Zakkaya Weekly No.388
Ryo Onishi                                      10/19/2003

雑貨屋のひとり言 観光スポット さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方 教育の方程式  おいしいLA 健康のお話 雑貨屋ホーム

温泉付きのマンションが家のすぐ近くで建設されています。見るたびにどんどん高くなっています(当たり前ですが)。いつのまにこんなにできたのかなあと感心するのですが、ずいぶん静かに建設されていると思いました。ビル建設はうるさくて埃っぽいイメージだったのですが、意外です。
先週の大型電器店、ゴルフ店のモールに続いて、近くにまた大きなモールができました。モールはオープニングセールで大混雑です。私達はいろいろな店ができて楽しいですが、お店は競争がますます激しくなってきたようです。(
R.O.)

ロ サ ン ゼ ル ス の 県 人 会

ロサンゼルスとその周辺には一時滞在者を除いても数万人の日本人・日系人(米国籍取得者を含めて)が住んでいます。中には日本へ行ったこともない日系三世、四世といった人もいれば、祖国(日本)を離れて数十年、いまだに心の奥に望郷の念を秘めて暮している人も多いようです。
  
祖国やふるさとは離れてみて、はじめてその良さ、ありがたさ、懐かしさが実感できるものといえましょう。

ここロサンゼルスにはすべての都道府県ではありませんが、数県を除いて県人会に相当するものが存在しています。中には「関西クラブ」のようにブロック単位の組織としているところもあります。

今、日本では県の合併による広域行政圏移行の動きがあると聞いていますが、こちらの県人会のほうが既にその発想をとり入れ一歩先を進んでいると言えるのかもしれません。
 
 1800年代末から多くの日本人が、米国西海岸へも移民として渡ってきました。これら日系移民の人たちが故郷に思いを馳せ、また差別と偏見にみちた厳しい生活の中でお互いを励まし合い、助け合うために設立したのが当初の県人会の発想だったようです。
 
このような県人会の中でもロサンゼルスで最も長い歴史を誇るのが鹿児島県人会であり、既に104年の歴史を誇っています。熊本県人会、宮城県人会も一昨年、昨年と100周年を迎えました。

私にも縁の深い長野県の県人会(会員数約150人)は1906年の創立だそうですのであと3年で100周年を迎えます。

 また、90年以上の歴史を持つ、その他の県人会として、福島、沖縄、広島、長崎など多くの県人会が続いています。 
 
各県人会の長い歴史の中で、私たちの先輩である日本人・日系人の皆さんは多難の道を歩んできました。

太平洋戦争が始まると、日本人・日系人は家を追われ、血と汗と涙で築いた財産を失い、強制的に収容所へ連れて行かれました。また、県人会のリーダーたちは逮捕されてしまったのです。

しかし今では日本への往来が容易になり、日本の情報や物資も容易に入手できる時代になりました。そして次第に若ものや駐在員たちの県人会への関心が薄くなっているのが実情です。

県人会の性格や役割に変化が求められています。今では、県人会は出身県からの奨学生受け入れや文化交流などを通じ、日本との橋渡しを行ったり、また会員親睦のためにピクニック、ゴルフ、映画鑑賞などを催したりしているところが多くなっています。また、日本で災害などがあった場合、各県人会が主体的に募金活動などをしています。

ところで、私は生まれと育ちが東京(墨田区)ですので、「ロサンゼルス東京会(L.A.東京会)」のメンバーです。「L.A.東京会」の歴史はまだ浅く、1998年設立ですので、ようやく満5歳を迎えました。

5年前、当地ロサンゼルス日本人のリーダーの一人である東京出身のT氏から私に「よその県に県人会があるのに、東京にないのは都合悪いので、我々も『東京会』を作りたいのだが、あなたも発起人の一人になってくれませんか」との声がかかりました。

その時は、私は、「ここにいる日本人や日系人は皆、日本という祖国を持つ同胞であり、なんでいまさら都道府県別に別れて組織を作らなければならないのです。『日本人会』がひとつあれば充分でしょう」と言って断りました。

しかし、その後、他の県人会の歴史、役割などを知るにつけ、この種の組織の意義を知り、改めて発起人を引き受け、会が発足してからも役員を仰せつかっています。(偉そうに書きましたが、実は、「東京会」を作り、役員になると、「ミス・東京」や東京出身の有名人がロサンゼルスを訪問した時、お目にかかれる機会が多いという誘いにひかれて引き受けたのが本音だったかも・・)。50年前の映画「青い山脈」の主演女優、杉 葉子さんも役員仲間です。

その「L.A.東京会」も先ほど書いた通り、5周年を迎えました。5周年を迎えるにあたり、役員会(幹事会)で、「この機会に内外の招待客も含め、盛大に祝賀パーティをやろうじゃないか」との声も出たのですが、考えてみたら、よその県人会が100周年、90周年と言っている時に、「5周年」ではしゃいでいたら、とんだお笑い草だと気付き、内々の記念行事だけにとどめることにしました。それに「L.A.東京会」の会員もまだ100名たらずです。(会員のみ、家族会員は含まず)

そして、10月11日(土)、「L.A.東京会、5周年記念行事」として、会員の皆さんのために寅さんシリーズ映画「男はつらいよ(第7作、奮闘編)」の上映会を開催しました。

実は、この「男はつらいよ、奮闘編」にマドンナ役で出演した女優、榊原るみさんも「L.A.東京会」のメンバーですので、映画の後で彼女に特別講演を依頼し快諾してもらいました。

榊原るみさんはこの映画に出演した当時は19才だったそうで、撮影の裏話や渥美 清さんやその他の俳優さんの素顔など楽しく聞かせてもらいました。

会の終了後、私は早速、榊原るみさんと二人だけの“ツー・ショット”(二人だけなら“ツー・ショット”に決まってるネ)写真を私のデジカメに収めました。これも役得というものでしょう。(ヤッパリ、発起人、役員就任理由の本音が出てしまいました。因みに、榊原るみさんのご主人は若手映画監督のホープである「すずきじゅんいち」氏で、素敵な“おしどり夫婦”です)

彼女の講演の写真を添付します。本当は私との“ツー・ショット”写真を掲載したいのですが、榊原さん(と私の?)の“肖像権”の問題がありそうですので、公開できず残念です。
 
 東京の場合は少々事情が異なりますが、海外の各県人会とは、誰にも遠慮することなくお国訛りで故郷を語り、懐かしい故郷の民謡を合唱できる、一番身近な故郷であり、心のよりどころともいえるのではないでしょうか。
河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言 あんぱん

「商いの厳しさは、木村屋のあんぱんに習え」とは、木村屋のさくらあんぱん大ファンでもある恩師の口癖だった。品質保証・維持、顧客満足度や信頼保持は、経営者や職人の“もしも”の時への危機感が必要だと説く。「商品に何かあったら、お客は何も言わずに去って行く。それが一番恐ろしいこと」だと、何代目だかは知らないが、恩師と面識のあった木村屋の経営者が話したという。それが創業明治2年、今年134年目を迎える老舗の命綱として、商いの実を結んでいる。一方、生活様式や物流環境の変化に伴い、便利になった私たちの食生活の中で、こんな商い魂を忘れてしまった経営者や職人もいる。しかし言い換えればそれは、我々消費者がそうさせてしまっている傾向もある。ここに、大きな温度差を感じる今日この頃である。

私が勤務するオフィス(弊社が入居する)ビル内テナントには、食品を扱うコンビニや飲食店もある。特に地下街は、ビジネスタイムの朝から夜の、その食生活を助けてくれる。特に悪天候で外出できない場合には、ビル内での食品入手はとても便利だ。2002年新春に入居して直ぐ、地下のお惣菜屋で弁当を買った。ところがなんと、白ご飯が痛んでいた。一口食べたところで直ぐに買った場所へ持って行き、「このご飯、痛んでいます」とレジの若い女性に差し出した。彼女はひと言「ああそうですか」といいならが、私の手から腐れた弁当を受け取った。ただそれだけだった。私は彼女の対応に愕然とした。商いという意識レベルでのお大きな温度差を感じた。「二度と再びこの店には来ない」と固く決心した私は、本当に二度と再びその店に戻ることはなかった。あれから1年半が経った今その店は、数ヶ月前から閉鎖している。商いに対する温度差は、白ご飯を腐らしたばかりでなく、商いそのものを奪ってしまった。

先日、同ビル2Fにある”OLD MAN’S UN”(オオルド・マンズ・アン)というレストランへ久しぶりに行った。入居時からビジネス対応時に使用していたが、このところご無沙汰していた。オープンしてまもない頃、このチェーン店トップでありフェジョン・キュイジーヌ(融合料理)でも有名な小林氏が、受付で丁寧に出迎えてくれていた記憶が新しい。ランチもディナーも、拘りや風格がありながら手軽に楽しめる食だった。久しぶりの私は、ブッフェランチを選んだ。ワクワクしながら皿に盛った。ところが、席に戻りグラタンを口にした瞬間、クリームソースの痛みが口に広がり、フォークを置いた。食後の飲み物を取りにいった際、係りの人にその旨を軽く伝えた。同席していたクライアントがグラタンを皿にもっていなかったこともあり、私たちは会を進めた。突然「お話中失礼ですが」といってキッチンから出てきたエプロン姿の若者が、私たちの会を遮って言った。「これを食べてみてください。これはあなたがお食べになったものと同じものです。それでおかしいかどうか、はっきり言ってください。私どもはお客さんに出すものに誇りを持っているのです」と。彼は怒りきっていた。私のテーブル同席者は、いったい何が起こったのかとびっくり仰天。私はしかたなく、同席しているお客と私の上司に、「すみません、私の食べたものがおかしかったので、受付の方にそっとおつたえしたものですから」と白状し、続けて私たちのテーブル横で小さな焼きたてグラタンを差し出したその人へはこう言った。「私がおかしいとお伝えしたのは、あなたが手に持っていらっしゃるものではなくて、ブッフェテーブルのグラタンパン中央からスプーンで皿に採ったものです。」これは私の彼へのヒントでもあった。しかし彼は私に「ですから、これを食べてくださいと言ってるのです。あれと同じものをお持ちしましたので、食べてくださいと言っているのです」と2度も言い返し、強引に焼きたてグラタンを突き出した。私のテーブルの同席者は、怒り狂った男と冷静な私に、目を白黒させ困惑していた。私は一口食べて「これはいいのではないでしょうか」とだけ答えた。彼は怒り覚めやらぬトーンで「ですから、私どもはお客様に失礼になるようなものは作っておらず、誇りと自信をもっているのです」と吼えて立ち去った。私は会釈だけし、彼の後姿を見送った。その時、「この店には二度と再び来ないね」と、同席者全員が口にした。冷房の効いたそのレストランのブッフェテーブルは、大きな窓ガラス真横に位置し、しかもその大きなグラタンパンには窓越しから入る強い陽の光が直撃していた。そしてグラタンをサーブする大きなスプーンには、グラタンのクリームソースがへばり付いていた。同席していたクライアントのひとりが言った。「温度差ですね」と。乳製品とポテトを使用して高熱調理されたものとサーバースプーンが、クーラーの効いた部屋のしかも太陽の光を受ける微妙な温度差のシチュエーションで、化学変化を起こさないわけがないと説く。私にとって何よりも大きかった温度差は、腐れたグラタンよりもましてお客に誇りを主張して、作り立ての試食を強制した職人の言動だった。二度と再び私たちは、OLD MAN’S UN”(オオルド・マンズ・アン)に行くことは、絶対にない。

職種・業界の違いはあれ、「木村屋のあんぱん」に学ぶことは多い。「お客」あっての商いだ。苦情を言ってくれるお客より、黙って去ってしまうお客の恐さを知っていることは、「あんぱん」の味にかかせない「塩」、つまり商いの命綱ではあるまいか。たかが「あんぱん」されど「あんぱん」、流石老舗の塩が効いている、っと呟く、さくらの独り言!(sakuratsubomi@earthlink.net
but_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

四捨五入 五にしがみつく俺の汗

五分五分の力 根性では負けぬ

震度5にホームローンが腰抜かす

D51も駅員も消え風の駅

子が五人貧乏神もいて陽気


( ニュースやぶにらみ )

「星野監督勇退」
エエッ! −中曽根元首相、藤井道路公団総裁

「藤井総裁 徹底抗戦」
そこへいくと小泉首相は素直でいい −ブッシュ大統領

「日産、営業利益過去最高」
イチ ニッ サン  −会社再建の掛け声

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

今日は私達夫婦の結婚記念日なのでささやかなお祝いをします。来年は真珠婚式です。
とうとう日本シリーズが始まりました。一戦目は激しい試合でした。さあどうなるでしょう?

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.388

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

but_up.gif (232 バイト)