No.442          Ryo Onishi               10/31/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

■美しく長閑な村を一瞬にして廃墟にしてしまう地震は本当に恐ろしいですね。ぐじゃぐじゃになった道路や家を見るたびに、住民の不安や悲しさに同情します。
■最近の女性は先がずいぶん尖った靴を履いていますね。この尖った靴は一体何を意味するのかわかりません。うちの娘もあんなの履いていたかな?と今頃、考えている私です。 (R.O.)

い い 月、11月 へ 

 国際社会が注目する米国大統領選挙の投票日が迫ってきました。選挙結果が気になります。
 ところでロサンゼルスの街は10月31日のハロウイーン・デイが近づき、パンプキン(かぼちゃ)や魔女の飾り付けで賑やかです。
 そしてハロウイーンが過ぎると11月、それまでパンプキン売り場だった街角の広場はクリスマス・ツリー売り場に変わり、あとは年末モードへ一直線となります。
 ついこの間、新年の誓いを新たにしたばかりなのに、もう来年の準備を始める時期になるのです。
 
 小学生の頃は一日一日が長く感じられ、正月や遠足の日を指折り数えて待ちわびていたのに、年齢を重ねるごとに時の経つのが早くなり、シニア世代もベテランの域に達した私にとってまさに「光陰矢の如し」が実感です。

 でも矢の如く過ぎ去る光陰を嘆いていてもはじまりません。せめて前向き発想で11月を迎えることにしたいものです。

 日本人は数字の読み方を工夫して、無理やりこじつけてしまう特技を持っています。そこで、まず11月1日は『いい(良い)一日』と読むことにしましょう。

 想う心は実現への第一歩といいますから、きっと良い一日になるはずです。11月には他にも次のように読める日々が考えらます。

*11月5日(いいぞGO!)、
*11月11日(いちいちいい日)、
*11月13日(いい父さんの日)、
*11月22日(いい夫婦の日)、
*11月23日(いい兄さんの日)、

 これ以外にもまだまだあるでしょう。皆さんも自分にふさわしいものを作ってその日を迎えてみてはいかがでしょか。

 こんなこじつけでも前向き発想のきっかけになるはずで、自分を励まし家庭や友人関係がさらに向上するのであれば、こじつけも悪いものではなく、人生の立派な潤滑油になるのではないでしょうか。

 折角の11月です。無為に過ぎ去る時を嘆くだけでなく、大いに11(いい=良い)発想で日々を過ごしたいものです。

 また、自分の想いを積極的に語り、自分を他人により良く理解してもらうのも11月だと思います。

 なぜなら、11月は大いに意見をノーベンバ(述べねば)ナンチャッテ・・ ―― こんな発想はいかがでしょうか。
 
                                                                   河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「明暗

「幸・不幸は選べるが、運・不運は選べない」と以前書いたことがある(雑貨屋264・2001年6月3日)。しかし、つきまとうのが、この運・不運。災害時において一段と顕著に浮かび上がる。今回の新潟県中越地震でも、幾つかの明暗を報らされた。数々の悲劇の一方、感動のドラマも生まれた。そこに、人の力を超えた偉大なもの、自然・宇宙や神の存在を覚え、そして命の光を思う。

これほどの緊張と祈りを込めてテレビ画面を凝視し続けた経験が、私は今までにあっただろうか。土砂に埋まった親子3人の乗用車から、男の子(2歳)を救出する映像である。救出の最中でも幾度となく余震が襲い、巨岩の累々たる危険な山肌に身を置きながら懸命に救出作業を続けるレスキュー隊員たち、私は思わず「お願いします!」とTV画面に嘆願する。まだか、まだか、と、手に汗を握る。そして遂に土砂の中から男の子を救い上げたその瞬間、「やった!」私は叫んだ。しっかりと抱きかかえる隊員、その隊員にしがみつく男の子の足が微かに動くのを見た。「あっ、生きている!」・・・その瞬間、感涙で映像がにじんでしまう。はらはらと頬を流れ落ちる涙が熱く、「感謝、感謝!」。それは、自分たちも死と隣り合わせの状況下にありながらも懸命に幼い命を救った隊員たちと、偉大なる神への深い感謝であった。一般的に救助活動の明暗を分ける節目は、「3日間」といわれる。飢えと寒さと孤独に耐え、土砂に埋まってから5日目の生還は、まさに奇跡としか言いようがない。死に至った母と姉の2人の命を、この男の子は貰い受けたのかもしれないと思うと、深く崇高な肉親の愛を感じる。この2歳児に托した2人の命は、あまりにも悲しく、あまりにも尊い。

2歳児・・・そう言えば、ヘレン・ケラーが生きる光、目、耳、口の自由を失ったのも2歳の時だった。その彼女が最初に覚えた言葉は『水』だった。何かの本で読んだ「水が魂を目覚めさせ、光と希望を与えてくれた」という一節を思い出す。毎日報道される被災地の映像の中に、道路いっぱいに「水・パン・毛布」や「SOS」と白い粉で書かれた文字が映し出されていた。“命の水”は火急を要する。書いた人の悲痛な叫びが聞こえてくるようで、何かしたくても何もできない自分が焦り苛立ちさえする。寒さが募る避難所には、仮設風呂や暖かい食事がやっと届き始めたというが、それもほんの一部だという。ヘレン・ケラーが『水』という言葉をきっかに自らの命に光を燈し、その最後の時を迎えるまで多くの人々に「生なる光の希望」を与え続けた如く、2歳児の幼い命が光を放ち、被災地の人々に“命の光”を照らしているように思う。“選べない運・不運”の明に光る命が、”選べる幸・不幸“の幸を問われるのは、幸いに地震災害から免れた私たちではなかろうか。

今年の日本列島は、まさに天変地異の地獄を見た。中でも恐ろしいのは“暴れ水”。中越地震災害地域の土砂崩れも、台風被害の近畿・中部も、雨水が闇への引き水となったし。ヘレン・ケラーのいう「魂を目覚めさせ、光と希望を与えてくれる」はずの『水』が豹変して、「魂を奪い、闇と絶望」へ突き落とす恐ろしさの警告だ。このような相次ぐ天災は、自然の恵みに対する感謝と畏敬の念を失いつつある人間に、天罰が下されているのではないかと考えるのは、私だけだろうか。未だ治まらぬ天の災(余震)に、「神は何をお怒りか・・・」っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

立ち食いのメニューに今日を励まされ

実力の差にアスナロの力瘤

引きつった笑顔 握手を強いられる

ストレスもピーク 棒グラフが折れる

内部告発 圧力鍋の蓋が飛び

( ニュースやぶにらみ )

「弱腰」
尖閣諸島も心配になってきた −北方四島

「54年の歴史に幕」
燃え尽きた  −炭労

「10月」
神無月でした −被災地住民

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 11 )
 集中治療室のベッドで義母は口を開け大きなイビキをかいて眠っていた。夫は、無数に皺の刻まれた母親の顔を覗き込み、大きな声でいった。
「お母さん、トシユキやで、帰ってきたんや。分るか ! 」 お母さん、お母さんと繰り返して呼んでいると、「ワ・カ・リ・マ・ス」  大声をださなくても聞こえるという抗議のようなはっきりした返事であった。
 「誰や、いうてみい」 「わたしの息子の――トシユキや ! 」
 心電図のモニターも一定のリズムでながれている。義母は、三ヶ月前よりひとまわり萎んで見えた。夫が母親を独り占めするように私の前に立ちはだかっている。私は挨拶もできず後の方で黙って立っていた。
「のりえさんもきとるんやで ! 」 義兄が、義母の耳元で叫んだ。
「うれしい ! 待っとんたんやで、ああ、わたしの一番好きな人や、一番好きな」
 上半身を起こしながら、空をつかむように両手を出した。
「お義母さん、帰ってきましたよ」
 冷たい義母の手を握った私は、それだけしかいえなかった。心をこめた介護をしたのではない。本心を明かせば、しかたなく世話をする羽目になっただけである。それなのに、お義母さんったらお口の上手な、こそばゆかった。でも、そういってもらえるのは嬉しいことだった。実の娘なら遠慮なく話もでき心温まる世話をしてもらえる
であろうに、娘のいない義母が、急に哀れに思えてきた。

 翌日、義母を見舞うと、人差し指でしきりに唇を触っている。舌の先を見ると乾いていた。私は冷えたお茶を吸い口ビンにいれて飲ませた。と、せむた。むせる声に力がない。背中をさすったが、いつまでもむせている。ドキッとした。お茶を飲ませたばっかりに息が詰まって亡くなったらどうしょう。私の胸は潰れそうだった。どうか治りますようにと、祈るような気持ちで背中をさすり続けたのである。
 ようやく落ち着いた義母は、こういった。
「わたし、今日帰るわな。病室がつかえとるさかい。つれて帰ってよ。頼むわな」
「ええ、いいですよ。わたしたちといっしょに帰りましょうね」
 しかし、明日からは一般病室へ移ることになっている。泊まって欲しいと看護婦に
いわれたばかりだ。個室とはいえ、泊まりはくたびれる。夫と私が交代で泊まるしかないけれど、いやだ、いやだ。もしもの時はどうすればいいのか。私の不注意で不慮の事故が起きることもありうる。そうだ、夫が泊まればいい。自分の母親だもの。
 この春、自宅介護をしていたときのことを思い出し、私はゾッとなった。
 冬の間、老人保健施設へ入所していた義母は杖をついて歩けるようになっていた。
 春、私たちはロサンゼルスからきて義母の自宅介護を再開していたある日のこと。昼食を終えた義母が立ちあがった。なんの支えもなく立てるようになったと思った瞬間、ドスンと仰向けに倒れた。見ると、頭と床柱の距離は十センチ。私の心臓は破裂しそうになった。床柱に頭をぶっつけていたら、ああ、考えるだけで空恐ろしい。
 あの時のことを思い出すと、病室に泊まることはできない相談であった。                                    つづく  
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

雑貨屋のホームページを掲載しているサーバーを変えようとしています。
現在使用しているサーバーの調子が悪いわけではありませんが、少し大きな容量のサーバーにしようと考えてのことです。
試行してから、みなさんにお知らせすることにします。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.442

雑貨屋 店主 大西良衛   weekly@zakkayanews.com