Zakkaya Weekly No.387
Ryo Onishi                                      10/12/2003

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涼しくなったと思ったら、今週末はちょっと蒸し暑いです。知らない間に、日本はインディアンサマーまで輸入したみたいですね。
最近、近所に大型店が続々とオープンしています。電器店だけみても、私の住んでいるところから(車で)数分で行ける店は6つもあります。どの店も開店当時はめずらしさもあって賑わっていますが、しばらく経つとガラすきです。さあどの店がサバイバルゲームに生き残れるのでしょうか?(
R.O.)

ディズニー・コンサートホール完成

ロサンゼルス・ダウンタウンにまたひとつランドマークとなる建物が完成しました。ロサンゼルス・バンカーヒルの高台に銀色に輝く特異なデザインの「ウオルト・ディズニー・コンサートホール」です。

この建物の道路をはさんですぐ前は、数年前までアカデミー賞の授賞式会場として有名だったロサンゼルス・ミュージックセンターの「ドロシー・チャンドラ・パビリオン」です。

この建物はディズニーランドやミッキーマウスで有名なウオルト・ディズニーの未亡人やディズニー家から1億ドル以上の寄付を受け、さらに一般企業や市民の寄付も集め、またロサンゼルス市が土地を提供して構想から10数年の歳月をかけて完成させたものです。最終的な建設費用は2億7千万ドル(約300億円)あまりになったそうです。

建物の外観は実に異彩で、船の帆をイメージしたといわれるデザインの外壁は銀色のステンレススチールによって取り囲まれ、波のようにうねっている様子は一度見たら忘れられない形をしています。(添付写真をご参照ください)これは米国の高名な建築家フランク・ゲーリーという人のデザインなのだそうです。

船の帆をイメージしたデザインと言えば、オーストラリア・シドニー湾の「ミュージック・センター」が有名であり、私も数十年前シドニーで現物を見ました。シドニーの建物はどちらかといえば「ヨットの帆」であるのに対し、こちらのは「帆船の帆」といったイメージです。

建物内部のメイン・オーディトリアムは座席数2,265席であり、決して大ホールではありませんが、面白いのは客席がオーケストラを演奏するステージを取り囲む形になっていることです。

ここはコンサートホールとして設計されているので、音響効果については入念なデザインがされており、この音響については日本人(永田音響設計、豊田泰久氏)が責任担当者として指揮をとり、日本の音響デザイン技術が採用されています。
 
この「ウオルト・ディズニー・コンサートホール」は10月20日に竣工式、23日にLAフィルハーモニックによる「こけら落としの演奏会」が行われ、スタートします。

新しいこのホールはロサンゼルス・フィルハーモニック・オーケストラのホーム・コンサートホールとして、クラシック音楽をメインにした演奏を世界に向って音楽を発信することになります。

新しいコンサート・ホールが『順風を満帆にうけ』21世紀の音楽芸術の殿堂になるよう期待したいと思います。河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言 「点と線」

松元清張作の「点と線」と言えば、推理小説ファンの私でなくても知っている。中学生の頃、一気に読み終えた一冊だ。その魅力とは、人間模様に時刻表と列車のダイヤグラムを巧みに取り入れた幾何学的トリックだったと記憶する。それを読み終えた私は、普段私たちが旅で乗る、またはすれ違う列車に、「点を結ぶ線」と「線に隠された点」を考えたものだ。後に大学のギリシャ語のクラスで、「時と時間」という概念が元々「1点1点」の集合体である「線」であると学び、感激したことを覚えている。そして今、人生の旅もまさしく、この「点と線」みたいだと空を仰ぐさくらである。

日頃私たちが観ているテレビや映画や雑誌の映像にも、別の角度からの「点と線」をイメージできる。例えばそれは、グラビア1ページの1作品は何本というフィルムのほんの1枚であり、また生番組を除く放映物もその完成品の数十倍を越える収録の集約である。言い換えればそれは、作品をプロデュースする陰役者(影主人公)のカット集でもある。ワンショットや1カット撮影の1つひとつは、まさしく点であり、私たちが目にしているその完成品はそれらの点と点を結んで作られる線の立体である。ただ、前述した「時」という概念との違いは、前者(時や人生の旅)はカットできない連続点によって作られる実線であるのに比べ、後者(放映物)はカットすることによって残されたものが繋がって造る線、つまり何かを作るために何かを捨てながら完成した線なのだ。どんなに優れたカメラマンやプロデューサーであろうと、仮に非常に稀で貴重なシーンのショットがあったとしても、目指す作品となる「線」を作るためには、断腸の思いをしながらも「カット・捨てる」の選択をして作るという線だ。例え撮ったその1つひとつが撮ったその瞬間にとってどんなに素晴らしくても、最高の最終成果物へ到達(創作)する為には、忘れなければならない瞬間やシーンがある。つまり私たちが観ているその完成品なる線の間や陰には、意識的にカットさ(捨てら)れた点(ショット)が存在することになる。これもまたある意味で、私たち人生の道中で体験することでもある「点と線」ではないだろうか。

ところで、我家から地下鉄で数駅辺りに位置する浜離宮園には、6代将軍家宣が植えたとされる「300年の松」の木がある。都内最大というこの黒松は、その樹齢の長さを広げた巨枝の線に見せ、威厳と品をかもしだす。しかし既に松自身では支えられなくなったその枝は、何本もの人工的スティックによって地面からの距離を保たれている。造園人の手が入っているとはいえ、300年という時が創ったその線には圧倒される。いつもその松の前に立つ時、この木は300年という点を知っているのだなと観てしまう。そして、「枝を切ら続けているあなたは、斬れないこともみてきたのでしょうね?」と問い掛けてみる。しかし「300年の松」の木は黙して動かず、ただじっと私を見つめ返してくれるだけ。季節の草花を見るという口実で、年に何度か足を運ぶことにしている浜離宮でのひとコマ、切ることと斬ることによって創られる「点と線」を考える。

「生きる」時間の長短に関係なく、私たちの人生には切って捨てたいこともある。また切って捨てたくなくても、捨てざるをえないものもある。そしてまた、捨てたつもりでも、いつかまた舞い戻るものもある。人生というものは、確かに切り捨てることのできない「刻」という点の連続によって続くものでもある。しかしそれはまた、あたかも放映作品を創るがごとく、収録したフィルムのカットを繋げて創り上げるドラマ同様、何かを斬って貫く「点と線」かもしれない。それが、私たち人生の事実と真実の狭間にある、あるいは見えない「点と線」なのかもしれない。そして結ぶ「点と線」と、創るために斬られる「点と線」の複合体が、私たち人生のミステリーなのかもしれないなっと呟く、ちょっとセンチで複雑なさくらの独り言。
sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

二人三脚妻の歩幅に歩を合わせ

三次会までは知ってる二日酔い

三代目ゴルフの腕は父を越え

一つ空く椅子に思惑が三つ

天性の三分生かした汗七分


( ニュースやぶにらみ )

「世代交代の中で」
 さすが中曽根、宮沢さん −藤井道路公団総裁

「二大政党」
二中政党でしょ  −無党派

「遺言」
これ以上地球を汚さないで −日本最後のトキ「キン」
   

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

明日月曜日は体育の日でお休みです。なんだかうれしいですね。
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Zakkaya Weekly No.387

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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