Zakkaya Weekly No.410
Ryo Onishi                                      3/21/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

先週、仕事で四国へ行きました。徳島と松山を一日で訪問するという強行軍でした。
電車に乗っている時間は、朝早く出てきた分を埋め合わせるべく、よく眠りました。用事を終えて松山から岡山に向かう”特急しおかぜ”に乗っていたら車窓から雪をいただいた高く目立つ山が見えました。その山が石鎚山(いしづちやま標高1928m)であることは山の形でわかりました。もう30年くらい前のことですが、この山に登ったことがあり、とても懐かしく思いました。もう山登りはしませんが山を見ると今でもちょっぴりわくわくします。(R.O.)
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あまり 知られていないL.A. 観光スポット(171)

Solvang(アメリカのデンマーク村)
ソルバングという町は、「アメリカのデンマーク村」と呼ばれ、ロサンゼルスの北西、サンタバーバラ郡にあり、アメリカに居ながら北ヨーロッパのデンマークの雰囲気を堪能できる異色の街です。

資料によると、この地は、元々はネイティブ・アメリカンが住んでいた土地でしたが、19世紀初期にスペイン系の移住者によって修道院が建てられ、開発が進められました。

さらに19世紀末から20世紀の初めにかけて、スカンジナビア系の移民がこの土地に移住しはじめ、1911年にデンマーク人によってソルバングというコミュニティが作られたのが、町の始まりとのことです。

“サンセット・マガジン誌”という雑誌で、「アメリカ西部で最も美しい小さな町ベストテン」にも選ばれたところです。因みに「ソルバング」という意味は、デンマーク語で「Sunny Field」(日の当たる野原)を意味するそうです。
 
ソルバングは現在も小さな町ですが、いたるところに北欧風の建物、教会、風車などがあり、デンマークに来たと錯覚するほどです。アンティーク・ショップや陶器、ハンディクラフト、刺繍用品やキルトの専門店など、手芸用品の店も多く、町の魅力となっています。

また、この町でのもうひとつの楽しみは、美味しい食事とお菓子ではないでしょうか。通りのあちらこちにヨーロッパ風のカフェやベーカリー、お菓子屋さんが並んでおり、どれを食べようか目移りしてしまうほどです。

またこの辺りはカリフォルニアワインの産地として有名です。町の中心部では、店の看板、歩道に置かれたベンチ、ゴミ箱、街路樹、花壇などにまでデンマーク風のデザインが統一され、歩行者を楽しまさせてくれます。

街の中をゆっくりと馬車に乗って揺られてみたり、デニッシュフードを食べてみたり、2人〜4人乗りの自転車をレンタルして観光ポイントを回ってみるのも良いでしょう。

ソルバングまで来たら、そこから西、車で30分程のところに花畑で有名なロンポーク(Lompoc)という町がありますので、立ち寄ってみることをおすすめします。ここは「花咲く平原の壁画の町(City of the Murals in the Valley of Flowers)」と呼ばれるです。アメリカでも有数の“花”の産地で、ここから各種切り花、種子が各地へ出荷されていることで有名です。
特に6月初旬から8月頃には1,500エーカーにも及ぶ花畑がいろとりどりの花で満ち溢れます。

また、この町の中心街付近の建物には多くの「壁画(Murals)」が描かれており、商工会議所ほか地域の支援を受けたプロジェクトとして町おこし事業の一環となっています。

壁画とは言え、かなり芸術性の高い作品が多く、ひとつひとつ鑑賞して廻るのも楽しいでしょう。

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1) FWY#405(北)- FWY#101(西)へ。
(2) FWY#101(Ventura Countyを通過し、Santa Barbara Countyへ入る)を約120マイル西進、Lompoc / Solvang / #246 出口でFWY101を降りる。
(3) FWY101を降りたら #246を右折(西へ)約3マイル進むとSolvang の市街に入る。
(4) 全行程 ;(Torrance方面からの場合)約150マイル、ドライブ約2時間15分。 


河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言心の中に・・・

叔母と一緒に水戸へ旅をした。春分の日だった。朝から降り出した雨が、午後には椿の花ほどの牡丹雪へと変わり、関東北部の景を真っ白に塗り替えた。この日、関東地方は平年より5.4度低い真冬並の寒さだった。ホテルの窓辺に佇んで、何十年ぶりかに遭遇したこの雪の舞に見とれる私の心の中には、真っ白な牡丹雪がさくら吹雪となって舞っていた。心の中で花を咲かせるということが、こんなに潔く、そして憂いあるものかと感動し、歓喜のあまり思わず「花」を口ずさんでいた。「心の中に花を咲かせる」ということは、泣くことであり笑うことであり、そしてまた散ることではあるが再び咲くことであると、ここには今までとはちょっと違う自分自身との出会いが舞っていた。

「川は流れてどこどこ行くの…」と始まるこの「花」という歌は、原題を「すべての人の心に花を」であったといい、沖縄県人である喜納昌吉によって作詞・作曲され、オリジナルバージョンは、前妻・喜納友子がボーカルで吹き込まれている。その後喜納昌吉本人によっても歌われるようになり、1996年夏のアトランタ五輪の記念コンサートには、アジア代表として招かれた。今や「花」は、中国やタイなどアジアを中心に20カ国前後で歌われているロングセラーであり、色々な人々によって歌われるこの曲は世界60ヶ国、3000万枚のCD売上というばかりでなく、日本人なら誰でも知っている曲のひとつでもあろう。私も時折カラオケで歌うほど、このメロディーと歌詞が大好きだ。しかしもっと心惹かれるのは、かつて喜納昌吉がヒッピームーブメントやエコロジー運動にのめり込んでいた時、次第に友子や家族そして友人たちとも意見が合わずに孤立して行き、「ぶつかってぶつかって、今までの関係を断ち切って自分の本当の道を探そう、一人で旅に出なければ、と考えていたら『花』ができた」ということだ。そして更に、未だ被差別にある世界各国の人々と連帯し、彼らの精神文化にこそ世界を救う知恵があると、「すべての武器を楽器に」をKey Wordとして訴え続けて、米軍の基地であった沖縄に生まれ育った者として、悲惨さや憎しみを「音楽のはな」へと変換していることだ。知らない人はいないだろうが、ここに「花」の歌詞を紹介しよう。

「川は流れて どこどこ行くの 人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには 花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
花は花として 笑いもできる 人は人として 涙もながす
それが自然のうたなのさ 心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ」

今日は、お彼岸。昨日水戸を舞ったぼたん雪が嘘の様な、快晴の東京だ。気象庁が今月10日に発表した桜(ソメイヨシノ)の開花予想によると平年より10日早い18日で、東京は1953年の観測以来最も早かった2002年3月16日に次ぐ2番目の早さだったという。この様に桜前線便りにそって、今年も桜の花がいつもの様にほころぶ。そして今、これを書きながら窓越しに眺める隅田川もいつもの様に流れており、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(方丈記:鴨長明)を読ませてくれる。なんとこの隅田川に佇む桜の花を愛でるのも4度目となる。そうそう、誰かが教えてくれた漢詩がある。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(代悲白頭翁:劉庭芝)と。年年、私はこの桜の花を愛でている。しかしこの歳、昨年とはちょっと違った自分が、同じ桜の木の下に居る。愛でるばかりではなく、咲いたり散ったりする自分を喜びたいと心に叫んでみるのである。そして膨らみかけた桜の枝にそっと手をかざすように、「花を咲かそうよ」と、心の中に呟く・・・さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

頂いた臓器駆けたよ転べたよ

偏差値の外で我が家の金太郎

子も孫もみんな元気な洗濯機

健康が取り柄 大根足無邪気

汗の味知って少年A脱皮


( ニュースやぶにらみ )

「イラク開戦から一年」
自由になった    −テロ

「台湾総統選挙で銃弾」
本物の実弾が飛ぶとはすごい −金権候補

「W杯予選の代表落ち」
選手でなく私人で飲んだんだけど −大久保選手他

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

海霧
 濃い霧だった。ワイパーがせわしげにフロントガラスの霧粒を跳ねのける。私はハ
ンドルをにぎりしめ、能役者のすり足のようにそろりそろりと車を走らせていた。
 海沿いの街が霧につつまれる時期は、十二月から三月中旬までである。それもめっ
たにない。このところロサンゼルスは汗ばむ暑さがつづいていた。その日は夜になっ
て急に冷え込んだ。早朝六時に眼を覚ますと、外は薄いヴェールを被せたようだっ
た。七時半に友人をピックアップして空港へ送っていく約束をしていた私は、困った
と思った。事故でも起こしたらどうしよう。軽々しく請合ったことを悔んだ。濃霧で
は時間がかかる。遅れたら申し訳が立たないと、すぐさま身支度を整え家を出た。
 ペネンシラ半島の海沿いの道路に入った。黄色い車線がかすかに空中に浮かんで見
える以外、何も見えない。海に迫った切り立つ崖の上の道路とはいえ、一歩間違えば
命とりになる。迎えを待っている友人はどうなるのだろう。私は途方にくれた。
 そうだ、あの時も濃霧だった。
 私の店は、LA港に寄港する日本船の乗組員にお土産を販売していた。店はサンビド
ロ市にある。タ―ミナル島のコンテナ埠頭へ行くにはヴィンセント橋を渡らなければ
ならない。いつもは橋の下をタンカーやコンテナ船など、多くの船が行き交う。橋の
上では多種多様な車が気ぜわしく東西に走っていた。走行時間は二分足らずである。
 昼間、コンテナ船の通信長に革コートを売った。ところが、アメリカ人サイズなの
で袖が九センチも長い。袖直しを終えたのは夕方六時を過ぎていた。配達にでた店員
が、ヴィセント橋の袂まで行って引き返してきたのである。濃霧が怖くて渡れないと
いうのだ。私は断りの電話を船に入れた。
「店を出たのですが、ものすごい霧で――」
 配達は明日にさせて下さいと言うつもりでいた。が、
「今日中に届けてくださいよ。頼みます」
 ぴしゃりと口に蓋をするように聞こえたので、何も言えなかった。
 ごま塩頭の優しそうに見える通信長の厳しい一面をみた思いがした。そして、通信
長がいつも話していたことを思い出した。
――約束は守る。これがビジネスの基本だよ。小さな誠意の積み重ねが大きな信用へ
とつながるからね。船員は何度でも同じ港にくる。これから船員相手の商売をつづけ
ていこうとするなら大事なことだよ――
 私は「女の甘え」だったと反省し、担当の店員を車にのせて店を出た。濃霧のヴィ
ンセント橋にきてビビッた。しかし、前進しかない。わずかに車線が空中に浮かんで
見えた。私は通信長の叱咤激励の言葉を呪文のように唱えながら、確実に前へと進ん
でいたらしい。赤く点滅するかすかな灯が見えてきた。
「あっ、料金所の灯よ」
 店員が叫んだ。
 やっと橋を渡りきったのである。革コートを無事に届けての帰りは、嘘のように霧
が消えていた。約束を果たした充足感があった。快かった。
 二十年前のことを思い出しながら、ゆるりゆるりと走っていると、いつの間にかガ
ラスの教会が薄ぼんやりと見えてきた。霧が薄らいできたのだ。もう、大丈夫。
 七時近くに友人宅へ着いた。
「早いことに越したことはないから、気をつかってくれてありがとう」
 その一言が嬉しかった。無事に友人を空港へ送っていくことができたのである。
森田のりえ(moritacn@earthlink.net)

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私の妹から毎年恒例の”いかなご”が送られてきました。この時期の楽しみのひとつです。旬の味があるのはうれしいですね。ワイフが来年は”いかなご”にチャレンジしたいと言っています。通勤途上のJR神戸沿線は桜の花が咲き始めています。桜は心を和ませてくれます。
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Zakkaya Weekly No.410

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp