Zakkaya Weekly No.409
Ryo Onishi                                      3/14/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
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左ハンドル、右車線、5車線もあるフリーウェイ、ダウンタウン、英語のセッションなどなど久しぶりにアメリカを感じてきました。雪が降る中、車のフロントガラスの氷を削っているときは、トロントにいたころを思い出しました。
デトロイトは雪が降る日もありましたが、思ったより暖かく、日中はこちらのちょっと寒いときと同じくらいでした。しかし出発前に喉がはれて熱が出たこともあり、体調があまり良くない一週間でした。
帰国の際、デトロイト空港でダブルブッキングのために大阪行きに乗れないというハプニングがあり、一時間半遅れの名古屋行きに乗り帰国。名古屋空港で受け取れなかった荷物が宅配便で日曜日の夕方、届きました。
いろいろ刺激のある一週間でした。(R.O.)
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“愛”と い う 言 葉

昨年末のこの欄(Zakkaya Weekly # 200)で「愛国心」というテーマで書きましたら何人かの方々からコメントをお寄せいただきました。

つい数年前までは日本人にとって「愛国心」を論ずること自体、タブー視されていたものが、最近になってようやく日本でもこの言葉が堂々と論じられるようになってきたというコメントが多かったように思います。

しかし、中には『“愛国心”と言っても、なにか“借りてきたネコのような言葉”でピンときません』と言うコメントに代表されるように、この言葉が日本人にとって、まだまだ抵抗を感じる言葉であることも確かなようです。

戦後、日本人が「愛国心」をタブー視してきたのは、敗戦による自信喪失と連合国占領軍(実際は米国)の徹底した占領政策によるところが大きいかと思いますが、“借りてきたネコのような言葉”と感じる裏には『愛』という日本語にも問題があるのではないかと私は思っています。

そもそも『愛』という日本語が“LOVE” や“LIKE”に相当する意味の言葉として定着したのは比較的新しく、したがって私たちの世代の日本人にとって『愛』という日本語自体にも違和感があったのではないでしょうか。

十数年前、たまたま日本に出張した時、 N.H.K.テレビ(番組名は忘れました)で『愛』という言葉についての番組を放映しているのを見ました。

その時、私が書きとめたメモによると、内容はおおよそ次の通りでした。(もし間違っていたら、私のメモが不正確ということで、N.H.K.のせいではありません)

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日本には古くから『愛』という文字は存在していたが、今の私たちが理解する『愛』とは異なり、必ずしも「清らかで美しい言葉」として使用されていなかった。
例えば、愛欲、愛執、愛憎、愛染の如く、特に仏教用語としては人の道に対しネガティブな意味が多かった。(注:「愛染」とは「貪愛染着」の意で、仏の道に反して貪る煩悩を言う)
江戸時代、鎖国下でひそかに翻訳された「聖書」でも、キリスト教で言う「神の愛」に相当する言葉の翻訳にあたっては『御大切』とか『御恵み』という文字があてがわれ、『愛』という文字が現れるのは幕末「安政」の頃といわれている。
さらに本格的に聖書訳に『愛』が定着するのは明治13年の新約聖書からだといわれている。
因みに、日本人の書いた小説で初めて男女間の会話に「愛している」という言葉を使ったのは明治の文豪、二葉亭四迷で、小説「浮雲」ということになっている。
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上記からもわかる通り、日本語の『愛』が現在と同じ意味合いで認知・使用されるようになったのは明治になってからということになり、せいぜい百年ほどしか経っていないのです。

私たちが『愛』という言葉に慣れずらく違和感を覚えるのは、こんなところにもその原因が隠されているのかも知れません。

今や日本人でも10代、20代のヤングにとっては、「愛してます」 とか“I love you”なんて何の抵抗も違和感も無くなっており、これまで述べた私の見解など理解できない人もいるかもしれません。

それはそれで結構というか、自然の成り行きであり、違和感を持つ私が時代遅れになったのか 又は言葉のほうが年齢を増して成人し、世の中に 認知されるようになったのだということなのでしょう。

言葉にも年齢があり、成長するのは 当然の成り行きだと思います。ただ 出来ることなら『愛』という言葉も明るく、素直で、美しい成人になって欲しいと願っています。 

 『“愛国心”と言っても、なにか“借りてきたネコのような言葉”でピンときません』と言うコメントに対し、『愛』という言葉の側面からアプローチしてみました。

【蛇足】:皆さん、今日から奥様、ご主人、恋人に対し、遠慮なく「愛してます」“ I love you”と声をかけましょう。エツ、オマエは言っているかって?。それは“ノー・コメント!!”

河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言「『いい日旅立ち』」

つま先上がりの坂道を登りつめた時、ハッとした。驚いて後ろを振向き、深呼吸した。すみれの甘いかほりだった。前方に見える隅田川沿いの桜の木は、その枝が今週になって垂れ始めた。枝についた蕾のふくらみを意味している。街角には、卒業証書を胸に抱えたはかま姿の女性が流れている。新しい「時」の始まりを体感するこんな瞬間は、まるでつり人形の垂れた糸がストレートに伸ばされる様な気持ちになる。春は、旅立ちをするにはいい季の節だと思う。日本の自然が、街が、人が、そう教えてくれる。

先日、30歳半ば過ぎの女子社員が退職の挨拶に来た。国立大学に戻り、看護士・介護士の資格をとるのだという。彼女は既に、合格通知を手にしていた。彼女は「人生の折り返し地点の年齢にさしかかり、自分が60歳になった時、自分がやりたい仕事をしている自分でありたい。その準備をするなら今しかないと思って受験したら合格できた。引き留めてくださる方々の話を聞くと、自分は正しいことをしているのだろうかと不安にもなるが、やはり旅立ちたいと思う」と話してくれた。大阪へ帰る彼女を見送った東京駅からオフィスに戻るため八重洲地下街を歩いていたら、『いい日旅立ち 西へ』が流れていた。

ところでこの『いい日旅立ち』は、1978年、現在のJR西日本(当時日本国有鉄道)が実施した「いい日旅立ちキャンペーン」のイメージソングとして、谷村新司によって作詞・作曲された。今や幻のアイドル山口百恵によって情感たっぷりに歌われ、大ヒットした。歌詞・メロディともに哀愁漂うが、想い出に叫びながら日本のどこかへ「旅立つ」歌として、多くの人の心を捉えた。近年山口百恵カバーバージョンが相次いで発売されているが、最もカバーしたい曲は何かというアンケート調査では、支持率21%で断然トップがこの『いい日旅立ち』だったという。そして昨年、JR西日本の「DISCOVER WESTキャンペーン」にあわせて谷村新司がリメイクし、『いい日旅立ち 西へ』として復活した。古い人間の私にとって『いい日旅立ち』は、やっぱり百恵の方がしっくりくる感じがした。

さて、私が幼かった頃、卒業式は梅の花、入学式は桜の花、春の2大行事のかほりだった。別れと出会いの共存する春は、まさに「旅立ち」の季節だった。夏の終わりとなる8月や9月が学校の新年度である米国に比較して、芽吹きの季節に学校年度が始まる日本の教育サイクルは情緒的でもあり、祝福の中に「旅立ち」させてもらうのである。考えてみると私の人生で新しい「旅立ち」をしたのも、春が多い。そもそも生まれたのが4月3日であることに始まり、人生の重大な節目の決断もやはり春だった。そして今、日本帰国後4度目の春を迎え、自分が60歳になった時にどんな自分でありたいか、何をしていたいかと自問し、「旅立ち」を考えている。春・・・桜の蕾(つぼみのさくら)が、もうすぐ開くぞっ・・・とつぶやく、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

多数決生簀に雑魚を泳がせる

是々非々の裏がなにやら生臭い

やっぱりとがっかり聞く裏話

受け売りを並べ持論に主語がない

合併に序列の椅子が消えている

( ニュースやぶにらみ )

「ニワトリとカラス」
それ以後仲が悪くなりました −新イソップ物語

「盧大統領を弾劾訴追」
だから民主主義は嫌いだ −金正日   

「出生率戦後最低」
減った分はお任せを −ロボット

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

秘め事
         
「あらっ、前にもいったじゃない。土佐の高知だって」
 前とは、沖縄舞踊のお師匠さんの家で新年パーティがあった去年のことである。あ
の時も彼女の隣だったと思う。今年の新年パーティは、ロサンゼルス郊外の教会で行
われた。偶然にもまた隣り合わせになった彼女は、真っ赤なニットのドレスがよく似
合った。踊りのお弟子さんたちはみな和服である。私たち洋服組は、いしつか出身地
などを語り合っていた。私は広島というと、彼女は土佐の高知で、前にもいったはず
だといって笑った。照れ隠しに私はこんな話をしたのである。

 中学二年の春。大学出だての社会科の教師が赴任してきた。上背があってやや色白の顔に墨汁で一の字を書いたような眉、形のいい唇。時代劇に出てくる俳優を彷彿とさせる面差し。学生時代に弁論部で活躍していたから声がつぶれてしまったという低
音は、魅力的な響きがあった。背広の上着のボタンもはめないで肩をそびやかし外股
で歩く姿も男らしく、好ましく映ったのである。
 新任の教師は、最初の授業でこう言った。
「わたしは土佐の高知の生まれである。故郷の桂浜には、幕末を駈け抜けた風雲児
『坂本竜馬』の彫像が立っている。遥か太平洋の彼方にある世界をみすえるように懐
に手をいれているが、何が入っていたと思う? 」
 ぐるりと生徒を見渡してから、「ある人はピストルだという。が、違う。本だ。外国のことが書いてある本だ」 といった。
「だがな、竜馬だけが偉かったのではないぞ。それを陰で支えた妻のお竜さんも立派
な女性だったんだなぁ。ま、男を活かすも殺すも女次第ってことだ」
 そして最後は、これは大学のある教授に言われたことだが、と前置きして、
「いいか、明日何がおこるか知るためには、まず現在を知らねばならん。現在を知る
には、これまでどのような歩み方をしてきたか過去を探らねばならん。それには本を読んで学ぶしかない。読書――本を読むことだ。これだけは忘れないでほしい」
 社会科の時間が待ち遠しかった。ちょっとでも先生に認めてもらおうとがんばっ
た。だが、がんばりもむなしく、私はその他大勢の中に埋没したままだった。先生に
まとわりつく友人を、羨望のまなざしで見守るしかなかったのである。
 社会に出て働くようになったある日、勤め先の役所でぱったりその先生に出会った。先生は存在感のうすかった私を覚えていてくれた。懐かしくなり、つい私は、中
学のころの話をした。女生徒の憧れの的で、自分もそのなかのひとりであったと。
「そう、だったのか。なぜ言ってくれなかったんだ。それを知っていたら結婚しない
でキミを待っていたのに――」 もう、うまいんだから。
 中年男の口説き文句を誰が本気にしますか、一笑に付した、といいたいところだ
が、私のハートはキュンと熱くなったのである。
 いつだったか、広島の母を訪ねたときに夫と土佐の高知へ旅行した。高知城の近く
で泊まった翌日、私は桂浜へ行こうと夫を誘った。夫は不服そうだった。
「あら、坂本竜馬の彫像があって、有名なのよ。あそこへ行かなきゃ」
 やや見下したように、わざといった。
「えっ、あなた、あれを知らなかったの、驚いた!」
 写真を撮り、淡い恋心を思い出しながら浜辺を歩いた。夫には、勤め先で出会った
先生の話はしなかった。黙っていたのは、うしろめたさからではない。
「バカだなぁ、オマエは。からかわれただけじゃないか」
 そういうにきまっている。
 しかし、中学の先生に読書をすすめられたことは話した。 
森田のりえ(moritacn@earthlink.net)

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今日は天気のいい一日で、春みたいでしたね。喉が腫れ、声がかすれて出ないので一日おとなしくしています。
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Zakkaya Weekly No.409

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp