No.440          Ryo Onishi               10/17/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

 先週の雨がうそみたいに、良い天気でさわやかな気候になりました。ようやく秋を実感できています。もうすぐしたら、暑かった日が恋しくなるかもしれません。人間は勝手なものですね。台風23号が近づいてきているのと、神戸では葉のなくなった桜の木に花が咲いているのがちょっと気になります。(R.O.)

二週間後に迫った米大統領選挙 

 四年毎に行なわれる米国大統領選挙が二週間後に迫りました。投票日は11月2日(第一月曜日の次の日の火曜日)であり、その結果について世界中が注目しています。

米国は世界唯一の超大国であり、世界中に強い影響力を発揮する国であるわけですから、その国の大統領が誰であるかは地球上のすべての国にとって無関心ではいられない問題です。

☆ 今回の選挙に対する米国民の関心の高さ
10月4日には有権者登録が締め切られましたが、(米国の場合、日本と違って登録をした有権者だけが投票できるルールであり、すべての成人に対し自動的に投票資格が与えられるわけではありません)今回の選挙は、前回(2000年)の大統領選挙時に比べ国民の関心が高く、有権者登録の数はかなり多くなっているようです。

また、不在者投票も、9月末から既にスタートしていますが、前回選挙よりかなり多くなりそうだと報じられています。今年の大統領選挙に対する米国民の関心の高さをよく示していると言えましょう。

今回の大統領選挙の争点は、やはりイラク問題と対テロ戦争に絞られている感があります。批判があることを省みず、敢えて短絡化して言わせてもらえば、

(1)今は戦争中なのだから現職大統領(ブッシュ氏)にこのまま任せるべき。

(2) いや、ブッシュ大統領がやっていることはおかしい。辞めさせるべき。

のどちらを選択するかということではないでしょうか。

現職ブッシュ / チェイニー(共和党)対ケリー / エドワード(民主党)の論戦は熾烈を極めています。

☆ 米国大統領選挙のしくみ
米国の大統領は国民の直接選挙投票によって決まるといわれていますが、現実は少々違い、有権者は各州ごとに「選挙人」を投票で選び、選ばれた「選挙人」たちが大統領を選ぶ形式をとります。

したがって米国の大統領選挙は国民による直接投票選挙ではなく、厳密には間接選挙と言うことになります。

11月の本選挙では各州の選挙人数は、上院議員数100人、下院議員数435人、コロンビア特別区の3人を合計した538人です。

 選挙では(一部の例外州を除き)州の得票で1位となった大統領候補がその州の選挙人を独占する仕組み(勝者独占方式、又は勝者総取り制という)で、大統領候補が州ごとに得た選挙人数の合計が過半数270(538の過半数)を超えれば、当選が確定します。

今回の場合、選挙人数が多い州の上位5位は次の通りです。
    1.カリフォルニア州:55人
    2.テキサス州34人
    3.ニューヨーク州31人
    4.フロリダ州27人
    5.ペンシルバニア州 / イリノイ州21人

☆ 投票方式について(コンピューター投票機システムの増加)
 前回2000年の大統領選挙では、フロリダ州などで、紙に穴を開ける「バタフライ方式」などの旧式の投票システムが、誰に投票したのか判読しがたい票をたくさん作ってしまった反省から、タッチスクリーン方式のコンピュータによる投票システムが注目を浴び、この方式での投票を実施する選挙区が増えているようです。米国では大統領選挙でもコンピュータ投票の時代になりつゝあるようです。

☆ 今年の大統領選挙の現状、勝敗の行方?
今回も全米国民が注目の大統領候補者による公開TV討論会が3回(副大統領候補者1回)行なわれ、あとは有権者がどのように判断し、どちらに投票するかにかかっているわけです。

イラク問題では本来のイラク進攻の大義名分であったイラク・フセイン政権による“大量破壊兵器の保有”が幻であったとの調査団の結論が米議会へ報告され、ブッシュ大統領は厳しい立場に追い込またとの見方が米国以外の国際社会ではあるようですが、この大統領選挙は、投票するのは世界の人々ではなく、米国民であるわけで、米国民がどのように判断するか微妙だと思います。

 先週、私たちの仲間内10名の勉強会で予想しあいましたが、結果はケリー氏8票、ブッシュ氏2票でした。因みに私は少数派のブッシュ氏の当選を予想しました。

二週間後に迫った投票の結果が注目です。
  
                                                                   河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「はなせば、わかる」

仕事柄とはいえ自分の“旅慣れ”の成果物は、利用する交通手段やそのプロセスにおける要領の良さであり、目的達成を明確にしたアレンジメント、それは時間や費用の節約のみならず、身心の浪費を防ぐと自負していた。しかし、“旅慣れ”は、旅の楽しみを半減している面もあると気づく。機械的で合理的な旅は、ものごとを固定化したイメージに固執させ、遊び心を失してしまう場合もある。これを“旅慣れシンドローム”と、私は呼び、最近は、その脱出作戦を試みている。距離と角度の的確な調和は、見えなかったものが見えるようになる眼鏡のようなものだ。

先月は17年間住み慣れたアメリカ大陸の、今月は故郷九州の、それぞれの「空の旅」を満喫した。身近だった風景や事象を、自分からちょっと離して旅をするには、こうした地表情景を空から肉眼で認識できる低空飛行の旅がいい。風向きによって航路の方向が変わる為、同じ地形を違う距離・角度から眺めることができ、風景に対する自分の固定イメージが崩されることによる新鮮さを覚え、旅の新しい醍醐味を知る。

ところで、九州の旅はいつものように福岡に住む母や姉家族を訪ねるのが主な目的だが、今回は熊本県玉名市にまで足を伸ばした。熊本日日新聞玉名総局長を務める直兄“俊ちゃん”を訪ねるためである。兄妹の私たちが、二人きりで時を過ごしたり話したりすることも、それは初めてのことだった。市内を車で案内してくれた“俊ちゃん”が、「あれが金峰山だよ」と指を差した。それは今まで私が見覚えのある金峰山とはかなり異なる姿だった。この時初めて、今まで東側からのみ見てきた金峰山を反対側から見ていることに気づき、ひとつの事象・事柄が、見る角度・眺める方向や距離、そして時代や季節が変われば、違って見えるものなのだとあらためて感じた。同様に、兄妹とはいえ子供時代からの固定イメージを持ち続けた私たち二人も、それぞれの生きざまを違う角度や距離から見つめ合い、触れ合い、新発見や理解の新鮮さを喜ぶようになった気がする。時代や季節が、知らぬ間に廻ったということかもしれない。

妹の私がどんな話をしても解かってもらえないから、と敬遠してきた兄“俊ちゃん”への固定イメージも、また、確かに頑固で私を子ども扱いにしていた“俊ちゃん”ではあったが、お互いに話せばわかる歳になったのだと実感できる兄妹の、実りある秋の熊本だった。「はなす」という漢字には、「話す」、「放す」、そして「離す」がある。「手から放さなければ戻ってこないブーメランと同じ様に、可愛い妹に旅をさせて」と “俊ちゃん”に言い放ち留学を決行したのは、20年前のじゃじゃ馬、私だった。そして、私は今こうして、ちゃんと戻ってきたのだから、“俊ちゃん”の、私への心配(悩み)解決といきたいが、この“俊ちゃん”、最近“離せば分る”状態に悩まされ始めたようだ。本や書類などの小さな文字が見えにくくなってきて、無意識に書類を持つ腕が伸びる。近視に老眼が加わり、このままでは遠近両用眼鏡の必要もそう遠くはないだろう。そんな“俊ちゃん”を訪問した短い時をあとに、「はなせば、わかる」をお土産にもらった気がした。「離せば分る」、「放せば分る」、「話せば分る」、どれもミドルエイジの私には意味が深い・・・っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

反論がまた歳の差を言い募る

満場一致 思惑を温める

見くびった歩に逃げ道を塞がれる

必勝の方程式と言う虚構

英訳と和訳のずれがする握手

( ニュースやぶにらみ )

