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No.434            Ryo Onishi                   9/5/2004   

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雑貨屋のひとり言

今日は私の誕生日だったので、家族で焼肉を食べに行きました。テーブルや椅子がやけに揺れるので、地震だと気づきました。多分震度4ぐらいだと思います。家に帰ってきたら、エレベーターが止まっていました。これが南海沖地震の予兆なんでしょうか?(R.O.) 

空の話と地上の話

数日前、インターネット・ニュースを見ていたら『小惑星、地球をかすめる。地表6600キロ大接近』というヘッドラインが目にとまりました。

記事によると、今年(2004年)3月31日、直径約8メートルの小惑星が、地球表面から約6600キロのところをかすめていたことが判明したのだそうです。

地球の半径は約6400キロであることを考えると、これは地球にとってきわどいニアミスだったことになります。この小惑星は約3年後にも再飛来する可能性があるということです。

尤も、この程度の大きさのものでは、万一地球に突っ込んでも大気圏でバラバラになり、大きな被害をもたらすことはないのだそうで、先ずは一安心です。 

宇宙から星屑などが地球に突入することはしばしばありますが、殆どは地表に到達する前に大気圏内で燃え尽きてしまいます。でも時には隕石として地表に落下することもあります。

巨大隕石の落下例として、米国アリゾナ州のメテオール・クレーター(Meteor Crater)があります。私たち夫婦もそこを訪れてきました。

アリゾナ州は米国西海岸カリフォルニア州の東隣りの州です。ロサンゼルスから約500マイル(800km)、グランド・キャニオンやモニュメント・バレーへ通じる中継の街として有名なフラッグスタッフ(Flagstaff)の東35マイル(56km)のところにこの現場があります。

なんの変哲もない荒涼とした平地の中に、一見、小高い山のように見えるところがあり、これが隕石突入跡(隕石孔・クレーター)です。

現場に着いてみると何とも見事で大きなクレーターであり、目を見張ります。ここはアリゾナの半砂漠地帯であるため、大隕石の衝突の跡は風化されず、ほぼ完璧な形で残っているのです。これだけ完璧な形で残されているクレーターは世界的にも珍しいといわれています。 

隕石孔(クレーター)の大きさは、直径が1300m、周囲が4800m、深さが170mとのことで、さらに現地案内所とパンフレットの説明によると、これは約4万9千年前に、直径50mくらいの隕石が、時速約6万9千kmで地表に衝突してできたものなのだとのことです。

隕石の落下衝突により周囲の動植物は一瞬にして死滅したとのこと、衝撃はものすごいものだったと想像できます。

あまりにも大きなクレーターであるため、私の撮った写真では全体像が掴めないので、写真と説明は次のURL(Meteor Crater のホームページ)をご参照ください。

http://www.meteorcrater.com/
http://neo.jpl.nasa.gov/images/meteorcrater.html

星の話といえば、もうひとつ、やはり数日前のインターネット・ニュースに「巨人、広島に次いで、阪神も小惑星の仲間入り」という記事を見つけました。

それによると、このほど日本人が発見した小惑星に「Hanshintigers(阪神タイガース)」と命名することが国際天文学連合(本部・パリ)により承認されたとのことです。

小惑星に日本のプロ野球チームの名が付けられたのは、「Tokyogiants(東京ジャイアンツ)」、「Carp(カープ)」に続き3番目なのだそうです。 

地球上の“生臭い日常”から、たまには目を天空に向けてみるのも、心の洗濯になって良いかもしれません。

ところで、折角、星の話で救われた気分でいるところに、水を差す地上の話題に変わりますが、今年(2004年)4月、こちらの新聞に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(U.C.L.A.)の地震学者チームが「今年(2004年)9月5日までにカリフォルニア州南東部にM6.4以上の大規模な地震が発生する」と予知した、という記事が出ていました。

このチームは、昨年9月の日本、北海道・十勝沖地震や同12月のカリフォルニア州中部地震を予知した実績をもっている学者チームなのだそうです。

9月5日の期限まで間もなくです。無事に何事もなくその日が過ぎることを祈っています。――― と、いっても私ははじめから何の覚悟も準備もしていませんけれど・・
                                                                   河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「浅間山噴火に想う」

 防災の日の9月1日、長野・群馬の県境に位置する浅間山が火を噴いた。「えっ?あの浅間山、活火山だったんだぁ・・・」私が小学生の頃、浅間山荘事件があった。壁を打ち砕く鉄の塊、日本赤軍と機動隊の銃撃戦とそして突入、そのテレビ実況に釘漬けになったものだ。成人して米国在住中出張で来日した際、よくクライアントと浅間山の麓でゴルフをした。日本着任後4年前、黒姫に研修施設を持つ某企業の仕事のため、新幹線で出かけた。その時、浅間山を見た、というより目に入った。それは、とても優しく穏やかな表情で、浅間山荘事件を内側に覆ってしまった、静なる黙した様だった。だから中学時代勉強したはずの“活火山・浅間山”をすっかり忘れていた。秘められたものの噴火の力に、遠い歴史を想う。そしてまた、人災と天災の廻る今日を想う。

浅間山は私の故郷・熊本の阿蘇山と並ぶ活火山の東西横綱、という。阿蘇山と浅間山は、地質と形成史は多少異なるが、噴火記録は酷似しており、そのへんが“火山の両横綱”と言われるゆえんだろう。しかし、私の知っている、あのゴルフの時に見た穏やかな浅間山、そして4年前新幹線の車窓から見た、あの優しげな浅間山の地底のどこに、あんな激しいエネルギーが潜んでいたのだろうか・・・はたして自然は、マグマは、生物は、私達に黙っていたのだろうか。語りかけてくれていた何かがあったのではないだろうか。

ところで、この浅間山噴火の歴史が古いことに、改めて驚かされる。資料によると約1300年まえの685年ごろに大噴火があったとされているが、明確な記録は1108年に始まる。その後毎世紀、数回の噴火を繰返し、1500年代5回、1600年代17回、1700年代21回と噴火の頻度と規模が活発になり、中でも1783年(天明3年)の大噴火では火砕流によって1000人を超える死者を出した。山麓に累々と重なる奇岩群『鬼押し出し』は、その時に出来たと伝えられている。1800年代は11回と少なかったが、1900年代に入ってからは日本近代国家建設のため避けることができなかったと言われる度重なる戦火と呼応するかの如く、大小合わせて何と50数回もの噴火を記録した。これは阿蘇山とほぼ同じ噴火回数である。今世紀に入ってから、昨年4月に微小噴火があったそうだが、マスメディアの扱いは小さく、私の記憶にはない。そして9月1日夜のテレビ画像は、赤々とたぎる浅間山を映し出した。マスコミで発表される専門家の話によると、今回の噴火は21年ぶりの中規模爆発だという。21年前の1983年の噴火では、長野県や群馬県はもとより関東一円、さらに福島県の太平洋岸まで灰を降らせ、多くの被害をもたらした。今回も同様、農産物、とりわけキャベツの被害は甚大だという。日本列島縦断で多くの爪跡を残した台風16号直後のダブル・パンチである。浅間山をこよなく愛し崇敬する山麓の人々だが、「もう数週間後の噴火なら被害は最小限度にとどめることができただろうが、収穫の真っ最中にやられた。山の神のいたずらにしては厳しすぎる。人災ではなく天災だから天を恨んでも仕方がないが、泣かずにはいられない。」と悲嘆にくれる農家の人々の、その暗い表情(テレビ画像)が痛ましい。

“天災は忘れた頃にやって来る”。天災の前に立ちふさがる人知はない。自然の恵みを享受する人間達は、自然への感謝と畏敬の念を失わず、天の怒りを真摯に受け止めなければならない。しかし、黙って受け止め、受け入れられないのがテロリズムである。同時テロ9・11の生々しい回想の時を迎えんとする、まさしく昨日、『ロシア(北オセチア共和国)学校占拠事件』の悲惨な結末が報じられた。323人(9月5日現在)もの死者、その半数は子供だという。「テロに人道も非人道もないとわかっていても、血まみれになった裸の子供達の映像には、これは非道だ、と叫ぶしかない。民族憎悪はどこまで人間から愛や情けや倫理を奪うのだろうか」と日本経済新聞の春秋欄(5日付)は激しく訴えている。天災は一時的、一過性であるのに対し、人間同士の争いは憎しみと闘争手段を増幅させ、止まる時と所を知らない。このような世界各国、相次ぐテロや戦争を見る時、この地球上で本当に恐ろしいのは天災より人災ではないだろうかと、五臓が抉り取られる怒りに達する。私の心底で、怒りのマグマが煮えたぎる。「天よ、愚かな人間達の争いを止める知恵を与え給え。天道・人道に背く人間達を戒める鉄拳を下し給え」っとつぶやく、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

旧姓で呼び止められた交差点

濃い目の茶啜り母にも意地がある

ばあちゃんがまた育児書に叱られる

祖母の手に踊るお手玉若く跳ね

死んでやるもんかお墓のコマーシャル

( ニュースやぶにらみ )

「小泉首相が視察」
こっちも拉致されたままです −北方四島

「嫌いなもの」
ポリグラフ −橋本竜太郎

「まさかが またに」
原発事故 −日本
テロ −世界

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 3 )
  介護をはじめて三日目だった。
 病室のドアを明けると、義母はやせ細った左腕に点滴の針を刺しこまれ、キリストの磔刑のように両手をベッドの手すりに縛りつけられていた。
「痛い、痛い」
 といって、義母は私の顔を見ると訴えるような目をして身をよじった。解くと、腕が赤く腫れている。罪人扱いされたような感じになり、義母があわれに思えた。若い看護婦は、縛ることの後ろめたさからだろう、こういった。
「こうしておかないと点滴の針を抜いて困るんです。それに、静脈が細くて奥に入りこんでいるから注射するのが大変なんですよ」
 縛る側の言い分も理解できる。だが、義母の思いも分る。私は哀しかった。
 見舞いにきた親戚の人たちと話していると、義母はうわごとをいう。
「なぁ、話ばっかりせんと帰ろうよ。まだ馬車はこんのか。日が暮れてしまう。なぁ、はよう馬立に帰ろうよ」
 馬立というのは義母の生まれ故郷である。幼いころの夢でもみていたのだろう。
 親戚の人たちは顔を見合わせ、
「もう、長くはないぞ」
 と、小声でいう。
 いざという場合を考え私が介護を受け持ち、夫は、母親の家の中を片付けはじめた。義母にとっては思い出の品々だろうが、夫はガラクタ同然だといって、庭の隅で容赦なく燃やしはじめたのである。
 朝病院へ行くと、まず義母の身体を清拭し手足の屈伸運動をさせ、指の運動をさせた。「はじめようか」
 私の顔を見ると、義母は自ら進んで運動をしようとするようになった。とうとう義母は点滴の針を抜き、尿道に差し込んだ排泄の管まで引き抜いてしまった。力が出てきたのだ。ベッドの柵まで取り外す。目を離した隙にベッドから落ちて頭を打ってしまった。
「便所へ行こうと思うたんや。ムリやったなぁ」
 と、苦笑している。本人はしっかりしているつもりらしいが、身体がついていかない。
 しわくちゃの顔に柔和な表情がみられるようになり、流動食から普通食にかわった。
「わたしゃ、バッテラ鮨が大好きやねん。鮎の甘露煮は売ってへんか?」
 病院の隣にあるマーケットで見てくるようにという。買い物をしてくると袋をじっと見ている。これとこれ買ってきましたよと目の前に並べると、
「おいしそうやなぁ、イカの塩辛。わたしの大好物やねん」
「たくさんは血圧によくなすから、少しね」というは、義母は美味しそうに食べた。
 病院から出る食事は「のりえさん、お上がり」という。
 義母はふたりの息子にあだ名までつけた。義兄は『ゴジャ煮』これは義兄の家で食べた
すき焼きは美味しかったけど、作り方はめちゃくちゃだったから。ゴジャなのだそうだ。夫は『ケチ』これは母親の前で弁当をひとりで食べてしまったから、らしい。
 義母が元気になっていくのは介護のしがいがある。しかし、いつロサンゼルスの我が家へ戻れるのか、よょっぴり不安にもなってきた。
                                  つづく

 森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

合併、再編問題で揺れている日本のプロ野球をよそに、メジャーではイチローが絶好調ですね。本日も5打数5安打ですから、本当にすごい選手です。ぜひ258安打の新記録を創ってほしいものです。楽しみができてよかったです。

「24」という映画、全部見ました。24時間観た事になります。面白かったです。
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http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.434

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp