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謹賀新年
 

No.451          Ryo Onishi               1/2/2005   

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雑貨屋のひとり言

新年明けましておめでとうございます。穏やかな気候で、みなさんそれぞれのお正月を愉しんでおられることと思います。でもお正月はついつい食べすぎる傾向にあります。体重が気になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
雑貨屋はこのままのペースで発行し続けますと、年末には記念すべき500号に到達することになります。それまでコツコツと毎週発行していきますので、執筆者のみなさん、読者のみなさん、今年も昨年同様、よろしくお願いします。(R.O.)

今 年 は “ま た” ア ス カ で 

新しい年、2005年を迎えました。昨年末、ここロサンゼルス周辺は例年になく住宅街、商店街ともにクリスマスの飾り付けが賑やかで明るい感じでした。米国も経済・景気は最悪期を脱し、回復基調にあるようで、それが人々の心にあかりを灯しているのだと思います。

ただ、世相は必ずしもプラス要因ばかりではなく、相変わらず緊張する国際関係、テロへの恐怖など、社会不安は一向に解消する気配がなく、気にかかるところです。

今年は21世紀にはいって5年目の年です。私は以前(20世紀末)、「20世紀は“モノとカネ”を力(暴力・戦争)で奪い合う時代だったが、21世紀は“心の豊かさと自然のバランス”を通じて人間が人間らしく生きる時代になるだろう」と期待と願望を込めて予測しました。

しかし、この願いは今のところ実現するどころか、まったく反対の方向に進んでおり、人類の“浅はかさ”を見せ付けられている思いです。同時に私自身の“甘さ、浅はかさ”をも思い知らされました。

世界がこのまま推移すれば、人類は滅亡し、さらには地球の破滅にもつながる道に向かうかもしれません。恐ろしいことです。テロという名の“新しい戦争”と更なる国際緊張、環境破壊で幕を開けた21世紀でしたが、この世紀が終わる時、後世の人々は、この21世紀を何と言って総括することになるのでしょうか。

どうも新年早々、不吉で物騒な話になりました。“人類が滅び、地球の破滅・・”は少々誇張が過ぎているようです。でも、私はこの21世紀を“心の豊かさと自然のバランス”を大切に生きる世紀にすべきとする考えは捨てるつもりはありません。そして、そのための第一歩は、私たち人間の一人一人が“人の心”を取り戻す必要があるだろうと思っています。

こんなことを言えるのも私が幸いなことに今、紛争地域に生きているわけでも、また飢えに苦しむ状態でもないからでしょう。幸せな環境下でならではの“たわごと”以外のなにものでもないないかも知れません。だからこそ、それが可能な私たちが率先して心豊かに日々を過ごす大切さと、日々を過ごせるありがたさを実感しなければならないのではないでしょうか。

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新春にふさわしい話題に変えましょう。私は昨春のこの欄に次のように書きました。
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(前略)私も「どうする、21世紀」なんて気負うことはやめ、自分自身の明日のために、今日何が出来るか、そんなことを考えながら「自由でのびのび、前向き人生」をモットーとして自分のペースで生きてゆくことにしよう。 ――― そんな思いで、私は自分の2004年の行動指針を『今年はアスカで』と決めました。即ち、
  *(コ):こだわらない。
  *(ト):とらわれない。
  *(シ):しばられない。
  *(ワ):若々しく。
  *(ア):明るい心。
  *(ス):素直な心。
  *(カ):感謝の心。
  *(デ):出会いを大切に。
 
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 昨年、この行動指針をどれだけ実行出来たか自信はありませんが、一年間、自身のモットーとして事ある毎に気に留めていたことは確かでした。

幸い私は既にビジネスの第一線から引退し、自由の身であることから「こだわらず、とらわれず、しばられず・・」は比較的実行が容易であり、日々の生活の中で許されることであったので、ありがたく実行させていただきました。

 そこで今年も、昨年に続き同じ『今年はアスカで』をモットーにしようと決めたところです。ただし、今年はこれに『また』を加えることにしました。
* (マ):前向き発想で。
* (タ):タフに生きる。

『今年は“また”アスカで』、皆さん、今年もとうぞよろしくお願い申し上げます。

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言Amazing Grace

アメリカにも九州(故郷)にも帰らず、独り住まいのこの東京で初めての年越しをした。2004年、結びの大晦日に降った冷たい雪が嘘の様に、今日2005年は潔く明けた。アッと驚くほどに、その空の気は青く美しく、高く広くに澄んでいる。それは隅田川下流の佃の窓から、遠く筑波山の裾までもはっきりと見渡せるほど。こんな風に遠くを魅せられるということは、なんと幸せな年明けだろう。そして時間的空間的に未来に用意されている「アッと驚くような恵み」への確信が、江戸時代の面影を今に残す、ここ佃で迎えた新年のお年玉だと喜んでいる。

日本のお正月につきものといえば、なんといっても“お年玉”。ワクワク・ドキドキと胸を躍らせた昔を思い出す。そんなお年玉同様に、それぞれの地方や家庭家族では、それなりの正月行事があるだろう。そういう私にも1998年12月27日発行の雑貨屋137号でも紹介した、22歳から始めた元旦行事がある。「慶びの新年行事としては大変奇妙で縁起でもないことだ」と言われそうだが、“生きる新しき年を活きた年にする”ための私の大切なおまじない、遺書の書初めである。新しい年も「何時、何処でどのように死んでもいいという生き方」をというただひとつのことが貫かれて、“わが人生の計、元旦にあり”としてしたためられる。ゆえに残す言の葉は、残される人への要望や願いより、ともに生きた幸の感謝であり、だからこそ新しい年の「計の集約」となる。若い頃に書いたそれとは大きく違い近年は、如何に生きたかということよりも、如何に助けられ、幸の恵みに感謝したかという、驚きと感謝の想いに綴られている。幸いにもその遺書は開かれる事もなく、また新たな遺書を準備する今日、そこには封じられた過去への感謝と同時に未来の驚くべき恵みへの感謝が充満する。

さて、世界中の人々に愛されている“驚くべき恵み”の歌がある。「Amazing Grace」だ。これを黒人霊歌だと思っている人も少なくないが、実は1765年頃に書かれたイギリス民謡である。残念なことに作曲者は不詳だが、作詞者のJohn Newtonの話は有名だ。青年期の彼は非行に走り奴隷商人の片棒をかつぎアフリカとアメリカ間の黒人運搬船の船乗りだった頃、その航海中に大嵐に出会い船も浸水で難破しそうになり、彼も熱病にかかった。もう駄目かと思われた時、生まれて初めて「神よ助けたまえ」と祈りを捧げた。するとどうだろう、彼の船は、驚くべき恵みの奇跡によって救われたのだ。それは1748年、彼が22歳の時だった。John Newtonはこれを“アッと驚くような恵み”と題し詩にしたためた。当時、奴隷船の黒人たちは家畜以下、トイレも垂れ流しという扱いを受けていたが、John Newtonの船に乗せられた黒人奴隷たちだけは、人間としての尊厳を最低限守られたという。故に、この歌はイギリス民謡でありながら、黒人霊歌の代表のごとく慕われてきたのである。この歌の最初の歌詞、”Amazing Grace, how sweet the sound”は、“度肝を抜かれるほどのアッと驚くような恵みに、心がときめき、魅了されること”を意味している。私はこの一節を口にする時いつも、未だ観ぬ明日への、愛の奇跡に対する感謝を最高に表現しようとしている賛辞だと実感するのである。

めくったばかりの厚い暦を眺めながら、筑波山をくっきりと眺めた元旦の風景同様に、遠くに魅せられるという幸いを重ねて感謝する。すると、始まったばかりこの年に、“アッと驚くような恵み”があることを確信し、胸がときめく。まるでお年玉をもらった時の無邪気な感動が蘇るように。リビングルームに生けた南天の実が、真っ赤に生えて、頭を垂れている。過去に対してだけでなく、未来に感謝できる年の明け・・・と呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

平和ありがたし 静かな除夜の鐘

成るようになって恥じ入る歳の数

十まではまだある古希の数え唄

七坂を越えて夫婦と言う絆

年なりの歩幅で去年また今年

( ニュースやぶにらみ )

「年賀状」
紀宮宛のがいちばん多かった −皇室ご一家

「朝風呂」
草津の粉で −寝正月

「福袋」
開けるまでは確かに −欲

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行( 4 )
 
「帰ろうか」
 真夜中にベッドとトイレを往復していた夫が朝になって、弱音をはいた。
「今日は木曜日だろう。すぐ発つとしても家に着くのは早くて日曜の夜。月曜に医者へ電話してアポイトメントを取るとなると、……」
 独り言をいいながら、夫はなにか考えていた。
「だがなぁ」
 といった一瞬、いやな予感がした。
「ここまで来たことだし、それに我慢できない痛さでもない。血便といったってちょこっとだけだ。気にすることはない。うん、よし、行こう! 決めた」
 もとより、女房の意見など聞く耳持たぬ男である。
 朝八時、グレンウッド・スプリングからデンバーへ向けて出発した。
 周囲の山々は鉱物資源をたっぷり含んでいそうな赤茶けた山肌である。コロラド州は銅山が多いと聞いたが納得できるような気がした。車窓に流れる山の斜面を眺めていると、何かが動いている。目を凝らすと、潅木の木立のなかに鹿がいた。注意してみると、あっちにもこっちにもいる。地図ではコロラド河に沿った高速道路を走っている。運転する夫はしだいに言葉少なくなってきた。右手は深い谷。左手は切り立つ岩。小石が転がり落ちでもしたら一巻の終わりじゃあないかと思うと身が縮む。岩を伝って流れる水が凍りついて一抱えもある氷柱になっていた。山が下り坂になったあたりで休憩所に寄る。暖房が入って心地いい。これがアメリカの底力か、なーるほど。ホームレスなどはここで暖をとれば助かるだろうなと、ふと思った。こんな辺鄙なところにホームレスがいるはずがない。突飛なことを思いついたものだと、苦笑しながら案内板を見ていた。
「ギブ・ミー・ワン・ダラー」
 ドキリとしてふり向いた。と、みすぼらしい身なりの女が、友だちにでも話しかけるような感じで立っている。瞬間、心臓が破裂しそうになった。だが、つとめて平静さを装い、
「ごめんなさい。お金は持ってないわ」
 と、私は英語で答えた。
 暖かな陽光をうけて枯草が風によそいでいる野原になった。蛇行するコロラド河沿いの木立はすっかり葉を落としている。雲ひとつない青空。紺碧の湖面。トンネルを抜けた。雪景色だ。山頂から真っ白い布を垂らしたようなゲレンデが何本もある。スキー・リゾートのベエルである。雪山の中腹に雲がたなびく。重なり合う山間から、マッターホルンに似た山が望まれた。スイスのような景色だ。建売住宅の看板が立っていた。価格は私たちが住んでいる住宅の四分の一。寄り道をしてモデル・ハウスを見学した。四ベッドルーム、素晴らしい眺めの広い居間。豊かな自然に囲まれた静かな生活も悪くはない。なにもスモッグの街に執着することはないのだ。
 私は、広島の瀬戸内海沿岸の山すそにひらけた村の生まれである。だから、私の血が本能的に田舎生活にあこがれるのだろうか。
 だが、ふと自分を省みる。
 日本語テレビを観て日本食を食べ、日本人コミュニティーへどっぷり浸りきって暮している者がアメリカ人の社会へ飛び込んで、はたして生きていけるのだろうか。そんなことはできっこない。気候温和で暮しやすい南カリファルニヤに長く住んでいると、万事にあきてきて満足できなくなる。人間はなんと欲張りな。
 雪が降ってきた。くだり坂になった。
 知らぬ間にロッキー山脈を超えていたのである。                             つづく

  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

成岡流お酒の楽しみ方

 《年末のソウルは活況を呈していた》 
  
      韓国の濁り酒マッコリと日本の百楽門・濁酒の真っ向勝負!? 
  
                吟醸酒蔵みゅーじあむ 館長 成岡 卓翁 
  
 酒肴料理 たま絵に勤めておられるスポーツ万能女性の島田さんが「館長、韓国のソウルにみんなで行きません。そして、1カ所くらいは冬ソナの撮影現場にも行ってみたいんです」と言う。 
 久しぶりのソウルもエ々かと、インターネットで格安ツアーを検索すると、あるある。29,800円で3泊のホテル代も込みのフリープランのものがあった。 
 何人かに声を掛けると、松本さんに、山田さんがすぐに参加を表明。ところが、当の島田さんが「やっぱり冬ソナ・ツアーの方であちこちに行きます」と言いだし、肩すかしを食ったカッコウになって三人が残った。 
 今のツアーは、知らない人との相部屋をしなくなっていて、山田さんは旅行代金ほどの差額を払わなくてはならないため、旅行を断念しかけたが、松本さんの粘り腰で、同じく「たま絵」でバイトしている川さんをメンバーに加えて、四人で行くことになり、今号はそのレポートです。 
  
国立博物館は一年間休館 
  
 私が島田さんの話に乗ったのは、一つの目的があったからだった。それは、日本が朝鮮半島に侵略し、日韓併合の証しとして、ソウルの景福宮の正面に、朝鮮総督府を建て、日本が敗戦した後は、そこを国立中央博物館として利用していたが、コレを撤去することになり、私が行った時はその横に仮の建物を博物館にしていた。 
 規模も縮小されていたので、次回は新たにできた博物館でゆっくり見たいと思っていた。その当時の資料では二〇〇三年春には完成予定になっていたので、そこに行くのを楽しみに話に乗ったのだった。 
 ところが、新たに買ったガイドブックで調べて見ると、以前のままで移転していない。不思議に思い、今度はインターネットで調べてみると、十月十七日をもって移転のために閉館し、来年の秋まで一年間休館していることが分かって、ガッカリしてしまった。 
  
交通事故であわや遅刻? 
  
 それでも、気を取り直して、日程表を組み立てていくも、格安ツアーのために三泊四日とは言っても、実質二日間しか自由に動けない。旅行経験豊富な山田さんや川さんを満足させるスケジュールをと腐心して作ったが、川さんは「民族村」に行きたいと言われ、冬ソナ撮影現場組の私と別々のスケジュールとなった。 
 さて、出発の十六日(木)は、MKのシャトルタクシーで関空に向かう私と松本 
さんは、茨木インター手前の畑田東付近の大事故のため、関空に午前11時に着く予定が危ぶまれた。車内から旅行社に遅れる旨を連絡してもらい、我々は関空で合流する川さんに連絡を取ると、何と関空快速も京橋付近の事故のため、予定時刻には着かない模様。どうも今日は日が悪いようだ。 
 それでも、我々のタクシーは1カ所迎えに回るのを他車に振り替え、高速をスピードアップして走ってくれたお陰で、ほぼ予定通りに到着。一時は「次の機会には他のアクセスを考えなくてはならない」と思ってみたが、その心配は消え去った。川さんも10分程の遅れで全員集合。 
  
ホテルに着いたのは19時 
  
 我々を乗せた大韓航空KE724便は、これまた予定時刻を17分遅れで関空を離陸したが、ソウルの真新しい仁川(インチョン)国際空港には1分遅れの14:51に着陸した。 
 空港出口で、現地旅行社のガイドさんの元に集まったのは30数名で、結構若い女性達が多いには驚いた。我々は免税店など寄って欲しくないが、そこでお金を使わすのも格安ツアー・エイジェントの目算。大型バスは新羅免税店に1時間ほど立ち寄る。買う気のない私などは、最上階で100W(ウォン)日本円で10円のコーヒーを飲んで、夜景を楽しんだ。 
 日本でもらった旅行スケジュールでは、18時にはホテルに着くことになっているのに、すでのその時刻。まだもう一軒コピー商品の店に回ろうとするガイドさんに松本さんがクレーム。結果ホテルにチェックイン後に行きたい人だけを案内することになったが、それでもノボテル・アンバサダー・禿山(ドクサン)ホテルに着いたのは19時。 
 お腹の空いた我々は、タクシーと地下鉄2号線を使って目的の店「ノビチブ」に向かった。繁華街の明洞(ミョンドン)地区の北に位置するこの店は、カルビの専門店として有名。 
  
 百楽門も焼肉に合う 
  
 8時過ぎに着いた我々は2階に通され早速オーダー。まずはセンカルビ(生の骨付きカルビ)、牛タン、ロースに本日お勧めのキモ。担当の女性は美人で日本語が堪能。飲み物は韓国ビールにマッコリ(韓国のどぶろく)も頼んだ。そして、日本から魔法瓶に入れて持ってきた濁り酒を持ち込み料を払うから飲ませてくれるように言うと、目くばせして、分からないように飲めといってくれる。 
 肉は食べやすいように彼女がハサミを入れてくれるし、食べ頃を教えてくれる。銅製のアミはここの自慢らしく、体にも良いとか。さて相性診断だが、センカルビやロースには、さすがに地元の酸味の効いたマッコリが合うが、塩味で食べる牛タンには奈良県の「百楽門・濁酒」(製造特許)が合った。忙しくしている彼女に試飲してもらえなかったのが残念だった。 
 仕上げはビビンバに冷麺。通の松本さんは酢を持ってくるように依頼し、たっぷりと冷麺の中に。 
 それぞれ満足していざ精算。締めて218,000W(その内20万Wは松本さんのおごり) 
 お腹一杯になった我々は腹ごなしを兼ねて明洞の通りを南に下り、もう一つ東を北上した。道中私は、「冬のソナタ」の主演女優チェ・ジウの写真入りクッションや、銀糸飴を購入。 
  
博物館の入館料は700W 
  
 翌朝チャイムの音で目が覚め、ドア越しに「もう9時ですよ!」と女性陣。昨晩午後11時過ぎにホテル最寄りの九老工団(グロゴンダ)駅に戻って来て、コンビニで夜の酒盛り用にと松本さんが買い込んだ、韓国焼酎・眞露(ジンロ)をご馳走になって、寝込んでしまったようだ。 
 慌てて身支度を整えロビーへ。タクシーで駅前まで出て、食堂を探すが見当たらず、ガード下の屋台で立ち食い。私は巻き寿司を注文して食べたが、こちらは酢を使っていないため頼り無い。 
 今日の午前中は、地下鉄2号線と5号線を乗り継いで西大門(ソデモン)駅まで行き、北東に5分ほど歩いたところにあるソウル歴史博物館を見学。 
 遠足シーズンなのか、子供達でごった返している。中で「勇敢な」女生徒が、多分「おじさんの日本語を聞かせて欲しい」と韓国語で話しかけてきた。そこは対応のソフトな川さんにお願いして、幾つかの日本語のセンテンスを話してもらった。英語も少しできると言っていたので、もう少し時間を割いてコミュニケーションを取っていれば、後々インターネットで会話ができたのにと悔いが残った。(ご存じだと思いますが、今は日本語・英語・中国語・韓国語は無料で翻訳してくれるサイトがあるので、私などはタイのSOMさんとの連絡には、それを活用させてもらっている。) 
 博物館は、大変丁寧に展示・解説がされたあり、ソウルの歴史・生活・文化を知ることができた。話はまた余談になりますが、物価が日本より安いということがあるが、公共交通機関・施設の料金がメチャ安い。比較的高いと思われる地下鉄でも100円程度、このソウル歴史博物館の入館料は700W(70円)。 
  
 十一面観音立像を買う 
  
 午後は伝統と歴史の町仁寺洞(インサドン)に地下鉄5号線で向かう。まずは腹ごしらえと、餃子鍋マンドゥチョンゴルの店サドンミョノクを探すがなかなか見当たらない。しかし粘って探した甲斐があって、ついに見つけて着席。マンドゥチョンゴルに長今(チョングム)マンドゥタンとチヂミにビールを注文。中でも餃子鍋の具の餃子の大きさには驚かされる。通常我々が日本で食べる餃子の1人前分が1個になっていて、それが10個近く入っている。 
 食後は山田さんに十分楽しんでもらおうと、2班に分かれ、韓国観光名品店前に再集合することにして、松本さんと私は安国駅方面にウインドーショッピングをしながら歩いていく。以前に来た時に「弥勒菩薩」を買った骨董品店に入って物色するが、顔立ちのスッキリした古仏像には巡り合わなかった。 
 観光案内所でUターンして今度は東側の道を下りながらあちこち入ってみる。途中路上で「米粒に名前を入れる携帯電話用ストラップ」を売っていたので3,000WでSOMさん用に作ってもらった。 
 そうして約束の名品店前に戻って来たが、予定の時間よりも45分も早い。寒空で待つのもなんだから、向かいの喫茶店に入り、暫くして見に出るが見当たらない。 
 名品店前には露天商が古仏を100ほど展示している。何気なく眺めていると一つきになる仏像がある。その私の姿勢を見て取ったのか、それともその中で超お勧めの品だったのか、離れたところにいた商人が来て、あれはチベットの物で安く手に入れたから、貴方にも安く売ると言って品物を取り寄せた。なるほど顔立ちもしっかりしていて、重量感もある十一面観音立像。一万円を越えるようだったら断ろうと思っていたら、80,000Wという。それだったらと値切らずに買うことにする。(黒のビニール袋になんの保護もせずに入れるものだから、ホテルまでヒヤヒヤしながら持って帰った。) 
  
 元祖鶏鍋料理に舌鼓 
  
 日程表の予定時刻の15:30を過ぎても二人は現れない。松本さんは、「再集合の時間を確認しなかったのが失敗やった」「もう先に行ってしまったんと違うか」「夕食の店も分かっているんやから地図を持っていたら来るやろ」と言われるので、その判断で我々は地下鉄で次の目的地の中部(チュンブ)市場に向かい、屋台を冷やかしながら徒歩で東大門(タンデムン)市場に回った。 
 予定では元祖鶏鍋の店シンハルメウォンジョタグチプに17時着くはずだったか、近くまで来ているのに見つからない。地図の位置からすればこの店かと、表にいる店番のオモニにたどたどしく聞くと、慣れたように指で別の店をさす。成る程分かり難い少し奥まったところに店はあった。 
 15分遅れしまったが、果たして彼女らは先に来ているかと、店の奥まで探しに入るが姿は見えない。やむなく奥の座敷に上がり、自慢の鶏鍋を注文した。さすがに量はビックリするほどある。あっさり味のスープで、鶏も柔らかい。感じの良いお兄さんが色々段取りをしてくれる。 
 次第に人も増えてきたが、遂に彼女らは現れなかった。彼らの無事を信じつつサドンミョノク経由でホテルに帰ったが、内線電話を掛けるが通じない。 
 心配しながら二人で昨日の続き酒宴を始めるが、我々は明日が早いので、彼女らの部屋には再度連絡を入れずに寝てしまった。 
       (つづく) 

 


編集後記

寒い年末年始になりました。久しぶりにうっすら雪化粧の六甲山が観れました。まったく違う景色になるものですね。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.451

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com