「所信表明演説」
初心がだいぶ磨り減ったなあ −国民

「首相の勘違いの大臣#ュ言」
勘違いでなく本音です −某大臣

「トヨタ申告所得ランキング一位」
深刻所得ランキングなら… −ダイエイ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

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森田さんから

姑を看とる( 9 )
 義母のかかり付けの病院が「老人保健施設」としての改装工事をしていた。近所の人の話では、相次ぐ厚生省の不祥事で認可がおりにくく、十二月中旬オープンが大幅に遅れるのではないかというのである。
 日本で年を越す覚悟はしていた。だが、いつまでも居る訳にはいかない。ロサンゼルスで留守番をしている娘から「洗濯機が壊れた。池の水循環器が動かない」などなど、苦情をいってくる。それよりも義母の介護でプライバシーもなく缶詰状態で家にいなければならない私は、苛立っていた。アメリカの主婦に比べて、日本の主婦は家事労働が多すぎる。三度の食事の支度に掃除、洗濯、義母の世話。来客の相手をしていれば一日があっという間だ。というのは言い訳で、日々厳しくなる寒さから逃げ出したいのが本音である。
 とりあえず老人保健施設へ入所できるように申し込みをしてきた。
「老人が普通の生活に戻れるように訓練する施設ですから、健康状態をチェックしてから入所できるかどうかを決めます。病気があればダメです。入所期間は三ヶ月です」
 一時的でも預かってもらえれば、大助かりである。
 それから週一回、若院長の巡回診察がはじまった。義母はハンサムな若先生が大好きのようだ。巡回診察の日がくると、義母はいろいろと注文をつけた。
「のりえさん、先生がみえたらな、あの碗で、この茶をいれてな。入れ方はな――」
「お母さん、そんなことはどっちでもええ。先生かて、お茶なんか飲みはらへんで」
 夫はにべもなくいう。
 当日、義母は朝から縁側に座って表をうかがっていた。
「あ、先生や! 先生がきはった」
 待ちわびていた恋人が現れたような喜びようだ。
 萎れた乳房がたれ肋骨のうきでた胸に若先生が聴診器をあてる。看護婦が血圧を測る。
「先生、頭がボーッとするんです」
「ああ、前からそんな傾向がありましたね」
「眼もボヤッとしか見えんのです」
「歳をとるとしようがないですねぇ」
「お尻が痛い、痛いです、先生」
 甘えたような声で義母がいう。
「あっちこっち悪いところばかりで困ったもんです。でも、身体は健康ですよ」
 十二月中旬の入所が決まった。
 アメリカからわざわざ親の世話をするためにきている息子を誇りに思っている義母は、老人ホームへ入ることを『姨捨山』のようだと思っているらしく嫌がる。しかし、私たちだって生活がある。入ってもらわねば困るのだ。
「新装だから、清潔で明るく暖房はきいているし、リハビリの設備が整っているからきっと歩けるようになりますよ。桜の花が咲くころに私たちは帰ってきますから」
 私は、本音を隠し、ことさら優しくいって納得してもらったのである。
 入所に必要な衣類や持ち物に名前を書き入れていると、傍で見ていた義母が、
「わたしはなぁ、死ぬまでに一度でいいから真っ赤な服が着てみたいねん」
 あまりに突飛なことだったので、私は訝りながら訊いてみた。
「私の着ているようなワイン・カラーですか」
「いいや、ちがう。真っ赤や」
 人目を気にして、年寄りは派手なものは着ないという習慣を守り、品がいいといえば聞こえはいいが、すすけた曖昧模糊とした色合いのものばかり着てきた義母のはじめての自己主張だろう。そう思うと、急に義母がいじらしくなってきた。
「ええ、着せてあげますよ。今度くるときにアメリカで買ってきます」
 老人保健施設入所一号になった義母は、窓際のベッドにちょこんと腰掛けて、
「必ずきてな、きっとやで」
 と、私の手をギュウと握った。                                    つづく  
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

先週の下呂温泉での2組の夫婦との再会は、トロントで共有した時間がよみがえったすばらしいひと時でした。こんど逢うのは10年以内にしようと考えています。
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http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.440

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp