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No.448          Ryo Onishi               12/12/2004   

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雑貨屋のひとり言

 前から感じていたのですが、JRの電車はよく揺れますね。特に『新快速』電車に乗っていると何かにつかまらないと足元があぶないくらいの揺れがあります。足腰が弱くなったのではなくて、どうやらスピードアップのせいのようです。 早く目的地に着くようになりましたが、その分、ちょっとした事故が起こるとたちまちダイヤが乱れることが多くなっています。大きな事故が起こらなければいいですが。(R.O.)

海外から一票を!』の出版

 私たちのような海外で暮らす日本人には認められていなかった祖国日本の国政選挙への投票実現のため、私たち有志が今から11年前の1993年12月に「在外投票実現運動」をスタートさせました。

 その結果、不完全ながらも日本の国会で「公職選挙法」の改正がなされ、今では海外在住日本人も日本の国政選挙(但し、現時点では比例区のみ)に参加できるようになりました。

 私達の草の根運動が日本の法律を変えたのですから、一応たいへんな成果と自負しているところです。

 このたび、この海外在住者投票制度の実現運動の経過を一冊の本にまとめ、『海外から1票を!〜在外投票運動の航跡』(明石書店刊)というタイトルで出版いたしました。

 本の作成にあたっては、この運動に長い間心血を注いできた金井紀年氏、高瀬隼彦氏、若尾龍彦氏、北岡和義氏、岩永裕二氏などが中心に、原稿執筆及び編集作業にあたり、不肖私も編集委員の末席を汚させていただき、また原稿の一部を担当しました。

 10月中旬には待望の本が出来上がり、10月29日には東京で記者発表会、並びに出版記念パーティを開き、パーティには国会議員12人を含む多数の参加者で盛会でした。(私は日程の都合で日本へは行かなかったので不参加でしたが)

 こちら米国では11月8日(月)に記者発表会、12月8日(金)に出版記念パーティを行ないました。パーティには在ロサンゼルス日本国総領事をはじめ在米の各界の皆さんが集まっていただき、我々から本の完成を報告し、参集者の皆さんからは盛大に祝っていただきました。(但し、本は日本語で書かれたものであり、またその内容から参集者は殆ど在米日本人ということになりましたが・・)

 この本のフライヤーは下記をクリックすれば見られますので、ご覧下さい。
 http://www.usjrf.org/BookFlyer.pdf

 日本の皆さんにとっては、選挙に参加する(投票する)ことは“水や空気”と同じで、しごく当然に与えられた権利であり、別段の感慨もないとは思いますが、私たちのような海外在住の日本人にとって祖国日本の国政選挙に参加することはたいへんなことであり、それを実感させられた運動であり、出版でした。
                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「クロスステッチ」

 “縫いもの”(お裁縫・手芸)は、とんと苦手だ。苦手と言うよりは、小さい頃から変わらず、大嫌い。今でもボタンつけ程度しか自分でやらず、裾上げや補正は、必要に応じて叔母や業者にやって貰うという、“針”のない生活である。とはいえ、そんな私でも、独学と見よう見真似で取り組んだ“縫いもの”があり、パッチワークのベッドカバーやTシャツ、または手編みの毛布を作ったことはある。遠い昔の話だけれど、良き米国の家庭文化に影響を受けた成果物だった。唯一挑戦しなかった“縫いもの”に、クロスステッチという刺繍がある。それは、無器用な自分の限界を知っていたからでもあるが、若かった自分がクロスステッチの魅力、その奥深さに無頓着だったからだろう。クロスステッチ、その意味を心に縫いながら、アドベント(待降節)を過ごしている。

 先日、USのスペンサー家(雑貨屋437号:2004年9月26日発行「オリビスの涙」で紹介)から、クリスマスプレゼントが届いた。マーサー(スペンサー夫人)がこの1年をかけて創ったアフガン(軽地の掛け毛布)だった。それは、真っ白い布に彼らの住まい周辺で見られる数種類の野草が、隅には私の名前と送り主スペンサーの名前が、クロスステッチという手法で刺繍されている。アフガンに添えられていた手紙には、このアフガンのクロスステッチは、今年一年間、スペンサーが過ごした数々の病院と待合室、そして多くの恵み多き家族行事の中で、ひと針一刺と作られたと綴られていた。そして、Please remember that your American family thinks of you with love and prayers.と括られていた。私は真っ白い布にクロスステッチされたそのアフガンに込められた愛と希望と信頼を、国や時や言葉を超えて、あたかも胸に針が刺すごとき痛みさえ感じるほどに感激し、ただただ、感謝した。そしてアドベントに相応しい今の自分を嬉しく思った。

 ところで、布に色とりどりの刺繍糸を××のクロスに刺しながら、花や風景などの図案を作り上げるクロスステッチという手芸手法の誕生は、紀元4世紀頃トルコに遡る。ビザンチン帝国の盛衰によってイタリアからヨーロッパ北西部全体に伝えられ、後にヨーロッパからアジアや米国にも上陸し、今日に至る。その××に刺繍糸を通した針を繰返し刺していく単純な作業だが、その奥行きは深い。一筆書きを連想させるような図案構想や糸色変えは、いかに布の裏側をも交差する糸を無駄なく美しく合理的に刺すかなど、ひと針ひと針にこめられる忍耐も構想も、表面には見えないものが多くある。上出来な作品の裏布に複雑に交差するその糸の線が、とてもシンプルで美しいという。傑作品に隠された裏には、ひと針ごとの賢明な構想と忍耐、祈りを思わせる大小の十字を交わらせているのだといえる。

