weekly
 

No.446          Ryo Onishi               11/28/2004   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
成岡流お酒 雑貨屋のひとり言 LA観光スポット 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

ハードディスクビデオレコーダーは後で観たい番組がある場合は、大変重宝します。テレビを観ていて、つまらない番組内容やコマーシャルになると、つい早送りしたくなってしまいます。ほんと、つまらない番組が多いですから。
11月ももう終わりです。寒くなってきて鍋料理にぴったりの季節になりました。でも食べ過ぎ、飲みすぎには注意する必要がありそうです。 (R.O.)

ブ ッ シ ュ 氏 の 勝 因

米国を二つに分け、熱く燃えて大騒ぎした大統領選挙も終わりました。あれほどまでに連日テレビに登場し熱弁をふるっていたブッシュ氏とケリー氏でしたが、今ではテレビに登場するのは勝ったブッシュ大統領のみで、一敗地にまみれたケリー氏は完全にテレビ画面から姿を消してしまいました。これが勝者と敗者の厳しい現実と言うものなのでしょう。

国際世論だけでなく、米国内の事前予想でも決して優位とはいえなかったブッシュ氏でしたが、結果的には選挙人獲得数だけでなく、全米投票総数でも350万票以上の差をつけて勝利したわけで、この要因は結局何だったのだろうかと、私たちの間でもいろいろ議論の対象となっています。

投票総数は過去最高であり、若者の選挙人登録と投票率も久しぶりの高さを記録、という本来ならケリー氏に有利な状況下でのブッシュ氏の勝利をどう理解したらよいのでしょうか。

ブッシュ氏の勝因は当然ながら一言でいえるほど単純ではなく、国内・国際情勢、過去の実績から選挙戦術、さらには個人的な人柄・人気などなど・・、総合的・複合的要因によることは確かでしょう。

こんな複雑な勝敗要因を承知の上で、今回の選挙とその結果について、敢えて私の感想を言わせてもらえば、アメリカ国民にとって自国の大統領選挙とは“アメリカの国内問題”であったのだ、という<しごく当然過ぎること>を再確認したということです。

世界の超大国である米国大統領に誰がなるかは国際的な影響が大きいだけに、私たちのような米国以外の外国人にとっては“国際問題”として捉えがちですが、多くの米国民にとっては、しょせん“国内問題”以外のなにものでもないのです。

特に世界の趨勢をそれほど気にしないで生きてゆける国(米国)で生活する大多数の米国民にとって、イラク問題より自分の安全や、日常生活、それに妊娠中絶、同姓結婚などといった国内の宗教・道徳問題の方に高い優先順位を感じたのではないでしょうか。

もちろん全米各地の若者が今もイラクをはじめ各地の戦場に送られているわけで、国際問題に無関心ではいられないことも事実ですが、その割には反ブッシュ票(ケリー票)は伸びませんでした。

私の友人の言によれば、それは米国民は主としてヨーロッパからの移民によって成り立っている国であり、彼らの祖先たちは戦いに明け暮れ、命を削って生き延びた民族なので、彼らには“外敵を倒し、自らを守る”という DNA(または遺伝子)がしっかり組み込まれているのだということで、私には納得できるところがありました。

私たち日本人にとって、外敵(異民族)からの侵略は元寇や先の大戦での沖縄、本土占領など、ないわけではありませんが、ヨーロッパや中東に見る“血で血を洗う”侵略の歴史に比べれば民族としてDNA(または遺伝子)に組み込まれるほどのものはありません。

テロとは到底無関係な米国の片田舎でも「テロとの戦い」を掲げるブッシュ氏に票が集まったのも、私たち日本人には理解できない“こんな何か”があるのかもしれません。

米国人にとって自国の大統領選挙は“国内問題である”ということ、多くの米国民には“自分の安全は自分で守る”というDNA(または遺伝子)が組み込まれているという論理、―――
これだけで今回のブッシュ氏の勝利を説明は出来ないのは当然ですが、勝因の一部にはなるのではないでしょうか。
                                                               河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「サイコロ」

転んで足を骨折した去年の秋から、「転ばぬように!」と、よく声をかけられる様になった。雨降りの日に、坂道を下る時に、夜更けに、重い荷物を持っている時に、急いでいる時に、お酒を呑んだ時に、そして別れ際の挨拶がわりにと。これこそ「転ばぬ先の杖」だと、笑ってしまう。しかし、転ぶことは、悪いばかりじゃない。転び方によっては、違う風を呼ぶことだってある。そう考えると、転んでどんな目が出るかを、楽しみにするのも人生、まるでサイコロの様だと苦笑いする秋のひととき。

転ぶという字はその昔「車専」と書き、車輪が転がりクルクル回ることを意味した。馴染みの多い熟語、転換、転機、転向、転職、転身、転送、自転、好転、運転、機転などは、やはり「転び方」に関連しているように思え、こじつけてしまう。雨の日に転んで骨折し手術、ギブスと松葉杖の自宅休養を強いられた生活は、その時の自分にとって無駄に思え、情けなく苛立ち、後悔と反省が続いた。でもその時が、まるで止まった風に波一つ立たない静なる水のごとく、または、新風によって生命の種を運ぶ季の節(転機)だったのだと、今頃になって感じる。ちょうど「転んで」から一年、私はやっと自分の足で普通らしく歩けるようになった。ただ、歩幅とスピードは変化した。しかしこれが「転び方」のもたらした「功名」、これからの自分は色々な意味で、ちょっと違った音色の太鼓に合わせて歩く時を迎えたのだと悟る。時の転び・・・まさに転機だったとつくづく思う。

ところで、転ぶ・転がすと言えば「サイコロ」、文頭にも述べたように、転び方で答えが即座に出るよい例といえる。サイコロ・ゲームはカード・ゲーム等とは異なり、記憶力や推理力といった頭脳をあまり使わず、むしろ勘などの直観力による決定と運がものをいう。そんなサイコロについて調べてみると、意外なことも発見でき、なかなか面白い。例えば、サイコロの1の目が赤いのは、和歌山県のサイコロ製造業者がたまたま作ったら、大当たりしたということ。また、サイコロ遊びから生まれた慣用句も、少なくないということ。「思うツボに入る」、「一か八か」、「鉄火巻き」、「一点張り」、「裏目に出る」、「ため口」、「四の五の言う」、「ちゅうちゅうたこかいな」、「ぼんくら」などである。サイコロを転がして過ごしたお正月休みの、あの幼き頃が懐かしいのは、私だけだろうか。そういえば、サイコロを転がして遊ぶ「人生ゲーム」なんていうのもあったっけ・・・

「プロはプロでも一流と二流のゴルファーの違いは、いかに“転換(気分を切り変える)”ができるかできないかで決まる。悪かったショットやホールを引きずらず、また過去のすばらしいショットに未練を抱かず、次の新しいショットやホールに精神と技術を傾注することができるかどうかだ。つまりは“一球入魂”、これはある意味で“天才”的な才能のひとつに分類しても過言ではあるまい」と話してくれた友人がいる。先日の宮崎で開かれたダンロップ・トーナメントを観戦した感想だという。これも「転び方」の一例だと思う。
さて、11月1日、私は転職した。転職といっても、てっとりばやく言えば、米国時代に勤めていたK社へ戻ったようなものだが、転職は転職だ。新しい出発だ。雑貨屋442号(10月30日発行)の河合主筆の「いい月11月へ」ではないが、いいぃ〜(111)船出のチャンス(転機の時)だったと確信している。サイコロの目ではないけれど、どんな目(芽)が出るかが楽しみだ。骨折はもうごめんだが、いい目が出るようなら、何度でも転んでみるのもいいかもしれない。ほら、七転び八起きというじゃない・・・っと呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

力の差 無念を噛んでいる奥歯

負け戦 勝者の罪は裁かれず

勝利者の手に抜けきれぬ棘がある

あなどった傷が膿んでる戦後処理

軍歌しんみり 貴様も俺も歳を取り

( ニュースやぶにらみ )

「ヨン様の追っかけ」
女房達者で今日も留守

「社長が減っても、副社長が3倍」
天下りのバイパスを作った −道路公団

「忘年会」
飲み放題、冷や飯付き −橋本派会

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

感謝際  七面鳥受難の日 

 マーケットの精肉売り場に冷凍七面鳥の塊が積み上げられた。十一月二十五日、感謝祭はもうすぐだ。それらを横目に見ながら、私はアメリカにきて始めて七面鳥の丸焼きをしてお客を招待したときのことを思い出した。ちょうど日本経済がバブル真っ盛り。ロサンゼルス港に寄港する日本船の船員相手にお土産店を開いていたころだった。
 アメリカ人の一般家庭は、感謝祭には七面鳥を焼いて祝うのが慣例となっている。私は、アメリカで生まれ育った娘に同じことをしてやりたかった。
「あんなもん食えるか。パサパサして、オレはいらないよ」
 その都度、夫はいった。
 そんな訳で、感謝祭がめぐってくるたびに自分勝手で分からず屋の夫を恨み、なじりもした。また、人並みにしてやれない娘が不憫で、胸が痛んでならなかったのである。
 ところがある年のこと夫が珍しいことを言い出した。
「いつも世話になっている船員さんを招待して七面鳥パーティをやろうじゃないか」
 願ってもないことだ。私はさっそく、料理上手な友人に感謝祭メニュ―から飾り付けまで事細かくおそわり、前日から腕をまくしあげて張りきった。
 メインは勿論、半日かけて焼いた七面鳥。マッシュ・ポテトに野菜サラダなどなど。スパニッシュ・ピーナッツにデザートはパンプキン・パイ。我が家のとっておきの食器をテーブルにセットし、真ん中に焼き上げた七面鳥をどっかりすえた。埃でスリガラスようになっていたシャンデセリヤはひとつ一つ外して液に浸して洗ったので、虹色の光を放っている。玄関には到来物の白檀のお香を焚いて、準備完了。
 招待客がきた。一見、豪華そうに見えるデーブル・セッティングを見た船員が「すごい ! 」と唸った。私はとても誇らしい気分になった。席に着くと、夫がボジョレー・ワインを注ぎ乾杯である。二つ三つ、私が気取った調子でヨーロッパ旅行の話をしたあと、いよいよ七面鳥にナイフを入れるときがきた。本来なら、家の主がナイフを入れてから台所に持っていき主婦が皿に取り分けるらしいが、経験のない夫は「オマエがやらんかい」と、自分の任務を私になすりつけた。仕方がない。やおら立ちあがった私は肉切りナイフとフォークをにぎり「では、これからと」いきおい込んだ。
 友人の家に招待されたときの記憶のフィルムがゆっくりとまわりはじめた。たしか、足をひっぱって付け根に切れ目を入れると簡単に切り離された。が、うまくできない。どこかが違う。足や手羽をひっぱっていると、年配の客が「奥さん」と遠慮がちにいった。
「はぁ、なんでしょうか?」
「あのぉ、腹の方を上にしないと」
 置き方を間違えていた。どうりで切れないはずだ。
 年配の客は、日本郵船が豪華客船を周航していたころコックとして働いていたプロであった。私は敬意を表してすべてお任せしたことはいうまでもない。彼は見事な手さばきで切りほぐし、各々の皿に分けながら、どうも納得できないことがありましてねぇ、と話しはじめた。
「一六二十年、プリマスに入植した異教徒は一年も経たぬ間に半数の人たちが飢えと寒さ病気などで倒れてしまったでしょ。そのときにアメリカ先住民は彼らに穀物を分け、魚の獲り方を教え、春には種を与え耕作方法を教え大きな収穫を得て、その収穫を神に感謝するのが『感謝祭』のはじまりですね。その後、助けてもらった先住民を西部へと迫害したでしょ。おまけに西部劇では先住民を悪者と決めつけている。いったい歴史的な事実はどうだったのでしょうか」
 なにも答えられなかった。アメリカ史を知らずして、私は「七面鳥だ !」と、はしゃいでいたのである。                                     おわり  
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

大和十三佛守護屏風 満願成就 

                                         吟醸酒蔵みゅーじあむ 館長 成岡 卓翁 

 今年の春に、お客さんの岡邦子さんの発案で、季節花巡りが始まった。その一つに薔薇を見に、奈良の富雄にある霊山寺行った時のこと、「十三仏守護屏風先着一三,〇〇〇名限定無料プレゼント」と書いた看板が目に付いた。「無料」に引かれて冷やかし半分受付で尋ねてみると、確かに屏風は無料だが、各寺で御朱印を押してもらうのに三百円は必要とのこと。即ち各寺の拝観料+三,九〇〇円はかかる訳だ。躊躇はしたが、期限が有るわけでもなく、何かの縁かと思い、私は三百円をだして霊山寺の御朱印の押された屏風をもらって帰った。 
 時は過ぎ、希望の星のSOMちゃんは帰国し、何か空虚なものが私の心を襲った。そんな時、何かしなくてはならないと思って、思いついたのが、屏風にある大和十三寺の残り十二寺を巡って朱印で埋めることだった。 
  
千二百年前の伐折羅大勝は 
  
 二カ所目のお寺は、奈良の駅から歩いて行ける新薬師寺に決め、みゅーじあむの定休日の十月十三日(水)に行った。実は毎月二回の定休日の内、この第二水曜日はラジオ大阪のカルチャーサロンで「吟醸酒入門講座」の講師をしていたが、今期は生徒が予定数に達せず休講になったのだった。 
 以前から十二神将が好きで新薬師寺には度々行ったことはあったが、十年ぶりの訪問である。JR奈良駅から「ならまち」の元興寺前を通り、くねくねと細い道を進んでいくと、過去にお邪魔した「春鹿」の醸造元今西酒造鰍ェ現れた。そこを過ぎると次に「升平」の藏元八木酒造鰍ェあった。前から一度訪問したかった蔵だったので、お参りの帰りに寄ることにして道を登っていく。左に行くと春日大社・国立博物館があるバス道を横断し、左に志賀直哉旧居がある辻を過ぎてしばらく行くと、突き当たりのような所を右に曲がれば新薬師寺。 
 塀沿いに少し歩くと重要文化財の「東門」があり、ここからは入られないので、これも重要文化財の南門から入山する。真っ正面に千二百年前、天平時代に立てられた国宝の本堂があり、その中には同じく国宝の薬師如来像と、それを取り囲む十二神将像が安置されている。 
 私はコケティッシュな十二神将が好きで、ここと室生寺の十二神将が好きである。この新薬師寺の十二神将は塑像で、我が国最古と言われている。堂内奥のテ 
  
レビでは、伐折羅(ばさら)大勝が千二百五十年前に完成した時の色彩を、コンピューターグラフィックスを駆使して、再現された映像を流していた。感動した私は思わず、堂内の売店でDVDを買ってしまった。 
  
梅酒と菩提もと古酒 
  
 ゆっくりと薬師如来と対座したかったが、八木酒造には五時前には着きたいので、南門から西に回り奈良市写真美術館前を通り過ぎて、元来た道に戻り八木酒造に急いだ。 
 ひっそりとした酒蔵風景で、先客と入れ替わりに店の中に入っていった。居られた女性に自己紹介して来た主旨を伝えると、事務所から総務部の片上誠一次長が出てきた頂き、快く蔵の中を案内してもらえた。 
 ご多分に漏れず、この蔵でも製造量が激減している様子で、今は会長が杜氏役をこなし、長年南部杜氏の故郷岩手から、蔵人が二名ほどが酒造りに来ているとのこと。季節柄まだ吟醸を仕込むところまでいっていないが、これからが本番というところ。 
 ここの蔵の大吟醸「ご香酒」は、過去に全国新酒鑑評会で金賞を受賞しており良くできているが、月ヶ瀬の梅100%で造った「梅酒」もなかなかの人気商品。一般的には「ホワイトリカー」など焼酎甲類に漬けて造るが、ここは米焼酎乙類(本格焼酎)に漬けているので、大変マイルドになっている。 
 余り時間を取るのも申し訳なかったが、幾つかのお酒を?き酒させてもらった。中でも面白かったのは奈良の蔵十数社が昔造りの「菩提もと」で仕込んだものを商品化しているのを、三年間正暦寺に於いて壺で寝かせた「升平」というお酒。うすい黄金色をしていて、とろりとした舌触りの甘口だが、意外に切れのある喉越しには感激した。 
  
今は焼酎が棚を席卷?! 
  
 その後、折角奈良まで来たのだからと、昔シイームにも紹介したことのある、近鉄奈良線「新大宮」駅前の日本料理「川波」に足を伸ばした。オーナーの奥田眞明さんはこだわりの人で、奈良でも屈指の地酒を置いている店として有名だった。 
 以前来た時はカウンター前の棚に、銘酒の空き瓶がズラリと並べてあったが、今は全て焼酎に変わっている。事情を聞くと、お客さんが日本酒を飲まなくなったということだが、取り分け若い人が全く飲まなくなったと嘆いておられた。同業者として寂しい限りである。 
 私が来たからと、奥の冷蔵庫から何本か未開封の日本酒を出して下さった。飲み相手がいないモノだから、1人で飲むと結構酔いが回ってきた時分に、この方も奥田さんと言う、私と奥田さんを引き合わせてくださった、有名な眼科医が来られた。この方だけは今でも頑張って吟醸酒を飲んでおられるようで、三人でお酒の話で盛り上がった。 
 ドクター奥田さんは、お酒の情報に餓えておられるようで、「みゅーじあむ」で今なにが人気なのか尋ねられ、珠洲市の「宗玄」、福井市の「白岳仙」、広島市の「蓬莱鶴」、高知市の「文佳人」を紹介しておいた。気が付くと九時を回っており、奥田Dr.に近鉄の株主乗車券をもらって、西大寺回りで京都に出て高槻に戻った。 
  
秘仏愛染明王座像を拝観! 
  
 十六日(土)は春・秋の大茶盛で人気の第二番「西大寺」に行くことにして、午後高槻を出発した。時間の関係で京都からは、片道五百円を奮発して近鉄特急で西大寺駅に着いた。今回の十三寺の中では一番駅に近いお寺なので、ついでに十二神将のある秋篠寺まで足の延ばそうと心づもりをしていたが、西大寺は拝観するところがたくさん有りすぎて、それどころか、開館の時間に間に合わなくなってしまった。  
 ここの本尊・十一面観音立像(重要文化財)は寄木造りではあるが、丈六(約18m)以上の大像で、上にある十面の正面に有るのは顔だけではなく珍しく立像になっている。また、運良く本尊・厨子入 愛染明王坐像(重要文化財)こちらはわずか一尺ほど(34p)の小像が公開されていて、拝観することができた。なんでも像内から木造六角幢形(どうけい)の容器に入った金銀製舎利容器などが発見され、宝治元年(1247)に造られたことがわかったという。 
 また、本尊・釈迦如来立像は建長元年(1249)京都嵯峨 清涼寺の三国伝来の釈迦如来像を仏師法橋善慶等十一人が模刻した中の代表作という。余談になりますが清涼寺といえば、今は有名になった森嘉(もりか)の豆腐店がすぐ横にある。                    
 さて、この調子では一日一寺しか回れない。ヒョッとしたら年内に完成しないかも知れないと思ったら、丁度岡邦子さんが「ススキを見に行きたい」と言う。もちろん関西でススキで有名な所は「曽爾(そに)高原」だが、営業時間までに帰るには早朝に出なくては間に合わない。そこで身近には葛城高原にススキの原っぱが有ったのを記憶していたので、渡りに船と、十七日に彼女の車で行くことに決定。 
  
宿坊に泊まって朝のお勤め 
  
 まずは、生駒山の「聖天」さんで知られる第一番「宝山寺」経由で行くルートをとり、交野市から飯盛山を越えて、近鉄生駒駅前を通過して急な坂を登っていく。すると駐車場に入る車が数珠をなしている。しかし、少し上にも第二駐車場があるのに、係員は誘導しない。ダメ元で坂をもう少し上がると、そこは十分空所があり難なく停められた。 
 境内の急な階段を上がっていくと、ご本尊の不動様(不動明王)がまつられてあり、大日如来の化身として仏法の守護に当たられるだけに、顔は嶮しく、煩悩に苦しむ我々を、厳しく諭し、導く力を露わにしている。本堂には国宝・厨子入 五大明王像があるが、一日違いで拝観出来なかった。 
 御朱印を押してもらって車に戻り、坂道をそのまま進めていくと「信貴生駒スカイライン」に入っていく。千三百円と高い通行料金を払って山並みを走らすが、それらしいススキの原っぱが見えてこない。どうも道路沿いではなかったようだ。 
 スカイラインを出たところが信貴山。ここは高野山と同じようにたくさんのお寺があり、第十一番「玉蔵院」はその一つ。本尊の阿しゅく如来は「日本一大きいお地蔵様」の横にある三重の塔内に安置されてあった。 
 この玉蔵院もそうだが、十三寺の内、矢田寺・長弓寺・霊山寺・新薬師寺が宿坊になっている。たまには、こういうところに泊まり込んで、早朝のお勤めに身を置くのも良いことではないかと思うのは、歳のせいなのだろうか? 
  
一時間でも千円の駐車料 
  
 さて、正午も過ぎ昼食の時間になってきた。さして目的の店もなかったものだから、本日の最後の目的地である奈良県立博物館に向けて車を走らす。スカイラインと同じくらいの良い道が生駒山に平行して走っている。そして阪奈道に合流して、もう車は奈良公園を目の前にしている。さすがに日曜日とあって車が混んでいる。道路脇に「無料駐車場有り」の立て看板が目に付く。それにつられて左折して京都方面に向かうが、なかなか目的地までたどり着かない。何のことはない、京都との県境近くにその駐車場がある。これでは美術館にバスで行くにしても遠すぎる。そこでUターンでもしようかと思った所が「国境食堂」である。 結構車が止まっているので人気の店かも知れないと、ここで昼食を取ろうと入ってみると満席。受付表に名前を書いて呼ばれるのをしばし待つ。その間に周囲の人の注文しているものを物色して、席に着いてさっそく「スタミナ鉄板鍋・うどん付」を二人前注文。 
 出て来た鍋は、これ以上乗らないのではないかという程、もやしの山になっている。確かにビックリさせるだけのボリューム感だが、「専門家」として材料費を割り出してみると、まだまだ儲かっているなとなる。 
 さて、満腹になったところで、もう一度美術館近くまで戻り、駐車場を探すが一日千円のところばかり。一時間程度でよいのに、もったいないがやむなく、近くの所に十五分程度並んで「モネ展」を見に行った。 
結構作品点数は多かったが、目玉の作品が少なく、なんとなく消化不良気味。 
  
 秘蔵・十王大地獄絵 
  
 ウイークデーはやはり一人でお参りすることになる。二十二日はJR奈良駅からバスに乗って第十三番「大安寺」へ行った。 
 ここは初めての訪問だが、東大寺・西大寺に対して南大寺と呼ばれた大寺院だったようだ。今は規模も縮小され、ひっそりとしている。本堂の秘仏・十一面観音立像(重要文化財)はこの時期公開されてあり、大和十三仏本尊・虚空菩薩像と一緒に祀られている。 
 毎年一月二十三日に「ガン封じ笹酒まつり」が行われ、信仰を集めているようだ。 
 二十三日はJR奈良駅で桜井線に乗り継ぎ柳本駅で下車して、第四番「長岳寺」へ行った。長岳寺では約五百年前に狩野山楽の筆と伝えられている「秘蔵・十王大地獄絵」を特別公開された日で、和尚自ら地獄絵の解説を面白可笑しくしてくださった。 
 死によって、地獄の門から入った人間(これが不思議なことなんで、他の動物はこの門から入っているような絵にはなっていない) 
は、四十九日間に七日毎に七回の審判を受け、次のところに回される。罪深い者は地獄に突き落とされる、仏教の「輪廻転生」論を文盲の多かったその当時の人々に、絵図で布教したのであろう。 
  
 閑散としていた矢田寺 
  
 ここまで来たら後は一気にと、二十四日(日)例の松本さんのカローラで岡さんと三人で出かけた。この日の最初は、近鉄奈良線富雄駅北に位置する第九番「長弓寺」。十三仏では勢至菩薩が本尊で、大師堂に祀られてある。また檜皮葺きの国宝「本堂」には厨子に安置されてある本尊「秘仏・十一面観音立像(重文)」がある。幸いにも、案内頂いた方の配慮で、厨子の扉を開けていただいた。 
 しかし、電灯もない本堂内のわずかな光では、目をこらしてもボーとしか見えなかったが、有り難く拝ませていただいた。 
 次にコスモスのお寺で有名な「般若寺」を経て、柳生街道を走り第十二番「円成寺」に向かった。その日は秋の催しが開かれていて、丁度雅楽が奉納されているところだった。そのため多宝塔にある十三仏の本尊大日如来(国宝)は拝観できたが、本堂の阿弥陀如来座像(重文)は拝観できなかった。 
 「お陰で」時間が少し取れたので、春の紫陽花の見頃の時訪れたが、屏風を車に忘れて御朱印を押してもらえなかった第五番「金剛山寺(矢田寺)」に回ることができた。 
 郡山駅の西に位置する金剛山寺は、通称「矢田寺」「矢田の地蔵さん」で親しまれている。特に紫陽花の群生するお寺として、春は押すな押すなの人出で、以前来た時も長い間駐車場が空くのを待たされた。 
 ところが、日曜日というのに、参道から境内はオフシーズンということでガラーンとしている。私一人駆け足で階段を登って朱印をもらいに上がったが、障害がないものだから息せき切っての往復だった。 
  
 三人よれば文殊の知恵 
  
 これで、十のお寺の御朱印を押してもらったことになる。あとをどうして回ろうかと思案していたら、松本さんが、「二十六日の火曜日は空いてるで。一緒に回ったげようか。」と申し出て下さった。またお客さんの嶋井さんも「私も付いて行くわ!」と言われ、三人で回ることになった。 
 ところが、生憎の雨模様。晴れ男の威名を持つ松本さんも、雨女の嶋井さんには負けてしまったようだ。今日は高槻からは一番遠いお寺ばかりを回ることになる。 
 近畿道から西名阪に入り柏原ICで降りて、最初にお参りしたのは第六番「当麻寺・中之坊」。 
 ここのご本尊は弥勒菩薩で、なんと五十六億七千万年後にこの世に降りてこられ、この世の人々を救済される未来仏。 
 中之坊の庭園は、大和三名園として竹林院・慈光院と共に名勝史跡で有名。重要文化財の書院・茶室を擁しているだけあって、出していただいた抹茶の味は格別。 
 その後、門前の食堂で昼食のあと、第八番「おふさ観音」に向かった。薔薇が咲き乱れるお寺として有名なようだが、天候不順の今年は今イチのようで、雨模様もたたってか、訪れる拝観者も少ない。ここは「生かせ命の寺」として親しまれ、次に行く安倍文殊院とはほぼ一直線で結ばれる「長寿道」という古道がある。 
 そして、十三番目に参拝したのが、第三番「別格本山・安倍文殊院」で、大和十三佛霊場会事務局のあるところ。本尊の文殊菩薩(重文)は鎌倉時代のもので、木彫彩色の騎獅像で、その高さは日本最大の七メートル。だた獅子の部分は焼失して江戸時代のものとか。 「三人よれば文殊の知恵」と例えられるように、文殊菩薩は智慧の仏さんとして有名で、日本三文殊霊場として山形県東置賜郡の大聖寺、京都府宮津市の智恩寺と共に信仰を集めていて、受験生もたくさん祈願に訪れている様子。また先ほどのおふさ観音とセットで、大和ぼけ封じ霊場として老人ぼけ防止の御利益をいただこうと、年配の参拝者が後を絶たないとか。 
 遂に大和十三霊場を巡り終えた私は、今度はもう少しゆったりと回るべく、安倍文殊院で新たに屏風をもらって帰った。

関西クラブ ロサンゼルス研修レポート

先々週、開催された第5回関西加州会の中で紹介された、「関西クラブ研修レポート」を掲載することにしました。ロスアンゼルスには関西クラブという関西出身の方が集まっている団体があり、関西クラブが、関西からの学生さんを招待して、もっとアメリカを知ってもらおうという、すばらしい企画があります。読ませていただいた「研修レポート」は、とても新鮮で、雑貨屋で紹介したいと思いました。
関西加州会の田渕会長、と研修の世話役をされた若尾さん、そしてご本人の了解を得ましたので、ここに紹介させていただきます。今週は井上 貴美子さん、次週は亀谷 枝里子さんのレポートを掲載します。


関西学院大学 総合政策学部 メディア情報学科
井上 貴美子

「2004年7月31日、ロサンゼルス国際空港に到着した。
青い空、輝く太陽、様々な人種が混じった光景。ロサンゼルスの地に降り立ったその瞬間から、日本との違いを肌で感じた。

今回の研修で、特に印象に残ったことは、大きく分けて4つ挙げられる。

【英語の重要性】
アメリカは、「人種のサラダボール」といわれているように実に様々な人種が交じり合って構成されている。特にロサンゼルスという土地柄、日本では考えられないくらいの人種が交じり合い、共存している。研修の前半にお世話になったホストファミリーは、日常の生活の中で日本語、英語、韓国語の3ヶ国語を使い分けて生活していた。日本民族が中心の日本社会では全く想像もつかないことだが、人種が交じり合ったアメリカ社会では、これらのことが日常である。
研修中に教えていただいたジョークがある。
「アメリカで2番目に多く話されている言語は何ですか?」
1番目はもちろん英語である。では2番目は?答えは、Broken Englishである。とてもユニークな答えだが、アメリカ社会を如実に表していると思った。Broken Englishとは、完璧でない英語。簡単に説明すると、英語を母国語としない人が話す英語である。日本の教育では、英語は正確に読み書きすることに重点をおかれているが通じない。様々な人種が交じり合い、共存するアメリカ社会で生活する人たちにとっての英語は、いかに正しく発音し、読み、書くということが重要なのではなく、いかに伝えたいことを伝えられるか。が重要で、人種を超えてコミュニケーションをはかる重要な共通のツールであることを身を持って知った。
英語は、周知の事実通り今のところ世界の共通言語として多くの人たちに話されている。日本社会で生きていくには、日本語だけで事足りるかもしれない。しかしながら、グローバリゼーションが叫ばれ、国同士のボーダレス化を日本も目指しているならば、更なる英語の会話学習が必要で、重要視すべき事柄ではないだろうか。

【プレゼンテーション能力】
多くの日本人の苦手なことの一つに、人前での演説、つまりプレゼンテーションが挙げられるのではないだろうか?では、アメリカ人は?非常に得意のようである。
今回の研修中に、それらを顕著に表す場面があった。日本人のプレゼンテーションの特徴は、原稿を文章で用意し、一言一句間違わずに読めるかどうかが勝負なようである。また、質疑応答にも慣れていない。それに比べてアメリカ人はどうだろう?相対的に見て、特に苦手意識は無さそうで、トップの方たちのプレゼンテーションを見てみるとその能力は非常に優れている。そもそものプレゼンテーションとは、いかに相手に伝えるか、語りかけられるか、理解してもらえるかであり、本人にその十分な知識がなければその本意は伝えられない。アメリカの教育ではそういった自分で考えたり、スピーチやプレゼンといった能力をのばしたりすることに力をいれているらしい。関西を、いや、日本を世界に売り込もうとする場合、プレゼンテーション能力は重要な位置を占めることは間違いない。
研修中に、Torrance市の市議会を見学した。実にアメリカの民主主義を反映した議会であり、市民が市長に対して意見や異論を投げかける場面を目にした。多くの日本人が匿名を用いたり、自分の意見に責任をもたない反面、Torrance市議会における全ての市民は、発言前に自分の住所と名前を提示する。この様子は、ケーブルテレビで放送されることから自分の意見に自信と責任をもっていることを覗わせた。また、そのスピーチ力は、非常に優れているように感じた。私が感じたアメリカ社会から学ぶべきことは、日本の教育を見直し、個々人の意見に責任を持ち、考えたり、調べたりする能力を伸ばす必要があることである。

【固定観念】
よく見聞を広げたり、視野を広げたりするためには一度固定観念を捨てなさいといわれる。この固定観念というのは、ほぼ全ての人が少なからずもっている、非常に厄介なものである。固定観念というものを捨ててみると、とてもたくさんのことが見えてくる。この研修中にも興味深い固定観念からくるエピソードがあった。研修最終日にお世話になった人たちを招いて、パーティーをするために研修生で食事を用意することになった。研修に同行していた中に、中国人のリリィと、リンがいたので、餃子を作ることにした。日本人の私たちは、餃子は1人あたり4〜5個くらいだろうと思っていた。しかし、リリィとリンは、それを聞いてとてもびっくりし、大笑いしたのである。中国では餃子を主食で食べるために、1人あたり20個くらいだと思っていたらしい。ささいなエピソードだが、固定観念の違いを表していると思う。固定観念のなかでも多いのが、人に対する固定観念である。この種類の固定観念はステレオタイプとよばれ、世間一般で、雑誌で、テレビでまかりとおっている。初対面の人と接するときには、自分の中の基準で第一印象を判断するために、ステレオタイプのはたす役割はかなり大きい位置を占めていると思われる。とにかく、固定観念とは自分自身の狭い器の基準の一つでしかなく、それだけで人を判断するのは危険である。この人は、〜〜っぽいからだとか、この人は、**人なので〜〜だろう。のような考えは、捨て置いたほうがいい。固定観念を捨て、その人の本質をよくみて確かめること。これらの重要性に気づかされたのも、この研修中での出来事だった。

【日本文化】
アメリカに真似できないもの。それは、日本独特の東洋文化であろう。アメリカ文化は建国されてからの約230年に対し、日本は、古来アジアからもたらされ、独自の繁栄を遂げた非常に長い歴史と文化が根付いている。日本文化は独特の文化であり、西洋人憧れの文化でもあり、日本人が誇りをもてる部分であるのではないだろうか。
ロサンゼルスには、日系人コミュニティーが根付いており、研修中にその象徴ともいえるミス日系人コンテストが開催され、幸運にもその選出式に居合わすことができた。20代の日系人女性が、日本の伝統文化でその象徴でもある着物を着て、アメリカ特有のスピーチ力を活かし、それぞれをアピールしていた。日本人がアメリカに移り住み、様々な人種とまざりあうなかでも、日本伝統文化を忘れまいとする努力がみえ、日本の伝統文化の素晴らしさを身をもって感じ、このような素晴らしい文化をもつ日本人であることを誇りに思えた。
日本文化を語る上でかかせないのが、日本‘食’である。アメリカで寿司は‘SUSHI’として、フードコートには必ずおいてあるし、肥満が深刻な問題とされているアメリカで、ヒラリー夫人が健康食として発表した豆腐も、‘TOUFU’として注目されている。いずれにせよ、アメリカにおける日本の位置は年々その文化とともに根付いていっているのではないかと思えた。

以上、おおまかに4つにわけて今回のロサンゼルスにおける研修で感じたことを言及したが、この他実に様々なことを体験し、考えさせられた。特に、研修中には企業のトップの方たちとお会いし、お話を聞かせていただく機会をいただいたのだが、トップにたつものとしての苦労や努力を教えていただいたことも非常に印象深く、心に残った。

関西クラブの会員の皆様をはじめ、今回のプログラムに関わり私たち研修生をお世話していただいた全ての方に感謝したい。今回得た経験は、私の人生に非常に大きく影響を与えたと確信している。最後に、研修をフルアテンドしてくださった、若尾さんに大きな感謝の意を申し上げたい。本当にありがとうございました。」

編集後記

雑貨屋のホームページのURLは変更し、みなさんも新しいURLで観てくれていると思います。
でも私のメールアドレスが前のままですので、この機会にアドレスの変更をお願いします。
tenshu@zakkayanews.com

雑貨屋ウィークリーはPDFファイルでもご提供していますが、ファイルを開くときにずいぶん時間がかかります。
それを速くするソフトを前田さんに教えてもらいましたのでご紹介します。
 http://www.tnk-bootblock.co.uk/prods/misc/index.php

上記URLからAdobe Reader Speedup(一番上にあるソフトです)をダウンロードします。ar-speedup.zipというファイルを解凍ソフトで解凍します。5つのファイルがあります。それらのファイルをAdobe Acrobat readerのAcrobat.exeのファイルがあるファルダに移動させます。その中のReader SpeedUp.exeをクリックしてインストールします。
これで、PDFファイルがずいぶん速く立ち上がります。ご興味のある方は試されてはいかがですか。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.446

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com