Zakkaya Weekly No.424
Ryo Onishi                                      6/27/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
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 さくらさんの「さくらの独り言」シリーズが雑貨屋に登場して、今週で300回を数えます。毎週、すばらしい記事で、雑貨屋を支えていただき、大変感謝しています。これからも末永く、よろしくお願いします。
先週は大きな台風が日本を直撃しましたが、みなさん被害はなかったでしょうか?週末も雨が良く降りました。梅雨だから仕方ありません。これでも今年の梅雨は雨が少ないようで、水不足にならないよう祈ると同時に、節水に気を使いたいと思います。土曜日、雨の中でゴルフをしました。カッパを着てのプレーでしたが、10年以上前にカナダで買ったカッパは、この蒸し暑い日本には合わないことが良くわかりました。(R.O.)

150年前の日本開国(その5)

――― ペリー日本遠征記に記された“日本についての予言” 
1854年、日本の幕府との間で日米和親条約(神奈川条約)、及び和親条約付録(下田条約)の締結調印を果たしたペリー提督は那覇で日米和親条約をもとにした那覇条約にも調印し、本国への帰還を許され1855年1月、米国に帰国し2年2ヶ月ぶりに祖国の土を踏むことになります。

帰国してからのペリーは、公式報告書『アメリカ艦隊シナ近海および日本遠征記』の編纂に心血を注ぎ、そして編纂作業を終えた3ヶ月後の1858年3月4日、リュウーマチからくる心臓発作で63歳の生涯を閉じました。
 
ペリーのこの公式報告書には、彼が下田と箱館(函館)の短期間の滞在を通じて直接感じた日本に関する記述があり、150年前のペリーの日本観を知ることができます。例えば、

『日本人は読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である。・・彼らは自国のことを知っているばかりか、他国の地理や物質的進歩、歴史についてもかなりの知識を持っており、我々も多くの質問を受けた。・・長崎のオランダ人から得た彼らの知識は、実物を見たこともない鉄道や電信、銅版写真、ペキサン式大砲、蒸気船などに及んでおり、それを得意げに語った。また、ヨーロッパの戦争、アメリカの革命、(ジョージ)ワシントンや(ナポレオン・)ポナパルドについても的確に語ることができた・・』

『艦上で目に触れる珍しいものにたいして、上流階級が示した知的関心と同様に、庶民たちも、アメリカ人たちが上陸するたびに衣服などに熱心な興味を示した。日本人は街中でたえず士官や水兵を取り囲み、その身体や帽子から靴にいたる衣服の各部分の英語名を見振り手真似で質問し、紙と筆を取り出しては控えをとった・・』などと書かれています。

 私がいちばん感銘したのは、彼の日本についての技術力の評価と日本の将来に関する記述です。
この記述から私はペリーの実に鋭い感性と予見力をみる思いです。それは以下の通りです。

『私は、世界のどの地方においても、ヨーロッパにおいてすら、日本人のように気取りのない優雅さと威厳を備えた国民を見たことがないと断言する。ことに貴族(武士)の人々の物腰は見事であった・・』

『実用的ならびに機械的分野の諸技術において、日本人は卓越した手先の器用さを持っている。彼らの道具の粗末さや彼らの不完全な知識を考えあわせるとき、彼らの手工業的能力の完全さは驚くべきものだといわねばならない。日本人の手工業者たちは、世界のどこの手工業者にも劣らず熟達しており、この国民の発明的能力が自由に発揮された時には、日本人はいつまでも最も成功している工業国民に遅れをとったままではいないであろう。他の諸国民が成し遂げた物質的進歩の諸成果を学ぼうとする彼らの好奇心と、それを自分の用途に適応する意欲は、もし、現在、彼らを他国との交流から締め出している政府の方針がゆるめられるとすれば、この国をたちまち世界の最も恵まれた国々と並ぶ水準までに押し上げるであろう。ひとたび、文明世界の過去および現在の技能等を手に入れたならば、日本人は将来における機械工業の成功をめざす競争に強力な競争相手として登場するであろう』

当時、まだ鎖国状態であった日本を見て、このような感想を得たペリーという人物には、やはり常人ではない感性と鋭さを感じざるをえません。

昨年12月、日本から私の母校である横浜国立大学の学生17名が海外研修で当地(ロサンゼルス)を訪れた時のセミナーで、私は『ペリー来航150年』というテーマで学生たちに講義をしました。

その際、上記ペリーの“日本についての技術力の評価と日本の将来に関する記述”のくだりを読み上げたところ、学生たちから期せずして拍手が起こりました。

ペリー報告書に記載された彼の『日本女性観』について次回記します。
      ――― 次回へ続く ―――
(参考資料:今原邦彦 横須賀市立中央図書館 館長「ペリーの生涯」、ほか)
                      河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言カーテン

閉じた瞼を透して、眠っている身体の奥底に届くかすかな光(あかり)が、目覚まし時計なしの朝を報せてくれる。遮光カーテンでない薄ピンク色のその布は、山の彼方の空遠いところから出でるその陽を、時に柔らかく優しく、時に暗く悲しく、そして時に熱く激しい彩りに醸し出してくれる。その時にかなって自然に、その摂理と営みを告げてくれるのである。季の節、天の候、そして時の刻を教えてくれるこのカーテンが、私は大好きだ。そのカーテンの光と影に目覚める自分の朝が、大好きだ。

カーテンはインテリアの一部と言われるように、その色、素材、デザイン(パターン)や機能によって、お部屋の雰囲気や住人の気分を大きく左右する。我家には、2色のカーテンがある。リビングルームの水色カーテン、そしてベッドルームの薄ピンク色カーテン、どちらも私のフェバライトカラーであるが、遮光性(コーティング仕様)ではない。リビングの水色は、窓に広がる空の青さと小さな部屋と一体になって、大きな空間への憧れで選んだ。それはリサイクルで貰った古い家具たちを優しく包み込んでさえくれる調和がある。一方ベッドルームのカーテンは、昔学んだ知覚・色彩心理学・マインドカラーによる色の持つ効果からヒントを得て選んだ。薄ピンク色、それは心を穏やかにし、さらにβ-エンドルフィンやドーパミンといった脳内物質も分泌する作用があり、まさに心身両面から安らぎをもたらす。疲れを眠りで癒された身体が新しい営みの朝を迎えるには部屋には、これぞご推薦の色と思う。そういえば、4年前のカーテン購入時、多くの友人知人に遮光カーテンを勧められたが、頑固な私は遮光でない布を選択した。平屋や低層階の様に道路やご隣近所から注視されず、また留守・在宅が透かされない高層ビルに住んでいるからこそできた判断であり、今思えばいい選択だったと自負している。ウサギ小屋に居ながらにして、どんな時も、新しい朝の光をこの身体に響かせることができるからだ。

ところで、カーテンの語源はラテン語の”cortina”が変化したもので、その歴史はエジプト時代にまで遡ぼる。当時は、洞窟の入口に布や獣皮などを吊り下げ、寒さを防ぎ、安息の場を確保した壁掛けに近いものだった。現在のような保温、装飾、防音を機能とするカーテンが使用され始めたのは、ルネッサンス時代初期頃で、日本への伝来は長崎の出島に外国公館設立された1641年頃だという。もともと日本古来の生活様式には、前述したカーテンの機能を果たす襖、障子、衝立、屏風、すだれなどがあったため使用が遅れたのかもしれないが、窓のない閉ざされた狭い島国の住居にも、窓というものがなかったのかもしれない。時が明治に移り、文明開化とともに洋風化が浸透しカーテンの需要が高まった。その後の素材・色彩やパターンなどの生産技術開発が進み、現代生活にとっては欠かすことのできない必需品となり、さらに個性や知性を表現する手段にも発展した。今では本格的インテリアとして洞察や感性・感覚を求められる分野として位置を確立していると言える。たかがカーテン、されどカーテンとでも言おうか。

陽が暮れた中央大橋を渡りながら、建ち並ぶ高層マンション群を見上げる。約3000戸の灯りがともるはずのそのビル群に、意外や闇が多くその様は不気味だ。空家が多いのかと管理会社に訊ねてびっくり、その多くが“遮光カーテン”のため団欒の灯りは外には漏れず、また逆に遮効率99.4%で外の光も遮断された闇の生活空間だという。朝なのか夜なのかを身体が知るのは、遮光カーテンを開けた瞬間と言えよう。我家のカーテンは遮光カーテンより安いが、薄ピンク色のカーテンから暁のあかりが、閉じた瞼から心の底にこだまして、その響きで重い瞼の扉が開く、なかなか素敵な瞬間、その質は高い。もう目覚まし時計は要らない、カーテンとお天道様が起こしてくれるから。おっと、これって歳をとったということか・・・っと呟くさくらの独り言。
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川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

ほのぼのとまだ見ぬ人のEメール

甘酒もいいなじっちゃん ばっちゃんよ

おむすびの塩血圧に内緒だよ

お供えを賞味期限が下ろさせる

小笠原流も踏んでる自動ドア 


( ニュースやぶにらみ )

「夫婦でアテネへ」
投げて ー谷亮子、  打って ー谷佳知

「国の借金700兆円を越す」
みんな驚かなくなったね −憲法九条

「年金問題」
そんな先の事より目先の当選 −参議院候補

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

連載短編小説  花惑い(5)                          
 三人の間に沈黙が流れた。
 道代は由香の目を真っ直ぐに見て、「由香さん」 といった。
「これだけは、はっきりいっておきます。わたしは離婚など考えていません。主人
も、絶対に、わたしと別れないでしょうよ」
 道代は、絶対を強調して、あとは浩二に語りかけるように穏やかにいったのであ
る。「わたしも主人に対して、細かい心配りが足りなくて、あなたに迷惑かけたよう
ですが、ごめんなさいね」
 と、そこまでいった時だ。
「奥様、わたし、愛人で結構です。子供は産みます」
 いきなり言い放った由香に、道代はうろたえた。
 うろたえながら道代は、挑発にのってはいけない。相手のペースにまきこまれ道代
が怒り狂いでもすれば、由香の思う壷だ。負けてたまるかと思ったが、声はあくまで
やさしそうに、
「そう、それはご自由に。腹の中に入っていて、逃げもかくれもできないものを産む
のは、当たり前ですわ。子供には何の罪もないんですものね」
 といった。由香は黙っていた。
「そうだわ、身内のいないアメリカでお産するのは大変だから、わたしにできること
があればなんでもします。遠慮なくいって」
「―――」
「あ、いい考えがある。生まれたら、わたしが引き取って育てましょう。それなら由
香さんも安心でしょ」 
「結構です。わたしが育てます」
 目を引きつらせて由香がいった。
「それもそうだわ。実の母親が育てるのが一番いい、当然ね。でもね由香さん、頼る
人もない国でお産するのは並大抵の覚悟じゃあできないわよ。新生児は何が起きるか
わからものなのよ」
「いざとなったら、日本から姉にきてもらいます。それにーー」
 といって、ちらっと浩二を見た。
「お宅には資産があります」
 浩二は蒼ざめた顔で黙っていた。黙っていたが、浩二は、中年男の口説き文句であ
る「責任はとる。心配しなくていい。いまは離婚できないが、いずれする。それまで
待ってくれ」とでもいったに違いない、と道代は想像した。でなければ、こんなに由
香が強気の態度にでるはずがない。
「資産? お産と資産は関係あるかしら? 資産はありませんよ。しかし、たとえ
あったとしても、夫婦共有の財産は主人の判断だけで他人に贈与できないと法律にあ
ります。わたしの同意がないかぎり。主人が何を言ったか知りませんけど、嘘だと思
うなら弁護士に尋ねてごらんなさい、本当だから」
 由香が一瞬、ひるんだのを道代は見逃さなかった。
 いまだ!
 言うべき時に言わずにいると、思わぬ結果を招き、取り返しのつかないことにな
る。
「由香さんも知ってのとおり、ジュンがいるの、非常に感受性の強い娘でね、いま家
庭をゴタゴタさせる訳にはいかないのよ」
「揉めるのは夫婦の問題です。わたしには関係ありません。わたしにだって、浩二さ
んを愛する権利があります」
「愛する権利?」
 道代は、由香がいきり立って使った愛という言葉が理解できずにいた。妻子ある男
を好きになるのは感情で、由香は愛と好きを同義語に使っている。愛とは感情だけで
はなく、深くて意志的なものではないか。由香が高飛車に「自分は関係ない」と言い
切ったことが癪にさわった。
「愛する権利とはいえないでしょ」
 道代は由香を睨みつけた。
「わたしに、おろせとでもおっしゃるの! 殺人者になれと、まあなんて怖い人」
 真正面から挑戦されたようで、道代は不快だった。
 浩二は目を瞑ったまま黙って聞いていた。
「由香さん、あなたよく考えてみて、いま何週目? いや何日目? 医者に診ても
らった結果なの? それともカトリック?」
「堕胎は殺人です」
 由香は冷静にいった。
「このごろ当世風の自立した女性がシングルマザーになるらしいけれど、それだって
妻子ある男を承知で愛したのなら、相手の家庭に迷惑をかけないのがルールでしょ。
一途な気性の女性なら。しかし、あなたは間違っていると思うわ、女の身勝手で産ん
でもらっちゃ、子供のほうが迷惑じゃあないかしら」
「なんとおっしゃろうと、わたしは絶対に産みます」
 道代はこれ以上、話したくなかった。
「あとは主人と相談して下さい」
 その場にいたたまれず、道代は外へ出た。
 暮色に包まれはじめた住宅街をあてもなく歩きはじめた。
――どうしょう。もし生まれたら――
 道代は、しだいに気がめいっていった。由香とのやりとりが胸につまり気分が沈ん
でいく。何の応答もなくかたくなに座っていた浩二の姿を思うと、十五年連れ添った
夫とは思えなかった。 
 家々の窓から明かりが洩れる。
 ジャカランダの花が散る坂道を道代は、ひたすらくだった。
 その時、するどい赤ん坊の泣き声を聞いた。
「えっ、空耳?」
 つよい夕風が吹きジャカランダの薄紫の小さな花がぼたん雪のように、道代の身に
ふりそそいだ。
「花でわたしを埋めて、そして、この泣き声を聞こえなくして」
 道代はむせんだ。だが、赤ん坊の泣き声は、道代は耳から離れなかった。
 つづく                  森田のりえ(moritacn@earthlink.net)
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Zakkaya Weekly No.424

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp