No.444          Ryo Onishi               11/14/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

11月から新しいお札になりました。買い物でお釣りでもらい、その中に新千円札が混じっていて、比べて見てようやく、夏目漱石から野口英世に変わったことがわかりました。お札の大きさも同じで、色合いもよく似ているので、パッと見ただけではわかりません。日頃、じっくりお札なんか見ていないということですね。ずいぶん昔、新札に変わった年、トロントから一時帰国の時に、駅で切符を買った時、4千いくらかの支払いで、一万円札のつもりで、千円札を出したらしく、駅員に「お客さん4千・・・円ですよ」と言われたことを思い出しています。そんなやつおらんやろ?・・・でもいたんですねこれが。 (R.O.)

カリフォルニア住民提案投票 

米国世論を二つに分けたアメリカ合衆国大統領選挙は現職ジョージ・W・ブッシュ氏が再選され決着しました。

今回の投票日(11月2日)には大統領選挙と同時に上下両院議員選挙や各種の住民提案(プロポジション)の賛否についての投票も行なわれました。

ここカリフォルニア州では16項目の住民提案が賛否投票にかけられました。(その他ロサンゼルス郡、ロサンゼルス市でも各1の提案がありました)

これらの住民提案の中でも全国的に注目されたのが「<ヒト胚性幹細胞(ヒトES細胞)研究>を推進させる提案(提案71)」でした。

アルツハイマー病などの難病治療に効果があるとされる<ヒトES細胞研究>ですが、米国ではブッシュ大統領がクローン研究を禁止する立場を崩していないため、本格的な研究に立ち遅れているのが現状です。(ブッシュ氏はまったくES細胞研究への資金援助を否認しているわけではありませんが・・)

そこでカリフォルニア州では「住民提案」の形式をとり、州として今後10年間、総額30億ドルを<ヒトES細胞>研究資金として拠出しようというのが今回の提案でした。

<ヒトES細胞研究>推進はレーガン元大統領の息子であるジョン・レーガン氏や映画「スーパーマン」で主役をつとめ、先に脊髄損傷がもとで亡くなった クリストファー・リーブ氏、さらにシュワルツェネッガー知事も積極的に動き、その結果この提案は59%の賛成票を集め可決されました。

もうひとつ、今回のカリフォルニアの住民提案で興味をひいたのは、いわゆる「三振即アウト法」の改正を求めた提案(提案66)でした。

「三振即アウト法」とは、過去2回、犯罪暦のある人が3回目の有罪判決を受けると自動的に禁固25年以上を科すと定めたカリフォルニア州法律で1994年3月から施行されています。

この法律の施行によって州内の犯罪数は大きく減少しましたが、これは厳しすぎるので条件を緩和しようという提案でした。 ――― この提案は州知事が反対を表明したりして投票の結果、これは否決されました。

この他にも、先住民に認められているカジノ(ギャンブル場)経営の収益の一部を税金として州に収める代わりに、カジノ拡大を認める提案(提案68、70 ―― 否決)、子ども病院に財政的補助をする提案(提案61 ―― 可決)、精神障害者施設拡張のため、年収100万ドル以上の州民から1%を徴収する提案(提案63 ―― 可決)、議会から700万ドルを借り入れ、重罪や指定犯罪者のDNAサンプルを収集、州に登録する提案(提案69 ―― 可決)、などが賛否投票にかけられたのです。

住民提案(プロポジション)とは、一定数の住民による発議をはじめ、定められた諸条件が満たされると正式に登録され、選挙時に賛否投票に付されるものです。

これら住民投票が果たして本当に地域住民の提案にふさわしいものかどうか私には多少の疑念はありますが、これも“アメリカ的、草の根民主主義”のひとつと言えるのかも知れません。

                                                               河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「たら・れば

「天高く、馬肥ゆる秋」のまたの名を、「食欲の秋」・「スポーツの秋」という。澄み渡る空に飛行機雲が一直線、まるで“今日いち!”(ゴルフプレー時にその日一番のナイス・ショットをした時に使う言葉)の一打で描かれた弾道のごとく、清々しく美しい。深まる秋のこの時、こんな風に秋の空を見ただけでゴルフを連想するほど“ゴルフに発熱”、季節の変わり目に流行る風邪さえよりつかないほど元気なさくら。といっても、下手の横好きとは言ったもので、スコア−は一向にまとまらず、プレー後は『たら・れば』がもっぱら口癖、紅葉に負けぬ赤面さくらの秋なお深し・・・。

つい先日、 “以前の仕事仲間”とプレーした。きまって「あの時、こうすればよかった」「あの時、こう攻めたらうまく行ったはずなのに」と音に出さないさくらの独り言を連発。こんな『たら・れば』症候群の甘い囁きに引き込まれそうになる時、私はゴルフの師匠N氏の言葉、「反省の意味での『たら・れば』は悪くはない。しかし自分の技術の未熟さを、他のプレーヤーや道具、はたまたコースのせいにするなど、そんなお粗末極まりないことを口にしてはいけない。ゴルフが上達してくると必ず『たら・れば』仮想分析するようになるが、これを単なる自己満足の言い訳に利用せず、『この次は、あんなミスはやらない』という“失敗に学ぶ”向上心へと転換しなさい」を思い出すようにしている。『たら・れば』症候群から脱せなければゴルフのみならず人生もそんな風に生きてしまうということを、人生を随分と長く生きた大先輩が愛弟子に伝える隠し味の様なものだろうと、私は理解している。

さて、今年もあとひと月半を残すのみとなり、クリスマスカードや年賀状の準備が始まった。喪中で年末年始の挨拶を控えた昨年とは違い、メイリングリストの整理、そして昨年頂戴した賀状・カードの整理に奮闘する。ある賀状に「甲申(きのえ さる)の年」の意味が書かれていた。それによると『「甲」とは、草木の芽が固い殻を破って芽生えるところから“革新の動き”を意味し、「申」は、伸の原字であり、伸展伸長を表す』と記されているのに目がとまった。雑貨屋399号(1月4日発行)に私も同じようなことを書いた。1年前の足の怪我以来ほぼ1ヵ年、「年の終わりに近づき人生いろいろ」あった今年を振り返ると、もっぱら自分の3年後、6年後の人生設計(構想)にエネルギーを注いだと実感する。本当に自分がやりたいこと、やれることを模索し続けた。そんな辛苦のさなか、「甲申の年」を遅ればせながら、仕事も生活共に自己の革新を図り、伸展したい“芽生え”が具体化したのである。もちろん、今までの自分の生活とお別れしたのではない。むしろ、これからのグッド・コミュニケーション(提携)を視野に入れての変革であることを私は幸せに思い、古き自分と新しき自分への感謝の気持ちを強める今日この頃である。 “以前の私”と“これからの私”とは、“共同体・仲間”として、一生仲良くおつきあいしていくが人生最高の鍵だと思う。

いまや世界最強の女子プロゴルファーと言えば、アニカ・ソレンスタム(スウェーデン)だろう。11月初めの『ミズノクラシック』でこの女王と戦った日本女子プロゴルフ界の新星・宮里藍選手は、「アニカさんには“たら・れば”は存在しない。今直面する一打一打にのみ全神経を集中させ、全技術を投入する。ものすごい迫力を感じた」と語った。評されるアニカ選手が一流なら、評する19歳の藍ちゃんもまた大器の片鱗を覗わせる。「ゴルフも仕事も一打入魂」というものだろう。食欲の秋、ならば『たら・れば』は食べるだけにしておこう・・・とつぶやくさくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

幸せのボンドが欲しい転び癖

爪を噛む癖が抜けない男運

かの子繚乱 別の私が憧れる

ドライフラワーに遠い昔の花言葉

せめて陽を浴びて死にたい水中花

( ニュースやぶにらみ )

「西武、ダイエーの売却話」
安売りは本業だけにして欲しい −フアン

「全米選抜チームに完投勝ち」
西武球団より松坂投手が欲しい −メジャー

「スクリュー音」
平和ボケの耳にも聞こえたらしい−中国の原潜

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 13 )
 裏の家のおばあさんが急に亡くなった。葬儀の手伝いに出ていた私のところへ、夫が息咳切ってやってきた。
「おふくろの容態が急変した。今夜がヤマかもしれへん」
 病院から報せてきたのである。
 私はすっとんで家に帰り、いざという時のために用意していた寝具に真新しいシーツをかけた。いつ何が起きてもいいように準備は整っている。
「オマエは家にいてくれ、なにかあると困るさかいな」
 そう言い残して病院へ行った夫が、イビキをかいて寝ているばかりだからいても仕方がないといって、帰ってきた。
 その真夜中だった。電話の音に夫が跳ね起きた。病院から危篤の知らせである。
「なんだ、友引じゃあないか」
 といいながら身支度をし、車のエンジンをかけた。ただならぬ気配に隣のおばさんがすっ飛んできた。義母の危篤を伝えると、あれこれと手伝ってくれた。
「蒲団は北枕に敷いてな、枕元には、そやそや、四角いお盆はあらへんか。こういうふうに線香を立てておくんやで。そしてな、線香を消さんようにせなあかんで」
 夫が帰ってきた。死に化粧を施された義母が運びこまれた。
「ばっちり目を開けて待ってたんや。オレが『お母さん、ご苦労さんやったな、ゆっくり休むみなよ。サンキュー・マミー』と、頬にキスして瞼を閉じてやった」
 ここ一番という時、目立ちがり屋の夫のやりそうなことだ。
 不思議に涙は出なかった。涙どころか「ああ、これでやっと終わった」と、心の奥底で何者かが叫んでいた。心に鬼が棲んでいたのだ。親戚に連絡をし、明けて通夜のこと翌日の葬儀や近所との対処の仕方などを隣のおばさんに教わりながら進めていった。
「明日の朝一番にお坊さんが枕経をあげにこられるさかいな。ところで、あんたのとこ何宗だったかいな?」
「そんなもん、ワシ、知らんなぁ」
 夫は首をひねった。
「まぁ、なんちゅうこっちゃねん。ほんまに知らんのかいな」
「おばさん、隣やから、知ってへんか?」
「なんで、わたしが知らなあかんねん。それくらい家の者んなら知ってるのが常識やで」
 夫は、遠くの記憶を掘起こすな視線で考えていた。
「そやな、おかあが退院したとき、仏壇の前で『ナムヘンジョウコンゴー』とか唱えとったことがある。ハンニャハラミツなんじゃらかんじゃいうて、『あ、忘れてしもうた。ごめんなさいよ』というから、おかあ、そんなもん仏さんは知らん顔やで、というたんや」
「そんなら真言宗やわ。お寺さんはどこやろ?」
「知らんなぁ。朝になったら叔母サンに聞くわ、兄貴かて知らんやろ」
 隣のおばさんは呆れた顔で帰っていった。
 私は遺体の枕元にすわって、線香の煙がゆらゆら立ちのぼるさまを見ながら考えていた。義母は家に帰りたがっていた。こんなにあっけなく逝ってしまうのなら、願いを叶えてあげたかった。命つきるまで酸素マスクをし点滴の管につながれた義母が哀れだった。これが日本の終末医療だというのなら、なんとも悲しい。アメリカの場合はどうになのだろうか。そんなことに思いを馳せていた。                                    つづく  
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

雑貨屋ホームページのサーバーを変えましたが、支障はないでしょうか?
特に何も連絡がないので、雑貨屋を見てくれているのかなあとちょっと不安になったりしています。
URLは下記のとおり、シンプルになりました。
http://www.zakkayanews.com/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.444

雑貨屋 店主 大西良衛   tenshu@zakkayanews.com