Zakkaya Weekly No.407
Ryo Onishi                                      2/29/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

毎朝、通勤電車に乗り合わせる人たちの光景は、眠っている人、携帯でメールを読み書きしている人、新聞や本を読んでいる人、漫画を読んでいる人、そして少しですが仕事をしている人などです。なぜか眠っている人が多く、中には立ったまま眠っている人がいるのには驚くばかりです。私は圧縮音声で録音した英会話プログラムを聞いたり、ラジオを聴いたり、本を読んだりしながらそんな光景を楽しんでします。(R.O.)but_up.gif (232 バイト) 

世界的な不況と社会不安のなかで 2004年を迎えています。私の住む米国は相変わらず“テロとの戦い”という名の戦時体制下です。

激動する時代の、厳しい環境に適応して生存するだけでも大変な時にもかかわらず、私も新年だけは無事に迎えることことが出来ました。

今の日本と私達日本人に足りないもの、それは一体何なのでしょうか。ある人に言わせるとそれは今の日本が戦後高度成長の後始末で経済・金融不安などが表面化したため国と国民が少々自信をなくしているだけであり、日本人の勤勉さと工業生産能力の優秀さをもってすれば間もなく経済も上向き、世界の一流国へ復帰するから何の心配もないとの見解でした。

この見解にも確かに一理あると思います。経済・景気だけを考えれば、諸指標の多くは着実に改善されつゝあり、さほどの心配はないでしょう。

ただ最近の日本の社会には、いわゆる教科書的解説では説明しきれない何か不気味な影を見るような気がしてなりません。

もっと根本的なもの、例えば私達の心にいつのまにか定着している“経済(お金)と物の豊かさ”に対する偏った崇拝主義といったものが問題の根底にあるのではないでしょうか。

私は今の日本人に足りないもの、それは“心の豊かさ”ではないかと思っています。もし“心の豊かさ”なしに日本が再び経済高度成長期を迎えた時、回復するのは“自信”ではなく“傲慢”と言うことになりかねません。

私は“心の豊かさ”とは“心のゆとり”とも相通じ、物質や名誉、欲望だけに執着するのではなく、自分の個性を磨き、自分を知り、他人を理解することから始まるものだと思っています。

日本では過去の成長期に『軽・薄・短・小』という言葉がよく聞かれました。主として工業製品について日本の誇るべき開発・技術・生産力を現わした言葉です。この中には「省エネ」も含まれ、私たちとしては大いに誇るべきものです。

私たち日本人はこのように“モノ作り”では優秀ですが、これから“モノ作り”を大切にしながら、“心創り”にも関心を払う必要があると思います。

『美・感・遊・創』という言葉があります。美(美しい心で)、感(感性を磨き)、遊(遊び心を持ち)、創(創造的であれ)と私は勝手に解釈しています。 

この『美・感・遊・創』を心がけるのも“心の豊かさ”のための第一歩かもしれません。尤も何が“美しい心”や“感性、遊び”で、どうすれば“創造的”なのか定義などありません。私達一人一人が自分で探し出すことなのでしょう。

昨年末、北海道・札幌のメル友から、「世界一大きなクリスマスツリー・プロジェクト」という催しの紹介がありました。これは「雪まつり」で有名な“札幌大通り公園”をそのまま巨大なクリスマス・ツリーにしてしまおうという試みなのだそうです。

「Nole 〜 世界一大きなクリスマスツリー・プロジェクト」と称し、大通公園東端のテレビ塔展望台から大通公園を見ると、公園全体が大きなクリスマス・ツリーのように見えることにヒントを得て、札幌市民有志たちが考えたアイデアで、大通公園丸ごと1.5kmの巨大なクリスマスツリーに仕立てあげようというわけです。

また、「ただ眺めるだけじゃモノ足りない」という人は、この巨大なツリーの一部になってもらおうという企画です。 

小さくまとまる在来の日本的発想を脱したこの企画こそ、私の考える『美・感・遊・創』のヒントになりそうだと感銘しました。

札幌の「Nole 〜 世界一大きなクリスマスツリー・プロジェクト」は今年末もさらに改良して実施予定だそうで、今から楽しみです。

河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

ある経営者会議の席上で、某製造業社長T氏が投げかけた。「『あなたの会社の顔は何か?』と訊ねられたら、何と答えるか? いやいや、答えられる何かがあるか? つまりこの会社でなければならない『よさ』だ。言い換えれば、グリップとは何か、ということだ」と。思わず私は膝を叩いた。企業や事業においては、何を「顔」にするかという基本方針の明確化、それと同時に、市場に映し出されている「顔」は何かということの相関関係の融合化が、その運命や在り方を現したり決めたりするものだ。同様に、“「顔」は心の鏡”と言われ、その人の人柄や心の様が顔つきに表れるもの。さて私たちは、いったいどんな「自分の顔」を持っているのだろうか。

会社やお店の「顔」と呼ばれるものは色々ある。イメージ、ロゴ、キャッチフレーズ、人(社長・営業マンなど)、商品、そして技術やサービスなどである。今日では情報化テクノロジーの著しい発展・普及によって、ホームページがそれだという“うり”もある。私の最も尊敬する先輩P.Yが語る会社の「顔」は、徹頭徹尾「ひと」だ。厳しい経費削減下でも、無人受付(総合受付に人を配置せず、来客受付を電話やコンピューターによって対応する方法)は取らず、必ず受付のプロフェッショナルを置く。しかもそのプロフェッショナリズムに対する注視も教育にも徹底している。来社してくださる方が最初に接する「ひと」の重要性を強調する。言うまでもなくコンサルティング会社の「顔」は、「ひと」である。確かに高品質のソリューションやサービスも「顔」ではあるが、その提供を最初から最後まで、お客のために・お客とともに実行するのは、「ひと」なのだ。だから「ひと」への教育投資の姿勢を崩さない。そんな経営哲学を貫いているこの先輩P.Yから、ある日「笑い顔のないさくらじゃあ、人も情報も集まらないし、いい仕事ができないぞぉ」と言われた。私は直ぐにレディーズルームへ行き、鏡に映る自分の顔をマジマジと観た。心の様が顔に映し出されるということにハッとさせられた。そして、鏡に向かって「ニンマリ」と笑顔を作ってみた。少しばかり心が、軌道修正されたような気持ちになった。

ところで、「かお」に関わる文字には、「顔」や「面」がある。「顔」という字は頁(あたま)と彦(美しい)を合わせて作られ、頭部でふっくらと綺麗に見える部分を意味する。一方「面」という字は、「顔」の周りを囲んだ形から創られて、凹凸の顔にかぶせたものやその様、うわべや平面的なものを意味する。これらに関する言葉や慣用句を調べてみると、なんと300近くもあるから驚きだ。会社や人の「顔」が平面的なものでなく立体的であるのに対し、会社や人の「面(つら・めん)」は一面的で表面的であることが、なんだか頷ける気がする。また、経営方法論の中に、「多角化経営」というのもある。幅広い市場とニーズの多様化に対する百貨店式経営だ。言い換えれば、幾つもの看板娘なる「顔」が存在し、どれかが外れても、どれかは当たる「顔」だろうが、いったいどれが本当の「顔」なのかと混乱もし、分裂症的経営につながるかもしれない。「かお」という字が「顔」と「面」を持つように、その二つの「かお」の融合の最適化が、企業・事業、ひいては「ひと」の成功への要・バロメーターかもしれない。

先輩から、「笑顔のないさくらじゃあ、人も情報も集まらないし、いい仕事ができないぞぉ」と叱咤激励を受け、笑顔が少なくなったと他人に映った自分自身を省みる。プロジェクトの疲れや周囲の雑音に、心も暗くなっていた最近の自分だったのだろう。多角化経営同様に幾つの「顔」を持っているかどうかが問題じゃない。どんな「顔」を持っているか、俗にいう「『自分の顔』に自信を持てるか」だろう。自分のこの「顔」に、全く自信はない。しかし、「笑顔こそが私の顔」であることを、これからも自分の「顔」にしたいものだ。「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」っと、呟くさくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

塾なんて無視桃太郎 金太郎

掛け持ちの塾に遺伝子の悲鳴

悪友もいて人生の裏表

どら息子ばかりでペットにも遺産

ガキ大将だったあいつの叙勲記事

( ニュースやぶにらみ )

「脅し」
  腹が減っても戦は出来る −北朝鮮

「今度は京都で」
えっ、コンピューターウイルスかい −ヤフーBB

「変わり雛」
− このお雛様いんちきくさいね
−有栖川宮雛だって

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

厄落とし

「あっ、ない」
 二月中旬だというのに車の中は汗ばむような暑さだった。セーターなんか着てくる
のじゃなかったと襟元をさわった、その時、金のネックレスがないのに気がついた。
医者の待合室の壁にかかっていた鏡に、キラッと光ったのは確かである。

 去年の10月、98歳になる岐阜の母を見舞うかたがた娘と訪日旅行をした。
 旅に出ると便秘勝ちになる私は、今回も例外なくダメだった。その日は、葉山の友
人と箱根の温泉へ行くため私たちは、新岐阜駅から汽車に乗った。通勤、通学のラッ
シュアワーで空席はない。立っていると腹具合がおかしくなった。チクッとした痛み
だ。痛みはしだいに強くなり、間断的な激痛へとかわった。冷や汗が出る。トイレに
行こうと思ったが、もうすぐ乗り換えの名古屋駅だ。時間がない。この痛みは以前に
も何度か体験している。たいしたことではないと、自分に言い聞かせつつ我慢した。
 名古屋駅で降りるとトイレに駆け込んだ。出すべき物が出ると、すっーと痛みが引
いた。ほっとして下を見た。ドキッとなった。
 血便だった。
 10年前に夫が患った大腸ガンのことが頭をよぎった。あの時も兆候は血便だった。
酒もタバコも止め、朝夕45分の散歩を欠かさず、食事にも気をつけていたのに、結
果は大腸ガン。
――私もついに夫と同じ――
 娘に話せば心配する。黙っていた。
 不安を隠しながらも肉類は避け、消化のいい野菜類で、しかも小食に徹した。箱根
の温泉が効いたのか、体調は元に戻った。
 ロサンゼルスの我が家に戻り、娘に血便の話をさりげなくした。
「ドキッとしたけど、考えてみるとおじちゃんの家で食べたトマトだったわ」
 だが、娘は、
「マミィ、医者に診てもらいなさいよ」
 と、言い残してメリーランド州へ帰ってしまった。
 それから毎日のように電話がくる。「医者に行った? 行かなきゃダメよ」
 私はやっと重い腰を上げた。
 そして、腸のレントゲンをとり、検査の結果の聞きに行く朝のことである。出かけ
に鏡を覗くと襟元がさみしかった。去年の暮れに失ったはずのネックレスが見つか
り、それをつけて出かけたのである。
 医者の待合室ではあった。すると失ったのは駐車場か、立ち寄ったスーパーか。引
き返せば見つかるかもしれない。だが、なくしたはずのネックレスではないか。誰か
が拾って、ああ、いい物見つけたと喜んでもらえたら、それはそれでいい。功徳にな
る。
「厄払い、厄落とし」
 心で叫んでいた。レントゲンの結果、どこも異常はなかったことだし――。
 鼻歌がでた。
 
   ♪ あっはっはーの、あっはっはー、笑って暮らせば世の中は、
  
 なんと、子供のころに聞き覚えたコマーシャル・ソングが口をついて出た。私は車
のハンドルを叩きながら拍子をとり、ついには大きな声で歌っていたのである。
 森田のりえ(moritacn@earthlink.net)

but_up.gif (232 バイト)

タイで製造されたラーメンを見つけ買いました。一個24円ですが、これが結構おいしいんです。日本はラーメン王国ですね。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.407

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp