連載 こんな身体で温泉旅行(
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コロラド・ホテル、一九00年創業、ビクトリア様式。一泊、八十ドル。今夜の宿である。八階建ての威風堂々としたホテルは、グレンウッド温泉を見下ろせる高台に建っていた。持ち重りのする年代物の鍵で、めったにお目にかかれぬ代物だった。部屋に入る。高めの天井に太目の配管パイプが三本むき出しで通っていた。寒々とした感じだ。窓枠は木製の二重窓である。今夜は羽毛フトンが活躍しそうだ。持ってきてよかった。
「行くぞ、温泉にはいるぞ ! ほら、見えるだろ、湯気がたっている。すごいなぁ」
小躍りする夫に、少年の匂いがした。
四日前にロサンゼルスの自宅を出て、最初に出会ったほんまもんの温泉である。五十メートルの温泉プールが二つ並んでいる。日本の温泉と違って水着着用だ。ちょうどいい湯加減だ。学校が終わったのか、子供たちが入ってきた。夕方になると温泉は老若男女の集う社交場のようになってきた。
湯に浸かって文庫本を読んでいると、とぎれとぎれに日本語が聞こえた。耳を澄す。グレンウッド・スプリングの田舎町に日本人がいる。意外な思いに私と夫が声をたぐりよせていくと、三十代半ばのふたりずれの男であった。私は親しい友人に出会ったような懐かしさがこみあげてきた。
近くの町でコンピュター関係の部品を作っている日本企業の進出工場へ技術指導にきている駐在員だという。こんな田舎では遊びにいく場所がないから、二時間ほど車を飛ばして温泉に入りにくる。日本からきた当時はなにもすることがなくて退屈しました。でもね、といって話をつづけたのは顎のはった顔の企業戦士だった。
「不思議なものですねぇ。だんだんと田舎暮らしが心地よくなりましたね。賑やかな都会生活より人間らしい生き方をしているような気がしてきましたよ。この辺りに住むアメリカ人と接していると、素朴な温もりを感じます。人生を愉しんでますよ、彼らは」
それに比べ我々は、と下駄のような顔の男がいった。
「日本にいると、残業だとか付き合いで遅くまで酒を飲んで、家には寝るためだけに帰っている状態です。それでも、我々の生活がよくなればいいですよ。一生懸命に働いて、やっと家を一軒もつのが精一杯。家庭を犠牲にして、人目ばかりを気にし、いったい何のためか考えさせられます。おまけにリストラでしょ」
細面の顔を上気させて聞いていたもうひとり企業戦士が、
「終身雇用もなくなったし、年金だって我々の年代にはどうなるか。……しかし、夫婦でドライブ旅行とは羨ましい。雪のロッキー山脈をながめながら、のんびりと温泉につかって悠々自適ですね」
と、話の矛先を私たちに向けてきた。
「いやいや、朝から晩まで、ときには夜中まで仕事をしましたよ。ロサンゼルス港にやってくる日本船の船員相手に商売をしていましたから、原材料を積みに行く南米航路はオイル補給と食料の積み込みだけだから、停泊時間が短い。おまけに真夜中であろうと早朝であろうと入港しだいタラップを昇りました。タンカーは青空に抜け出るほどの長くて急なタラップをエッチラ、エッチラあがったものです。運がよかったのは、日本の高度経済成長期でしたから、海外に住む我々にもそのおこぼれに預かったということです」
夫の話に私が横やりをいれた。
「英語もロクにしゃべれず、アメリカ人の社会で生きていけませんから、頑張らなきゃしかたがなかったのです。しかしこの国は、多様な価値観を受け入れる要素がととのっています。それが魅力でもあり、住みやすさなのでしょう。所詮、私たちはヤドカリですよ」
小雪が降ってきた。かれこれ三時間以上も湯に入ったり出たりして話をしていた。
身体の調子がいいといっていた夫が、夜中にベッドとトイレを往復しはじめたのである。 つづく
森田のりえ noriem@JoiMail.com
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