕がなかったことだ。自分のイメージするテイクバックができないこと、その時点に身心が留まってしまい、続くダウンスイングもフォローやフィニッシュが考えられなくなっていた。その結果、前方ではなく後方というその一点に拘り続けることとなり、それはスイングの全体的な調和とリズムを弧の線ではなく点在する固の断絶的なものになってしまっていた。たとえどんなにいいテイクバックができた時も、身体はボールを打った形で硬直し静止状態となり、ボールは方向音痴の車の如く暴走するもので、フォームも弾道も美しさに欠け、名実ともに“翔”には程遠かった。でも、新年の初夢ならぬ初風呂でのひらめきが、今年のテーマ“翔”を授けてくれた。そのおかげで、今年の打ち始めではスランプ脱出の一歩を実感することが出来た。まさに、これ、人生もしかり。後ろあっての前、しかし過去へのこだわりも一新に、現在・過去・未来の調和、大切なことは常に前へ美しく羽を広げることだと改めて悟った。“翔”・・・小さく真っ白なボールに囁いたことを自分自身にも・・・「鷲の様に・・・ツバメの様に・・・啄木鳥の様に・・・」と呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

レッドカード妻のルールに叱られる

横のもの縦に夫の下心

食べごろと言う渋柿に言い寄られ

不倫など出来ぬが胸の小さな灯

妻の茶に俺もしみじみ笠智衆

( ニュースやぶにらみ )

「初詣」
諭吉のそっくりさんがぞろぞろいた −神社・仏閣

「初荷」
スマトラ沖津波の救援物資でした −貨物機

「初夢」
横綱 −魁皇

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行( 5 )
 
 ロッキー山脈を越えると、デンバーの西方五十マイルにある『インデアン・スプリング・リゾート』という温泉地がある。私と夫はそこに午後三時過ぎに到着した。ひなびた谷間の温泉地だった。赤ペンキ塗りの木造建ての軒先に、脚のようなつららが縄のれんのようにぶらさがっている。ロビイに入ると、客がごったがえしていた。

 チェックインの順番を待っている間に、壁にかかっているセピア色の写真が目に入った。を見ていた。山高帽に背広、ブーツを履いたいかにも山師という感じの西部の男たち、つばの広い飾り帽子をかぶりロングドレスのお洒落な婦人たち。

 説明書には、一九〇三年に温泉リゾートとしてオープンした、とある。 客室はたったの二十室。当時は鉱山で働く人たちの療養施設として利用されていたという。この温泉は何百年もの間、地元のインディアンたちに『ビッグ・メディソン』として親しまれてきたとも、記してあった。

 しかしアメリカの歴史には、白人がインディアン部族と結んださまざまな協定や条約を次々に反故にしてきたという事実がある。もしかすると、インディアンたちが療養として利用してきた温泉を、西部の開拓者が買い取る契約をしながら奪い取ってしまった、という意外な歴史が秘められているかもしれない。壁の写真を見ながら、なんだかその頃にタイム・スリップしたような気がした。

 フロントの金髪嬢の英語は早口で聞き取りにくかった。

「予約していますか」

「ノー」と夫が答えると、「ごめんなさい。満室なの」という。

「えっ、部屋がないの ! 困ったわ」

 私の日本語が分かるはずはないのに、金髪嬢は「ソーリー」と、にべもない。お気の毒さまとでもいうように、両手を肩まであげて、肩をすぼめる格好をした。予約は二、三週間前にしないと無理だという。この近くに宿泊施設があるかと聞くと、ないという。

 どうしょう! 

 デンバーまで行けばホテルがある。いま三時だ。行くなら早く出発するに限る。と、決めて入り口のドアに手をかけた、その時、

「待って!  待って!」

 金髪嬢が呼びとめる声にふりかえると、

「いまキャセルが入ったから」

 間一髪で間に合った。一泊、五十五ドルである。

 宿泊施設は二階建ての別棟だった。部屋に荷物を置き温泉に浸かりにいった。

 フロントの横にある幅広い階段をおりると、小部屋がずらりと並んでいた。マーサージ室らしい。奥まった一室に更衣室があり、着替えてドアを開けた。高いグラスファイバーのドーム型天井のプールである。大きな亜熱帯植物が植えられ、温室のようだ。

 若いカップルが一組プールでじゃれ合っていた。

 私がまず手を、それから足を入れ湯加減を確かめた。ぬるい。身震いがした。思いきってさっと一泳ぎした。夫がつづく。泳いでも一向に身体が暖まらないどころか、寒くて身が縮こまそうだった。湯が流れ落ちてくる場所にへばりついてみた。ぬるま湯がちょろちょろ入ってくるだけで、なんの役にも立たない。

「ここが痛いんだよなぁ」

 ポツリといって、夫が臍下を押さえた。

「冷えるのがよくないのよ。きっと」

 しだいに私は腹がたってきた。なにがビッグ・メディスンよ、暖かい温泉だと期待していたのに、これじゃ冷泉だわ。 

「おかしいな、おかしいな。オレ、ほんとうにどこか悪いのかな」

 しかめっ面をした夫がいった。                        つづく

  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

 


編集後記

自転車に乗っている人のマナーにはあきれてしまうことが多いのですが、そんな中、手で合図をしながら右折をしている人を見かけました。なんだかうれしくなりました。単純な私です。
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Zakkaya Weekly No.452

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
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