 さて、街はクリスマス一色の今日だ。クリスマスについては、雑貨屋136号:1998年12月20日「クリスマス徒然物語」、185〜188号:1999年12年4〜19日「待つがクリスマス」ですでに呟いてきた。それは、よきアメリカが引き継いできた「家庭文化」の賜物であり、その多くをこのスペンサー家から学んだといっても過言ではない。コマーシャルにのって、クリスマスギフトが即席買い物で済まされるものとは違い、一年を通して小さな針大きな想いを込めて用意され、クリスマスという時を待って贈られる祈りの証、学んだこともいただいたクロスステッチのクリスマス・プレゼントも、私の財産だ。クロスステッチなんてとうてい出来ない私、その代わりといってはなんだが、気がついてみると、自分の身体に沢山の“縫い目”はある。怪我や手術といった生きている勲章の部類だ。そして、国々をクロスして、時をクロスして、想いをクロスして贈られる愛のステッチが、私の心の中にある。「これこそ、生きている勲章だ」っと呟く・・・さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

笑わせてなんぼの芸の浮き沈み

大欠伸 飽食の舌覗かせて

人食った顔と男を食った顔

看板の裏に嘘だと書いてある

三文判だった主治医の太鼓判

( ニュースやぶにらみ )

「12月9日に一年延長を決定」
12月8日は避けた −イラク派遣(兵)

「曽我さん一家佐渡へ」
万感の思いです −佐渡のトキ

「オレオレ詐欺改め振り込め詐欺」
オレへの当て付けか −税金垂れ流しの役所

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行( 1 )
 
「やっぱり、今日出発しよう」
 十一月初めの朝だった。テレビを観ていた夫が突然いった。
「ええっ!」といったまま、お医者さんのアポイトメントがあるでしょという言葉がすぐに口をついて出ず、私は夫の顔をあっけにとられて見ていた。
 リタイヤをして二年目になる夫は、単調な日々の暮しに飽きてきたらしく、半年前
から『アメリカ温泉めぐりドライブ旅行』を計画し資料などを集めていた。ところが、出発三日前に下腹が痛みだし夜中に激痛に襲われた。血便で便器が真っ赤になった。びっくり仰天した夫は医者に電話をした。だが、金曜日だったので、週明けのア
ポイトメントになってしまった。ところが 土、日曜過ぎると、腹痛がケロリと治ってしまった。
 よりによってこんな時期にドライブ旅行をするなど、むちゃだ。私は最初から気が
すすまなかった。血便は中止せざるを得ない理由になるはずだった。どっこい、夫は言い出したら後に引かない男である。

 愛車は真っ赤なスポーツ・タイプのプローブ。オイル・チェンジをしガソリンを満タンにして出番を待っている。私は、小さな炊飯器や湯沸器、食料品にインスタント食品を用意した。雪の中に立ち往生し場合を考え寝袋と羽毛布団を車のトランクに積み込んだ。
 月曜日の朝九時十五分、降り注ぐ陽光を吸いこんでラスベガスに向って快調にすべりだした。運転は夫。ナビゲーターの私は、温泉ガイドブックと地図を膝にひろげ
た。スモッグの海に沈んだロサンゼルスの街をすぎ人家を離れた。雪帽子をかぶった山頂がうしろに飛んでいく。この辺りからいよいよ旅のはじまりだなという気分がし
てきた。死に絶えたような茶褐色の大地が果てしなくひろがる車窓風景を眺めていると、私は渡米した当時のことを卒然と思い出した。日本からきて二週間目だった。従姉妹たちとラスベガスへ行く道中のことだ。
「すごいでしょ。これがモハベ砂漠よ」
 だが、私の砂漠は、砂が猛然とまい見渡すかぎり風紋ができ、うねりながら続く地
平線にラクダの列がいなければ砂漠ではなかった。金の鞍に王子さま、銀の鞍にお姫さまと童謡的なイメージを描いていた私は「え、これが?」と、まるで少女のように訝った。あれから、もう三十年も経つ。
 一番目の目的地「ワーム温泉」は砂漠のなかの温泉では全米一位らしい。高速道路を下り、枯草のひろがる一本道を走る。丘の麓に黒い塊が見えた。
「あれに違いない」
 夫の声は弾んでいた。
 近づくにつれ、それは焼け焦げたパームツリーが林立しているのだと分った。まわ
りに張り巡らされているフェンスにへばりついてなかを覗くと、プールだった跡や建物の土台が残ってい。火事で全焼したようだ。人っ子ひとりいない。つぎの温泉場に
向った。
 屋外温泉プール、マッサージ、ロッジ、その他の設備ありデラックス。デラックス
の文字に魅せられ、先を急いだ。ユタ州に入ってすぐだった。垂直にそそり立つ岩に囲まれたなかに民家のような建物が一軒あった。
「四年前の地震でさ、湯が出なくなっちまって商売上がったりだよ」
 だから休業していると宿の主人がぼやいた。
「疲れた、ほんとうにくたびれた。どこかで泊まろう」
 沈んだ声で夫がいう。ここら辺りで宿を取りたいがない。腕時計を見る。この先に
あるザイアン国立公園まで行くしかない。あそこにはロッジがある。
つづく
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

 


編集後記

 最近のニュースに寄れば、花粉症の症状が出ている人がいるらしいですね。目が疲れていると感じるのは、もしかしたら、私も花粉症が原因なのかもしれないと思ってきました。
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Zakkaya Weekly No.448

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com